第35話:決闘

 返事の代わりに印を組み、黒羽は切り裂きの術を放つ。

 狙うはやつの胴体だ。だが、当たり所によっては致命傷にもなりうるそれを、木崎は慌てることなく、最低限の動きだけでかわしてみせた。


「……余裕そうだな」

「そりゃあもう、わたしは虎の威を借りなくてもいい狐なんで」


 応えつつ、木崎は片手を前に突き出す。

 何の真似だ? 奇妙な動作に眉をひそめたとき、その掌から青白い煌めきが巻き起こる。かと思えば直後、それは風船のように膨れ上がってこちらへと殺到してきた。

 身を捻って回避する。放たれた火球は黒羽の肩を掠め、そのまま背後の大岩に激突して爆ぜた。

 確かに熱を感じたが、辺りが炎上する気配は無い。これは……。


「狐火か……!」

「ご明察」


 妖術の一種だ。霧だけでなくこんなものまで習得しているのか。


「ところで黒羽さん。人間の世界には焼き鳥って食べ物があってですね」

「だからどうした」

「化け烏を焼いたら美味しいのかなって、ふと思ったりして」


 不吉なことを口走りながら、木崎は両手を山型に組み合わせ、黒羽には聞こえない声で何かを呟く。

 今度の狐火はさっきより大きかった。咄嗟に飛び退いたその横を、ゾッとするような熱気が通過していく。

 印を組み、なおかつ呪文を声に出すことで威力を高めたのだろう。木崎の妖力がどれだけのものかは知らないが、このレベルの攻撃を連続で放ってこれるとしたら、術の打ち合いではこちらが不利だ。

 ……ならば、格闘戦に持ち込むしかない。

 そう思った黒羽は距離を詰めるべく、両腕を翼に戻して思い切り地面を蹴る。飛行と跳躍を合わせた立体的な機動は、半人半鳥の自分だけに許された特権だ。ただ単に走って近付くよりも、迎撃は圧倒的に難しくなる。

 短く息を吸い込み、一気に加速。木崎が驚きに目を見開いたとき、既に黒羽は彼女の目の前まで迫っていた。


「――ハッ!」


 回し蹴り。横腹を狙って繰り出したそれを、木崎はギリギリのところで受け止めて、楽しげに眉を持ち上げた。


「なるほど? 素早さだけは折り紙付き、と」

「どうかな。“だけ”とは限らんぞ」


 言い返して、黒羽は木崎から距離を取る。

 ほぼ同時に、鋭いかぎ爪が目の前を薙ぎ払った。ヒュウ、と空を切る音。聞くだけで重たさが伝わってくる。

 昨日戦った狐と同じだ。単純なスピードではこちらが勝ってる。けれど力と霊力の規模は、敵の方が一回りも二回りも強い。


「離れないでくださいよ」

「断る。勝手にわめいてろ」


 空中で翼を羽ばたかせ、黒羽は体勢を立て直す。そのまま身体を反転。木の幹を足場にし、勢いをつけて跳びかかる。

 近付きすぎれば強力な一撃をくらうし、離れれば今度は妖術が飛んでくる。そんな状況で、取れる戦術はそう多くない。


「……速度を活かしてわたしの攻撃を避けつつ、付かず離れずの間隔を維持。ヒットアンドアウェイの繰り返しで押し切る。そんなとこでしょうか?」

「腹立つくらいに勘がいいな、貴様は!」

「勘ではなくて、考えた上での推測ですよ」


 早くも策が見透かされたわけだが、簡単に対応はさせないつもりだ。

 右からのハイキック。防がれたがここで終わりじゃない。弾かれた際の反動を使って逆方向に身体を回転させる。しかし黒羽が回し蹴りを放ったとき、そこに木崎の姿はなかった。


「……くそ」


 悟られたか。先を読んでくるやつは厄介だ。


「さすがは烏、賢い。戦術自体の数は少なくても、少しずつ手を変え品を変えてくる。まあ予想してましたけどね」

「ほうそうか。だったら次はどうすると思う?」

「さあ。黒羽さんばかりに好き勝手させるつもりはありませんから」


 こいつ、いちいちムカつく言い方を……!

 再び地を蹴ったとき、木崎が何かを唱える。その指先から青白い炎が生じ、空中の黒羽に襲いかかった。

 だがそれは想定済みだ。身体を捻って紙一重で回避。重力で加速し、反撃の踵落としを放ったが、これはまた木崎の両腕によって防がれた。

 一撃離脱では難しいか。ならばこのまま連続で攻めよう。

 蹴りの速度を上げていく。木崎に攻撃の暇を与えないように、右から、左から、更には斜め下からも。

 この身体だと繰り出せるのは必然的に足技ばかりとなる。腕も使える人の姿と、俊敏に動ける半人半鳥の姿。どちらがいいかは微妙に決めがたい。一長一短ってとこだろうか。


「くっ……届け!」


 押してはいる。だがあと一歩がなかなか足りない。

 間髪入れずにキックを放ち続けていると、木崎は段々と防御に徹し始めた。腕だけでなく尻尾まで使い、黒羽の攻撃を的確に受け止めていく。

 両手と合わせて敵の盾は三つ、対してこちらの矛は二本。両脚で同時に蹴りつけることは出来ないので、実質は一本きり。守りに集中された場合、このまま正面から突き壊すのは難しそうだ。


「……なら、これならどうだ!」


 身体をかがめ、足払いを仕掛ける。転ばせるには至らなかったが、不意の搦め手に木崎はバランスを崩した。

 間を置かず蹴り上げを繰り出して、木崎が胸の前で組んでいる腕を弾く。バク転の要領でそのまま着地。彼女が体勢を整えるよりも早く、がら空きになったその胴体を目掛けて、黒羽は全力で右脚を振り抜く。

 そう、確かに力では敵わない。だが勝敗を決める要因は……それだけじゃないのだ。


「フッ!」


 肉体と肉体のぶつかる確かな感覚が伝わってくる。今まで余裕に見えた木崎の表情が、そのとき初めて苦しげに歪んだ。

 よろめくようにして後退した彼女は血の混じった唾を吐き、忌々しげにこちらを睨み付ける。ダメージが通った証拠だった。

 この機を狙って追撃を試みるが、これはさすがに予想されたのだろう、木崎はジャンプして私から離れていく。無理には接近せず、立ち止まって呼吸を整えた。

 スピードを出せば消耗もそれだけ大きくなる。全身から滲み出た汗のせいで、服と素肌がひっついて気持ち悪い。

 自分の体力はあとどのくらい保つだろうか。尽きるまでに決着をつけられたらいい。


「……貴様、舐めてるのか」


 様子を窺いつつ問い掛ければ、木崎はスッと目を細めた。


「何のことでしょうか?」

「とぼけるな。なぜ狐の姿に戻らない。何を企んでいる?」


 不慣れな人間の身体よりその方が動きやすい筈だ。しかしこいつはそうしない。どんな理由があるのかは知らないが、黒羽にはそれがひどく不気味に思えた。


「その賢い頭で考えてみれば、いい感じの答えが見つかるかもしれませんよ?」

「貴様の返事が癪に障る理由もそれで分かるのか?」

「さあどうでしょう。やってみないことには何とも」


 木崎が唇を三日月に歪める。反射的に身構えた黒羽だったが、予想に反して彼女からの攻撃は無く。唐突に身を翻すと、そのまま茂みの中へ姿をくらましてしまった。

 逃げるつもりか。それともそこなら機動力を削げると考えたのか。いや、どちらにせよ……。


「く……待てっ!」


 追いかけるしかない。あいつを逃がせば楓が危険だ。

 木崎に続いて突入した先は、周囲より木々の密度が濃いエリアだった。

 獣すらここを通らないのだろう。見通しは最悪。木の枝が四方八方から張り出して、翼にしつこく引っ掛かってくる。少し悩んで、人間の腕に変えた。動きは鈍るが、草木をかきわけるにはこっちの方が便利だ。

 直感を働かせて狐の気配を探る。姿は見えない。……だが近い。

 さらに意識を集中させようとしたとき、いきなり目の前の木立が割れる。かぎ爪を煌めかせ襲いかかってきた人影を、黒羽はクロスした両腕で受け止めた。


「……わたしたち。状況が違えばきっと良い友達になれたと思うんですよ」

「っ、何だと?」

「だってよく似てますもん。わたしもあなたも好きな相手のために妖怪化し、好きな相手のために戦っている。片方は守護、もう片方は仇討ち」

「それが……どうした!」


 全身をバネにして押し返す。木崎は空中で一回転してから着地し、こちらに向かって手を差し出した。


「休戦しましょう? 黒羽さんとは戦いたくないです」

「悪いな、私は貴様をぶっ飛ばしてやりたいんだ。楓を傷付け、殺そうとまでしている貴様をな!」

「好戦的。暴力反対です」

「貴様にだけは言われたくない! そもそも休戦したところで楓から手を引くつもりは無いだろうが」

「はい! もちろん!」

「っ、調子に乗るなよ貴様ぁ!」


 距離を詰め、放った拳が木崎の尾によって受け流された。反撃の切り裂きは上半身を反らして回避する。

 互いに決定打の無いまま時間だけが過ぎ、黒羽の体力も少しずつ磨り減っていった。

 一撃でも受ければ致命傷になる以上、持久戦になればこちらが不利。だからこそ早期に決着をつけるつもりだった。しかしこのままでは……。


「はあ、はあっ…………く、そっ!」


 もう何度目かも分からぬキックを、木崎は慣れた様子で弾き返す。

 攻めているのはこちらの筈だ。けれど動きに余裕があるのは、攻められている木崎の方だった。


「速度が落ちてきましたね。序盤の猛攻が祟りましたか?」

「黙れ! この……!」


 否定はしたが、半分くらい図星だ。

 少し前から息が上がってきている。蹴りも拳も最初ほどの威力は出せない。

 瞬発力にのみ特化したような輩が、速攻で敵を倒せなかった場合どうなるか。その答えを今、黒羽は身を以て体感させられていた。


「そろそろ降参したらどうです」

「断る。絶対に嫌だな!」

「その黒い羽を真っ白に塗ったら、丁度良い白旗になると思うんですよ」

「うるさいぞ! ごちゃごちゃと御託を並べ――――っ!?」


 木崎の顔面を狙った拳が、寸前で横から掴み取られる。振りほどく間もなく引き寄せられ、黒羽は前のめりにバランスを崩した。

 しまっ……!


「がはっ!?」


 口から唾液が飛び散って、身体はの字に折れ曲がる。木崎の足が、黒羽のみぞおちに、痛烈な膝蹴りをくらわせていた。

 衝撃で、視界は切れかけの電球みたいに明滅する。耐えきれず黒羽がよろめいたところへ、木崎は立て続けに追撃を加えてきた。

 うなじ。下顎。肩に喉。抗う間もなく容赦なく叩きのめされていく。髪を鷲掴みにされ、強引に上半身を起こされたかと思えば、再び腹を蹴りつけられた。


「う……ぐはっ……あうっ……!」


 吹き飛ばされた身体が岩にぶつかって跳ねる。背中から木に激突し、そのまま無様に地面へと突っ伏した。


「軽くて、脆い。烏に限らず鳥類全体に共通することです。鳥の身体はそもそも攻撃を耐えるように造られていない。頑丈にすれば重くなり、空を飛ぶのが難しくなってしまうから」

「く、そっ……」


 呻き声を上げて悶絶する黒羽を、木崎は勝ち誇った様子で眺め、嘲笑った。


「変化して妖怪になっても、その特徴は消えてないみたいですね?」


 骨の軋む音がする。せり上がってくる吐き気を必死に堪える。自分自身を叱咤しながら、黒羽は歯を食い縛って両足に力を込めた。

 立て。早く立つんだ。後から追い付くと楓に約束した。だから、こんなところで、負けるわけには……!


「へぇ、すごい。まだ諦めないんですか?」

「悪かったな、しぶとくて……!」


 吐き捨てるように言い返し、また拳を固める。

 自慢じゃないが、こちとらしつこい。一度決めたら十年近く、同じ相手につきまとうレベルの執念深さだ。このくらいで心が折れるものか。

 地を蹴って跳びかかってくる木崎。迎え撃とうと身構えた黒羽だったが、寸前でふと、考えを改める。

 このまま正面から戦っても、こいつはきっと倒せない。一撃で大きな傷を負わせられるような、画期的な策が必要だ。


「こうなったら、一か八か……」


 覚悟を決めて突っ込んでいく。木崎からは、やけになった黒羽が捨て身の体当たりを仕掛けてきたように見えるかもしれない。

 しかしフェイクだ。激突直前でスライディング。そのまま木崎の股の間をくぐり抜ける。彼女が策に気付いたとき、黒羽は既に背後へと回り込んでいた。

 両手を前に突き出す。木崎が慌てて振り返ったが、残念、それは悪手だ。自ら曝け出してくれた首筋を狙い、黒羽は短く息を吸い込んだ。

 術の印? 安心して欲しい。もうとっくに組んであるから。


「――急々如律令、斬!」


 赤い飛沫が飛び散って、木崎の身体がぐらりと揺らいだ。

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