五話 報告

 日の出が昇り始めた頃、カイトは熱くなったコーヒーを応接用のテーブルに二つ置き、ソファに腰掛けていた。

 いつもなら眠っている時間帯でもあるが、クリスの帰りを待つ。セレカティアとミリはクリスの寝室にてとっくに眠ってしまっている。自分やセレカティアならいつでも使ってくれてもいいと言われているのだが、彼女のベッドで寝るくらいなら自宅に帰って寝る。彼女の熱烈な信仰者ともいえるセレカティアは、喜んで寝てしまえるのが、ある意味尊敬する。

 何度もか分からない欠伸をした時、入口のドアが開き、鼻歌混じりでクリスが入ってきた。

「随分上機嫌だな」

 まさか起きていると思っていなかったのか、びくっと体を大きく跳ねさせ、こちらを見てきた。

「びっくりしたぁ、起きてたの」

「報告あるからな」

「別にあとで良かったのに」

「明日……今日、俺は休みだからだ。とりあえず座れよ。コーヒー淹れたから」

「お、さっすが」

 クリスは嬉々と様子でソファに座り、カイトの淹れたコーヒーを一口飲む。そして、至福とばかりに息を吐き、笑みを浮かべさせた。

「一仕事した後のコーヒーは格別。ありがとね」

「どういたしまして」

 カイトも淹れたコーヒー飲み、深く息を吐く。吐いた息が蓄積された疲労と供に流れ出していくように感じ、眠気が押し寄せてくる。このまま目を閉じれば、あっという間に夢の中へと潜り込んでしまうだろう。だが、彼女に伝えなけらばならない事がある。でないと、わざわざこの時間まで起きた意味がない。

「今回の依頼なんだけどよ」

「ん、どしたの」

「ミストが二つあった。リビングが今回亡くなった男のだろうが、寝室の奴は誰なんだ」

「あぁ、おそらくは彼の叔母。資料見てなかったの」

「資料ってなんだよ。そんなのもらってねぇぞ」

「デスクに置いてるじゃない」

 空いた手でクリスは自分のデスクに指差す。カイトは腰を浮かし、彼女の差す方へ目を向けると、山積みになっている書類の中に、纏められていた比較的綺麗な書類の束が見受けられた。

「あれかよ。わかるかっ」

「観察が足りないよ、少年」

「……で、その叔母の分も報酬はもらうのか」

 一々突っ込んでは疲れるだけなので、見逃す形で本題へとすり替えていく。

 クリスは首を横に振り、それを拒む。

「元々一つのミストの依頼に余分の請求はしない。一般人に視えないのをいいことに詐欺している連中が居る中で、評判を落としかねないしね。それに、そこの部屋は腐食してるのはなかったでしょう。尚更取れないわ」

「あんたが言うなら、そうするよ」

「ま、依頼人への報告とかは私がやっておくよ」

「頼むよ。そこまで起きてる自信ないしな」

 仕事に関しては全てクリスに任せておいた方がいいだろう。彼女の弟子である自分が、彼女の意見に正面から否定する訳にはいかない。若くして還し屋として独立し、成功しているのだから、従っていた方が事は上手くいく。

「任せといて。あ、そうだ」

 クリスは思い出したように人差し指でテーブルを叩いた。

「ミリちゃんと会った時、知らない奴がと鉢合わせたって言ってたじゃない」

「あぁ。それがどうした」

「今回の出張で他の事務所の人にも聞いたんだけど、そういう人達があちこちに出没してるみたいなんよねぇ」

「……何だと」

「事務所の人間と偽って報酬の横取りが横行してるみたい。迷惑な話よねぇ」

 報酬の横取り、か。

 自分が会った奴らはその単純なもので動いているようには見えなかった。明らかにミリという存在を追っていた。あまりの珍しさに捕まえようのない存在を追い回して意味があつのだろうか。意図が分からない。

「そうは見えなかったけどな」

「本来の姿をしたミストなんて、そうそう会えるものじゃないし、手懐けたかったんじゃない」

「……そんな奴要るのか」

「適当に言っただけ。少なくとも、私はそんな事する発想にはならないかな」

「だろうな」

「ミリちゃんやいつもの依頼はあなたとセレカに任せるよ。私はその連中の素性でも洗ってみる」

「探偵みたいだな」

「多才だしねぇ。ま、知り合いに本業にしてるの居てるからお願いするんだけど」

 実際、クリスが多才なのは事実だ。普段マイペースで我が道を行く人間のように見えるが、還し屋としての知識、各専門的な技術、男性にも劣らない運動神経、才能の塊だ。競うつもはないが、正直羨ましく思う時がある。

「だから、あなたは嗅ぎ回るような事はしないようにね。首を突っ込むとろくなことが起きない」

「分かってるよ。所長直々の命令だしな」

「お願いね。あとは何か聞きたいことある?」

 聞きたい事。

 至極単純、仕事には関係の無い、個人的に疑問。

「クリスの還し方って、誰かのものなのか?」

「んえ、急にどうした――セレカに何か言われたの? あなたの君の還し方がうんぬんって。基礎を重んじるあの子が言うとは思えないけど」

「そんな事は言ってないけど、ちょっと気になってな。セレカの還し方は両親から貰ったって」

「そういう事ね。基礎を固めてから自分の手法を見つけるのがこれからの還し屋に必要な事だしね。カイトは若いし、焦る必要なんてないよ」

「俺の所長だし、拾ってくれた身としては聞いておきたいんだよ」

 その言葉にクリスは少し驚いた表情を浮かべたが、すぐに小さく笑みを浮かべさせ、口元に手を当てる。

「そう。私の還し方は独法だよ。前に居たとこでは手法を貰う程の人も居なかったしね。それに、私の還し方が気に食わない人もいてたけど、効率を考えたら理に叶ってたからどうでもよかったし、自分の信念のもとにやってるもの」

 当時のその人達を思い出したのか馬鹿馬鹿しいとばかりに肩を竦めさせた。

 クリスの還し方は誰がどう見てもあまりにも独特なものだった。人差し指と親指を合わるせる動作と下から掬い上げるようにして、鳴らすのだ。小さく素早い動作で還す方法は、他の還し屋よりも半分以下の短さで行えるので、確かに効率がいい。一見、簡単に見える還し方だが、指だけで十字を正確に作らなければならないので、難易度が高い。他事務所と共同で仕事をした時、クリスの還し方を真似た還し屋は、何度やってもミストを還せていなかった。それだけ彼女の還し方が難しいのだ。

「親のは貰わなかったのか? お前の事だから、貰うのは嫌なのかもだけどよ」

「そりゃ、親の還し方があったなら貰ってただろうけど、親は還し屋じゃなかったしね」

「お、そうなのか?」

「父は軍人、母は教師よ」

「それはまた……よく還し屋になろうと思ったな」

「まぁ気になったからかな」

「気になった?」

「うん、偏見を持たれてる人達がそこまで信念をもってやっているのか知りたくなったんだよね。だから、還し屋になった」

「……そうか」

「当然、反対されたし、絶縁覚悟でなったわけ。そっから全く連絡とってない感じ」

「そこまでしてなる必要があったのか……」

「そうなっても還し屋になりたかったの。それに独立してからは何だかんだで母とは連絡取ってるよ。父とは相変わらずだけど」

 クリスはクスクス笑うと、

「そこまで聞いて何? 私の還し方を貰いたいって?」

 自分が行う還し方の動作を行う。

「好きにしたらいいよ。あなたが私を慕ってくれるなら喜んで」

「簡単に言うな……。それなら、セレカにでも教えてやれよ。二つの還し方をする奴なんてそうそういないだろ」

「あぁ、あの子に教えるつもりなんてないよ。そもそも、あの子の還し方は完成されてるし、帰る必要ない」

「そんなもんか?」

「そんなもんよ。あの子だって多分、断るよ。それに、あの子はここ自体にずっと置いておく気もないし」

「……なんだと?」

 つまり、クリスの事務所から追い出すという事だ。あそこまでクリスを慕う人間は居ないだろう。異例の最年少で還し屋になり、あらゆる事務所から声が掛かっていた中でわざわざクリスの事務所の門を叩く程だ。そんな彼女を追いだすのか。

「変な風に取らないでよ。別に気に要らないからって訳じゃないからね」

「じゃあなんでだよ……」

「あの子が私の事務所に来てくれたのは、あの子の親と面識があったからその延長よ。仲も良かったし、嬉しい事に還し屋としても尊敬してくれてた。だから、受け入れた。それだけ」

 彼女はコーヒーを半分程飲む。

「私も他の人に比べたら才能もあるけど、あの子は還し屋に関しては私以上よ。若いから年上の私を凄い人だと思っても、私の歳になれば今の私よりも優秀な還し屋になってるかもだし、そう考えるとここに置いておいてもあの子の為にもならないと思う。むしろ、あの子から他の世界を視たいと思って出て行くかもしれない。だから、ずっと居させられないのよ、あの子は」

「俺は、そうは思えないけどな」

「天才の考える事は常識を超えるよ。それに、あんな事いっても私も別の世界を視る為に事務所を畳むかもしれないし、辞めるかもしれないよ」

「……お前なら有り得そうで怖えな」

「そこは否定しなさいよ。ま、少なくともあなたが自立するまでは辞めないから安心して」

「それは安心したよ」

「さ、雑談はここまでにして帰りなさい

「あぁ、そうするよ」

 カイトは最後の欠伸を噛み殺し、彼女に軽く手を振ると事務所を後にした。

 セレカティアと一緒に寝ているミリだが、セレカティアに任せておいてもいいだろう。自分よりも同姓と一緒に居る方が気兼ねなく過ごせるだろう。

 あと、単なる依頼泥棒が少しばかり厄介な事態になってこようとしている。こんな事なら、一人でも捕まえておいとけばよかった、と思ったが、依頼泥棒と知らなかった以上その思考には至らなかったのだからどうしようもない。

 どちらにしろ、依頼泥棒の件は自分が嗅ぎ回る必要がない。

 ミリの体を探す。

 このまま過ごしていても進展はない。クリスがミリの事を任せると言った。それはミリを探す事も含めての言動だと受け取れた。

 一度寝てから、ミリの情報を探ろう。情報はほぼゼロ。しかし、ミストとなったミリがあの場に居たという事は、そこまで離れている訳ではないだろう。根気よく探せばゴールに辿り着ける筈だ。

 日が昇り始め、早朝の仕事に赴く人達とすれ違いながら、親指と人差し指を擦る。

 クリスの還し方、いつか練習してみよう。

 そう思い、重くなった体を自宅へと向けた。

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