第32話 何をなさってるんです?

 階下がバタバタと騒がしくなったのに気づいて部屋から出て顔を出せば、ちょうどジュリアスが帰宅しているところだった。

 パッと階上を見上げるジュリアスに、慌てて避けるようにしゃがみ込んで視線を避けるマリーリ。

 手摺りの隙間から覗き込むとどうやらこちらは気づかれなかったようでホッとしつつも、「何で私、隠れているんだろ」と我に返る。

 だが、どうしても彼を迎えに行く勇気が出てこなくて、仕方なくそのまましゃがみこんだまま、マリーリは階下の様子をこっそりと窺うことにした。


「旦那様、おかえりなさい」

「あぁ」


 いつになく端的なやりとりをしているのが聞こえてくる。

 声音としてはいつも通りのジュリアスだが、マリーリは昨夜のこともあり、なんだか怖気づいてしまってジュリアスのところへ行くのが躊躇われて、動くに動けなかった。


「マリーリは、何をしている?」


 自分に言われたわけではないのに、自分の名を呼んでいるのが聞こえて、びくりと身体を大きく揺らす。

 すぐさま使用人の一人が「自室でお休みになられています」とお答えれば「そうか」とジュリアスは素っ気なく答えていた。

 なんだかその言い方があまりにぶっきらぼうで、勝手にズキンと胸が痛んだ。


「……何をなさってるんです?」


 突如頭上から降ってくる呆れたような声に、マリーリはゆっくり顔を上げると、そこにはミヤがいた。

 またしょうもないところを見られてしまった、とマリーリが思うと同時に、ミヤもまた「また変なことやってるマリーリさまを見てしまった」というような表情をしている。


「え、えと……」

「……やっぱりジュリアスさまと何かありました?」


 チラッと下の様子を見やったミヤが静かに尋ねる。

 こうもマリーリの行動があからさまでは、察する以前の問題であっただろう。


「それは……」

「とにかく、そんなとこでコソコソしてないで部屋に戻ってください。あまりにも不審すぎて、マリーリさまだと気づくまで蹴りの一発でもお見舞いするところでしたよ」

「ちょ……っ! たまに怖いこと言うわね、ミヤは」

「そうです? だってこんなとこでしゃがみ込んでたら誰だって不審者だと思いますよ。てか、とにかくそこにいるの邪魔なので部屋に入ってくださいねぇ〜」

「うぅぅ。……はい」


 そのまま部屋へと逆戻り。

 ミヤに促されるままに大人しく椅子に座ると、その前に仁王立ちになるミヤ。

 そしてマリーリのことを見下ろし、ぐいっと顔を近づけた。


「で。さっさと白状してしまったほうが御身のためですよ?」

「むうぅ、実は……」


 逃げ道を塞がれ、もうやぶれかぶれになって昨夜の出来事を話す。

 ミヤはそれをからかうでもなく、適当にいなすでもなく、ふんふんと頷きながら耳を傾けた。


「なるほどぉ。マリーリさまはジュリアスさまのお気持ちがわからない、と」

「えぇ、そうなの」

「でもその前に、マリーリさまはちゃんと伝えてます〜? ジュリアスさまにマリーリさまの本当の気持ち」

「……え?」


 ミヤに指摘されてから今までのことを思い出し、初めて気づく。


(あれ? 私ったら、ジュリアスにちゃんと好きって言ったことあったかしら)


 記憶を探るも、その記憶は出てこず。

 今まで一度もジュリアスに自分の気持ちを打ち明けたことなどないことに気づいて、愕然とした。


(私ったら、なんて自分本位だったのかしら)


 ジュリアスの気持ちばかり気になっていたが、肝心の自分はジュリアスに対して何もアプローチしていなかった事実を思い知って、いかに自分本位な思考であったかと恥じ入る。


「お気づきになりました?」

「えぇ、気づいたわ……」

「マリーリさまはもっと素直になるのがよろしいかと。まぁ、はたから見たらラブラブですけどね〜。そんな、相手の気持ちがわからない〜なんて悶々としてるの当人達くらいなものですよぉ」


 恐らく揶揄されているのだろうが、否定できずに甘んじてその指摘を受け入れるマリーリ。

 実際その境地に陥っていたのは事実であった。


「そもそもこんなに色々尽くしてくれて、マリーリさまにだけ笑顔振りまいて、あんな饒舌なジュリアスさま見てたらどう考えてもマリーリさまのことを好きだと思いますけどねぇ」

「そ、そうかしら?」

「そうですよ〜。言っておきますけど、ジュリアスさまってマリーリさまの前以外だとマリーリさまが思っている以上に超絶無表情ですし、喋らないですし、何考えているかわからないですしで、ここだけの話、使用人達からは大不評です」

「え、そうだったの!?」


 使用人達からそんな風に思われていただなんて知らずにびっくりする。

 ジュリアスはカッコよくて優しくてよく気が利く男だと思っていたマリーリには衝撃的なことであった。


「そうですよぉ〜! それなのに好きかどうかわからないだなんて、へそで茶を沸かすくらいちゃんちゃらおかしいです。てか、見てて疎ましいくらいには仲睦まじく見えますよ」

「う、疎ましい……? ちょっと待って、どういうこと?」


 なぜここで疎ましいというワードが出るのだ? とついマリーリがオウム返しすれば、クワッと目を見開くミヤ。

 美女が目を見開くと迫力があって恐ろしい。


「だって! 私がもし男だったら、そのジュリアスさまの立ち位置に私が入り込めたかもしれないと思うと……!」

「え、そっち?」

「そりゃそうですよぉ〜! 言っておきますけど、私は本当に本当にほんっとーーーーに! マリーリさまが大好きなんですからねーーーー!!」

「あ、ありがとう」


 まさかのミヤの告白に圧倒されるマリーリ。

 でも実際好きと言われるのは嬉しくて、ガバッとハグしてくるミヤを抱きしめ返す。

 ……相変わらず豊満な胸に押し潰されて多少は苦しいのだが。


「あ、そういえばなんですけど」

「うん?」

「さっきの面接で新しく使用人を十人ほど採用する予定です」

「そうなのね、もう決めたの。早いわね」


(もしかして、さっきのマチルダという子も採用したのかしら)


 実際何人受けて何人受かったのかは知らないが、もしあの子が来ることになったらと思うと胸がギュッと詰まる。

 できれば来て欲しくはないが、あんなに愛想よくしていたら私みたいに見る目がなかったらきっと採用してしまうだろう。

 というか、自分がもし彼女の裏の顔を知らなかったら間違いなく採用していた。


「ご心配されてるところ申し訳ありませんが、先程の女性は不採用ですよ」

「え?」

「マリーリさまは顔に出やすいからわかります」


 そこまでお見通しなのか、と素直に驚く。

 そして、そんなに自分は顔に出ているのか、という衝撃も受けた。


「そんなにわかりやすい?」

「えぇ、とっても」


 言い切られて撃沈する。

 もう少し淑女として気をつけねばならないところだとマリーリは自省した。


「そもそも、あの娘雇ったところでしっちゃかめっちゃかにされること間違いなしですからね。上辺だけ取り繕ってましたけど、下品さが滲み出てました」

「下品さって……」

「だってどう見たってジュリアスさま狙いですよ、あの子。あわよくば、というのが見え見えで。さすがに私以外もあれはない、というので満場一致での不合格です」

「そ、そうだったの」

「マリーリさまは人のいい部分ばかりを見ていらっしゃいますからね」

「そんなことないとは思うけど。悪口とか陰口とかを言う人は苦手だし」

「それは面と向かって言われた場合でしょう? 言われなかったら気づかないじゃないですか」

「う」


 図星すぎて言い返せない。

 確かに実際見聞きした場合は敬遠すれど、それ以外の本音と建前は正直まるっきり見分けがつかなかった。

 昨日だって、きっとマチルダが本性を見せてる場面に遭遇していなかったら今朝会ったときは普通に褒めてくれるいい子だと思っていたはずだ。


「マリーリさまのいいところではあるんですけどねぇ」

「なんかごめんなさい」

「いいんですよ。マリーリさまはマリーリさまのままでいてください。こういうのは周りのものがちゃんとしていればいいんですから」

「そういうもの?」

「そういうものです。適材適所というやつですよ。あ、ちなみにキッチンに五人、二人庭師に残りの三人はマリーリさまとジュリアスさまのメイドとして配置するつもりです」

「あぁ、キッチンの人数は欲しいものね。昨日も大変だったし」

「いざというときに対応できるほうがいいですからね。食は大事ですし」

「わかったわ、ありがとう」


 周りのみんなに支えられているなぁ、と改めて思うマリーリ。

 使用人の数はよそに比べて少ないかもしれないが、そのぶん一致団結できているのはいいと思う。


「そういえば、ジュリアスの家から来た子達とは上手くやってる?」

「えぇ、それなりには」

「そう。ならよかった」

「あちらもジュリアスさまには手を焼いてたようですから、ここだけの話マリーリさまがいらして万々歳のようですよ?」

「そ、そうなの?」

「私としてもマリーリさまには不安げな顔よりも笑顔でいてもらいたいですからね。……って話しすぎました。まだ片付け残ってたというのに。あ、もう少しで夕食にしますから、出来上がったらまた声かけますね」

「わかったわ。ありがとう、ミヤ」


 わざわざ様子がおかしいことを察して声をかけてくれたミヤに感謝すると、ミヤはふっと綺麗な顔で「どういたしまして」と微笑んだ。

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