第13話:秘め事
「……っと」
意識を失い倒れ込む楓を、咄嗟に手を伸ばして抱き留める。
男性にしては細めの身体だ。この程度なら軽々と持ち上げることが出来る。しばらく体勢を迷った後で、黒羽は結局、一番抱えやすいお姫様抱っこを選ぶことにした。
腕の中に視線を落とす。楓の寝顔は安らかだった。
瞼に前髪がかかっていたので、息を吹きかけ除けてあげる。目元には仄暗い隈があった。疲れているのだろう。昨夜はほとんど眠れなかったようだし、せめて今だけはゆっくりと休んで欲しい。
「一安心、といったところかの」
巨木の傍からマヤが言う。上手い表現だ。
この山にいれば楓は安全。けれど狐を倒さない限り、彼は決して日常に戻れない。そしてそれを叶えるのは……黒羽の役目だった。
一応、策を考えてはいる。
楓を危険に晒さずとも済むような作戦だが、その一方でとんでもなく綱渡りだ。成功するかは分からない。失敗すれば代償も大きい。きっと無事ではいられないだろう。想像するだけで身体が震えてくる。
それでも。
……それでも、楓のためなら私は。
「師匠、狐が今どの辺りにいるか分かるか?」
「だいぶ離れておるようじゃ。少なくとも儂が感知出来る範囲にはおらぬよ。高千穂の町にも入ってはおるまい。鳥たちに斥候を頼むかの?」
「いや、いい。どうせ向こうからやって来るし、近付いたら私でも気付ける」
わざわざこちらから赴く意味も無い。しばらく休息としようか。近くに雨風をしのげる洞穴があるし、楓はそこに寝かせよう。
しかし黒羽が足を踏み出した時、マヤが背後から問い掛けてきた。
「この者はどこまで知っておる?」
「……何も」
伝えてない。自分が楓を守る理由も、楓に抱く想いも何もかも秘密のまま、全てを誤魔化しここまで連れてきた。打ち明けたい衝動と戦いながら。
「本当にそれでよいのか」
「仕方ないだろ。知らない方が良い。正体不明の女なら、楓だって後腐れ無く別れやすいじゃないか」
半分くらいは自分に言い聞かせるための台詞だった。
普段であれば警戒されそうなほどに、黒羽は楓をまじまじと見つめる。不思議な魅力を宿した、穏やかでどこか儚げな顔。未知の想いに胸の奥を締め付けられて、彼女は視線をおもむろに持ち上げた。
「……楓を寝かせてくる」
歩き出す。マヤは何も応えなかった。
※
宗像結城は悩んでいた。
「ったく、本当にどこ行きやがったんだよあいつ……」
熊本駅前に設置された観光マップを見つつ、盛大なため息を吐く。
大学からここまでは電車に乗って来た。目的はただ一つ、楓を見つけ出すこと。こう言うと彼は気を使いそうだが、別に友達だから探すとかそんな理由は無い。ただ単に、結城がそうしたいと思ったからそうしているだけだ。
「『東』ってだけじゃよく分かんねえんだよなぁ」
当初は簡単に追い付くと考えていたが、すぐにそれは不可能だと悟らされた。
最大の原因は楓が情報を出さないことだった。結構しつこく探りを入れているのだが、少なくとも今のところ、熊本に一泊してから東に向かったとしか分かっていない。あまりにも曖昧だ。
観光マップの上に指を走らせる。熊本市から東……さてどんなとこがあったか……。
「阿蘇? ……いや違うな」
そこならその日の内に辿り着ける距離だ。わざわざ宿泊する必要が無い。
阿蘇よりも遠く、なおかつ大分方面から回り込むよりも近い。この条件に当てはまりそうな場所で、あいつが行きそうなのは……。
「高千穂、か……?」
推測に過ぎないが可能性は高そうだ。そうと決まれば急ぐとしよう。
「……絶対に見つけ出すからな」
本気度を表わすかのように、結城は拳を固く握り締め、歩き出す。
誰へ聞かせるわけでもないけど、それが彼なりの決意表明だった。
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