056


 俺は生まれてこの方〝修羅場しゅらば〟というものを経験していないため、何が修羅場に値するのかを理解していない。


 だが何となーく、現状が阿修羅あしゅらさまもびっくりの修羅修羅場であることは把握していた。


 そう――混浴である。


 金髪と藍色髪あいいろがみ、二人の美少女に囲まれての入浴というのは、どうしてか俺にはちっとも極楽とは程遠いように思えてならない。というのも、われ、睨まれているのである。


 まるでひとさまのことを〝性欲の権化〟的な目で見られていてはたまらない。だいたい一番に入浴したのは俺だ? 後からコトハが入ってくるわ、何故かフィイも参戦するわで戦場おんせんは混沌を超えたただの無秩序と化していた。


「……いい湯ね」


 なんて言いながらコトハが距離を縮めてくる。よせ、くっついてくるんじゃない。


 MMO廃人というものは、基本的に引きこもりなんだ。女性経験が豊富なわけもなく、素肌が触れあうような真似をされたら不整脈ふせいみゃくでも引き起こして突然死を招きかねない。


「ああ、いい湯だ」


 と呟いてすり寄ってくるフィイ。やめろ、お前も便乗してくるんじゃない。


 そもそもお前のソレはバスタオル一枚じゃ明らかに隠しきれていないだろ。次からは全身防護服で入浴してこい。


「……」


 そして訪れた静寂。この責め苦はいったいいつまで続くのだろうか。


 もうかれこれ三十分くらいは入浴しているが、俺はともかくコトハは……


「う、あう、ううぅ……」


 なるほど、どうやらダメなようだ。


 すっかりぐるぐる目に、顔が真っ赤になっているコトハを見て間違いなくそう思う。これは確実にのぼせているな。――となれば次の展開は。


「視えた!」


 先見せんけんめい、圧倒的洞察力どうさつりょく深慮しんりょ遠謀えんぼう


 俺にかかればこの後の〝お約束〟など容易に看破かんぱできる。


 そうはさせてたまるものか。あいにく俺は〝何でも知っている〟当然だ、知らないことはひとつもない。ゆえにのぼせて動けなくなったコトハを、俺がおぶってなめめかしい肉体の感触に恥じらうことになるのもお見通しだ。


 不穏な芽は摘み取っていく。これがカンスト勢の第六感シックスセンスだ。


「ど、どうしたのだアルトくん、急に大声をあげて」


「いやなに、視えてしまったんだよ、この後の展望がな。――コトハ、お前はのぼせてしまう一歩手前だ。卒倒してしまう前に今すぐ上がれ。いいな?」


「わ、わわ、わたしはまだ、がんばれるんだからぁ……あうぅ……」


 いまいち努力の方向性をはき違えているお姫さまは、遂にフラフラと頭を揺らし始めた。


 マズイ。どうせこの後、彼女は湯に突っ伏してしまい俺が介抱かいほうする羽目になるのだろう。だがそうはさせない、次手は既に考案済みだ。


「フィイ、どうもコトハは限界なようだ。明日のID周回に支障をきたしても困る。こいつを脱衣所まで運んでくれないか」


「たしかに大丈夫ではなさそうだな。うむ、了解した」


 物分かりのよいフィイは立ち上がり、コトハの方へと歩いていく。水分を含んだ薄っぺらいバスタオルが張り付いて、彼女のシルエットを明確に――


「……ひゃっ……み、見たな、アルトくん、い、いまフィイの体を!」


「……ミテマセン」


「うそだ、たしかにいま視線がこっちに」


しゅが神よ、なんじの名は何ぞ全地ちにおほいなる――」


「ごまかして聖詠せいえいをとなえるなぁ!」


 いやこれは知らない。こんなシチュエーションが起こりうることも彼女のソレがあまりにも著大ちょだいであったことも、俺の知識の範疇外はんちゅうがいだ。前々からデカイとは思っていたが、いやはや予想を上回るデカさだった。


「アルト、わたし、わたしもう……」


 そして何故おまえはそこで抱き着いてくる?


 おかげで何かが当たっているような気もするが考えないでおこう。今は対処が最優先だ。


「つ、ついに本性を現したな、アルトくんは、この時を待っていたのだろう!」


 しかし矢継やつばやに予期せぬ横やりを入れられる。


 俺たちの状態を見て、フィイが声を荒げだした。


「はあぁ!? ちが――そもそも後から入ってきたのはお前らだろ! どうして俺がけだものみたいな扱いをされないといけないんだ! むしろよこしまな思いがあるのはフィイの方なんじゃないか?」


「そ、そんなわけ……なにを言っても、現にアルトくんは、まじまじと見ていたではないか……その、フィイの体を、せたいぬみたいな目で!」


「誤解だああぁ!! ていうかさりげなく一人称を自分の名前に変えるな、可愛くはあるが少々あざといぞこのムッツリシスター」


「フィイは、ではなくてわれはべ、べつにそんな、これは女神さまからの啓示けいじで――」


「……アルト、わたしもうげんかい、脱衣所まで……はこんで……」


「そしてお前はここで息絶えるなあぁ!! ほらフィイ早くコトハを!」


 ああ言えばこういう、こう言えばああいう。そして勝手に湯の中へと沈殿ちんでんしていくコトハ。動けばののしられる阿鼻叫喚あびきょうかん。もう何が何だか分からないカオス状態はこの後もしばらく続いた。


 結局は予定通りにフィイがコトハをかつぎ出したわけだが、事が済んでみれば、ダンジョンの疲れは取れるどころか増す一方。いったいどうしてこうなったのやら。


「――アルトアルト、こんなものがあったわよ! どう、遊んでみない?」


 すっかり快復したコトハが花札を見せてきた。旅館に備え付けてあるものだろう。


 やれやれ仕方ないな。俺は無視して寝床に入った。

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