三十六話 誰の仕業
突然、この場以外の人間の声が聞こえ、カイトは身構える。
先日聞いたばかりで、クリスに明らかな好意を持ち、ミストへの関心が強い支援者の声。
「……ニール」
彼は、三人の後ろに立っていた。
戸惑う様子もなく、当然のように立っているその姿があまりにも異様なものだった。
「やぁ、カイト君。おはよう」
ニールは笑みを浮かべ、いつものように挨拶してくる。
「おはようじゃねぇ……何でここにいんだよ」
「何でって……この辺りに住んでるからに決まってるじゃないか」
確かに、彼はこの周辺の家に住んでいる。だが何故、このタイミングでここに現れるのか。何故、彼らの後ろに居るのか。
偶然、と言われればそれまでだが、そのようにも見えない。この展開を想定していたかのような現れ方をしているのだ。疑わない筈がない。
「ニ、ニー」
「んー?」
男が彼の名前の呼ぶのを遮るように声を出す。その対応に体を小刻みに震わせ、視線を逸らした。
男は彼の事を知っている。そして、ニールも彼を。いや、彼らを知っている。
「初めてって訳じゃなさそうだな。どういう関係だお前ら」
すると、ニールは小さくため息を吐き、首を左右に振った。
「あぁあ、誤魔化せないパターンだね」
「誤魔化す気なかったろ。そのつもりなかったら、ここに来ねぇしな」
「来る気はなかったよ? 君達やこの人達の監視を専念してたけど、まさか鉢合わせするとは思わなかったよ。片方の見張りを怠ったばっかりに……ま、いいけどね」
ニールは笑い、黒ずくめの三人組を一人ずつ見ていき、
「君達がカイト君に邪魔されて、あれも落として、どこまでも僕の邪魔をしてくれたけど、目的を果たせた」
そう言うと、服から見覚えのある箱を取り出した。
捕縛箱。
「お前っ!!」
「あ、やっぱり知ってる?」
あの時落ちていた捕縛箱は連中のものだったのか。彼が持っているという事はやはり、捕縛箱は複数個存在していることになる。
そうなれば、他のミストも他の捕縛箱に閉じ込められているのかもしれない。あのような状態になったミストを何人も相手出来る程の実力なんて、自分にはない。今この場にセレカティアが居ても、戦況はあまり変わらないだろう。
それにだ。
「お前……ミリに何かしたか?」
三人が追い回していたミリ。それを指示していたのがニールだ。
そして、何処にもいないミリ。
「んーどうだろうね?」
「とぼけんなっ! 何の為にミリを追いかけ回してんだっ!?」
人の姿をしているミストは珍しい。だが、それだけの理由で執着する意味が分からない。その捕縛箱をあれば他のミストを捕まえれば済む話だ。捕縛箱の事を考えると、他のミストを閉じ込めるのも黙認する事も出来ないが。
ニールは顎に手を当て、楽しそうに笑う。
「そりゃ追うでしょ。親を憎む美少女、ミリカ・ハイラントだよ? 良い素材だ」
「あ、あんた……ミリの名前を何で知ってるのよ?」
今まで黙っていたセレカティアが、動揺を隠せない様子でニールに問いただす。
ニールはセレカティアの方に目を向け、笑みを深める。
「何でって。素性を知らないで追うなんて無謀だよ」
「い、いつから……」
「カイト君が彼女と会う前から、だね。あの事件を知ってたし、ミストになる可能性が高かったからね」
「そんな前から知っててどうして言わなかったの……?」
「賢い割には察しが悪いね。言ったら僕が視えてる事がバレるじゃないか」
そういえばそうだ。ミリの存在に気付いているという事は、ニールがミリの姿を視認出来ているという事。ミストを視る為には、目に施術しなければならない。
つまり、ニールもそれを行っている。
誰が彼に対し、そのような事を知らない。しかし、今はそれどころではない。
「お前、何か知ってんだろ?」
「何かって何かな? ミストの事? それとも、ミリカ・ハイラントの事かな?」
「両方だ」
「欲張りだね」
ニールは『クククッ』と喉を鳴らし、三人に向けて逆手で手招きする。
三人はそれを合図に各々しまっていた捕縛箱を手に取り、彼に渡した。
「じゃあ、まず一つ目から」
そう言うと、捕縛箱の一つを適当に放り投げる。捕縛箱が地面に触れた瞬間、乾いた音が響き、そこから黒い靄が揺らめきながら現れた。
「あれは……なに?」
人の形を成していく靄を見据えながら、セレカティアが呟く。
「捕縛箱だ」
その言葉に、セレカティアは目を見開かせ、カイトを振り返る。
「捕縛箱!? なんでそんな物があるのよ!? あれはもう存在しないはずじゃ……」
「これはね、廃棄し損なったものをかき集めたものだよ。価値の知らない奴も居たし、時間もお金も掛かったよ」
クリスが言っていた頃に全て処分しきれていなかったのか。捕縛箱の危険性を知っていても、所有していたい者が少なからず居て、その連中が持ち続けていた。または知らずに譲り受けてきたものが現在まで人知れず存在し続けてきたのかもしれない。
「お前、捕縛箱の事知ってんのか?」
書物にも記されていなかった物の存在を知っているセレカティアに、カイトは問う。
「名前だけはね。けど……こんな気味悪いものだったなんて……」
セレカティアは顔を顰めさせ、姿を現したミストを睨む。
捕縛箱から現れたミストは、女性の姿をしていた。生気を失った瞳が自分やセレカティアを映し、ゆらゆらと揺れている。
痛んだ髪、擦り切れた衣服、痣の見える体。何をどう過ごせば、そのような姿になるのか。捕縛箱だけでそうなったようには見えない。おそらく、生前での姿。そして、捕縛箱によって憎悪等の負の感情が促進されてしまったのだろう。
ニールはそのミストを一瞥し、カイトを見る。
「さて、邪魔者の排除をしようかな」
「やってみろ」
カイトとセレカティアは身構え、臨戦態勢を取る。
自分は先日、あの状態のミストと接触した。だが、セレカティアにその経験はないので、不安がある。少しでも触れられれば、体力を根こそぎ持っていかれてしまう。男である自分が立っているのも辛かったのだ。彼女が触れられた場合、立つことさえままならない可能性がある。
「気をつけろよ。ちょっとでも触れたら倒れちまう」
「……結構なハンデね」
相手が持っている捕縛箱は四つ。つまり、四人のミストが居るという事。一人を還しても、残り三人を相手しなければならない。一度に相手するとなれば、クリスのように一瞬で還す荒業をする必要があるが、自分にそれ出来る程の技術はない。
すると、ニールは首を左右に振り、手前の三人に目を向けた。
「君達より、先に排除しないといけないのは――」
手を振る。
「この役立たず共だよね」
女性はニールの動作を真似するように、手を横に振るう。その手の指先が、三人の頬などの体の一部に確実に触れていく。
その瞬間、彼らは地面に膝から崩れ落ち、地面に伏してしまった。
「ニ、ニールさん……どうして……っ」
男が小刻みに震える口で、彼に問いかける。
ニールはそんな彼を、まるでゴミを見るかのような目で見下ろす。
「君達が何度もへまをしなければ、こんなに時間が掛かる事はなかったんだ。僕一人で動いた方が、効率が良いと思うんだよね」
「そんな……」
「もう、黙っててよ」
ニールの言葉を合図に、女性はもう一度、彼らに触れていく。
それに彼らの体が小さく跳ね、そのまま動かなくなってしまった。
一度触れられるだけで動けなくなる中で、二度に渡って触れられると意識を保つ事すら出来なくなるのが必然だ。それどころか、命すら落としかねない。あの三人は自分にとって敵だが人間だ。死んでいいわけではない。
ミストを視認出来ない一般人からすれば、三人が突然倒れてしまったようにしか見えない。その為、動かなくなった三人を見て、どよめきが起き始める。
還し屋にとって、ミスト関連の騒ぎは避けたいところだが、もう遅い。
「あらら、目立ってしまったね」
悪びれる素振りを見せないニールは小さく笑い、手を挙げる。
「今度は……彼らだね」
こちらではなく、周囲に視線を巡らせる。
次の標的は自分達ではなく、周囲の通行人。
「このくそやろ――」
カイトが一歩踏み出すよりも早く、セレカティアはニールに向かって走り出した。彼女の小さな拳を振りかぶられる。
男にしては華奢な体をしたニールなら、小さなセレカティアでも十分に叩きのめす事が出来る筈だ。
ニールの顔が驚愕へと変わるものだが、違った。想定内であるように、動揺一つ見せていない。
「早とちりは良くないな」
ニールは鼻で笑い、挙げていた手をセレカティアに向けて降り下ろされる。
女性のミストはジロッと彼女を睨みつけ、触れるために手を伸ばす。
自ら触れられていく形で二人の距離があっという間に縮まっていく。セレカティアは舌打ちし、両足で無理矢理速度を落としていき、両手を開くと、勢い良く目の前で突き出すようにして手を合わせる。
そして、右腕を上に。左上を下に素早くスライドさせた。
それが、セレカティアの還す業だ。
その瞬間、女性のミストが断末魔を上げ、消え失せる。禍々しいものへと変貌してしまっていたのか。淡い光が上空へと昇っていくのではなく、人の顔をした黒い靄が昇っていき、四散する。
「はっ……はぁ……はぁ……っ」
その場に座り込み、肩で息をしているのが分かった。
「セレカっ!?」
もしかして、触れられたのか。
そう思ったが、セレカティアが軽く手を振り、安全を示してくれた。
「……大丈夫よ。少しびっくりしただけ……」
「へぇ、そんな還し方もあるんだ。参考にさせてもらうよ」
ニールは関心の声を上げ、数回を頷く。
「さて、あとは三つか。余分に持ってくればよかったかな」
まだ別の場所で保管しているのか。それならば、ここで逃がす訳にはいかない。何としてでもニールを止めなければ、被害が想像を絶するものになってしまう。
「んー、次はこれかな」
そう言い、もう一つの捕縛箱を地面に落とす。
「少し早いけど、メインディッシュだよ。お二人さん」
ニールは不気味な笑みを浮かべさせた。
再び、捕縛箱から黒い靄が立ち込める。だが、それは先程のような禍々しいものではなく、とても不安定なものだった。
綺麗な光とそれを食い尽くそうと覆い被さる黒い靄。
見覚えのあるその光に、胸が締め付けられる。
そう。あの心優しい少女から発せられる。綺麗で、淡く光るもの。
「ニール……ぜってぇ許さねぇからな……っ!!」
虚ろな瞳をしたミリが目の前にいた。
綺麗な光と禍々しい靄を身に纏って。
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