四十二話 おかえり
それから一時間程度が経った。
医療用に改造された車が数台、警察用の車数台が現場に到着し、事態の収拾が始まった。突然の体調不良が続出したため、重症者を数回に分けて病院へと搬送される事が、行き交う看護師や医者の会話で把握出来た。症状の軽い人に関しては、自力で病院に向かうか、彼らの処置の後に帰路に着いていく。
その中で、近くのベンチに座り、傷付けられた左目を覆うように包帯を巻かれたクリスが、深くため息を吐いた。
「まだお昼なのに疲れた……今日の仕事は全部伸ばそうかな……」
「だな……流石にこれからこなせる気がしねぇ……」
残された四人のミストは自分とセレカティアの手によって、還された。還される際、悲鳴を聞く事はなく、彼らの表情が心なしか、穏やかに見えた。
『皆さん……ご心配おかけしてすみませんでした……』
ミリが深々とカイト達に向けて頭を下げる。
『私のせいで体調を悪くさせたり、クリスさんなんて、お怪我まで……』
「私の場合はたんに油断しただけだからね? ミリちゃんが気にする事じゃないって」
声だけでミリの位置を判断し、彼女に向けて笑顔を見せるも、微妙に照準が合っていない。
「けど、こんだけ騒ぎにあったんだし。流石に他の連中も異変に気付くでしょうね」
ちらほらと還し屋の姿があり、こちらの存在には気付いていないが、それも時間の問題だ。
「あぁ。これ以上、ミリをこの状態に置いとく訳にはいかねぇな」
『はい。自分の体を見つけた時点で戻っておけば、こんな事には……』
「過ぎた事は仕方ねぇよ。俺達は病院行くけど、クリスはどうする?」
カイトはクリスに問いかけるが、彼女は首を左右に振る。
「私はいい。一応怪我人だし、あいつの事もあるしね」
そう言い、応急処置を施されているニールへと目を向ける。
「何だかんだ言って、ニールには色々お世話になったからね。最後くらい、見届けてあげないと……」
「そうか……。わかったよ。じゃあ、また後でな」
「えぇ。遅くならないようにね」
「了解」
カイトはセレカティアとミリを連れて、その場を離れる。
病院に向かっている途中、重い足取りで横を歩くセレカティアが、不機嫌そうに諸悪の根源であるニールについて毒づく。
「姐さん、あんな奴ほっとけばいいのよ。怪我させられるし、裏切られるし……温情なんて不必要よ」
「クリスなりのけじめだろ。それに、ニールが居なきゃ、俺はクリスと一五の時に会えてなかったんだ。多少なりとも、感謝出来るところはあった」
こんな形で彼との関係が終わるのは、少し心苦しい。彼のおかげで、自分は還し屋になれたと言ってもいい。彼のクリスに対する支援が無ければ、彼女の事務所設立は大幅に遅れ、出会う日もその分遅くなっていた。そして、ミリにも会えていなかったのだ。
「……私はないもんね。ずっと嫌いよっ」
セレカティアは視線を外し、吐き捨てる。
「いよいよね……」
セレカティアは胸に手を当て、深呼吸しながら呟いた。
目の前には、痩せ細ったミリがベッドに寝ている。その姿が痛々しく思ったのか、セレカティアは最初、彼女の顔を見た瞬間、目を背けてしまっていた。だが、現実と向き合う為、目に涙を溜めながらもミリの姿を見据える。
「ほんとに、あいつをぼこぼこしてやりたいわ……」
あいつとはおそらく、ミリの父親のことだろう。
「あいつも血反吐吐いてんだ。チャラにしてやれよ」
カイトは束ねた後ろ髪を指で弾き、嗜める。
だが、その程度でセレカティアの怒りが鎮まる筈もなく、八つ当たりが如くカイトの脇腹に何度も肘を入れてくる。
「チャラになんて出来るわけないわよ! 友達に傷つけて黙ってられる!?」
『セ、セレカさんっ。カイトさんのお腹がへこんじゃいますっ』
「こんな薄情者の腹なんてどうなろうと知ったことじゃないわ」
『えぇぇっ!?』
慌てふためくミリを尻目に、カイトはセレカティアの腕を受け止めると、咳払いする。
「黙って見てた訳じゃねぇよ。でないと、刑務所に乗り込んでねぇ」
寝ているミリの頬を撫で、
「ミリを幸せにするのが一番にする事だろ。あいつに気を回す方が時間の無駄にしかなんねぇよ」
と告げる。
『……えっと、その……』
「さらっと何言ってんの……?」
二人の口調に、遅れて自分がとんでもない事を口走ってしまったことに気付いた。
カイトは彼女達に目を向け、平静を装いつつ訂正する。
「俺達が幸せにするんだよ! 俺だけじゃねぇ!」
心臓の鼓動が早くなっているのを実感した。
言葉の対象となっていたミリは両手で顔を挟むようにし、真っ赤に染めている。それもそうだろう、他人から見ればただの告白にしか聞こえないのだ。
訂正の言葉は聞き、『そうですよね。そうですよ……』と自分に言い聞かせるように何度も小さく呟く。
「と、とにかくだ。早いとこ体に戻れよ。早く元気になって、うちで修行だ」
『そ、そうですね! 一日も早くクリスさんの下で勉強しないとですね!』
雑念を振り払うように声高らかに賛成するミリは、セレカティアを振り返る。
『セレカさん、今度色んなところにご飯食べていきましょうね』
「当たり前じゃない。あたしの奢りで行きましょ」
『はいっ』
「けど、姐さん……本当に来なかったわね」
少し残念そうに肩を落とすセレカティア。それに対し、カイトは軽く手を振って毒づく。
「あいつに思うところがあるんだろ。もう、肩を並べる事もねぇしな」
「そこが姐さんの良いところなのよ。あんたと違ってね!」
「引き合い出すんじゃねぇよ! お前はどうなんだよ!? ニールにクリスみたいな態度取れんのか?」
「は? 無理に決まってんじゃない。友達に手を出しておいて、ただで済ますなんて有り得ないわ」
「お前……」
当然のように言い放つ彼女に呆れて追撃する気も失せてしまった。
相手の行いを否定するような事を言っておいて、自分がするのは肯定。身勝手にも程がある。だが、友達が誰かに傷付けられれば、黙って見ていられるお人好しな人間はそうそう居ないだろう。セレカティアも自分もそうだ。
「あいつに一言も言えてなかったから、落ち着いた時にでも罵詈雑言かましてやるわ」
「そこまでする必要あるか?」
「あたしの気が済まないからよ。言葉だけで治るとは思わないけどね」
すると、ミリが小さく笑い、首を左右に振った。
『セレカさんがしてくださらなくていいですよ。私が言います』
自分の胸に手を当て、迷いのない瞳で、
『あの人の前で自信持って幸せになってる事を証明してみせます。それが私の仕返しです』
「俺達と比べて、遥かに良い仕返しじゃねぇか」
カイトは笑みを浮かべ、セレカティアに視線を向けた。それに対し、セレカティアが少し悔しそうに顔をしかめさせる。
「大人の仕返し……うぬぬ」
『これからですよ、ミリさんも。それから、私も……』
眠る自分の身体を見下ろし、ミリは呟く。
『私、いっぱい勉強してカイトさん達に追いつけるように頑張ります』
「あぁ、待ってる」
『ありがとうございます……では、戻りますね』
数回深呼吸をし、告げる。
『カイトさん、セレカさん、またあとで』
ミリはこちらに笑いかけ、自身の体に手を触れた。
すると、ゆっくりと吸い込まれるように重なり合っていく。ミストとしてのミリがいなくなり、これからは人としてのミリとの毎日を過ごしていく事を実感していき、どこか寂しさも感じた。
セレカティアは頷くと、手を振る。
「早く起きないと無理矢理起こすからね」
『ふふっ、お願いします』
それがミスト、ミリの最高の言葉となった。
淡く光る彼女が居なくなって数分経った。もしかしたら、数秒の出来事だったかもしれない。時間の感覚が曖昧になってしまうほどに、ミリの目覚めが待ち遠しかった。
早く起きてほしい気持ちが全面に出ているセレカティアが恐る恐るといった様子で、両手を伸ばしていく。だが、ミリが自分の意思で起きる事に意味があるのは自覚しているようで、両手を下ろし、背筋を伸ばす。
「まだ起きないの?」
顔を痙攣らせながら問いかけてくるミリに、カイトは時計に目をやり、返答する。
「二分しか経ってねぇぞ」
「嘘でしょ? 絶対十分は経ってる!」
「嘘じゃねぇよ。静かに待ってろ」
表に出さなかったが、二分しか経っていない事に心底驚いた。それほどまでに、彼女の目覚めが待ち遠しかった。
「……んん、んぅ……」
すると、ミリが僅かに呻き、ゆっくりと目を開けた。
「お、起きた……起きたわよっ」
セレカティアはカイトの胸倉を掴み、乱暴に揺すったあと、ミリの肩に手を置く。
「よかったぁ! 起きないから心配したじゃない!」
「……えっと、ここは」
「何言ってんのよ。一緒に来たじゃない、病院っ」
「あぁ……病院……」
様子がおかしい。ここに来たのは初めてではない。それはミリもよく知っている。だが、今の彼女の反応を見る限り、初めて見たような反応だった。
そして何より、セレカティアを不審な目で見た。
「おい、セレ――」
「貴方達は……どなたですか?」
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