三十五話 不穏
朝。
カーテン越しに差し込む太陽の日差しよって、浅くとも深いとも言えない睡眠から覚めた。
カイトは上半身を起こし、大きく伸びをするなり周囲を見渡す。いつもなら、ミリが自分の部屋に赴いてくるのだが、今回ばかりはそれがなかった。
昨晩から戻って来ていない、という事。
「あんにゃろう……」
小さくため息を吐き、ベッドから降りると、身支度をして家から出た。
彼女が行く場所は大体決まっているが、記憶を戻ったのなら、その行動範囲が広くなっているのもおかしくはない。それでも、早朝ならば事務所に行っているのが定石だろう。
事務所に着き、階段を上がっていく。そして、立て付けの悪いドアを無理矢理こじ開けた先に、居ると思ったミリの姿はなかった。
「あれ、どしたん?」
濡れた顔をタオルで拭いていたクリスがきょとんとした表情を浮かべ、問いかけてきた。
「ミリは?」
「来てないけど? 一緒に帰ってたんじゃないの?」
「いや、途中で別れた。一人でなりたいって言ってたからな」
「帰ってきたところは?」
「……見てねぇ」
その言葉に、クリスは呆れた様子でため息を吐く。
「その前に寝たって顔ね。記憶が戻っているのなら、家に戻ってるかもしれないよ。行ってみたら?」
「あぁ、そうしてみる」
カイトは頭を掻き、再び事務所のドアに手を掛ける。
「場所は分かる?」
「知ってる。じゃあ、また後でな」
そう言い残し、飛び出した。
事務所からミリの自宅までおよそ三、四キロ離れた所だ。早く行き着くなら、車を拾っていくのだが、乗り物酔いが激しい体質だ。彼女と会った時にぐったりしていては、説教どころではなくなる。
自身の体力を考え、二〇分程度の時間を掛けてミリ宅へと向かう。
ミリ宅に到着し、カイトは荒れた息を整えながら、彼女が住んでいた部屋へ足を運ぶが、部屋の窓越しから彼女の体から発せられる光を確認する事が出来なかった。もしかしたら、さらに奥の部屋に居るのかもしれない。
ドアノブに手を掛け、引く。誰も居らず、金品も無い部屋だから鍵も閉めない。といっても、不用心にも程があると思うが、この際どうでもいい。
中に入り、奥へと進んでいくが、ミリの姿は見当たらない。
「ミリ?」
返事がない。見当違いだったか。
「……どこにいんだよ」
セレカティアと一緒に居る可能性もある。
先にセレカティアに会っていれば良かった。気負い過ぎた。
顎に手を当て、彼女が次にどこに行くのか考える。
心当たりのある場所をしらみつぶしに訪ねるしかない。最初に行くのは、セレカティアの所だ。誰かに会うとなれば、仲の良い彼女の下に向かう、筈。
行き先を決め、カイトはセレカティアの下へと歩き出す。
いくら四六時中一緒に居る事が多くなっていても、異性だ。決して踏み込んではいけない事もあるだろうし、特有の距離感が出てしまう。同姓であり、同年代であるセレカティアだからこそ話せるものもある筈だ。昨日の悩み事も、セレカティアになら気軽に相談出来たのかもしれない。
次にセレカティアの自宅まで向かい、ドアを強めにノックした。
しばらくして、掛けられていた鍵が開錠される音が聞こえ、眠気眼のセレカティアが出てきた。
セレカティアはカイトの姿を確認するなり、不機嫌そうに舌打ちする。
「朝っぱらから何よ?」
「ミリ来てねぇか?」
「は? 来てないわよ。一緒じゃないの?」
「居ねぇんだよ。昨日の晩から戻って来てねぇみたいだ」
「……用意するから待ってて」
セレカティアは目を細めさせ、部屋に引っ込んでしまった。
待つこと一五分。着替え終わったセレカティアが出てくると、挨拶とばかりに頭を田大尉てきた。
「――って! なんだよっ」
「寝起きの乙女を見たからよ。で、何処か当てはあるの?」
「行ってねぇのは病院と……あいつの親父んとこだ」
「父親? けど、ミリが自分から行くとは思えないわよ。一番会いたくない相手じゃない」
「一番恨んでる相手でもあるだろ?」
あの時のミリを考えると、父親に避けたいのは避けたい。それに、昨夜の事もある。
怒りや恨みを持ったミスト二人が自らの意思で相手を襲うととんでもない事になる。ミリに限って人を襲う事はないだろうが、父親となれば、話は変わってくる。
「ミリは絶対誰かを襲うなんてしないわよ」
「可能性はなくはないだろ」
「あんたね……」
「探しにいくぞ」
嫌な予感がしてならない。
自分の体に戻ると言っていたので、病院に居るのかもしれない。だが、そこにもいなければ、父親の居る刑務所だけ残る。元凶となった父親と対峙する事になれば、自分達が陥った状態になりかねない。いや、命を落とす。
セレカティアを連れ、カイトは病院へと向かう。
その道中。
「姐さんも呼んだ方がいいんじゃない? こういうのに慣れてる筈だし」
「一々戻ってられるか。俺達だけで十分だ」
ここからクリスの事務所まで距離がある。クリスを連れて戻ってくるのに一時間以上かかってしまう。そこに時間掛けるよりも、自分達で歩き回った方が効率良い。
一刻も早く、彼女に会わなければ、この胸に渦巻く嫌なものを拭い取れない。
病院まで一〇分程度。
その距離がとても遠く感じた。何時間にも。
病院に近付いていく毎に、ある確信にも近づいてくる。
ミリは、病院に居ない。
確たる証拠はない。だが、何故か分かってしまう。
その近づく確信に、カイトは苛立たしげに舌打ちする。
「カイト?」
その様子を悟ったセレカティアが表情を曇らせる。
「どうしたのよ」
「いや……何でもねぇ」
カイトは謎の胸騒ぎを吐き出すような事はせず、歩く速度を速めた。
そして、ある人物とすれ違う。
その人物とは、一度しか会っていないがよく覚えている。何せ、目の前で倒した人物なのだ。忘れる訳がない。
「あの野郎……。おいっ!」
振り返り、叫ぶ。
真後ろにいたセレカティアが、小さな体を跳ねさせては身構えるも、怒声を上げた対象が自分ではないと分かると、怪訝な表情を浮かべさせる。
相手も、こちらの存在に気付いていたのか、黒づくめの男が足を止め、振り返ってきた。
「今度はこの辺りでふらふらしてんのか?」
「……てめぇ」
男はカイトを睨みつけ、低い声で呟く。
「あの時は邪魔しやがって……おかげでキレらちまっただろうが」
「お前らがあいつを追いかけ回してたからだろ」
鼻で笑っていると、セレカティアがカイトの服を引っ張り、問いかけてきた。
「ちょっとあんた、こいつ誰?」
「ミリを追いかけてた奴だ。他にも二人、居たよな?」
「こいつが?」
正体を分かるや否や、敵意剥き出しで男を睨みつける。友達を追いかける不審者をそのままにしていられないのだろう。普通の神経をしていればそうだ。
他の二人は知らないが、セレカティアも居る。小柄でも暴力的な面は、こういう時に大いに活躍するものだ。加減するような相手ではないので、尚更だ。
「へぇ、興味深いじゃない。少し話し合いがしたいわ」
「一人で歩き回ると思うか?」
男は舌打ちし、僅かに後ろを見る。すると、何処からともなく、あの夜に会った男女が現れ、男の後ろに付いた。
そこで、女の方が驚いた表情を浮かべ、俯く。その行為に疑問を抱いていると、セレカティアが彼女に向けて指差す。
「あんた、ローラ? それにあんた、シュウよね?」
名前を言い当てられ、後から来た男も顔を俯かせる。
男女の名前を言い当てた事に驚きを隠せず、カイトはセレカティアの方を向くような事せず、問いかける。
「お前、二人知ってんのか?」
「そいつら、何年か前に知り合いの事務所の還し屋だった奴よ。いきなりう何も言わずに辞めていって行方知らずになったって聞いたけど」
「そんな奴が何でミリを追いかけ回してたんだ?」
「言うと思うか?」
名前の知らない男は、自分の頭を指で数回叩き、笑う。
「言わねぇなら、力尽くだ。分かってんだろ?」
その言葉に三人が僅かに怯む。
そう言ったが、一般人が大勢居る中で殴り合いの喧嘩をするわけにはいかない。クリスにも迷惑を掛ける事にもなるし、セレカティアの事務所にもそれが被る。
出来るならすんなり答えてくれるか、人気のない所に移動したいものだ。
すると、シュウと呼ばれる彼は、男に耳打ちをする。
「あぁ? それだとあの人が――」
「あの人って?」
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