第89話 追いかけっこの終わり

 霊山の麓を超えた辺りで休憩を取りつつ、今後の方針をみんなで話し合うこととなった。

 なにせ敵が既に待ち伏せしていたんだから、これ以上先に進んだらもっと大勢の敵が待ち構えているかもしれないからな。

 そもそも一見危険なようで実は人目に付かない隠れスポットとして霊山を選んだんだ。

 そこに敵がいるならこんな場所にいる意味は無い。魔物がいるだけ危ないし、体力の無駄だ。


「俺は一刻も早くここを出るべきだと思う。今ならまだ間に合うはずだ」


「僕もさんせーって言いたいところだけど、移動はどうするの? お姉さん達の体力も結構限界に近いと思うけど」


「残念ながら少年の言うとおりなのです。ポーションの回復でも疲れが取りきれないほどになってきたのです」


「足手まといになってごめん、みんな……」


 ウルズとルビィは申し訳なさそうに頭を下げる。

 しかしこればっかりは仕方が無い。十五歳前後の女の子が数日間森の中を歩きっぱなしなんだ。

 いくらポーションで体力を回復出来ようと、精神的な疲労や蓄積した疲れまでは抜けない。

 その証拠に、ここにつくまで日が経つ毎にどんどんペースが遅くなったからな。

 それでもみんな頑張ってかなり無理なペースでここまで歩いてくれた。


 だが、逸れも全て水の泡。

 敵の待ち伏せでここまで歩いてきた苦労が全部台無しになってしまった。

 精神的な疲労はかなりのところまで来ている。

 ルビィもウルズも、息切れとため息を繰り返している。


 これは、最後の手段も考えないとな。


「ルビィもウルズも無理をさせて悪かったな、ありがとう。二人に確認しておきたいんだが、道を引き返すことに反対はないよな?」


「それはもちろん……」


「異論は無いのです」


「そうか。でも体力が無いからどうするかってことだけど、一つだけ手があるんだ。ここから逃げ出して、かつ安全な場所まで一瞬で移動する手段が」


「え? そんな方法があるのですか? だったら早く言うのです! なんで数日も歩かせたのですかサディスティックですか!」


「だれがドSじゃい」


 まったく、人が真面目な話をしようとしているのに水を差してきて。

 まあいい。この方法を選ぶか選ばないかはこいつら次第だ。

 俺もこの方法はあまり選びたくないからこそ、今まで伏せてきたのだし。


「それで、お兄さん。その方法ってなんなのさ?」


「別に隠すほどのものでもないけど転移の魔法でミズガルズ王国へ帰還するってだけだよ」


「ミズガルズに? それだと確かに安全だし、少なくともこの危機から脱出出来ると思うけど。でも、とおくん……」


「ああ。このままミズガルズに帰ればアスガードとの関係性は、何一つ改善せず悪化したままだ。おまけに大聖堂侵入の件もあるし、ルビィも狙われている。国同士の問題に発展する可能性大だ。だがこの国に残っていたら問題が解決するか? ブリュンヒルトが呑気にお茶でも飲みながら、俺たちの話を聞いて考えを改めてくれるか? 絶対に無理だ」


 断言する。

 ブリュンヒルトは俺たちと話し合いの席に同席するつもりは、一ミリたりとも無いだろう。

 俺たちは狙われるには十分すぎる理由がある。


 まず、雷神である俺だ。

 ブリュンヒルトは極神の器とやらに選ばれた俺を殺して、極神スキルを別の人間に移すつもりらしい。

 極神についても何か知っているらしいし、大聖堂のやり取りからして俺を活かしておく理由はない。


 次にウルズ。

 言うまでもなく、至神乙女の目的は彼女だ。

 この国唯一のユグドラシルの巫女であるウルズを、至神乙女は連れ戻そうと躍起になっているようだ。

 どういう方法かは分からんが、巫女の能力を利用してユグドラシルにアクセスし、世界のシステムそのものに干渉しようとしている。

 システムに干渉して何をしようとしているのか、どういう目的があるのかが不透明だが、よからぬことを考えているに違いない。

 なにせ、宗教国家の実質的なトップだからな。異教徒殲滅とかいう目標を掲げていてもおかしくない。


 そしてルビィ。

 ウルズと同じくユグドラシルの巫女である彼女は、至神乙女に狙われるには十分だ。

 ミズガルズの王女という立場も、今はマイナス要素として働いてしまっている。


 ビュウは……ぶっちゃけ何も問題ないな。

 強いて言うなら、帝国の四魔将とミズガルズの王女が一緒にいるということだが……。

 ブリュンヒルトにとってはミズガルズの方が帝国より嫌悪を抱いているようだし、関係ないだろう。


「早くここから逃げるべきだぜ。こうなってしまった以上、この国にとどまる理由はないはずだ」


「でも、私……」


「お姉さん。お姉さんの気持ちも分かるけど、もう諦めたほうがいい。お姉さんの優しさは大好きだけど、それが通用するほどこの国は優しくないんだよ」


「…………」


 ルビィは諦めきれないといった表情で佇む。

 だが、そんなルビィの想いを無視してでも俺はミズガルズに帰還するつもりだ。

 彼女をこれ以上危険に晒させるわけにはいかないんだ。


「ルビィ……こっちへ」


「う、うん。わかった……」


「さあ、二人も。俺の体に触れていれば一緒に転移できるはずだ」


「はーい」


「失礼するのです」


 俺の手を握るルビィ。背中に乗るビュウ。そして……


「おい、髪を掴むな髪を。もし髪が抜けたらどうするんだお前……」


「気にすることないのです。さあ、行きましょうミズガルズへ!」


「な、なんだかテンションが高いねウルちゃん……」


「国外に出るのは初めてで、ちょっとだけワクワクするのです! さあ行きましょう見果てぬ大地へ!」


「いや見果てぬって言うかお隣さんだけどねミズガルズ」


 三人が俺の体に触れることで転移の準備が整った。

 後はミズガルズ王国の王都にいる人物を脳裏に思い浮かべて【トゥゲザー】を唱えることでここから立ち去り、ミズガルズに帰還できる。


 転移魔法【トゥゲザー】

 ミズガルズと帝国との戦争の際に、俺が王都へ駆けつけた時に使用した魔法だ。


 王都は復旧中で転移石はまだ復旧できていない。

 だから【テレポ】を使って転移石のある場所に転移は出来ない。

 だから知り合いを思い浮かべてその場所へ転移する【トゥゲザー】を使うしかないのだが……。


 このトゥゲザーという魔法、少々汎用性が低いため使いづらいのだ。

 まず、知り合いのいる場所へ転移するのだが、これはお互いの了承がないとダメだ。

 ルビィが闇ザコに襲われている時、俺がルビィの元へ行けたのはルビィが俺の呼びかけに無意識に応えたからだ。

 相手の了承無く転移できたらストーキングし放題だからな。


 そして、相手との間柄に一定以上の関係が必要だ。

 顔見知り程度ではこの魔法は発動しない。

 元がゲームのフレンドの元へ転移する魔法だった名残だろうか、この世界でも友人以上の関係性でないとダメなようだ。


 このように、二つの条件をクリアしてようやく使える魔法だ。

 おまけに転移できる場所は相手がいる場所に依存している。

 相手が王都にいるだろうと思って転移すると、目的地と大きく離れた場所にいたなんてことも起こりうる。


 まぁ、俺が思い浮かべる相手は王都で待機しているはずだから問題ないんだけどな。


 俺が思い浮かべるのはティウ。

 ミズガルズ団の団長で、俺の師とも言える人物だ。

 関係性としては友人以上の間柄だ。これならばトゥゲザーの発動条件をクリアしている。


 いざ、ミズガルズ王国へ行かん!


「いくぞ、【トゥゲザー】!」


 さあ! 体が浮いて空高くまで登り、そして王都めがけて飛んでいくぞ!

 グングンスピードを増して、大森林なんてあっという間に彼方の景色に変わっていくぞ!

 そしてティウの目の前に現れて、事情を説明するんだ。

 王様とティウ、そして大臣なんかも加わってアスガードに対して策を練るんだ。

 俺なんかよりみんな頭がいいから、きっといい案を出してくれるに違いない!


 さあ!


「………………ねぇ、とおくん」


「いつになったら転移が始まるのです?」


「………………え?」


 ルビィとウルズの言葉にハッとする。

 そして、周囲を確認するまでもなく異変に気付く。


 景色が、変わらない。

 体が浮遊しない。


 転移が、出来ない。


「な、馬鹿な! くそ、ひょっとしてティウのやつが了承しなかったのか? トイレでも行ってるのかあの野郎! もう一度だ、【トゥゲザー】!」


 しかし、何度試しても転移することは出来なかった。


「どうなんてんだ、一体……」


 魔法発動の失敗なんて、そうそう起こりうることではない。

 この世界で魔法発動に失敗する条件は、魔力が足りないか詠唱に失敗するか、または第三者からの妨害を受けるかのどれかだ。

 俺の魔力は潤沢にあるし、詠唱も魔法の名前を唱えるだけで発動できる。

 じゃあ、発動できない理由は一つしか無い。


「この霊山に、結界が張られてる……!?」


『ご明察。さすがは極神様ですわ、危険を嗅ぎ取る力は人一倍おありのようで』


「っ!?」


 声が、した。


 近くからではない。

 脳内に語りかけるものでもない。


 山だ。

 この霊山全体に響き渡る声。

 まるで学校のスピーカーのように、霊山全域に伝わる声がした。

 怖いほどに落ち着いた、氷のような声色。


 それは、俺たちを追っている者の声だ。

 俺を殺そうとしている、ウルズを連れ戻そうとしている、ルビィさえも狙う至神乙女の長の声だ。


『非常に残念ですが、ここをあなた方との決着の場にさせていただきます』


「みんな! 一刻も早くこの山から逃げるぞぉぉ!!」


「う、うん!」


「ビュウ、お前はウルズを! 俺はルビィを抱える! 行くぞ!」


「これは厄介なことになってきたね! さあ巫女のお姉さん、こっちに来て!」


 ウルズとルビィをそれぞれ連れて、高速の移動術で霊山を下山する。

 しかし、数十秒で麓まで下りてきて絶望を味わうことになる。


「お兄さん! 結界が霊山全体を囲んでる! このままじゃ……」


「分かってる! 【ライトニング・クロスブレイク】!」


 防御破壊の効果を持った俺の上級魔法で、結界に穴を開けようとした。

 しかし、その試みは失敗に終わる。


「なっ!? 結界に傷一つないだと!? 馬鹿な!」


「うふふ……」


 再び、声がした。

 今度は近くから、あの氷の声が聞こえた。

 気のせいじゃない、幻聴なんかじゃない。生の声だ。あの女がここにいる!

 ブリュンヒルトが、至神乙女の長たるあの女がここにいる!

 なぜ、どうやって来たのか。さっきの至神乙女のメンバーと一緒にここまでやってきていたのか。

 それは知らないが、とにかく現実問題としてやつはこの霊山に……俺たちの近くにいる!


「はっ! ふせてお兄さんっ!」


「くっ!」


 俺の顔面目掛けて炎の槍が放たれる。

 ギリギリで躱すことに成功するも、頬に火傷が出来る。

 槍は結界にぶつかると音もなく霧散した。俺の魔法と同様、結界に傷は付いていない。


 冷や汗を背中に浮かべて、俺は槍が飛んできた方を見る。


「ブリュン……ヒルト」


「さあさあ、追いかけっこはここまでですわ皆様。ここに神の鉄槌を下すとしましょうか」


 逃げることも許されず、後ろに守るべき子たちがいて。

 目の前には無敵の戦乙女が君臨している。

 俺とビュウ二人でかかれば打ち合う事は出来るだろう。しかし、倒せるのか……この女を。


 アスガードの霊山で、決戦の火蓋が切って落とされようとしていた。

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