幼馴染は暗黒魔剣
南川 佐久
第一章 幼馴染は呪いのポンコツ魔剣ちゃん
第1話 幼馴染は呪いのポンコツ魔剣ちゃん
朝目を覚ますと、ひんやりとした室内にはあたたかい日差しが零れ、ベランダで揺れるレンゲの花が新しい季節を告げていた。
風を取り込むようにして少し空けられた窓。そこから薫る春の匂いが心地よい目覚めを齎してくれるだろうと思いきや。俺とその同居人の部屋では朝から怒号が飛び交っていた。
「おい、グレイ! いい加減に起きろ! このままだと卒業できなくなるぞ!!」
制服のネクタイが乱れるのも気にせずに、こんもりとした山の端を掴む。
「今日は高校への進級をかけた一次試験の日だから夜更かしすんなってあれだけ言ったよなぁ!? 頼むから起きてくれ! 相方の
がばっ!と思い切りよく布団を引っぺがす。『むにゃあ!?』と夢うつつな状態から一気に覚醒したのは、俺の相棒にして人の姿をした魔剣、ダーク・イン・グレイヴだ。
グレイは肩下まである艶やかな黒髪をわさわさと掻き上げ、長い睫毛の奥から金の瞳を覗かせた。
「ん~……あと五分……ぐぅ……」
そしてまた寝た。
すよすよと、およそ【
「
「もう枕元に置いてあるよ。早く着ろ。着替えるなら、外に出てるから」
「研斗が着替えさせて~?」
「あのな? もう十五なんだからそれくらい自分でやれ」
「む~! 幼稚園のときはスモックの前とめてくれたのに~!」
「っていうか、俺だって男なの! いくら幼馴染だからって、同い年の女子を着替えさせるなんてできるわけないだろ!? ちょっとはそういうの気にして貰えないかな!?」
「研斗の意気地なし~」
「ああもう! 意気地なしでいいから! いい加減服を着ろっ!! 俺は食パンをトースターに突っ込んでくる!」
バタンッ!と乱暴に閉められた扉。その表には『グレイの部屋』という可愛らしい木製の表札がかかっていた。ばたばたと騒がしくなった扉の向こうとは反対に静かになった部屋の中でグレイは呟く。
「あれ? 今日って――」
バタバタバタッ……!
「進級試験の初日じゃあん!?」
「だからそう言っただろうっ!?」
「髪髪髪! 髪とかさないと! 顔洗って、歯ぁ磨いて、それからそれから……!」
泣きべそをかきながら洗面台でひぃひぃ悲鳴を漏らすグレイを、俺は呆れ顔で見ていた。コーヒーを片手にぼそりと呟く。
「……だから言ったのに」
「どうしてもっと早く起こしてくれなかったのぉ!?」
「起こしたよ、何度も」
「女の子は男の子より朝のお手入れに時間がかかるって言ったよねぇ!? それに、今日は校長先生だって試合を見に来るかもしれない大舞台なのに!」
「だからいい加減に起きろって何回も言ったよね?」
「うぐ……!」
「それに、男の子が女の子の部屋に朝起こしに行くのは勇気と気力が要るから、もう自分で起きてって何回も言ったよね?」
「ふっ……! ふぇ……!」
「泣いてる暇あったら制服着ろよ?」
ぽすりと投げつけられたスカートに泣きながら脚を通すグレイ。その様子を横目にトーストにジャムを塗ると、パクリと口にくわえて俺は部屋の扉を開けた。
「先、行くぞ。鍵よろしく」
「あっ! 待ってぇ! 置いてかないでぇ! 私のパンどこぉ!?」
「――ん」
テーブルの上を指差して俺はそそくさと部屋を後にした。だって、あのポンコツ魔剣にいつまでも付き合っていては肝心の試験に遅刻しかねないからだ。
朝のホームルームは九時から。それまでに、契約者か魔剣のいずれか一方でも出席していれば予定通りに試験を受けること自体は可能だろう。
魔剣とその力を引き出して振るう契約者はふたりで一組。俺達が在籍している『特殊戦力研究機構・グレイスアーツ学院・魔剣科』では、教師も生徒もそのように認識している。
――『魔剣』とは。
俺達人間と同じく、古の時代からこの地上に生息する存在であり、姿を剣に変える『生きモノ』である。
普段は人型で生活しており、人と同じように家庭を持って繁殖し、その数を増やしてきた種の『魔剣』。一見人間と何ら変わりないように見える
そして、それらの外的要因とは往々にして精神面――いわばメンタルからくるものらしい。だから俺のような『人間』が『契約者』となって心を支え、ときに魔力や血液、愛情、その他諸々などを捧げて、共に強くなっていく――というのが古くからの習わし。要は不思議な生きモノなのだ。
授業でそう習うだけではイマイチピンとこない生態の『魔剣』だが、一緒に暮らしてみればなんてことはない、グレイのようにただの普通の女の子(あ、食後のデザートに金属板を板チョコみたいにバリバリ食うのは違うけど)だったりするわけで。
実際に剣に変身しているところを一度見れば、蛹は蝶になるもんだ、みたいに『ああ、そういうものか』と納得をするものだった。
俺達の住むフラムグレイス独立国はスイスにほど近い場所に位置した国で、百年前から魔剣との共生を掲げてきた国だということもあって、少なくともこの国の住人でそれらを不思議に思う人間はいない。だって、それくらいに魔剣という存在は俺達の生活に根付いているものだから。
街中には勿論、魔剣用のお店も沢山あって、金属を必要な栄養素とする魔剣の為に『食用金属板スイーツショップ』や『鉱物補給の湯』なんていうスパもある。
つい何百年か前までは魔剣はただの道具として扱われ、心無い
ちなみに【
だが、これを使う人間は現代においてそうそういるもんじゃあない。だって、魔剣の意思を無視した命令なんて誰だってイヤだし、絶対嫌われるに決まってんだろ? でも、昔はそういうことをする奴がいたんだって。
だから今でも道徳の授業は必修科目で、『【
……とまぁ、俺や学院で暮らす多くの生徒にとって、負の時代の悪い慣習は信じがたい出来事だ。だって、魔剣たちはこうして自分たちのような契約者である人間と何ら変わらない姿形をして、共に生活を送っているのだから。ただひとつ、『剣に姿を変える』ということを除いては。
間近に迫った筆記試験の内容を反芻しながら、教室のドアを勢いよく開ける。
「はぁ……遅くなってすみません!」
息を切らして中に入ると、妙齢の美人教師がにやりと目を細めた。
「あら……ギリギリね? ざぁ~んねん。欠席者にはアタシの特別授業とキツ~イお仕置きが待っていたっていうのに。ふふふっ……!」
獲物を品定めするような妖艶な笑みに、背筋がぞっと寒くなる。まるで蛇に睨まれた蛙ではないが、ウチのクラスの担任であるロゼ先生は年齢不詳の美魔女で、気に入った生徒を指導室に連れ込んでは食い散らかすドSであるという噂は校内でも有名な話だ。いや、むしろ知らなかったらとっくの昔にそいつは食い散らかされていただろう。
そんなロゼ先生は本日行われる進級試験の出席者リストに目を通していた。
「あ、相棒の魔剣は後から来ますので……出席番号二十四番、
「はいはぁ~い。今日の一次試験は魔剣同士の模擬戦闘だから、
その発言に『ロゼ先生にならおイタして欲しい』とざわつく能天気な男子共。かくいう俺だってそういった色っぽい話には敏感なお年頃だが、以前職員室付近で『ロゼ先生はハンパじゃない』という青ざめた包帯まみれの新任教師のぼやきを聞いてしまったので、ここは反応せずに華麗にスルーしておくべきだろう。
もし誤って初心な反応でもして目を付けられたら、生徒指導室に連れ込まれて『ハンパじゃないおイタ』をされるハメになるから。
「はいすみません。よく言って聞かせますので……以後気を付けます……」
俺はそれだけ言うと、小さく挙手して担任の顔色を伺った。
「あの、ちなみに俺達の今日の対戦相手は――」
「あぁ~! それならさっき対戦ペア組んでもらって、丁度ひと組余ってたところでねぇ……」
今日の一次試験に参加しないと卒業はできても高校には進学できない。しかも、ウチの学校は面倒見がいいのか悪いのかは何ともいえないが、就職先が決まっていない奴に限って言えば強制的に浪人させられるわけで、中学三年生をやりなおしとなるのだ。
つまり、家業を継ぐなどの一部の例外を除いては、九割以上の生徒がこの進級試験を受けることになる。クラスにいる全員が対戦相手となりうる環境で、ひそひそとはやし立てる声が心臓のイヤな音を大きくさせた。
『御劔って、ほんとツイてないよなぁ。悪運の塊っつーか、貧乏くじ引かされてばっか』
『まぁ、何せ相棒が【呪いの魔剣】だからなぁ……リアルラックが最底辺でも仕方ないんじゃね? 近づくと俺らまで呪われそ~』
『進級試験って、一次か二次のどっちかで一回は勝たなきゃいけないんでしょう? あの子が相棒で大丈夫なの?』
『しかも今回の相手――』
クスクスクス……
クラスメイトの視線の先に、不満げな顔で俺を見やる蒼い瞳があった。こげ茶の髪をふわりと揺らし、ぷいっ!と顔をそむけられた拍子にお上品な胸元のリボンがちょこんと跳ねる。まさにご機嫌斜めなお嬢様といった佇まい。
(まさか……)
「じゃあ、御劔君の一次試験の相手は
「えっ」
(御園とレーヴァテインだと!? いやいやいや、ちょっと待て!)
俺は思わず席を立つ。
「ちょっと待ってください! 試験は実力の近い者同士で公平に、っていう決まりで――!」
「だぁって、柊さんたちと実力の近い子なんてこのクラスに居ないもの。恨むなら、遅刻ギリギリな自分を恨みなさいな?」
「そんな……!」
「はい! じゃあ各自試験開始まで解散!時間になったら、指定された闘技場に相棒の魔剣と一緒に来なさいね~! 先生応援してるから、がんばって~!」
先生がパンパンと手を叩くと蜘蛛の子を散らしたように席を立つ生徒たち。
「つかさぁ、昨日のニュース見た? また出たらしいじゃん……『
「うっそ。『魔剣喰い』ってアレだろ? 魔剣を襲ってその刃を喰う……っていう、殺人犯」
「殺人っていうか、殺剣? でも、刃を食べるってことは、やっぱり犯人は魔剣なのかな?」
「そうなんじゃね? だって、人間が
「怖いよねぇ。アレって所謂道場破り的な『
「国を守護する『十剣』が!? 嘘だろぉ!?」
「こわ~い! そんなん、ウチらに敵うわけないじゃん!? 即逃げよう!」
「ま、なんにせよヤベー奴ってことだろ? 契約者は安全のため、必ずパートナーの魔剣と一緒に下校しろって今日のHRでも言われたじゃん? なぁ、研斗も気をつけろよ?」
「えっ?」
(俺?)
急に話題を振られたことに驚きつつも、頭の中は試験のことでいっぱいだ。
(なんでよりにもよって相手が御園なんだ……初戦から黒星確定かよ……?)
「あぁ……」
適当に返事すると、クラスメイトにからかうような視線を向けられる。
「……っつっても、お前らのとこには誰も近寄らないか(笑)」
「なにせ『呪いの魔剣』だしなぁ? 『
「犯人はむしろ呪われてくれ」
(むっ……)
(はぁ……ごめん、グレイ。咄嗟に言い返せなかった……)
確かに俺は、悪運が強い。幼い頃に両親は失踪するし、大事なテストの日に腹下したり、熱が出るのは日常茶飯事。でも、それは決して
(どうしたら、もっと皆にグレイが悪いわけじゃないってわかってもらえるんだろう……)
ついつい、今日の悪運――『試験の対戦相手が学年最強』に視線が向いてしまう。
「…………」
(勝てんのか? 御園相手に? でも勝てないと次の試合は背水の陣だし、筆記で高得点取らないと……つか、プレッシャーがやべぇ)
ただひとり、クラスの喧騒が落ち着くのを待ってから席を立った御園がこちらを見つめている。空の蒼でもなく、海の蒼でもない。燃える炎のような、それでいて冷徹な眼差しで――
「……私が相手じゃ嫌なわけ?」
「そういう意味では――」
「じゃあ、どういう意味なのよ?」
「御園とレーヴァテインは、その……強すぎるから……」
『勝ってこない』と言いかけて、思わず口を噤む。もし本当に口に出したら、戦う前から負けてしまう気がするから。思わず視線を逸らすと、御園は肩にかかった髪をふいっと払って颯爽と立ち上がる。
「仮にも公の場で私達の相手をするのだから。もっとしゃんとなさい?」
「……!」
その言葉は思いのほか棘の無い穏やかなトーンだった。まるで俺の尻を叩いて立ち上がらせるような、御園なりの激励だったのだろうか。それとも強者の余裕? だが、教室に残された俺の胸には『負けたくない』という炎が確かに灯ったのだった。その背に、呑気な声がかけられる。
「あ~! 研斗いたぁ!」
制服のリボンが少し曲がっているのは、幼馴染の胸が大きすぎるせいではない。それ以上にこいつの手先が不器用で、何をやらせてもダメダメだからだ。
(そのニーソ……左右で同じものを穿いてるだろうな? このあいだはバラバラだったから、ちゃんとできないなら黒ストッキングにしろって言ったのに……)
どうやらハレの日にニーソは欠かせないらしい。よくわからん女子のこだわりだ。
「研斗ぉ! ジャムはブルーベリーじゃなくていちごがイイって言ったよね!?」
「……グレイ」
「もう! すれ違う子みんなにクスクス笑われたんですけど!? 研斗何したの?」
「お前のせいだよ……」
「えぇ!? 私!?」
「せっかく御園が勇気づけてくれたと思ったのに……お前ってやつは! どうしてこう真剣味に欠けるんだ!?」
「わたっ……わたし悪くないよぉ!? ちゃんと急いで準備してきたよぉ!?」
「でも、結局遅刻だろ!? 大遅刻!! もう皆行っちまったよ!」
「そっ、そんな怖い顔しなくても……! ふぇぇ……」
「あああ! そうやってすぐ泣く!! お前、俺がいないと本当にダメだな!?」
『俺がいないとダメだなぁ』――それは、美少女の幼馴染であれば一度は言ってみたい嬉しいような台詞に思えるだろう。確かに、俺の愛剣グレイは美少女だ。それでいてスタイル抜群、胸も大きい。どこに出しても恥ずかしくない可愛い幼馴染……だと思って甘やかしていたからこうなったんだよ!!
「リボン曲がってるし! このポンコツ!!」
「ひ、ひどいよ研斗! 私ポンコツなんかじゃないもん! こう見えて、れっきとした『伝説の魔剣』の娘で――!」
「お前の今の有様を! そのお父様に見せられるのかよ!? あの御方はなぁ! 魔剣研究の第一人者にして、人間と魔剣の平等を世間に浸透させた伝説の冒険者――『白の英雄 ラスティ』と契約していた伝説の魔剣なんだぞ!? その娘がっ! こんな! 朝ひとりで起きられないくせに用意してもらったトーストのジャムにケチつけるような奴になり下がりやがって!!!!」
「痛い痛い! ゆさゆさしないで! ブラからおっぱいはみ出ちゃうぅ!」
「女子なら平気でそういうこと言うんじゃない! これだからグレイは!! もっと恥じらいを持て! 魔剣以前に女子失格だぞ!?」
「ひどぉい!?」
そうこうしている間に試験の時間になってしまった。結局俺の気持ちなんて、グレイには微塵も伝わらないまま。
初戦の相手はあの、学年最強の二人組だっていうのに。
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