二話 所長 クリス
「誰が雑だって?」
書類が積み上げられた机の方から女性の声が聴こえ、少女の体が僅かに震えた。どうやら、居るとは思わなかったのだろう。
「言葉通りだろ。用済みの紙は綴じるか捨てるかしろって何回言ったか――」
「あぁあぁ聴こえなぁい。で、今日は遅かったけど、どうしたの?」
クリスが椅子から立ち上がる事で、積み上げられた書類で見えなかった顔が露わになった。赤髪のショートヘアに、胸の谷間が少し見える程に開いたシャツにレザージャケットを羽織った服装をしており、胸を除けばとてもスレンダーな体型をしている女性だ。しかし、一般的な女性がしない服装をしている分、生活面はだらけている。二四歳になろうとしている女性がするとは思えない程にだ。
「……あぁね、大体察しがついた」
クリスはカイトの隣に立っている少女に目を向けると、目を細める。
「珍しいね、本来の形を保ってるミストなんて」
「こいつの事、分かるのか?」
少女に指差しながら問いかけるが、差された本人がその仕草にムッとした表情を浮かべ、手を下ろさせる為にカイトの手を触れようとする。しかし、透けている事もあってか、触れられなかった。その事が、少女に衝撃を与えたのか、自分の手を胸に引き寄せ、顰めさせる。
「差すのはやめろってさ。何年還し屋やってると思ってんの? この際教えておくけど、ミストは人」
「いや、簡単に言いすぎだろ」
「それ以上もそれ以下も無い素晴らしい情報じゃない。質問したいの?」
面倒臭そうに見てくるクリスに、カイトは顔を険しくさせる。
「当たり前だ。ミストが人なんて聞いた事もないぞ」
カイトが還し屋になる際に得た多くの知識の中では、ミストは周囲に害を与える存在という事だけだった。どこにも人間であると事は一切記載されてなどいなかったのだ。一般人に知られない為、意図的に隠していたという事になる。
「当たり前じゃん。隠してたんだし」
『どうしてですかっ!?』
次の言葉はカイトではなく、少女が強めの声を上げた。それに対し、少しばかり驚いた顔をするが、渋る事もなく彼女の質問に答える。
「単純な話よ。還し屋は世間的には汚れ仕事。それに加え、只でさえ好かれない職業が、ミストの正体である人を二度に渡って死なせるような事なんて知られてみなさいよ。立場的に不味いでしょ?」
『皆さんは、そのつもりでやっている訳じゃ……」
「まぁね」
クリスは少女の下に歩み寄りながらそう言うと、少女の顎付近にまで手を伸ばす。
「けど、世間から見ればそうはいかない。万が一、変な風に伝われば、還し屋に対する評価がさらに落ちるし、下手をすれば、社会的に潰される可能性も出てくるわ」
そこで、クリスの表情が僅かに曇った。そして、手を下ろすなり、カイトの方を見て深くため息を吐く。
何故、こちらを見てため息を吐いただろうか。吐かれる様な事は一切した覚えはない。そう思うと、彼女に対して苛立ちを覚えた。
だが、その苛立ちは驚きへと変わった。
「この子、死んでない。厄介なの連れて来たわね」
「ちょっと待て。お前の言い方からして、ミストは死んだ人間なんだろ? 死んでなくてミストになるのって有り得るのか? あと、厄介なのって言うんじゃねぇよ」
厄介なの、と言われた事で、少女の顔が僅かに引き攣られた事が横目に分かり、クリスを怒った。それについて、彼女は少女を向いて申し訳なさそうに肩を竦ませる。
「あらごめんなさい。生前の姿をしたミストは見る事は還し屋をやっていれば必ず会うわ。けど、死んでないケースは殆どない。その類の話は、十年以上聞いてない」
そして、考える様に顎に指を当てた後、一つの質問を投げ掛ける。
「君、名前は何て言うの?」
『私ですか? 私はミリ――あれ?』
眉を潜めさせ、動揺した様子で頭を抱え始める少女。眉間にいくつかの皺を寄せる程に考え込んでしまい、何かを捻りだそうとも窺えた。
そこで、
「あぁもういいよ。無理に思い出さなくていいから」
と、慌てた様子でクリスが少女を止めた。
「じゃあ、とりあえず『ミリ』ちゃんで。急に思い出そうとすると、記憶戻った時の反動が大きいから。自然に思い出すようにしましょう」
『う……はい……』
ミリと名付けられた少女は、寄せていた眉間の皺を元に戻すと、酷く疲れた様子で頷いた。
「クリス、どういう事――」
「さっきからお前とか言わない。私の方が六つも上で上司、所長なんだからね。それ以上言うとぶん殴るわよ」
カイトが全て言い終える前に言い返され、鼻を強めに突かれた。つんとした痛みに、鼻を押さえながら、再び同じ問いをする。
「どういう事……ですか……所長」
「名前さえ教えてくれれば、それを元に探し出す事出来るけどさ、名前の途中までしか分からなかったらどうしようもないし。この様子だと、住んでた家や地域も分からないでしょう?」
言葉の後半をミリに話すように喋ると、ミリは申し訳なさそうに頷いた。
『すみません、思い出せません。何であの場所を歩いていたのか、何で追いかけられていたのかも……』
「ん? 追いかけられた? カイトに?」
クリスが首を傾げさせたところ、カイトは間髪入れずに反論する。
「ちげぇよ。俺がこいつを見かけた時、怪しい三人組に追いかけられてたんだよ。で、喧嘩売られたから返り討ちにした」
「何それ、管轄外に出た還し屋じゃないの?」
「そんな奴が、ナイフ出してくるか?」
「…………」
クリスは腕を組むと、黙り込んでしまった。しかし、長く思われた彼女の沈黙はあっさりと破られ、再び深いため息を吐いて話題を切り離してしまう。
「まぁいいや、無事だったんだし。還し屋くずれのゴロツキでしょうよ。たまに居るみたいだし」
その言葉に、ミリが怯えた様子で身構えた。
『そんな人が居るんですか……?』
「ミストの正体が人だと知って辞める奴も居るのよ。人を殺してるみたいなのが嫌みたいね。それでも人の形をしてたミストが気になってたんじゃない?」
自分が返り討ちにした連中はそんな風には見えなかった。列記とした目的があって動いていたかのようにも見え、その目的が達されようとした時に邪魔されてしまい、敢え無く撤退する事となったと感じたのだ。だが、確かにミリの様な存在を初めて見た自分でさえも、好奇心が湧いてしまったのは事実。思い過ごしなのかもしれない。
(分からんもんは分からんな)
これ以上、彼らについて考えるのはよそう。彼女の言う通り、ごろつきにすぎなかったのだろう。そんな人間に先進を使うのは勿体無い。
そんな事を考えていると、クリスが話を打ち切る様に手を叩き、大きな欠伸をした。
「はいはい、続きは明日。日付もとっくに変わってるし、私は寝る」
「こんな中途半端なところで切り上げんなよっ」
「あぁうっさい。所長の言う事聞けっての」
クリスはカイトの額を指で弾くと、寝室に続く部屋へと入っていった。その際に開かれたドアは、入り口と同様、開きづらくなっており、壊れるのではないかと心配になる程の力で抉じ開けられた。
「あそこもかよ……」
呆れているカイトの隣で、どうしたらいいのかとしどろもどろしているミリが、カイトを見、寝室を交互に見る。
すると、
「あ、今日はあんたがミリを連れて帰りなさいね」
と、寝室から眠たげなクリスの声が聞こえてきた。
「はぁっ!?」
「連れてきたのは、あなたでしょうが。責任は取りなさいな。じゃ、おやすみぃ」
「おい、クリスっ!!」
彼女に向けて怒鳴りつけるが、それ以降、彼女の声は聞こえてくる事は無かった。
ミリを押しつけられる事となったカイトは、不安げに見上げてくるミリを目だけで見、深く溜め息を吐いた。
「……確かに、ほったらかしにする訳にはいかねぇからな……。うちに来い、ミリ」
『へっ!?』
突然の事に、ミリの顔がうっすらと赤くなった。そして、あたふたとした様子で視線があちらこちらに泳ぎ始め、動揺し始めてしまう。
『あ……でも……、私……男性のお部屋に……は……』
「何もしねぇよ。てか、何も出来ねぇだろうが。そんな体じゃぁよ」
ミリの頭の天辺から足のつま先まで指差して、呆れた様子で言ってのける。それに対して、ミリは僅かに顔を引き攣らせた後、小さく頷いた。
『そ、そうですけど……。仮にも女ですよ……』
「どうでもいいんだよ、そんな事。気にした事もねぇ」
『え』
「行くぞ」
呆然としていたミリを余所に、カイトは事務所から出ていき、階段を下っていく。
今日、今まで知りえなかった事実が度重ねて知る事となり、戸惑いを隠せなかった。何故、還し屋側はミストをあの理由のみで隠してしまっていたのだろうか。いくら汚れ仕事と認識されているとは言え、納得出来る筈がない。還し屋は、後ろめたさを持ちながらこの仕事をしているのではないか、と思えてしまう。
道に照らされるだけとなった街を歩きながら、星がいくつも煌めく空を見上げて眉を潜ませる。
そして、思った。
(そこらへんは、聞かせてもらわないとな)
ミストとは。
還し屋とは。
ミリとは。
出来た疑問に、今夜は安眠できるとは思えないと感じた。
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