十九話 家族
カイトは夜も更け、静まり返った街に吹く小さな風の音を聴きながら、事務所にてファルトから提供された偽装書類に目を通していた。最早、不要となった書類だが、偽装としてどれ程の完成度を誇っているのかを見ておきたかったからだ。読んでみれば、嘘とは思えない程、丁寧に記されており、クリスが信じてしまうのも仕方のないものだと思った。しかし、それは何も知らないメイドの一言によって、意とも容易く崩れ去ってしまった。皮肉なものだ。
生前の姿をしていたオルダが居た。先に逝ってしまった為に残してしまった、愛する夫に気に掛けてのものなのは一目瞭然だった。
家族。
自分の両親も自宅で居続けていた、筈だ。だからこそ、クリスが居た。
彼女は何を思って、あの場所に居たのだろうか。両親のミストを視て、何を思って還したのだろうか。
「なぁ、クリス」
自分の椅子で、コーヒーを飲みながら月を眺めていた彼女に問い掛ける。クリスは月に向けていた視線をカイトに移す事も無く、僅かに目を細めさせるだけだった。
「なぁに?」
「俺の家に居たのって、父さんと母さんの……ミストが居たからか?」
あの時と同じ問いを、彼女に投げ掛ける。当時、ミストの正体が人間であることを知らなかったからこそ、流されてしまった。その正体を知る今、きっと彼女は答えてくれる筈だ。
「……そうね。あなたの両親は私が居た事務所の近くに住んでたから、面識はあったの。離れでパン屋してて、そこに通い始めたのがきっかけ。あんたについては、来る度に教えてくれてたから、どんな子だったかは認識出来てたわ。まぁ、二人が亡くなってからは、変わったみたいだけど?」
以前は、話そうとしなかったのだが、簡単に肯定してきた。やはり、ミストの正体を知ったという事が理由なのだろう。
「人の姿……だったのか?」
「そうね。ずっと、あんたの事見てたって。友達らしい友達を作らずで、心配ばかりしたって怒ってたわ」
クリスに言った覚えのない出来事が、彼女の口から発せられるのを聞いて、カイトは息を吐いて俯いた。
何で先に死んだ。独りにしないでくれ。寂しい。
幼い自分が零した誰にも届かないと思っていた言葉が、視えない両親に届いていた。その言葉が触れる事が出来ない両親をどれほど悲しい思いをさせていたのかと考えると、胸が痛くなる。
「二人が死んだって聞いた時は本当にショックだったわ。残された子供の事を考えると、どうにかしたいと思ったけど、その頃の私はどうにか出来る程の力はなかった」
だから、と彼女は続ける。
「独立して、あんたの一五歳の誕生日に家に行った。そこで二人に会って、言われたの。出来るのであれば、そばに置いてあげてほしい。自立出来る日まで、助けてあげてほしいって」
その言葉に、カイトは顔を上げて、もう一度クリスの方を見た。
すると、彼女はこちらを見て、小さく笑みを浮かべていた。
「勿論、快く受けたわよ。あの人達の為だもの」
「……押し付けられたって思わなかったのかよ?」
数年ぶりにあった人間に、自分の息子を頼むと言われて、即答する思考が分からない。いくら知人の頼みだからといって、子供一人を抱えるのは、大きな責任を担う。頭が痛くなる程に考えるに考えて、決断を下すのが普通だ。
クリスはカップを机に置くと、人差し指を口元に持っていく。
「事務所に女一人は寂しいでしょう?」
「おい」
「主に雑務とか任せようと思ったけど、結果的には還し屋になっちゃったのよね。まぁ、増えるには越したことはないけど」
自分が還し屋になると言った時は、手取り足取り教えてくれ、尊敬の念すら覚えていたのに、一気に醒めてしまった。扱き使ってくるのが多いのは確かにあったが、理由が安直過ぎて、無性に腹が立ってくる。
カイトは立ち上がると、肺一杯に息を吸い込み、人生最大のため息を吐いた。
「本っ当に尊敬できねぇな。父さんと母さんの気持ちを考えてやれよっ」
「頼まれたこっちの身にもなりなさいよ」
「だったら、断れば良かっただろ」
「それは出来なかったのよねぇ」
そう言い、クリスは回転式の椅子を回し、こちらに背を向けた。
カイトは舌打ちし、事務所から出ようとドアの方へ歩く。相変わらず開きづらい ドアのドアノブに手を掛け、力任せに開ける。
「――もの」
不意に声が聴こえ、出ようと一歩踏み出した足を止めて彼女を振り返る。
「なんだよ?」
「何も無いわ。おやすみ」
「そうかよ……クリス」
何をともあれ、両親の事を話してくれたのだ。彼女と出会わなければ、一生両親が傍にいてくれたのを知る事はなかっただろう。そして、還し屋になりたい、なる事すらも考えなかっただろう。
「話してくれて、ありがとな」
感謝の言葉を伝える。
クリスはすぐに返事をせず、数秒置いてから「どういたしまして」と返してきた。それを聞いて、カイトは気恥ずかしげに鼻を鳴らすと、事務所から出た。
ミリが待つ自宅に向かって歩く際に、事務所の窓を見上げる。そこには窓越しから、笑みを浮かべて手を振ってくるクリスの姿があった。そんな彼女に、あしらう様に手を振り返す。
月の光と電灯によって照らされる道を歩く。日付が変わったばかりの街は、殆ど歩いている人は居らず、カイトのみ。その代わりに、野良猫が子猫を連れてのんびりと闊歩し、こちらの隣を通り過ぎていく。
生活音が聞こえない街で、思う。
自分が視えない中で、両親は悲しい思いをした。触れる事が出来ないからこそ、知人であるクリスに託して還った。死んでも尚、傍に居て、五年間見守っていてくれていた。それに気付いてあげられなかった事が、不甲斐無く思う。視たくても、 あの頃の自分は眼に特殊な施術を行っていたから叶わなかった。
泣いて、悲しんで。自分は何をしてあげられていない。心配ばかり掛けてしまった。
「……親孝行、したかったな」
カイトは痛くなる鼻を押さえて、啜った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます