魔法じかけのおくりもの
朝がやってきた。
久々にぐっすりと眠れたのは、枕の隣に置いてある『安眠できるオルゴール』のおかげだろう。
「ライ、フート、おはよう」
オルゴールがあるのとは反対側の枕の隣で眠っているウサギのチャームたちを起こし、彼らがつけられているイヤリングを身につけ、ベッドを出る。耳元では、二人(二匹?)のあくびが聞こえる。姿は見えないが、可愛らしくて癒された。
「ふにゃ、おはよ……」
「まだ眠いよぅ……ふわぁ」
食パンを焼き、ジャムを塗って、インスタントのコーンスープを用意して。朝ごはんを食べながら、少しだけ憂鬱な気分になっていた。
また、あの職場に行かなければならないのか。
「元気ないね、梓紗ちゃん。どうしたの?」
「ライ……。……あのね、仕事に行くのが、ちょっと、嫌なんだ」
「大丈夫だよぉ! ボクたちもいるし、あの仕事用の耳栓も、幸せを封じたキーホルダーもあるんだよぅ。きっと、昨日までとは違う一日が待ってるよぉ!」
「フート! ……ありがとね、二人とも。今日はなんだか、頑張れそう」
気付かないうちに、笑顔がこぼれていた。
「そっか、それなら良かったよ」
「あ、でも頑張りすぎはだめだよぉ! それは無理をしてるって言うんだからねぇ」
二人の声を聞きながら、ごちそうさま、と呟いた。着替えて、身嗜みを整えて。時計を見ると、バスの時間が迫っていた。
「行ってきます」
誰もいない家に、声をかける。
がちゃり、と鍵をかけ、バス停へと駆ける。
耳元で聞こえる「走るのはやめてほしいな……」「目が回るよぉ」という声は、申し訳ないけど、今は無視した。
仕事中、こっそりと耳栓をつけてみた。スマホを鏡代わりにして見てみると、言わなければつけていることがバレないのではないか、と思うほど、それは目立たなかった。耳栓そのものはおかしな形をしているのに。そして、音は普通に聞こえる。なあんだ、つけてる意味、ないじゃん。
けれど、仕事用と言われた以上、ここ以外での使い道がないからつけたままにしておいた。
それから、どのくらいの時間が経っただろう。ふと、トイレに行きたくなって席を立とうとした。けれど、立ち上がれずに座り込んでしまう。
……実は、この時間がちょっと苦手。
というのも、トイレの近くに給湯室があるのだけど、そこでこっそりと私の悪口を言っている人たちがいるのだ。その声が聞こえてしまうのが、ちょっと辛くて……でも、尿意には耐えられないから、行くしかない。
仕方なく席を立とうとした、その時。
「佐々木」
「あっ、はい」
苦手な上司が、声をかけてきた。上から目線の発言が多いから、あまり話したくない人なんだけど……。
「時間がなくてすまないが、この午後の会議の資料を昼休憩前までに作ってくれないか?」
……あれっ、いつもと口調が違う。普段ならもっと命令するように言ってくるのに。
「はい、分かりました」
立ち去っていく上司。その後ろ姿を見送ってから、ようやく席を立った。
てくてく、トイレに向かう。今も給湯室に、誰かがいるようだ。話し声が聞こえてくる。
『ねえ、佐々木さんってさぁ』
……ああ、今日も……。
『慎重に行動できる人よね』
……あれっ? 悪口じゃ、ない。
『確かに確かに。少し時間はかかるけど、いつも正確な作業ができるし』
というかむしろ……褒め言葉?
今日はなんだか不思議な日だなぁ。そう思いながらトイレに入ると、突然耳元の二人が「大丈夫だった?!」なんて叫ぶものだから、驚いてしまった。
「どうしたの、二人とも」
「だって、さっき給湯室で悪口言ってる人がいたから」
「あの上司も、なんかいやーな口調だったしねぇ」
「えっ!?」
どうやら、私と二人(二匹?)では、聞いていた言葉が違うらしい。ライやフートの話によると、上司は命令口調だったというし、給湯室の会話も『ねえ、佐々木さんってさぁ、のろまな人よねぇ』『確かに確かに。確実だとしてものんびりやられると困っちゃうわ』だったらしい……。
「どうして……?」
首を傾げていると、ライが「あっ」と声を上げた。
「ねえ、あの仕事用の耳栓のおかげじゃない? あの耳栓は、悪口を聞こえなくするものなんだよ、きっと!」
「確かにそうかもねぇ。言い方が違うだけで、言ってる内容はおんなじだもんねぇ」
悪口を聞こえなくする耳栓……そんなものがあったらいいのになぁと思っていた、昨日までの自分を思い返す。
「本当にあったんだ……」
ぽつり、言葉がこぼれた。
そして、再びあの疑問が浮かび上がる。
そう、これを送ってきた人が、誰なのか。
少なくとも私は、悪口が聞こえなくなる耳栓が欲しいなんて、他の人には言ったことがないはずだ。なのに、どうしてこの人は私の欲しいものを送ってくれたんだろう?
――その後、なぜか職場の環境は徐々に良くなっていった。
悪口を言っていた人は転職していき、上から目線の上司は部署が変わった。代わりにやってきた仲間や上司は優しくて、きめ細やかな配慮をしてくださったり、私にできることを見出して教えてくださったりした。そして私が――私自身が、自分のことを、自分の存在をちゃんと認められるようになったときには、あの耳栓は使わなくなっていた。
そのうち、私は重要な仕事を任せてもらえるようになり、職場内での信頼も得て、給料もその分上がった。
きっとライやフートなら「きっと幸せを封じたキーホルダーのおかげだよ」と笑ったんだろう。
けれど二人は、もう私の耳元には「いない」。……いや、正確にはいるんだけど、喋らなくなってしまった。動くこともなかった。どうしてなのかは分からない。
あの耳栓は、過去の私と同じように職場での悪口に困っているという大学時代の友人に譲った。
安眠できるオルゴールは、何故かネジが巻けなくなった。壊れてしまったのかもしれない。修理を試みたけれど、うまくいかなかった。
そして、ある日。ふとスマホケースを見ると、あの桜のキーホルダーが消え失せていた。どこかで落としてしまったらしい。仕事先の人にも、鉄道会社やバス会社にも訊いてみたが、誰もあれのことを知らないという。
贈り物は、全て役目を終えてしまった。
もうこれからは、あなた一人でやっていけるよ。だから大丈夫。
まるで、そういうかのように。
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