二十八話 夢
「――で、事務所から出てきたと?」
セレカティアは自身が住む街を、俯いて歩くミリに問いかけていた。それに対し、ミリは眉を潜め、僅かに俯く。
『はい……。でも、酷くないですか? 聞いても話してくれないんですよ、あんな顔するくらいだから、私に隠し事してるはずです』
彼女の話を聞いている限り、カイトが話そうとしていなかったのはおそらく、先日あったミリの異変についてなのだろう。確かに、事務所のあの凄惨な事はお前だ、など本人に向かって言える筈がない。しかし、彼女の為にも顔には出さないようにするものだが、彼はそれが出来なかったようだ。
(年上にくせに、ばかよねぇ)
ミリと会ったのは、クリスの事務所に向かっている時だ。両親から聞いた不審人物についてのことだった。各地のミスト発生場所に現れ、そこに存在するミストと共に居なくなるという。それだけ聞けば、管轄外で還し行っている還し屋だ。しかし、この違反行為は利益になるものではない。結局は、依頼者の金が管轄内の還し屋に渡る。一般人にとっては、被害が無くなればどこの還し屋でもいいのが正直な話である。それでも、本業にしている者にとっては、仕事の妨害であり、大きな問題だ。
「仲直りしたらいいじゃない。あいつも理由があるんでしょうよ」
『むぅ……わかりました。けど、する前にいっぱい怒ります』
頬を膨らませ、そっぽを向いてしまう。
「子供か……」
カイトといい、ミリといい、なにかと子供な所が見え、時々どっちが年上なのか分からなくなってしまう。割合からすれば、自分の方がしっかりしているだろう。クリスに怒られて泣いてしまったのが、大失態だったが。それも、カイトに見られてしまう始末だ。
呆れて小さくため息をついていると、突然、ミリが足を止めた。それに気付き、セレカティアも足を止め、彼女の方に目を向ける。
「どしたの?」
ミリの視線の先には、二階建ての集合住宅があった。外観は少しばかり古く、所々色褪せていた。それに加え、階段の手摺りも錆びている部分が多く、建てられて結構な年数が経っているように見える。
確か、数週間前に女性が階段から突き落とされるという事件が起きた場所だ。詳しい状況は知らないが、どこかの病院に入院しているのだけは聞いた事がある。犯人は刑務所に収監され、悪質だったということもあり、長期間の懲役が決定したと新聞に掲載されていた。
被害者が亡くなり、ミストとして自宅前にいるのだろうか。そうであれば、還す必要がある。この辺りは自分が所属する事務所の管轄内であるため、違反者と違って許可されている。
セレカティアは目を凝らし、何処にミストがいるのか確認する。しかし、ミストらしき発行体は見られず、ほぼ無人の集合住宅。特に変わったところはなかった。
事件があった場所に居座り続ける理由なんてない、と住居人が次々と離れていったかわいそうな集合住宅は時折吹く風によりすすり泣いているようにも聞こえる。
(たしかダン・ハイラントで、被害者は……)
一つの事件としてでしか見ていなかったからこそ、思い出すのを忘れていた。あれはただの男女間で起きた出来事ではなく、親子間で起きた暴力的なものだった。
記憶を失ったミリが立ち止まったということは、あの場所が彼女にとって最も重要なものだったというのを物語っている。
クリス達の事務所で起きた事が脳裏に浮かび、悪寒から体が大きく震える。ここでまたあのような現象を起これば、被害が拡大してしまう。一般人にまで被害が及ぶとなると、ただでさえ疑問である存在であるミストに対し、更なる疑問を抱かれかねない。
「ミ、ミリ……?」
恐る恐る、ミリを見ると、彼女は返事することなく、真っ直ぐ自宅を見据えていた。そして、一歩、一歩と地を踏みしめていく。
まずい。
「ミリッ!!」
一般人から見れば、突然誰かの名を叫ぶおかしな少女だと思われるだろう。しかし、そんな事よりも目の前に友人に居る友人の行動を阻止する必要がある・
「まって、お願い! ミリッ!!」
『セレカさん』
漸く立ち止まったミリが静かにこちらを振り返ると、とても辛そうな表情を浮かべ、自宅の方を指差す。
『私、あそこ知っているんです……。どうしても……どうしても、あそこに行かないといけない気がするんです』
けど、と両手を握り締める。
『一人では怖いんです……』
ミリの失われた記憶は決して良いものではない。血の繋がった父親から暴力を受け、何らかの理由で、何処かで眠り続けている。良い記憶ではないのが、心の何処かでは分かっているのだろう。だからこそ、あの場所に行くことを怖がっている。途轍もなく嫌な記憶を蘇らせる事になるから。
出来ることならば、あの場所に連れて行きたくない。しかし、行かなかったら、これ以上の進展は望めないだろう。彼女の抱くものは希望と絶望で板挟みになっており、いずれそれは均衡を保てず、いずれ崩壊してしまう筈だ。
自分が出来る事。
セレカティアは一つ深呼吸をすると、自分の旨を強く叩く。
「あたしも一緒に行く」
『いいん……ですか?』
「うん。あそこは、ミリの大切な場所だから……」
『ありがとうございます……っ』
「ほら、いくよ」
セレカティアはミリを追い抜くように歩く速度を上げる。集合住宅に着くと、まず向かったのはその建物の主である人物の自宅だ。しかし、どの部屋に住んでいるのかわからないので、適当な部屋の呼び鈴を鳴らす。事件があったからか、呼び鈴を鳴らしても返事は無く、漸く人が出てきたと思えば、持ち主である女性だった。
適当な嘘を作り、ミリが住んでいた部屋の鍵を受け取る。最初、不審者のように見られていたが、一切目を逸らさずに話せば、何とでもなった。
鍵を受け取り、二階へ。ミリが住んでいたのは、階段を上がってすぐの部屋で、新聞の差し込み口には、これ以上入らないとばかりに新聞が差し込まれていた。セレカティアはそれを無視し、鍵穴に鍵を差し込んで左に捻る。
「開いたよ」
開錠される音を聞き、ドアを開ける。ミリが何かに怯える様子で室内を覗き込むのを横目で確認しつつ、部屋に入った。
部屋は二人で住むには丁度いい部屋に見える。右隅には台所のシンクに無造作に放り込まれた食器が目に入り、そこから漂う異臭にセレカティアは顔を顰めさせる。ミリの父が逮捕されて以来、放置されているのだから当然と言えば当然なのだが、食べ物が腐った臭いをここまで来ると頭が痛くなってくる。台所のすぐ近くに食事するためのテーブルが置かれ、その上にはホコリが隙間なく被っていた。そこまでは良い。問題は、一緒に置かれている椅子の数だ。父親とミリの二人暮らしならば、椅子は二つ用意されているものだ。しかし、部屋の何処を見渡しても、もう一つの椅子が見当たらない。
違和感が残る光景に訝しむも、ずっとこの場に居ても仕方がない。問題は、もっと奥にある。
部屋の奥には、もう一つのドア。
セレカティアはそのドアを開くと、横一線となる廊下になっていた。左右の突き当たりにはドアが設置されており、双方共に同じ構造となっている。
不思議な構造となっている事に眉を潜めさせつつ、左にある部屋へ向かう。なんとなく、ドアをノックし、中に入ると、余りの殺風景さに思わず唸ってしまった。向かいの壁に机とドアの側に置かれているクローゼットだけだったのだ。とにかくそれ以外、何もない。
「父親の部屋?」
『えっと……』
しどろもどろとしているミリが部屋を忙しなく見回し、唸る。何かを思い出そうとしているのが感じるが、話しかけるのは気が引ける。再び、あのような事を見舞われるのだけは勘弁したい。
クローゼットに目を向け、片方だけ扉を開く。すると、そこには女性物の服が数着、ハンガーに吊るされていた。所々、糸が解れ、長い間着続けていたのが見て取れ、新しい服というものは無い。
『私の……服……』
ぼそっと呟くミリを振り向くと、彼女は頭を押さえ、辛そうに顔を歪める。
「何か思い出した?」
入院先に持って行っている、という可能性が考えられるが、それでも綺麗な服は数着残っているものだ。或いは、そもそも新しい服というものがない。年頃の女性にしては、晴やかではない。自分も、服に対する関心は必要以上に持ち合わせていないが、二ヶ月に一度は服に買いに行く。だからこそ、ミリの持つ服は異常なのだ。
『私、服は殆ど持っていませんでした……』
「極端に興味なかった……ではないよね」
買う金が無い。
その可能性が脳裏に浮かんで、すぐに掻き消す。この部屋を借りているのだ。服を買えないという事はないだろう。しかし、父親が暴力だけではなく、金すら独占していたと考えれば合点もいく。
「そうだとしたら、クズにも程がある……」
舌打ちをし、机の方を振り返る。机に備え付けられている本棚には数冊の本が立てかけられ、その内の一冊が還し屋に関するものだった。それは所謂、入門書であり、還し屋になりたいと望む者が真っ先に手を出す書物とも言える。自分も幼少の頃に何度も読み返したものだ。
その本棚から取り出した時、異様な軽さを感じた。疑問に思い、本の小口を見てみると、総ページ数の半分以上が破られ、なくなっていた。その上、小口には少量の血痕が付着しており、より不可解さを醸し出させた。
異様な状態となった本に眉を潜めさせ、本から机に視線を移す。
「……なに、これ?」
本に気を取られ、気付かなかった。
机には、刃物のようなもので一つの言葉が刻まれていた。文字一つひとつが深く掘られ、刻んだ本人が出せる最大の力で行ったのが伝わってくる。それ故に、その刻まれた言葉に、息を呑んでしまう。
『死んでも出る』
ミリの机に刻まれた言葉。となれば、これを刻んだのはミリ本人という事になる。彼女が、『死』という単語を刻む程に追い詰められていたのが分かる。そして、破られた還し屋
の本から窺える、彼女の目標。
夢を叶えるために、父という呪縛から脱しようと試みた、というところだろうか。
「ミリ……あんたは……」
セレカティアは視線を上げ、彼女を振り返ろうとした時だ。首を横に動かした先にミリが絶望という言葉がそのまま貼り付けられた表情浮かべていた。
「ミ、ミリ……」
『……セレカさん』
ミリは胸に手を当て、消え入りそうな小さい声で呟く。
『私……思い出しました……』
「――――っ」
彼女の言葉に息を呑んだ。あのような事を起こす程の記憶を思い出し、彼女は平静を保つ事が出来るだろうか。
嫌な予感しか浮かばず、この場から逃げ出したくなった。だが、友達を置いて離れる訳にはいかない。完全な板挟みだ。
どうすればいい。こんな時、クリスならどうするのか。いや、この場に居ない者の事を考えても仕方ない。自分で決めなければ。
セレカティアはミリの側に座ると、触れられないと分かっていながらも、彼女の肩に手を伸ばす。
透き通る彼女の体と自分の手が重なり合った時、異変が起きた。
目の前にあった視界が一瞬にして遠くなり、ある女性の姿が映像の断片のようにいくつも流れていく。その女性は幼さを残したミリだった。最初の彼女は笑顔を絶やさない少女だったが、大きくなるにつれてその可愛らしい笑顔が消えていき、次第には顔に痣を作ってしまっている。
次に、人気の無い街を酷く疲れた顔で歩いている場面に移った。成人にもなっていない少女が浮かべるような表情ではなく、人生に絶望しているとさえ受け取れた。そんな表情を浮かべたミリが、ふと向かいの通りに目を向ける。そこには、長身の女性と少しばかり背の低い女性が特定の場所を見つめていた。そして、背の低い女性が大きく手を広げると、胸元で合わせ、上下にスライドさせる。それが終わると、長身の女性が彼女の頭を撫で、空を見上げて、両手を合わせる。背の低い女性も彼女に倣って両手を組み、何かを願うように僅かに俯いた。
次に、彼女は包丁を手に、机に先程見た文を、歯を食いしばりながら刻んでいく。そして、着替えなどを詰め込んだと思われる、大きく膨らんだ鞄を手に部屋を飛び出した。しかし、間が悪く、帰宅した父親と鉢合わせてしまい、取っ組み合いになった。
口を動かし、叫んでいる様子だったが、何を言っているのか分からない。ミリは今まで見た事ない面持ちで叫び、父親を押しのける。
背後から父親の怒りの込もった、『クソガキが』という言葉が口から発せられた。
ミリの視界は勢いよく移動し、気付いた時には階段の角がこめかみに直撃する。
そこで、ミリという意識が消えた。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
一度に頭の中に、凄まじい量の記憶が叩き込まれ、体験した事のない頭痛に襲われた。
セレカティアは頭を抱え、その場で跪く。
予想した通り、彼女が歩んできた人生は悲惨なものだった。生きる希望も見い出せず、父親の道具として生きていくしかなかった。その中で唯一の活路を見つけ、立ち向かう勇気を持つことが出来、最凶の敵に立ち向かった。そして、阻まれた。
階段から突き落とされる時、彼に対する確かな感情が、記憶から伝わってきた。
殺意。
優しい彼女が抱く筈がなかった、抱きたくなかったであろう感情。
自分が平凡な日常を過ごしていた時に、ミリは辛い毎日を送っていた。クリスばかりを追いかけ、カイトにちょっかい出して、幸せな日々を過ごしていた。その中、ミリは抜け出すことの出来ない絶望の日々を過ごしていた。近くに居たのに、彼女の存在に気付けなかった。辛そうな彼女を見れば、きっと話しかけていただろう。それなのに、眼中になく、自分の世界に入り浸っていたのだ。
「ごめん……ごめん、ミリ……」
途轍もない罪悪感に、セレカティアは涙を流し、謝罪する。
そんな彼女に、ミリは首を横に振り、弱々しく笑みを浮かべた。
『セレカさんは悪くありません……。いっぱい人が居る中で、私を探し出すなんてできませんし、時間帯からして出会えませんよ』
笑い、天井を見上げる。
『最低ですね、実の父に殺意を覚えるなんて……』
「そんなことないっ!!」
鈍痛に顔を歪ませながら、セレカティアは彼女を見上げて叫ぶ。
「あたしはそうは思わない……っ。誰だって、あんなことされたら恨むよ……」
『なら――』
ミリが泣き出しそうな顔でこちらを向き、問いかけてくる。
『こんな私でも、友達でいてくれますか?』
押し寄せきた記憶の中で、ミリには親しい友達が居なかった。それどころか、同年代と何処かに遊びに出かけている場面自体、存在していなかった。父親によって、交友関係を遮断され、彼以外と喋っていたのは働いていた花屋の店主だけだった。
彼女にとって、自分達は初めて出来た同年代の友達なのだ。
彼女はきっと怖いのだろう。やっと出来た友達が、自分の目の前から消えるという事が。
馬鹿な事を思わないで欲しい。
最初は異質なミストの女性だと思った。会話を交わすにつれて、彼女の魅力に気付き、一緒に居て楽しかった。元の体に戻れば、彼女が行ったことのない場所に連れて行ってあげよう、食べたことない美味しい物を食べさせてあげよう。そんな事も思った。
どうであれ、ミリは良い人だ。彼女の為なら、何でもしよう。
「当たり前よ……。友達よ。あたしも、カイトもっ」
今まで独りで過ごしてきたのだ。これからは、自分達が彼女と共に成長していこう。彼女が還し屋になりたいのならば、出来る限り助力をしよう。彼女となら、良い関係を結べる筈だ。
『ありがとうございます……セレカさんっ』
ミリは嗚咽を吐きながらも、素敵な笑顔をして見せてくれた。
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