12話:四獣奏


「やっぱりお前だったか……クカ」


 咲妃の姿のままクカが僕に這い寄る。

 

 蛇に睨まれた蛙のように身動き一つできない僕に、咲妃が抱き付いた。柔らかく、温かい感触。僕の耳に息がかかる。


「いつから気付いておった?」


 甘い声が脳に響く。駄目だ、しっかりしろ。


「咲妃は、高校で再会してからは、僕の事を〝石瀬先輩〟と呼んでいた。だけど、耳と尻尾が発現してからはずっと昔使っていた〝一兄〟になっていたし、態度まで昔に戻ってしまった。おそらくお前は、僕と咲妃の記憶が一番多い幼少期を見て、きっとこんな感じだろうと再現していたのだろうが……僕からしたら違和感しかない」


 咲妃は、確かに幼少期は甘えたで、いつも僕にくっついていた。だけど、高校で再会してからは僕のことを小馬鹿にすることを生き甲斐にしているようなやつになっていた。間違っても僕を一兄なんて呼ばないし、こうやってくっついたりしてこない。


「何より僕は……【テイム】をまだ使っていない。なのに態度が変わった咲妃を見て、もしかしたら……と思っていたんだ」


 あとは、僕の脳裏で、あの言葉が何度も浮かぶ。


 咲妃の中にいるのはナインテール――人を堕落させ国を傾け、それをあざ笑うような魔獣だ。何かが起こる予感はしていた。


「なるほど……なるほど……流石は妾のマスター」

「教えろクカ。なぜお前がこっちにいる。どうやって来た? なぜ来た? 咲妃はどうなった」


 僕の背中へと手を回した咲妃が僕の背中に爪を立てた。


「なぜ……と来たか。やれやれ……。マスターには困ったものだ。妾達の心あれだけかき乱しておいて、あっさり妾達を見捨ててこの世界に帰っていった癖に、なぜ、ときたか――そんなの決まっておろう……もう一度マスターに会うためだ。ちなみにこの身体の中身なら、妾の中で眠っておるだけだ。安心しろ」


 咲妃の爪が僕の背中に食い込んでいく。そこには怒りが籠もっているような気がした。


「だけど……僕はこっちの人間で、お前達は……向こうの魔獣だ。いつまでも一緒にいられるわけではないことは分かっていただろう?」

「だが、こうして会えた。嬉しいぞマスター。人の身体を依代にすれば、こうしてまるで恋人同士のように触れ合える。素晴らしいとは思わないか。この身体は貧相で妾の好みではないが……悪くないだろ?」


 咲妃が僕の首筋に口づけをした。その感触で僕の理性が崩れかける。駄目だ、こいつの言う事を素直に受け取ってはいけない。


「離れろ……クカ。そして咲妃を解放しろ」

「くくく……マスター忘れているのか。妾達とマスターとの関係はあの時に解除された。であれば妾がマスターの指示を聞く必要はないわけだ。テイムもしていない魔獣には――命令も懇願も無意味ということはマスターが一番知っておろう」


 そう。

 長年旅をしてきた、あいつらとは別れの日に、使役関係を解除した。あいつらが、自由に生きられるように。


「何が条件だ」

「マスター。ああ、マスター。その問いかけに意味はない。人間と魔獣の関係に戻った妾達にマスターがするべきは一つだけ……」


 そう言って、咲妃が僕の身体を離した。


 目の前に立つ咲妃が僕をまっすぐに見つめた。


「さあ、マスター、使え。そして始めよう、化かし合いをまるで――恋人達のように騙し裏切り、愛し合おう」


 そうか。そういうことか。

 

 確かにクカの目的は分からない。だがクカは完全に咲妃の身体を乗っ取っている。それが満月が近いせいなのかどうかは分からないけども、こいつを何とかしないと咲妃が戻ってこない。


 とにかく、クカを再び使役しないと――咲妃は目覚めない。


「分かったさ。やってやるよ――【】」


 僕は咲妃に向かって手を向けて、そう言い放った。


「それで良い。さあゲームの時間だ。フェアにする為に、マスターに伝えておこう。この世界に来た魔獣は妾含め、四体。妾が出す条件はこれだ――〝妾以外の者を全てテイムさせること〟」


 それは……何とも厄介な条件だ。


「四体……。お前と、紫苑の中の魔狼、琥乃美の中の人虎、あと一人は?」

「それも自分で探すんだな。あと、これも忠告だ。人の身体を依代にこちらの世界に来た妾達だが……妾以外はおそらく本人の意思は薄くなっているだろう。つまり魔獣の魂とこの世界における依代……その両方を考慮しないとテイムは為し得ない。つまり、マスターは――この身体の人間の記憶から最も相応しい言葉を拝借するとすれば――あと三人の小娘をしないといけない、そうまるで恋愛ゲームのように」


 ゲームのように。攻略。それは。


「もっと簡単な言い方をしよう、マスター。あと三人を……。好感度を上げて、フラグを立てて、イベントをこなして……そして告白。それで両想いになれば……それがテイム成功の証だ。三人ともマスターに惚れれば、妾も負けを認めよう。そうすればこの娘も目覚めるし……他の小娘共も元に戻る」

「惚れさせるって簡単に言ってくれるな」

「一緒じゃないか。魔獣を使役するのも……恋人を作るのも……同じだ。テイムのスキル行使は、まあ攻略開始の合図として使えば良い」

「紫苑と琥乃美と、あと誰か分からない奴を僕に惚れさせるなんて……不可能だ」


 無理に決まっている。紫苑とは仲良くなったし、琥乃美とは昔のように話せるようになった。でもそれだけだ。


「ならば、この娘はいつまでも目覚めない。他の者も徐々に魔獣側に浸食され……そのうち完全に魔獣になるだろうな。満月の夜を越えるたびに魔獣化が進み……さてどうなるやら。いずれにせよ、それは妾のせいでもあり、根本を言えば、マスターのせいでもある」


 そう言って咲妃がけらけらと笑った。ああ、クソ。そうだ。ナインテールってのはこういう奴だ。


「あーそうそう、本人達にこの事を言って、言葉上だけで好きだ~惚れた~だいちゅき~って言わせても意味はないとだけ言っておこう」

「……まあそうだろうな」

「マスター。努力したまえ。女性は苦手だったが、メスの獣ならお手の物だろ? なに、マスターが話しやすいように耳と尻尾をこの小娘どもに生やした妾を褒めてくれ。 ああ、そういうのが好きならばずっとそのままにしておいても良いのだぞ? ふふふ、他は知らぬが、妾に限って言えば……マスターの好きにしていい。ほら、欲望のままに劣情に身を任せ……妾を喰らうが良い」


 そう言って、ワンピースのボタンを外していく咲妃を僕は急いで止めた。何をしやがるこいつは!


「全部お前のせいだったか……」


 僕はため息をついた。ナインテールは魔獣の中でもトップクラスの魔力の魔術の知識を持つ。世界を渡るのも不可能ではないのかもしれない……多分。


「というわけで、頑張るのだマスター。では、しばらくこの小娘に身体を戻してやろう。ふ、マスターの健闘を祈る」


 咲妃がそう言うと、フッと耳も尻尾も体毛も消えた。脱力し、倒れる咲妃を僕は急いで抱き止めた。


「ん……ん? あれなんで石瀬先輩が……?」

「……記憶は?」

「はあ……紫苑先輩と琥乃姉と鍋をしていましたね。私寝ちゃったんですか? というか……離れてください!」


 ドンと僕は咲妃に押された。どうやらくっついている状態だと言う事に気付いたらしい。

 記憶はあるようで良かった。クカにはどう改ざんされているか分からないが。


「変態。まさか私に欲情するとは……これだから陰キャは困るんですよ。ちょっと優しくなったら勘違いして。正直キモいです。私、帰ります」


 僕は軽蔑した目で見ながら、帰ろうとする咲妃を見て、僕は安心した。うん、いつもの咲妃だ。


「……送ろうか咲妃。もう時間も遅い。家が近いとは言っても危ないかもしれない」

「っ! その呼び方、学校では止めてくださいねっ! じゃ、お邪魔しました。一人で帰ります」


 そうして咲妃が去っていった。


 一人残された僕は、盛大にため息をついた。とんでもないことになってきた。


 もちろん、僕が原因で紫苑たちに耳や尻尾が生えたことについては、まあそうだろうなという感じだが……まさかこんな事になるとは。


 だけど、紫苑達を元に戻す為には……やるしかないのだ。

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