19話:苦手を探して
「そういえば、咲妃が元にも戻ったんだってね」
「ん? ああ、紫苑から聞いたのか」
長い坂を僕と琥乃美は並んで歩く。
「どうやら、みんなの中に眠る魔獣の願いを叶えると、消えるらしい」
「魔獣の願い……ね。僕の中にいる、この虎っぽい奴は何を願っているのかな?」
「咲妃は、魔獣の声が聞こえたと言っていたが、そういうのはないのか?」
「あったらとっくに話しているさ。良いなあ、僕も喋ってみたいもんだ。人間はあまりに退屈だよ」
退屈か。きっと、琥乃美にとってはそうなのだろう。
「
琥乃美が全て見ていたとばかりに、僕にそう聞いてきた。
「どこまで、分かっているんだ琥乃美」
「異世界のことは残念ながら僕には分からないさ。だけど、いっくんがそれに関わっていて、咲妃の気持ちを知っている僕が、今日の様子を見て答えに辿り着くのは必然だろ? なぜ僕に虎が憑いたか不思議だったんだ。そこに偶然性はないと僕は予測していたけど、どうにも大きく外れてはなさそうだ」
「そうだな。琥乃美に
「そしてその理由を探り、解決すれば……獣憑きは治ると」
「理解が早くて助かるよ」
僕がそう言うと、琥乃美が笑った。
「つまらない世界だと僕は思っていたけど、中々面白くなってきた。知らない世界が文字通り存在するってのは素直に興奮するよ。しかもそれに間接的ながらも自分が関わっているとね」
それは琥乃美の本心のように見えた。
長い坂を下り、大通りに出た。街路樹は青々と茂り、もう夕刻だというのに日差しは強い。もう夏が近付いているのを予感させた。
「いっくん。いっくんは僕の願いを、僕の中に眠る魔獣の願いを知りたいかい? それを叶えて、僕を、人虎を、解放させてやりたいかい?」
琥乃美が立ち止まった。
その目は僕ではなく初夏の夕暮の、その更に先を見つめているような気がした。
「一生、そのままなのは嫌だろ? それに満月を越えるたびに獣化は進むんだ」
「僕の都合じゃない。いっくんの意思を聞いているんだ。君は嫌かい? 僕に虎の耳と尻尾が生えているのが、僕が獣になるのが」
「……それは」
正直……全てのアレコレを抜きにすると……僕は……一向に構わんッ! 獣が嫌いなビーストテイマーはいません!!
とは流石に言えない、流石に。人としてアウトすぎる。
「いやまあ、似合ってるけどさ。でももし仮に放っておいて獣化したら、それはもう琥乃美じゃなくなる。僕は嫌だよそれは」
僕がそう言うと、琥乃美が笑った。
「あはは……いっくんは優しいね。僕はね、いっそ獣になれたらどれだけ楽だろうかと考えてしまうんだ。仮に意思も何もかもなくなったとしても……君がその獣を僕だと認識してくれさえしてくれたらそれで満足だと思っていた。でも、そうは見てくれなさそうだ」
琥乃美はゆっくりと歩きはじめた。僕は黙ってついていく。
「いっくん、今、時間あるかい?」
「ああ。もちろん」
「じゃあ、私の部屋に行こう」
「部屋?」
「高校に上がると同時に家を出て、今は一人暮らしなんだ」
「そうなのか」
「おかげで、生きやすくなったさ」
琥乃美とその両親との間にある確執。僕は深くは知らないけど、相当に根深いものなのは想像に難くない。
「紫苑の家の割と近くなんだ」
「ああ、そうかだからあの時、送っていったのか」
鍋をみんなで囲んだ夜。琥乃美は紫苑を家まで送ってくれた。琥乃美の家はうちの近所なので、一人で戻ってくる時が危ないと思っていたのだが、どうやらいらぬ心配だったようだ。
「そういうことだね。ゆっくり、そこで話そう」
「分かった」
こうして僕は琥乃美の部屋へと行くことになった。
☆☆☆
「結構……綺麗……だね……」
紫苑の自宅にほど近い、小さな公園の向かいにあるマンション。小さなマンションだがセキュリティは結構しっかりしている。
そして琥乃美に言われるがままに部屋に入ったのだが……。
「掃除がしやすそうだろ? 僕は家事が嫌いでね」
そのワンルームには、何もなかった。
いや、それは流石に語弊があるか。ベッドとテーブル、椅子はある。だけど、本当にそれだけだった。まるでそこは刑務所か何かの一室のように、無機質で、生活感の欠片もなかった。
「飯はどうしているんだ」
キッチンを見る限り、あまり使われている形跡はない。
「出来合いのものを食べている。一人暮らしで一人分自炊するのは効率悪くてね。お金には困っていないし」
「そりゃあ……まあそうだけどさ」
「まあ、ベッドにでも座ってくれ」
僕はそう言われて、ベッドへと腰掛けた。ふわりと、甘い匂いが香る。
それにドギマギしていると、琥乃美が僕の隣に座った。
「さて……。いっくんに実はお願いがあるんだが……聞いてくれるかい?」
「な、なんだよ」
僕は少し身構える。
「僕を襲って欲しいんだ。あ、逆が良いなら逆パターンも可だぞ?」
「なんでだよ!」
がるるる~とポーズを取って唸る琥乃美を見て、僕は思わず声を荒げてしまった。いや、耳と尻尾もあるおかげで様にはなっているけども!
いやほんとなんでだよ!
「やっと二人っきりになれたのに、随分と塩対応だないっくんは。やっぱり獣耳が生えた程度では、僕には欲情しないか」
ため息をついて、割と本気で凹んでそうな琥乃美を見て、僕は頭を抱えた。
なんかさ、もっとこう真面目なお願いされると思ったのに!
「僕は、真面目だが?」
「しれっと心を読むな心を」
「あはは、いっくん、やっぱりらしくなってきたじゃないか」
琥乃美が笑った。そういえば、昔、琥乃美は相手の思考を先回りして、喋る癖があった。大体の者が嫌がったり、気味悪がったりしたが、僕だけはそれを楽しんでいた。
すげー、エスパーじゃん! と、無邪気に思っていた。
「でも、僕じゃなくて、これが咲妃だったら、紫苑だったらどうしていたんだろうね。いっくんは同じようにするのだろうか」
「するに決まってるだろ」
「そうか。私はね、もう飽き飽きしているんだ。勉強だって別に面白いとは思わない。何をしても先が見えてしまってつまらない。だから、した事のないことをしようと思ってね。恋愛、とかね」
……そういうことか。
「ほら、よくある天才キャラって、優秀だけど、恋愛は全然駄目みたいなパターンが多いだろ? だから僕も期待しているんだよ。もしかしたら僕にも、苦手なものがあるのかもしれないと」
「それで、相手は僕なのか?」
「いっくん以外に思い浮かばないからね。他の男子は怖がるか、気味悪がったりするだけだよ。案外、男子ってのは賢いものだと思ったね。見てくれだけでは判断してくれない。知ってるかい、裏掲示板の美少女ランキングスレッド。あれ、僕がなんと二位らしいぞ。笑えるだろ」
お前も見ているのかよ。
「二位だと言うのに、告白どころか、声を掛けられた事もない」
「いや、それはお前が冷たくあしらうからだろ? 僕とこうやって会話している感じで話せば、全然いけるぞ」
「……出来ないことはないが、したくない。家事と一緒だ」
ワガママだな。だけど、そこがなんというか琥乃美の人間らしい部分だ。昔から掃除とかそういうのは嫌いだった琥乃美だが、やらせれば完璧にこなした。
この部屋だって、掃除が行き届いておりまるでモデルルームのようだ。きっとその作業を減らす為に、物も最低限にしているのだろうけど……なんというか極端だ。
「という話をだ、咲妃にしたのだが……」
「したのか」
「うむ。そしたら、なんて言ったと思う?」
「……あんまり聞きたくない気がする」
「〝はいはい。それは琥乃姉が一兄のことが好きなだけです、しょうもな〟、だとさ」
琥乃美が咲妃とそっくりの声色でそう言った。いや、そんな技術いつの間に身に付けたんだ。
琥乃美は僕の方へと顔を向けて、目を細めた。それは、笑顔にも見えるし、泣き顔にも見えた。
「だからだな、いっくん。僕は昔から、そして今も――いっくんが好きだ。大好きだ」
その唐突な告白に――僕はすぐに言葉を返せなかった。
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