3章:月吼独虎

18話:騒がしい昼、仮面の虎


 昼休み、文芸部の部室。


「一兄、今日はお弁当ないんですか!?」


 僕は抱き付こうとしてくる咲妃を避け、紫苑の隣に座った。


「毎日作るとは言ってないだろ」

「今日、お昼持ってきてない!! ぐぬぬ」

「じゃあ、僕の半分やるから」

「……あたしのもあげる」


 呆れたような目で僕と咲妃を見つめる紫苑がそう言って、あのめちゃくちゃ高いパンを差し出した。


「紫苑先輩やっさし~。これ高いやつですよね」

「一個500円だぞ。味わって食えよ」

「というか……あんた、耳と尻尾はどうしたのよ」


 あ、紫苑さんやっぱり気付いてる。


「耳と尻尾は消えました」

「はあ!? 消えたってどういうことよ」

「んー、話すと長いんですけど……私と一兄だけのなので、教えてあげません」


 紫苑を挑発するように笑みを浮かべる咲妃。


「なにそれ」

「いや、んー、簡単にいえば、咲妃の中にいた狐の望みを叶えた……ってところだな。それがどうも元に戻る為の条件らしい」


 僕の言葉を聞きながら紫苑が咲妃に向かって声を尖らせた。


「全然秘密じゃないじゃん。というかあんた一里に対しての距離感どうなってるの。けなしたかと思えば、今日はべったりだし」

「もうこれからはずっとくっつきモードなのでよろしくでーす」


 そう言ってしだれ掛かってくる咲妃に、僕は、邪魔だとばかりに手を払う。弁当が食べづらい。なんというか懐かしいやり取りだ。


「怪しい……」


 ジト目で僕を見てくる紫苑。いや、うん。まあそうだよね。僕が更に踏み込んだ話をしようか迷っていると、部室の扉が開いた。


「お、やってるかい」


 部室の扉を開けながら入ってきたのは琥乃美だった。


「なんで琥乃姉が」


 咲妃が不満そうに琥乃美を見つめた。まあ呼んだのは僕だけどね。


「僕だけ仲間ハズレなんて酷いじゃないか」


 そう言って、ニコニコしながら琥乃美が咲妃の横に座る。手に持っているのはプロテインバーだ。


「琥乃美、あんたそれがお昼?」


 紫苑が信じられないとばかりに琥乃美が囓るプロテインバーを見つめた。


「そうだけど?」

「なんか味気ないわね」

「効率は良いんだ」

「お昼ごはんに効率を求める必要ないと思うけど……」

「はは、確かに」


 紫苑と琥乃美は一見全然タイプが違うが、なぜか妙に仲が良い。何か通じ合う物があるのかもしれない。


 だけど、僕から言わせれば――


「前も思ったけど……紫苑先輩凄いね。琥乃姉と普通に喋ってる」


 咲妃も同じ事を思ったのか、小声でそう僕に囁いてくる。


「……そうだな」


 僕と咲妃と琥乃美。小学校の頃からの仲なので、お互いの事は良く知っている。

 初めて琥乃美と会った時に抱いた第一印象は、何を喋っているか分からない子――だった。彼女が神童と持てはやされたのは最初だけで、そのうち大人からも同級生からも疎まれはじめた。

 だけど当時の僕は、とりあえず女の子であれば誰でも等しく優しくあるべしと思っており、友達もおらずひとりぼっちだった琥乃美を無理矢理連れ回していた。


 そうして、僕達三人はいつしか幼馴染みとまで呼べるほどの間柄になっていた。

 琥乃美も次第に、普通に会話出来るようになった。


 僕達といる時だけ、と付けなければならないけどね。


 ただ、僕は琥乃美とも疎遠になり、そして異世界に行こうが魔王を倒そうが卑屈さも対人関係も、直らないまま高校生活が再開した。


 それはもう仕方ないと思っていた。


 そんなことを考えながら、弁当には言った焼き鮭を突いていると、少し離れた位置でお昼を食べていた部長と部員達がざわついているのに気付いた。


「美少女ランキングナンバー2の山月琥乃美だぞ……嘘だろ、あいつ普通に喋れるかよ」

「……確かこの高校始まって以来の天才だろ? アメリカの大学から既に声が掛かってるとか何とか」


 どうやら琥乃美も例のランキングに入っているようだ。……今度チェックしてみるか……。


 琥乃美の一般人からの評価としてまあ、妥当なところだろう。


 美しき、天才。理解不能な怪物。

 本人は気にしていないようだが、僕はそんな言葉をよく耳にした


 だから当然、僕は琥乃美を避けた。咲妃と同じく、誰よりも昔の僕を知っているからこそ――避けた。


 なぜなら、山月琥乃美は天才だからだ。全てにおいて秀でており、全能感があった幼少期の僕ならいざ知らず、高校生の僕に、彼女を直視し、劣等感をこれ以上抱く事は耐えられなかった。


 だけど獣憑きのおかげで、僕は琥乃美の中に潜む人虎ウェアタイガーを通してようやく彼女と向き合える。


 僕はかつての仲間を思い出す。


 強すぎるがゆえに、孤独になった人虎の戦士――アルザ。嫉妬、妬み嫉み……そんなものは気にしないとばかりに独り戦うアルザは美しかった。


 だけど結果として、アルザの心は壊れてしまった。だから僕が彼女を救い、そして彼女は僕に使役されることを良しとした。


 それが、僕とアルザの物語だ。


 だけどそれは過去の、違う世界の、話だ。


 今、僕が向き合うべきなのは。


「どうしたんだい? 僕の顔ばかり見て。ははーん、さては惚れてしまったかい?」


 琥乃美が冗談っぽくそう言って笑う。一見すると少し変わった女の子、程度にしか見えないだろう。

 だけど、僕は知っている。


 それはしょせん、上辺でしかないことを。


「惚れたかどうかはともかく、最近楽しそうだな、琥乃美」


 僕の言葉を受けて、琥乃美が目を細めた。


「ふむ……確かに確かに、最近僕は妙に浮かれている。これはなんだろうね」


 真剣に考えだす琥乃美を見て、紫苑がため息をついた。耳と尻尾を見る限り、機嫌は良さそうだ。


「……あんたらって昔からこんな感じなの?」

「昔もこんな感じですよ……もぐもぐ……まあ、昔の一兄は今みたいに湿気シケってなくて、もっと弾けてましたし、琥乃姉はもっと無口でした」


 咲妃が貰ったパンにかぶりつきながら答える。行儀が悪いから、食べてから話しなさい。


「湿気ってて悪かったな」

「今から弾ければ良いんですよ!」

「もうそんな元気ねえよ」

「じゃあ、私が元気をあげましょう!」


 咲妃が抱き付いてくるのを手で止めながら、僕は琥乃美を観察する。


 虎耳も尻尾は、まるで造り物のようにまったく動いていない。感情が、読めない。


「ふむ、それで元気が出るなら僕も微力ながら助力いたそう」

「うわ、おい、こら、本気で抱き付いてくるな!」


 運動神経がバカみたいに良い琥乃美の動きに僕はついていけない。


「ちょっと、暴れないでよ!!」


 テーブルと椅子ががたんがたんと揺れて、紫苑が耳を反らせて抗議の声を上げた。


 そうして騒ぐ僕達を見て、三田部長がポツリと呟いた。


「……良いなあ……」



☆☆☆



 僕がその光景を目撃したのはたまたまだった。


 下校しようと渡り廊下を歩いていた僕は、琥乃美のいる教室の前を通り過ぎた。


 その時に、耳に琥乃美の名前が飛び込んできた。


「あ、あのさ、山月さん。クラス委員の打ち合わせ、放課後に駅前のカフェでやる予定なんだけど……」

「山月さんも来るよね? クラス委員だし」


 座っている琥乃美の前に同じクラスメイトであろう女子生徒が二人立っていた。


 それに対する琥乃美の返答は短かった。


「――


 琥乃美の顔には、如何なる表情も浮かんでいなかった。


 しばしの沈黙ののちに、慌てて女子生徒が口を開く。


「え、いやでもほら、色々と決めないといけないし」

「あ、じゃあカフェじゃなくて……」

「そうじゃない。なぜその打ち合わせを、しないんだ? そもそも決める事だって大してないはずだ。なのに、わざわざ時間を割いて、しかも校外の店舗で打ち合わせする意図が読めない。理解できない。だから、嫌だと言った」


 その声は、恐ろしく冷たい。それは確かにその通りなのかもしれないけど……琥乃美はあの子達の気遣いに全く気付いていない。


「え、あ……それは」

「……じゃあいいよ。私達で決めるから、明日それを確認してくれる?」

「構わない。今やって、先生に提出する方が早いと思うがね」


 琥乃美の返事に女子生徒が諦めたような声を出した。


「じゃ、また明日。もういいよ、行こ」


 僕は、扉の横に立ったまま、その二人が出て行くのを見守っていた。


「だから言ったじゃん。誘うなって。あいつ、何様よ」

「だって……山月さんもクラス委員だし……誘わないのは可哀想だよ」

「先生が勝手に決めた事だし、もう無視でいいよ。私達だけで決めよ」


 出て行く二人の会話を聞いて、僕はある意味ホッとした。


 僕達の前では、本人なりの愛想を振りまいているが……やはり琥乃美は琥乃美のままのようだ。


 僕はさて、どうしようかと迷ったが、結局その教室の中へと入っていって、琥乃美へと声を掛けた。


「もう帰りか琥乃美。もう少し愛想良くしても良いんじゃないか?」

「おや? 珍しい。いっくんがわざわざ教室まで来てくれるとは。天変地異の前触れかな?」

「たまたま前を通ったら、姿が見えたからね」

「なるほど。そのまま通り過ぎない辺り、やはりいっくんは成長したようだ。じゃ、一緒に帰ろうか」


 琥乃美は綺麗な所作で立ち上がり、机の横にかけていたバッグを手に取った。しなやかに動く琥乃美の動きに一瞬僕は目を奪われた。


 揺れるポニーテール、惚れてしまいそうなほどに素敵な笑顔。


 だけど、やっぱりその目の奥は――笑っていなかった。

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