第32話 ウィンノルン・ペケノット
「やれやれ。アノニマスカリスがまだ墓地にいないからって、デッキを削りすぎたかなぁ」
こっちはギリギリの賭けに勝ったことで嫌な汗が額へにじんでいるというのに、マシアスはくつくつと笑う。
負けはしなかったが、勝てもしなかった……完全なる引き分けに持ち込んだわけだ。
「ねぇ、ここはお互い手を引くってことにしないかい? 人を吸い込んだこのカードは君に渡せないけど、僕はここから立ち去る。お互いに手の内はわかったことだし、これで手打ちにしよう。また今度の勝負ということで」
正直言って俺は迷った。ギリギリ引き分けに持ち込んだ相手の手の内が分かったところで、もう一度同じデッキで勝負して勝てるのか……?
だけど、このままカードに閉じ込められたであろう人達をみすみすと持ち帰らせるわけにはいかない。その思いに呼応したのか、デッキから2枚のカードが飛び出して一つになり、リームがその姿を現した。
「このまま見過ごすと思うの? 私は竜の里を襲ったあなた達を許さない」
そうだ、負ける可能性は100%じゃない! 今ここで俺が退いたら、あの人たちは誰が助けるんだ! リームも覚悟は決まっている。俺が、俺がやらなきゃ!
「リーム、ご主人様? や、やめてください! 私が何とかしてカードになるから、せめてリームだけはこの戦いから――」
「あなたの能力では、勝てないわ」
「あっ……」
その一言と共にリームは再びカードとなってデッキに混ざる。再戦の準備はできた。
やれやれとマシアスは首をゆっくり振り、了承したのか
「勝負――だ?」
なんだ、あれ? マシアスの後ろに真っ黒い人型の
それが闇の中へと連れ去ろうとしているみたいにマシアスの肩へおぼろげな手を置く。
真昼間から幽霊? いや、あれは幽霊じゃない。黒い手の先から白っぽい肌が現れ、徐々に身を隠す
「ギギャギャギャギャ……そこまでだマシアス。お前、捕獲任務をほっぽり出したまま何やっているんだ? あのお方に捧げる量が取れたら出しに来いよ。宿題を忘れる子供じゃあるまい」
「……やあ、ウィンノルン。元気そうで何よりだよ」
……背が高めな女の、子? しかし女の子というには不気味な姿だ。
肩から上を出した紫のローブは、胸のあたりでぐるぐると何重にも黒い包帯で巻かれてミイラに見える。
腕は長い袖にすっぽりと覆われていて、全身が拘束具で覆われているみたいだ。そして紫色の髪は振り乱したように長くて、癖がついている。
遠目でもわかるほどにぐるぐると渦を巻いた目は別の方向を向いて焦点が定まっていないように見え、危ない薬をやって混乱したまま外に飛び出してきた狂乱している人に思えた。
笑い方以外はまともに喋っていても、その言葉からはあちこちへ感情が飛び散ってまともに相手と話していないみたいに聞こえる。
幽霊というより、恨みつらみを全身と言動に
あれが、竜の里を壊滅させたっていう女、ウィンノルン……?
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「挨拶はいいんだよマシアス、いいんだいいんだ。お前の仕事はそいつをぶちのめすことじゃなくて、すぐに集まった奴らを献上しに来ることだ。もう十分溜まっただろ、もう十分遊んだだろ、もうあのお方がお怒りになる時期だ」
「わかったよ。なら、あそこに立っている彼を倒した後でちゃんと帰るさ」
「お前この前もそう言って帰ってこなかったよな。初めてのお使いか? 一緒に帰らなければ帰ってこれない知恵の無いガキ大将か、えぇ? 私を楽しませても怒らせはしないでくれよマシアス。破くぞ、あのカードを」
あのカードを破く、そう聞いたマシアスの顔がピシリと凍ったように見えた。
ウィンノルンという少女の目は左右別々にぎょろぎょろと逆向きにせわしなく動き、あざ笑っているかのように思える。
そして、ぎょろっと両目が俺を注視し、次にクロンへと視線を移す。
さっきまで別々に動いていた両目が同時に動くと、逆に気持ち悪い。異常な状態こそが正常に見えてきていたためだ。
「あぁー、以前に滅ぼした竜の里の生き残り? その節はどうも御馳走様。手こずりはしたものの、あの方も美味しい美味しいと満足したご様子だった。苦労したかいがあったというものだよ」
「美味しい……!? 美味しいって言いましたか今! お前、竜の里のみんなをどうしたっていうんですか! みんなを、みんなを返せ!」
美味しいって、食べたってことか!? 滅ぼして、その被害者を食料としたってことか!?
クロンだけじゃなく俺のはらわたも煮えくり返ってくる。遠い国の出来事とかだったらまだ実感はないだろうけど、一緒に困難に立ち向かった人の仲間や家族を食われたとあれば激しい怒りが湧いてくる。このウィンノルンという女、許せない。
「怒るよなぁ、怒るよなぁ、怒るよなあ! 他の人が食べられたって聞けばそりゃあ大層怒るよなぁ! 言葉通りだよドラゴンちゃん。私はカードにみーんなを閉じ込めて、生け贄にしたのさ! 戻らない戻らない、戻りはしない! さよならだ!」
「うわああああああ!!」
腹の底から声を出したクロンが一気に前へと踊り出し、全力でウィンノルンを殴りつけようとした。
「クロン! ちょっと待て!」
「天罰が来てしまうぜお嬢ちゃん」
「黙れえええええ!! ――かっ!?」
クロン! 急に彼女の体に起きた異変に叫ぶ間もなく、俺は駆けた。
その場にどしゃりと倒れ、青い顔をして太い腕に首を絞めつけられたようにもがくクロンの姿。これがこの世界で暴力を働こうとしたものに降りかかる天罰、ペナルティってやつか!?
「が、かっ」
「クロン! しっかりしろクロン!」
「くはっ……はあっ、はあっ、はあっ」
クロンの上半身を起こし、抱き上げる。もうウィンノルンへ殴りかかる気力はないのか、彼女の呼吸は安定したものへと戻っていった。
こうなるだろうとは理解はしていただろうに、無茶しやがって……!
「ウィンノルン、彼女をあまり挑発しないでくれ。命令通りに戻るとするよ」
「ギギャギャギャギャギャ。庇うのか、庇うのかいマシアス? この苦しそうな姿を見て、あの子のことを思い出したか? ……怒るなよ、怒るな怒るな。今すぐお互いに静かに戻るのがいいだろう。こいつらには一旦さよならさよならだ」
「待ちなさい!」
ついさっきまで勝負を行うと思っていたのだろう。今までカードになっていたリームが光と共に人の姿へと戻った。
ウィンノルンはそれを見つけると、まさしくフルーツの山を見つけた子供のように腕を振り上げて喜ぶ。
「おおこれはお姫様、ご機嫌麗しゅうございます! 追走劇を楽しむためにわ・ざ・と見逃したかいがあったぁ。とてもいい目だ、ゾクゾク来る目だ、闇夜の宝玉だ!」
なんて奴だ、自分が復讐されるのを楽しみにしていたっていうのか!? どこまで非道な奴なんだ!
「ですが残念、私はマシアスをどうしても連れ戻さなきゃならない。ノルマをとっくに達成してるのに報告しに来ないからな。あの人はカンカンだ」
何かの魔法か、マシアスとウィンノルンの体がさっきの黒い
「覚えておけ、覚えてくといい、さあ覚えろ! 私の名前はウィンノルン、ウィンノルン・ペケノット! いずれまた楽しませてもらうよ!」
その言葉を最後に、黒に染まった二人の体は完全に消えた。後には俺、クロン、リームの三人だけが残される。
終わったんだな…………くそっ! あの人達を助けることができなかった!
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