第58話 最前線
近づけば近づくほど、足が重くなる。
寒気さえ覚える次元亀裂が放つ異様な気配。
「……ハインリッヒ隊長」
「あん?」
「ここは……恐ろしいところですね」
「おいおい、今になって怖気づいたか?」
「そういうわけでは……」
これまで、イリーシャを両親に会わせるという目的に向かって突き進んできた。どんな強敵が立ちはだかろうとも、霊竜エヴァを憑依させ、ねじ伏せてきた。
だが、ここから先はそれすら通用しないような、不穏な雰囲気が漂っている。
「ドミニクよ、この雰囲気に呑まれてはならんぞ」
耳元で、エヴァがアドバイスを送る。
それはドミニク自身も重々承知していた。
だが、心ではそう思っていても、体は正直に反応してしまう。周囲の状況の変化に対して神経質になりつつあった。
エヴァも、自身の声は届いていても、簡単に流れてしまっていることに気づいている。なので、
「ドミニクよ」
「は、はい?」
「隣を見るんじゃ」
「えっ? ――っ!」
ドミニクの隣。
そこにいたのはもちろんイリーシャだ。
そのイリーシャの表情には、一切の怯えを感じない。むしろ、真っ直ぐ前だけを見つめ、力強く歩いている。
もうすぐ両親に会える。
今のイリーシャの頭の中には、それしかなかった。
「……俺が臆しているわけにはいかないですね」
「その意気じゃ」
イリーシャの強い眼差しが、ドミニクにも勇気を与える。
やがて、三人はある場所にたどり着く。
「うおっ!?」
ドミニクは思わず一歩後退する。
そこでは、多くの魔法使いたちが懸命に戦っていた。これ以上亀裂が広がらないよう、必死に食い止めている。
「す、凄い……」
これほどまでに凄まじい魔力が渦巻いている光景に出くわしたことなど当然過去にない。
――だが、それでも、ダメなのだ。
ドミニクは感じ取っていた。
彼ら魔法使いのやっていることは亀裂の広がりを防ぐことのみで、亀裂自体を修復させることはできない。イリーシャが、カルネイロ家で割れた皿を元通りにした時に見せたような、あの時の魔力には及ばない。
そう思うと、軽々と皿を直してしまったイリーシャの底知れぬポテンシャルに、今さらながら驚かされる。
「? 妙だな……」
次元亀裂に驚くドミニクだったが、その横に立つハインリッヒは誰かを捜しているようだった。――その誰かとは、当然、
「ギデオンとヴェロニカがいないぞ?」
「えっ!?」
「本来ならこの最前線で修復魔法をかけているはずなんだ。――おい!」
ハインリッヒは近くにいた魔法使いに声をかける。
そこで、とんでもない情報を耳にした。
「ギデオンとヴェロニカはどうした!?」
「あ、あのふたりでしたら――亀裂の向こう側に行きました」
「「何っ!?」」
ドミニクとハインリッヒの声が重なる。
空に入った亀裂の向こう側。
そこはつまり、
「魔界へ行ったのか!?」
「そ、その方が修復魔法の効果がより得られると……」
「それはそうだが……一歩間違えたら、二度と魔界からこちら側の世界へ帰っては来られないぞ!」
「!?」
その事実を知らされたイリーシャは、目の前にある次元亀裂へ向かって走りだした。
「! イリーシャ!」
「あっ! おい! ドミニク! よせ! 止まれぇ!」
ハインリッヒの制止も聞かず、ドミニクは駆けだしたイリーシャを追いかける。彼女がどこを目指しているのか、それはすぐに分かった。
亀裂の向こう側に入った、両親を追いかける気なのだ。
「こうなったら、ワシらも行くしかあるまい!」
「そのつもりです!」
エヴァとドミニクに迷いはなかった。
どのみち、彼らを救いださなくては再会した意味がない。
途中で魔法使いたちからも止まるよう声をかけられるのだが、その一切を聞かず、イリーシャとドミニク、そしてエヴァは次元亀裂へと突き進む。
やがて、体が宙へと浮き上がり、亀裂へと吸い込まれていった。
「このままイリーシャと一緒に突っ込みます!」
「うむ! 安心せい! ワシが防御魔法で守る!」
「はい!」
こうして、ドミニクたちは再会を果たすため、亀裂の隙間から魔界へと飛び込んでいったのだった。
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