第24話:記憶の彼方へ
「そりゃ分かるさ。あの時の黒羽は動揺してた。無理して感情を殺してるように見えたもの」
岩の上に両手を付き、上半身を後ろへと傾ける。彼女の横顔を眺めつつ僕は続けた。
「今だってそうでしょ?」
「……っ」
案の定、図星のようだ。この沈黙は肯定のそれだろう。
勝手なイメージだが、何か苦しい出来事があった時、黒羽は何でも無い風を装って一人で我慢するタイプとみた。僕と同じだ。
「……あの姿、本当は見せるつもりじゃなかった」
やがて黒羽が、声を震わせながら話し出す。問い詰めるような口調にならないよう意識しながら、僕は優しく問い返した。
「どうして?」
「簡単だ、汝を怖がらせたくなかった。異形の私を晒すより、人間として接した方が汝に信用してもらえる。そう思った」
切なさを堪えるようにして吐き出された言葉は、黒羽が内に秘めた底無しの優しさの裏返し。
僅かでも彼女を疑いかけたことに僕が罪悪感を覚える一方で、黒羽は不意に腕を持ち上げる。
「それに、この姿なら汝に
そのままゆっくりと近付けてきた。何をするつもりかは何となく察せる。僕はただ胸を高鳴らせながら、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめるばかりだった。
「こうして、撫でることだって……」
だが、艶やかな指先が僕の胸板に達する寸前、黒羽はハッとなって手を引っ込めてしまう。
落胆する自分がいた。気遣いなんていらない。互いを温め合った熊本の夜みたく、臆せず触れてくれた方が僕は嬉しいのに。
「……全部、私の身勝手な理由だよ」
「でもおかげで色々とスムーズだった。こう言っちゃ何だけど、初めから鳥の姿で話しかけられたら、僕は君から逃げてたと思うし」
「そうかもな。結果的には良かった」
自虐的な微笑みが、透明な針となって僕の心に突き刺さってくる。気にしてないよと伝えても、聞き入れてもらえなさそうな感じだった。
「黒羽は、
「そうだ。半分くらいは」
「どういう意味さ?」
訊けば、彼女は戸惑ったように口ごもる。
「……知りたいのか?」
「教えてよ」
「知らない方がいい」
「意味分かんない」
「だって、そうだろ? 狐は倒した。明日になれば私たちはお別れ、妖怪と関わることも金輪際なくなるだろうさ。だから私の事情なんて、汝にとっては知る価値がない。化け物のことなんて知らなくていい。……その方が、きっと幸せに生きていける」
「――は」
僕は目を見開いた。
「いや……ふざけんなよ」
自然と声が尖る。今のは聞き捨てならない言葉だった。
「黒羽を知る価値がない? 知らない方が幸せだ? 何の確信があってそんなこと言うんだよ。僕を気遣ってるつもりなら余計なお世話。人の幸せを勝手に決めるな!」
何年かぶりに声を荒げた。今の自分がどれだけ感情的になっているか分かる。
黒羽の言い分は間違っていない。非日常に興奮を覚えるのは、あくまでそれが非日常だから。退屈で、けれど穏やかで落ち着いた日常に、いつか戻れると決まっているからだ。
だけどここで引き下がっては駄目だ。間違いなく、後で後悔する。
「黒羽の言ってることも分かる。だけど、そんなの理由にならない」
決めたのだ。拒絶されない限り彼女に歩み寄ろうと。結果として何を見る羽目になっても構わないと。
燃え上がるこの恋情が夢ならば、僕はどれほど楽になることだろう。
「知りたいんだよ、君のこと」
黒羽の目を見て懇願する。彼女はピクリと肩を震わせてから、やがて「分かった」と雫のように呟いた。
「……今から汝に記憶を見せる」
「記憶?」
「私の全てだ。明るいことも、苦しいことも、醜い思いもまとめて伝える。あまり楽しいものじゃない。それでも……叶うなら、軽蔑しないでくれると嬉しい」
「有り得ないよ」
自分を守ってくれた相手だ。否定はしないし、したくない。
「まあ、驚くくらいは、もしかするとあるかもしれないけどさ」
「後悔しないか」
「するもんか」
それを観ることで、少しでも君を知れるなら。
どんなに黒々とした感情だって、僕は一心に受け止めてみせよう。
僕の背中に、黒羽が両腕を回してきた。しなだれかかるように距離を縮め、目を閉じて、おでことおでこを密着させる。彼女の吐息が僕の鼻先に触れた。
「準備はいいか」
「うん」
確かめるように言った黒羽へ、深呼吸をした後で頷く。
意識が急激に朦朧となって、僕の脳内へものすごい量の情報が流れ込み始めた。僕と黒羽の思考は混ざり、やがて境目が溶けていく。知ってる記憶と知らない記憶が、瞼の裏側で走馬灯のごとく現れては消えた。
夢に溺れているような感覚。
わずかな不安をかなぐり捨てて、恋した相手へ自我を委ねる。そこからはもう、自分がどこにいるかさえ分からない。
そして、僕たちは一つになった。
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