第14話 今夜は頑張ってね

 今日は朝から莉緒の様子がおかしい。

 本人はテスト勉強で寝不足だと言っていたが、それが原因とはとても考えにくい。

 なぜなら今日の莉緒は……終始笑顔だからだ。

 それは俺に対してだけではない、クラスメイトにもだ。

 普段なら凍てつくような視線で素気無すげなくあしらってしまうような事ですら、笑顔で対応していた。

 こんなことを言ったら、本人にブチギレられるかも知れないが、その笑顔が、とても不気味だった。


 普段からあいつの自然な笑顔を見る機会は多い方ではないが、今日の笑顔は流石に不自然すぎる。


 莉緒にいったい、何があったというのだろう。


 俺は休み時間に鮎川を呼び出して、それとなく聞いてみた。


「なあ鮎川」

「は……はひ」

 はひ……?

 なんだか鮎川の様子もおかしい。


「おい……大丈夫か? 今朝も様子がおかしかったけど、どこか具合でも悪いのか?」

「そ、そ、そ、そんなこと無いですよ!」

 やっぱりおかしい。莉緒のおかしさとはまた違う。もしかして熱でもあるのか?


「ちょっといいか」

「ひぇ」

 俺は鮎川とデコとデコをくっ付けて熱があるか確認してみた。


「……っっっっっっっっっっっっ!……」


 熱い……しかもよく見ると顔も真っ赤だ。


「鮎川……お前熱があるじゃないか」

「……ち、違っ、違っ、これは違うの!」

 鮎川は慌てて両手で俺を突き放した。


「いや、でも」

「ほ、ほ、ほ、本当に違うの! 大丈夫! 大丈夫です!」

 俺は鮎川は無理をするタイプだと思っている。

 ……少し、心配だ。


「分かった、調子が悪くなったら遠慮なく言ってくれ、俺だって家事ぐらいならできるし、いつでも交代してやるぞ」

「いい! 大丈夫! きょ、きょ、きょ、今日だけは本当に大丈夫!」

 今日だけは……って、

 本当に無理してそうだな。


「そ、そんな事より私に何か用があったんじゃないんですか?」

「あ……そうだった、すっかり忘れてたよ。ありがとな」

「い……いえ」

 ずっと顔が赤いな……熱もあるみたいだし本当に大丈夫なのか。


「今日さ、莉緒のやつ、ちょっと様子がおかしいんだよ、鮎川なんか心当たりないか?」

「莉緒様がですか……莉緒様がおかしいのはいつもの事では……」

「いや、そうかもだけど、お前……怒られるぞ」

「し、失言でした!」

「大丈夫だよ……莉緒には言わないから」

 苦笑いの鮎川だ。


「わ、私にはちょっと、分かりかねます……」

 今日は鮎川も調子悪そうだもんな。

 普段より洞察力も落ちているってことか。


「分かった、わざわざ時間とらせてすまなかったな」

「い、いえ……お役に立てなくてすみません」

「気にするな、じゃあな」


 鮎川も分からないとなれば……八方塞がりだな。

 本当は本人に聞くのが1番手っ取り早いのだろうけど……なんか怖い……あの笑顔。


 ——学校が終わり、家に帰ってきても莉緒は笑顔を崩さなかった。

 莉緒がこんなんじゃなかったら、今日は奈緒香を誘おうと思っていたのだが、気になることが持ち越しになってしまった。


「じゃぁ私、夕飯の支度しますので、お二人はくつろいでいてください」

 ……うん、やっぱり鮎川のやつ、頑張り過ぎだよな。


「鮎川やっぱり変わろう」

「お気遣いなく、本当に大丈夫ですので」

「いや、しかし……ん!」


 ……その時、背後から強烈な殺気を感じた。

 まさか……莉緒?

 慌てて振り返ると、殺気は消え、笑顔の莉緒がそこにいた。

 いったい……何だっていうんだ。


「ただいま!」

 そうこうしている間に、優里亜が帰ってきた。


 ケータリングにつられて俺を莉緒に差し出した優里亜だったが、柄にもなくシェフを前にすると気を使って肩が凝るらしく、食事は俺たちと一緒に摂るようになった。


「あっ、今日はカレーだね! すごく良い匂いだね」

「なにカレーかな?」

「夏野菜カレーです」

「いいね! いいね!」


 いつも優里亜は料理ができるまで、缶ビールを片手に、鮎川にまとわりつく。

 おかずをつまみ食いして、おつまみにするためだ。

 普段なら黙って見ているのだが……、


「おい、優里亜。今日は鮎川、体調が悪いみたいなんだ。あんまりちょっかいだすなよ」

 今日は釘をさしておいた。


「ほえーっ、麻美ちゃん調子悪いの? そんなふうには見えないけど?」

「いえ、全然元気ですよ。楠井様が気にし過ぎなのです」

「だよね!」

 もう治ったのか? 昼はしっかり熱があったのに。


「あーっ、真、おでことおでこを着けて熱測らなかった?」

「ああ、その通りだ」

「だからだよ、ねっ?」

 同意を求められた鮎川がまた真っ赤になり、一瞬、莉緒から凍てつくような視線が送られた。

 一瞬いつもの莉緒にもどったのかと、慌てて振り返るも、莉緒は笑顔を崩していなかった。


 もう何がなんだか分からない。


 

 ***



 ——この家で楠井くんと暮らし始めてからもう、1週間が経とうとしている。

 はじめての夜こそ、少しいい感じに盛り上がったものの……そこからはさっぱり。


 リビングで雑談することはあっても、楠井君は私の部屋に、来ようとしない。


 でも、それも今日までよ。

 そのために私は、ありとあらゆるルートを使って手に入れたのよ。


 ……惚れ薬をね。


 この惚れ薬を使われた者は、特別に調合された、この香水の匂いを嗅ぐと、その匂いの主が欲しくて欲しくてたまらなくなるという代物よ。


 ……惚れ薬を飲むのはあなた。

 ……そしてその香水の主は私。


 そのために今日は、麻美にカレーを作らせたのよ。

 カレーのように強い香りと濃厚な味だと、相当鼻の利く人間でも惚れ薬に気付く事はないでしょう。


 フフッ……、

 いくらヘタレの楠井君でも、薬の力を借りればもう安心ね。


『『いただきます』』


 いよいよね楠井君……ついに、あなたが私のモノになる時が来たわね。


 カラン


「あっ、悪いスプーン落としちまった」

 もう……楠井君ったらお行儀が悪いのね。


「新しいの出しますね」

「すまない」

 そんなに焦らなくてもカレーも私も逃げないわよ。


「鮎川、夏野菜カレーってこんな具沢山なんだな」

「はい、お口に合うと嬉しいのですが」


 ……さあ、楠井君、早くその惚れ薬入りのカレーを口に運びなさい。


 さあ、さあ、さあ!


「うまい! うまいよ鮎川」

「お口に合ってよかったです」


 今夜は頑張ってね楠井君。

 フフフッ……。

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