第37話 地下の蓮

 鉄輪と特に会話が広がることもないまま和也はエスカレーターを降り、角を曲がった先の改札を抜ける。その先に見えたのは『NR中日本社員用通路』と書かれた看板が掲げられている大きな扉だった。鉄輪は、扉の脇に設置されているテンキーに暗証番号を慣れた手つきで素早く入力し、ロックを解除する。開かれた扉の先は駅の裏側に相応しい飾り気のない廊下で、壁床共に真っ白な空間が伸びていた。駅の喧騒がパタリと止み、足音がよく反響する。

 鉄輪の後に続き真っ白な廊下を歩いていると、鉄輪が軽く振り返って和也を見た。


「何だっけ? 名前」


「井上です。井上和也です」


 和也は答えながら、先程自己紹介をしただろう。と心の中で毒吐いた。鉄輪は他人に興味がないのだろうか? いや、もしかすると自分に興味がないだけかもしれない。先程の挨拶を思い出すと、そう感じてならなかった。


「井上は、大阪駅では神田さんに戦闘指導してもらってるのか? 羨ましいな」


 「贅沢だ」と溢しながら、鉄輪は視線を正面へと戻す。和也は直ぐさま、その背中に否定の言葉を投げた。


「いえ、神田さんからはホームの業務指導が主で、戦闘指導は三条さんです」


 和也の答えに鉄輪は素早く振り返り、「三条!」と驚いた様子で声を上げると堪えるように笑い出し、やがてその笑い声は大きくなった。


「三条が指導してるのか。あいつ、人を教えたりできるんだな」


 「想像できねえ」と再び笑い、鉄輪はまた視線を戻す。曲がり角に差し掛かり、和也は鉄輪に続いて角を曲がりながら問いかける。


「三条さんのこと知っているんですか?」


 鉄輪は振り返ることなく「まあな」とだけ告げた。


「去年の合同演習で会った。妙にプライドが高くて自分が一番強いと思い込んでいるような感じだったな」


 鉄輪はそう話すと、NR関西とNR中日本との間では定期的に合同演習が行われているということを教えてくれた。それは接客技術や輸送技術といった乗客が知る鉄道員としての能力から、決して知られることのない戦闘技術までをお互いに競い合い高め合う場なのだという。


「確かに新人にしては腕の立つ方だったけど……まあ、俺の敵じゃないな」


 鉄輪の言葉の端々には強い自信が感じられた。プライドが高く、自分が一番だと思っているタイプ――鉄輪はが三条のことをそう例えたが、それは鉄輪にも当てはまる。むしろ第四世代という強力な力を持っている分、彼の方が厄介だ。

 これからの訓練は三条から受けた指導よりも過酷なものになるはずだろう。和也の脳裏に三条から酷く罵倒された記憶が蘇る。自身の身体はその体験をトラウマだと認識しているようで、一瞬だけ脈が飛んだ。心を落ち着かせるために深呼吸しようとした和也の行動を見透かしていたかのように、鉄輪が立ち止まって振り向く。和也は咄嗟に深呼吸を取りやめた。


「この先だ」


 鉄輪が後ろ手に指し示した先には、壁と同じ白色の扉があった。鍵の解錠にはカードキーが必要らしく、この廊下への入口よりもセキュリティが厳重だ。だが、そうなるのも当然だろう。この先には駅神――この京都駅の核となる神が存在する結界へと繋がる祠がある。そして、その秘密は決して知られてはいけないのだから。


「くれぐれも、駅神様に失礼な態度は取るなよ」


 鉄輪はそう前置きしてからカードキーを端末に翳した。ドアノブを捻ると小さな金属音が廊下に響き渡り、同時に扉の向こう側が明らかになる。扉の先は和也の想像通り階段だった。コンクリート打ちっぱなしの長い階段で大阪駅と大差ないと言える。


「降りるぞ。転ばないようについて来な」


「……はい」


 この男は、どうしてこうも一言多いのだろうか。和也は不満をぶち撒けそうになる口をぎゅっと強くつぐみ、階段に足を乗せてから少々重みを感じる扉を閉めた。

 この京都駅の地下通路も、ほんの少しだけ黴の臭いがした。大阪駅ほど酷くはないが、体に湿気が纏わりつく感覚がする。恐らく京都駅の建つ京都盆地の地下にも豊富な地下水が流れているのだろう。特に代わり映えのない地下通路を、鉄輪からの軽い説明を聞きながら歩く。

 この地下通路は駅全体の業務用通路としてではなく、完全に駅神の結界へと向かうために作られたものらしかった。そう言われると、確かに駅ビルの備品などが適当に置かれているといったことが無い。これは大阪駅と違うところだろう。そして、駅神の結界へと通じる祠も全く隠されていなかった。木製の祠の前には金属製のベンチ。その左側に鉄輪が腰掛ける。


「入り方は知ってるだろ? 先に行ってるからな」


 その一言の後、鉄輪は両目を閉じた。程なくして体が力なく倒れる。規則正しい寝息をたてる鉄輪を横目に、和也もベンチに腰掛けて結界への侵入の準備をする。両目を閉じて駅神へ侵入の旨を告げる。呼吸はゆっくりと、余計なことは何も考えない。

 思考がクリアになり、やがて脳が周囲環境に溶け込み一体化するような状態に陥る。体が浮き上がるような感覚と共に、和也の意識が飛散した。




 目を覚ました和也の視界に広がっていた景色は、蓮の咲き乱れる庭園だった。和也は大きな赤色の和傘の下に置かれたベンチに腰掛けており、スーツから制服姿へと変化していた。会社が違っても効果があるのか。と驚いたが、NRは元々一つの国営企業だった。効果があるのは当然と言えるだろう。

 和也はゆっくりと立ち上がり、改めて結界内を眺めた。和也がいるのは巨大な池に浮かぶ小島で、地面には隙間なく白色の木板が張られている。目の前には真っ赤な太鼓橋があり、その上を鉄輪が歩いているのが見えた。


「待ってください!」


 声をかけるが鉄輪は歩みを緩める素振りを一切見せない。どうやら案内をする気など更々無いらしい。結界内へ辿り着いた時点で自らに課せられた仕事は達成されたと感じているのだろうか? 和也は「本当にもう……」と囁くように毒づくと、鉄輪の後を追った。結界内はほぼ全てが池で、池に浮かぶ蓮の花と太鼓橋、そして高い崖が存在している。崖の一部は大きく迫り出しており、そこには吊り橋が架けられ柱のような独立した背の高い岩と繋がっていた。


 ――この景色、どこかで見たような……?


 和也は、今目の前に広がる景色と似ているを記憶の中から探り出そうとした。迷いながら歩いた京都駅の構内を思い出しながら、可能性のある景色を順々に当てはめていく。集中のあまり無意識に顎へと手が伸びかけた時、背後から鉄輪の呼びかける声が飛んできた。


「おい! 何しているんだ、こっちだぞ!」


「あ、はい!」


 記憶を探ることに重きを置いていた脳内の活動をリセットし、これからすべきことを思い出す。駅神に会うのだから身なりは整えておかなくては。と、和也は制服の皺を伸ばして制帽を被り直した。鉄輪の元へと小走りで向かい、並んで先へと進む。見えてきたのは立派な茶室だった。黒色の瓦屋根に真っ白な漆喰が美しい外観で、満開の蓮の花で水面が覆われた池の小島に浮かぶように建つ風景は、まさに圧巻と言うほかない。小島には最初に渡ったのとよく似た太鼓橋がかかっており、その中間地点には一羽の鶏が――いや、あれは神使だ!


「連れてきましたか……。ご苦労でした、将臣」


 神使は鉄輪に落ち着いたトーンで労いの言葉をかけると、長い尾を引きながら歩み寄って来た。尾の長さは一メートル程だろうか。図鑑で見るような尾長鶏よりは短く、神使は若い個体としての姿を維持しているのだろう。

 神使は和也達の正面にまで辿り着くと、和也を見上げて小さな黄色い嘴を僅かに開いた。


「お主は以前にも……」


 神使が溢した言葉に和也はドキリとする。また掘り返されてしまっては、鉄輪から揶揄われること必死だ。そうハラハラする和也の心境にもお構いなしに鉄輪が口を開く。


「前にここで迷子になってたヤツですよ。鉄道員の癖して情けないですよね」


 歯並びの良い歯を見せ小馬鹿にするように笑う鉄輪に、和也の下腹が疼いた。胃袋が迫り上がるように収縮し、顔面が一気に熱を持つ。だが神使は鉄輪に視線を向けると、あからさまなため息をついた。その小さな黒色の瞳に、僅かながら憂いの色が灯る。


「情けないのは他人を馬鹿にするお前だ。全く、それでも父親か?」


「えっ! 子供がいるんですか!」


 和也は予想外の事実に驚き、右手に立つ鉄輪へ咄嗟に顔を向ける。瞬間、鉄輪の左手が飛んできた。避けられるわけもなく、手の甲が勢いよく和也の鼻を叩く。


「痛っ!」


よろめく足元に力を込め、尻餅をつかないように体を支えた。鼻周りがじんわりと熱くなる。

 何が起きたのか瞬時には理解できなかったが、手を上げられたことは間違いない。たが拳ではなかった。これは鉄輪の優しさか、あるいは脅しか……? ジンジンと痛む鼻を右手で抑える。どうやら出血はしていないようだった。恐る恐る顔を上げると、鉄輪は既に先を歩いていた。その遠ざかる背中から激しい苛つきを感じ、和也はゾクリとした。

 やはり鉄輪将臣は、三条よりも遥かに厄介な師匠だ!


 ーーどうして、こうも指導者に恵まれないのだろうか……?


 和也は自身の師匠運の無さを嘆きながら、駅神の待つ茶室へと向かうため、太鼓橋を歩き始めた。




茶室の中は、畳の香りと茶葉の香りが漂う正に和の空間だった。敲きで革靴を脱ぎ、上がり框から室内へと足を踏み入れる。廊下を挟んだ向こう側の障子からは光が漏れており、駅神と思われる人型の影が浮かんでいた。

 鉄輪が下座側の障子の前に両膝をついた。正座のように見えるが、よく見ると踵が床に接しておらず正座ではない。和也も鉄輪と同じ姿勢をとろうと両膝をつくが、勢いが強すぎたのかゴツンと音が鳴った。鉄輪が「おい」と少し苛ついた囁き声を出す。


「マナーがなってないぞ」


 ーーお前に言われたくない!


 和也は渋々「すみません」と返したが、どうにもこの男とは仲良く出来そうにない。明らかに合わないのだ。三条と似ている部分はあるが、三条よりも社交的で饒舌な分かかるストレスが多い。鉄輪から受けるストレスに耐えられなくなるのが先か、鉄輪が認める鉄道員になれるのが先か……。和也は漏れそうになる溜息を飲み込んで背筋を伸ばした。障子越しに駅神の影を見つめる。

 鉄輪が障子の引き手に左手をかけた。


「失礼致します」


 鉄輪は一言添えた後、障子を僅かに開いて空間を作った。一度では全開にせず、左手を引き手から離して障子本体に添える。ゆっくりと半分程まで開くと左手を離し、右手で引き手を持って残りの障子を完全に開けた。まるでマナー教本映像に出てきそうなほどの美しく丁寧な所作で、突然人の顔面を八つ当たりで叩くような男の動作とは到底思えなかった。本当に同一人物なのかと疑いたくなってしまう。

 障子を開いた鉄輪は立ち上がって軽く一礼した後、室内へと入った。


「失礼致します……」


 和也も鉄輪に続き、畳の縁を踏まないように注意しながら駅神の待つ部屋へと侵入する。まず目に飛び込んできたのは、正面に位置する縁側から見える景色だった。この茶室を取り囲んでいる池が一望出来、一面に蓮の花が咲き誇る様は眩しいほどだった。


「美しいだろう? ここが私の居場所だよ」


 低く渋い、けれども温かみのある声が景色に見とれる和也の耳に届く。和也は幻想的な景色から視線を外し、体ごと声のした上座側へと向けた。

 駅神は五十代後半程度に見える男性で、年季の入った丸眼鏡をかけていた。白髪に覆われた長い髪を、後ろで一つに縛っている。大阪駅の駅神とは随分と雰囲気が違うが、服装は同じ白色の詰襟だった。そして、正座をしている駅神の膝の上には真っ赤な鶏冠を持つ神使がすっぽりと収まっていた。


「君が、井上くんだね?」


 名前を呼ばれた和也は「はい」と若干上擦った声で返事をした。駅神の真正面に正座する鉄輪の隣に腰を下ろして正座の姿勢をとる。両手を膝の上に乗せ、背筋を伸ばして駅神を真っ直ぐ見つめる。見つめられた駅神は、どこか懐かしそうな表情を浮かべ「よい返信だな」と小さく笑った。


「東京駅の依代を持つ第一世代だと、神使から聞いているよ。ようこそ、京都駅へ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る