第33話:彼を護る者

「かくして今、わたしは楓くんを逆さ吊りにしているのでした」


 小説にありそうな一文と共に、木崎は自らの話を締めくくり、僕に向けて両手を広げてみせる。

 長々と語られた、友人だと思っていた相手の裏事情。どう飲み込めばいいかすぐには分からなかった。

 幸福だった狐の夫婦。それが崩れた遠因は僕。奇跡が起こって再会したかと思えば、あと一歩のところで再び別れを強いられる。これが悲劇でなくて何というのか。

 ああ、そういえば。たしか結城も、つがいがどうのって言っていたっけ。あの時は普通に聞き流していたけど、まさか木崎がそれだったとは思わなかった。


「ある意味、自己満足ではありますよ? 好きな相手の望みを叶えようと動く。当人が死んだ後でさえ、なんて。愛に生きると言えば聞こえはいいけど、他人からすれば狂った怪物に見えるんでしょうね」

「見えるどころか、そのものさ」


 木崎の話に動揺しながらも、僕は吐き捨てるようにそう言い返す。

 可哀想だと思うが、同情までは出来ない。理由は二つだ。一つ目は、こいつが今から僕を殺そうとしていること。黒羽は僕を博愛的だと見ていたけど、実際はそこまで聖人でもない。怒るし恨むし嫉妬もする。生にだってしがみつく。

 木崎には木崎なりの事情があったとか、彼女が人間に対して意外に好印象を持っていたのを踏まえても、僕の命を狙ってくるだけで十分にアウトだった。

 そして、もう一つ。


「……水を差すようで悪いけど、君は大きな勘違いをしてる。僕たちは結城を殺してない」


 多分、最も重要なところだ。木崎はあいつが死んだと思っているようだが、実際は蛇神の管理下でまだ生きている。

 衝動的に殺さなくて正解だった。木崎が結城の仇を討ちたいのだとすれば、真実を伝えることで僕を見逃してくれる……かもしれない。というか現状、その可能性に賭けるしかない。


「……はぁ? あなたは何を言ってるんですか」


 木崎の声がいつになく鋭さを帯びる。きらめくかぎ爪に本能的な恐怖を覚えながらも、僕は必死に誤解を解消しようとした。


「もう一度言うよ。殺してない。最初はそのつもりだったけど、ギリギリでやっぱりやめたんだ」


 疑われないようにハッキリとそう告げる。


「あいつは今、蛇神様の劵属になってる。居場所はここから遠いけど、行けばおそらく会える筈。詳しいことは犬神に訊けば分かる」

「……」


 木崎は何も応えないまま、立ち上がってゆっくりと歩み寄ってきた。

 彼女の目を見て、本当だ、と視線で伝える。すると木崎は、興味深いものを観察するような目つきで僕を見つめ返した。

 話し合いの余地があるか……? そんな希望を抱けたのも束の間。彼女は唐突に表情を消すと、垂れ下がっていた腕をおもむろに持ち上げた。

 ……丁度、僕のみぞおちの高さまで。


「きっと、結城くんはもっと怖かった筈ですよね」


 木崎が虚ろな口調で拳を固める。ダメだ、微塵も話を信じていない。そのことを悟ったとき、僕の全身から一斉に血の気が引いていった。


「ちょ、待っ、木崎……」

「死にたくないのは分かりますけど、せっかくならもっとマシな嘘をつくんですね。生かしておく? 自分を殺そうとした相手を? 馬鹿でもそんなことしませんよ」

「違う! 僕は、本当に――」


 言葉は最後まで続かなかった。

 続けさせてもらえなかった。

 僕が全てを言い終わるよりも早く、木崎の拳が腹部に食い込み、激痛で思考を真っ白に染めてしまったからだ。

 内臓が全て裏返るような感覚。悶絶する僕を見下ろしながら、彼女は苛立ちの滲む声で叫ぶ。


「作り話よりも本当のことを教えてくださいよぉ! 私のパートナーの最期。……ねえ、一体どんな感じだったんです、かっ!」


 二発目は顔面に来た。衝撃が僕の脳を揺らして、意識を細切れに寸断してしまう。完全に気絶しなかったのが不思議なくらいだった。


「まだですよ。楓くんが結城くんにしたのと同じ方法で殺します。だから、ほら。早く言ってくださいな。あの山で彼をどうしたのか。どんな酷い目に遭わせたのか」


 更に殴打を重ねつつ問い質してくる。厄介なことに、僕の話はデマカセだと強く思い込んでいるらしい。

 押し寄せる痛みでフラフラになりながらも、僕は彼女を睨み付け、必死に声を絞り出した。


「……だから、殺してない……!」

「くどい!」


 もう一度みぞおちへ。衝撃と不快感が胃から喉へ逆流してきて、僕は盛大に嘔吐えずく。

 本当に苦しいときは悲鳴さえ上げられなくなるのだと、最悪の実体験を通して実感させられていた。


「しつこい男は嫌われるらしいですよ? それとも……口を閉ざしてればその間は殺されずに済む、とでも考えてます? だとしたらそれはオススメ出来ません。どれだけ我慢しても、ただ辛くなっていくだけ。悲鳴を上げても誰にも聞こえない。助けてくれる人なんて、ここにはだーれも来やしない」


 ……たしかに、そうかもしれない。

 度重なる暴力が、僕の心から抵抗の意欲を奪っていく。

 時間を稼いで打開策を考えるつもりだった。だけどよくよく考えてみれば、そんなもの初めから無いじゃないか。

 僕の力じゃ彼女には勝てない。逃走すら実質不可能で、許されているのはただ一つ、ひたすら耐えて奇跡を待つことだけ。しかしそれは、端から起こる筈のない奇跡だ。

 ああ、詰んでる。

 多分このまま、僕はここで……。


「分かりますよね、楓くん」


 息も絶え絶えになった僕の顔を掴み、木崎は強引に自分の方を向かせる。近付く死の足音。至近距離で微笑む怪物の姿に、僕の背筋を冷たいものが走った。


「あなたは今……一人なんですから」


「一人じゃないぞ!」


 ……最初は、都合の良い幻聴かと思った。

 けれど違った。木崎の背後、立ち並ぶ木々の向こうに、フッ、と跳躍する人影が一つ。空中で身体を回転させつつ、それは僕たちとの距離をまたたく間に詰めてくる。木崎が慌てて振り向いたが、接近するそれの速度に対して、彼女の反応はあまりにも遅すぎた。

 強烈な回し蹴りが横っ面を捕え、茂みの中へと女狐を吹っ飛ばす。


「なるほどな、二匹目がいたのか。これでようやく納得がいった」


 華麗な登場を果たした“彼女”は、周囲を油断なく確認してから僕のもとへと駆け寄った。

 信じられないという驚きと、来てくれたという喜びで胸が一杯になりながら、僕は震える声でその名を呼ぶ。


「黒羽……!」


 感極まって泣きそうになる。男のくせに情けないかもとか、無用なプライドの一切を捨て去って、沸き起こる歓喜に身を委ねた。


「ああ、私だ。遅れてすまない。汝を守りにきた」

「……うん」


 知ってる。このタイミングで来たってことは、きっとそういう意味だろうから。

 僕の顔面に殴られた跡があるのを見て、黒羽は悔しげに唇を噛み締める。それから両方の翼を人の腕に変え、術を使って僕を縛っていたツタを切り裂いた。

 重力に従って落下する僕を、黒羽は難なく両腕で受け止める。片方は膝の、もう片方は肩甲骨の下に回して。お姫様抱っこを楽々と披露する姿はまさにナイト様。

 超がつくほどの良い匂いを纏わせながら、反則級の美貌を綻ばせて、黒羽は僕を気遣ってきた。


「大丈夫か」


 耳元で紡がれるその声は、少し掠れた低めのアルト。

 ……ああ、なんかもう、色々とヤバいかも。

 顔が熱くて蕩けそうだ。いつになく黒羽が輝いて見える。

 彼女の優しさと力強さに、心臓が勢いよくドクンと跳ねた。張り詰めていた緊張の糸が切れ、交代に安心感が染み渡ってくる。

 今朝からずっと、彼女に会いたいって思ってた。だけどその願いがこんなにも早く、こんなにもドラマチックに叶うなんて想像すらしてなかった。

 夢だと言われても信じてしまいそうだ。むしろその方が納得がいく。


「どうしてここが?」

「お守りが壊されたのを感じた」


 なるほど。つまり木崎の行動は完全に裏目だったわけだ。ざまあみろ。

 本音ではもうちょっとだけこうしていたい気持ちもあったが、黒羽の両手を塞ぐのは良くないので、合図して地面に降ろしてもらった。


「来てくれてありがとう」

「そうか」


 照れ隠しだろうか、どこかズレている気のする返事。そこはどういたしましてでしょ、と言いたくなったが、今は生憎、悠長に雑談を交わしている暇は無い。

 ふらつきながらも体勢を整えたとき、焼けるような視線を感じて身が竦む。見れば、蹴り飛ばされた木崎が鬼のような形相で僕たちを睨み付けつつ、片膝を立てて起き上がろうとするところだった。

 うん、まあ、あれで終わるわけないよね。


「逃げるぞ」

「分かった」

「走れるか?」

「……っ、何とか」


 お世辞にも本調子とは言えないが、足を前に出すくらいは出来る。


「あっちだ、行け!」


 迷わず、後ろも振り向かず、黒羽の指した方角へと一目散に走り出す。

 時として戦うのが正しいときもあるが、今回ばかりは逃げるが勝ちだった。

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