第56話 最後の手紙

 今日は令和3年1月31日の日曜日である。

 本日が、カクヨムコン応募の最終日である。


 今回の話は、私がこのエッセイをカクヨムコンに応募した際に、必ず、1月31日の最終日に書こうと決めていたものである。


 と言うのも、1月31日までの話が、選考対象の原稿になるのである。そう、これ以降にいくら話を書いたとしても、選考者の目には触れないのである。

 だからこそ、この話は、絶対に1月31日に忘れずに投稿しなければいけない。

 したがって、予約投稿を使い、忘れずに投稿することにする。


 そのため、★等のデータやお礼などは記載できない。なぜなら、これを書いているのは1月29日の深夜であるのだから。


 さて、このエッセイは、カクヨムコンのどんでん返し部門にエントリーしている。


 部門的にはどんでん返しがないと、カテゴリーエラーになうようで、選考対象外だそうだ。

 なので、どんでん返しを作ろう!


 そう、今、この瞬間、編集者の方や、選考委員の方が、このエッセイを読んでいたとしたら、このエッセイが読者選考を突破したという事である。


 これってすごくない?


 エッセイ……いや、エッセイですらないただの日記で読者選考突破って!

 それだけで十分どんでん返しだと思うんですけど。

 まぁ、今の時点では、読者選考突破したかどうかなんて分からないんですけどね!

 テヘ。


 しかし、このエッセイを投稿した私の真の目的は、そんな事ではない。

 うん? とりのぬいぐるみストラップ?

 まぁ、それは否定しないけどね……


 今回、カクヨムコンに初めて参加して、いろいろなことを見聞きした。

 どれもこれも、新しい体験で新鮮だった。

 そして、その気持ちを日々、このエッセイにつづらせていただいたのだ。


 だが、カクヨムコンについて、このままでいいのだろうか?


 この疑問は最後まで拭い去ることができなかった。

 カクヨムコンに参加する作者さんたちの多くが同じような疑問を持っているだろう。せっかく、カクヨムコンと言う素晴らしい発表の場があるのにもかかわらず、それを活かせ切れていない。それどころか希望に満ち溢れた若い作者さんたちが、カクヨムコンに絶望し、カクヨムを離れて行ってしまう。これは、運営側、作者側、読者側にとっても不幸でしかないと思うのだ。

 確かに、カクヨムは企業である。したがって、利益の追求はやむを得ないことは心得ている。だが、参加する作者たち、読者たちの多くは、利益とは離れた世界に住んでいる。これらの者とのかい離が、今のカクヨムコンを表しているように思えてならない。

 私のこのエッセイには、底辺のほとんど読まれることが無い作者の喜怒哀楽をつづったつもりである。

 そこに読みに来てくれた作者さんたちの喜びや悲痛な叫びも、コメント欄につづられている。

 もし可能であれば、是非、コメント欄も一読していただきたい。

 カクヨムコンに参加しても、なかなか表に出てこない作者たちの声が溢れているはずだ。


 それを次のカクヨムコンに活かしてくれとは言わない。

 でも、せめて、心のどこかに、こういう声があったのだと気に留めてほしいのだ。


 このエッセイが、読者選考を突破し、運営の方や選考の方のもとに届いていたとするならば、このエッセイを私からの、魂の手紙として送りたい。


 そして、あなたの心に、ほんの小さな傷を刻むことができたとしたならば、カクヨムコンのこれからに、何らかの影響を与えてくれるものと信じている。


 だって、あなたたちは、カクヨムコンを作る側の人間なのだから。

 きっといいカクヨムコンを、これからも作ってくれると信じている。


 そう、これは、しがない農奴の、一世一代の直談判である!!



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る