人生最高の男にフラれました。
高里奏
私について
このエッセイは先日亡くなった祖父との思い出を振り返り、自分自身の踏ん切りをつけるために書くものであり、記憶違いや時系列順ではないこと、そして過ぎたジジコン故に美化されている部分も多いことをご容赦願いたい。
祖父との思い出を語る前に、少しだけ私自身の話をしたいと思う。
私という人間は、所謂中流家庭の生まれで、両親が共働き、とりわけ父が単身赴任の期間が長く、下に妹がひとりいる。両親はあまり仲が良いとは言えない環境だったため、幼少期から母方の祖父母の家で過ごす時間が長かった為、母方の祖父は私にとって父よりも身近な男性だったかもしれない。
母が祖父母を「パパ」「ママ」と呼ぶ影響で、私は三十を手前にしても祖父母を「パパ」「ママ」と呼ぶ癖が抜けずに、とうとう最後まで祖父を「パパ」と呼んでいた。小学生時代はよくそれをからかわれたことを覚えている。
子供の頃の私は活発で好奇心旺盛だったかもしれないが、小学生の頃に怪我が原因の病気になり、それ以降は内向的になってしまったことを自覚している。
同世代の友達はほぼいなく、年上の人との交流が多い。
実の父親とはあまり上手くいっているとは言えず、これを書いている時点で数年会うどころか声すら聞いていないような関係だ。ついでに言うと住所すらお互いに知らない。
ここ数年になりようやく「家族で一番性格がきつい」だとか「全方向に噛みつく」だとか評されるようになるほど言いたいことが言えるようになってきたが、それ以前はかなり打たれ弱く、争い事になるくらいならじっと耐えるべきだと考えてしまう人間だったと思う。特に、妹には暴言を吐かれたり怒鳴られたり、そう言ったことが多く、母も口が悪いというか、外見を弄ることが多く、怒鳴られることが多い。聴覚過敏を持つ身としては、怒鳴り声というのは本当に苦手で、怒鳴られるくらいなら折れた方がマシと考えていたことも否定はできない。
特に学生時代は妹と二人暮らしでしょっちゅう怒鳴られたり罵られたりしたので何度か死ぬか出家するかと考えたこともあったくらいだ。
私は所謂ノンバイナリーという生き方を選んでいる人間で、その考え方を知るまでは自分がトランスジェンダーかなにかなのかと模索していた時期もあり、それが家族と上手くいかない原因の一部だったと思う。おそらく、祖父にとってはまともな孫ではなかったと思う。それでも、初孫だったため、誰よりも可愛がられたことだけは自覚している。
私の誇りは祖父に一番可愛がられてきたという事実。それが今、とても自信になり、背中を押して貰っているような気分になる。
そんな祖父は、私によく「遠慮するな」と口にしていた。
例えば食事を決めるとき。祖父母の家に行くとほぼ毎回外食になるのだが、私はとても食品アレルギーが多いので食べられるものが限られている。そして、母は肉を食べないので本当に店選びに苦労するのだ。祖父母の馴染みの店は私の感覚からすると高すぎる店なので、いつも生活が「ゆるくない」と言っている祖父母を知っているし、なにより高級店の味が苦手なのでもっと安い店を選べば「こんな時くらい好きなものを選びなさい」と言ってくれる。
だが、少し待って欲しい。
私は高級店の味が苦手なのだ。ホテルのレストランに連れて行かれるよりは牛丼で十分な味覚だと言うのに祖父は毎回それを「遠慮」だと取ってしまったらしい。
それ以外にも「遠慮するな」と言ってくれたのは、妹に言い負かされた直後や、苦手な叔父と会った直後だろうか。祖父はいつも「気を使いすぎだ。遠慮するな」と言ってくれた。
それが強く残っているせいか、確かに私は祖父の通夜の席で「遠慮なく」滑らかなお口を爆発させてしまったのだが詳細は「ごめん、パパ」と叫んで誤魔化すことにする。
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