六月の二人

夏秋郁仁

遅刻のち地獄

 ああもうっ! 信号さっさと変われ!


 わたしは心の中で文句を言う。


 遅れているわたしも悪いけど、あと少しってところで赤になる信号も悪いと思う!


 イライラしながら、肩にかけた大きなバッグを反対の肩にかけ直す。別に重くはないが、ひとを待たせながらの信号待ちは動いてないとなんだか不安になる。高い位置でくくっている髪を引っ張ってみたり、水色のパーカーのフードをいじってみたり、カーキのズボンの裾を折ってみたり。


 更に数分は待ったと思う。やっと青に変わった信号に安堵しながら、また駆けだす。6月の後半にもなると、蒸し暑さがわたしを包む。しかし汗を拭うことなく目的地を目指して行った。


***


 待ち合わせ場所の公園にようやく到着したとき、彼はベンチに座ってスマホを見つめていた。わたしと同じようなバッグを地面に置いている。


「待たせてごめんっ」


「いいよぉ。六花が遅れるのはいつものことだから」


 ふわりと笑う葵にわたしは脱力する。申し訳ないことに遅刻するのははじめてではない。わたしはいつも『観察癖』が出てきて、毎度のように彼を待たせている。


 そして、このぼんやりした顔と雰囲気の親友、日向ひむかいあおいはわたしの遅刻に付き合わされる被害者である。ちなみに彼が遅れたことはこの10年ほどの付き合いのなかで一度もない――秘訣をいつだったか聞いてみたら、ゆるく首を横に振って、だれを待たせてるかとか、けっこう感情に左右されてるよ、と言っていた――


 2回目の謝罪がわりに葵のバッグを持って歩きだす。紙と鉛筆しか入ってないと思ったが、なんだか重い。立ち上がってついてきた葵が並んだので聞いてみる。


「葵。これ何が入ってるの? やたら重いけど」


「あぁ、ごめん。持ってくれてありがとう」


「ううん、待たせたから。こっちこそいつもごめん、と、ありがとう。で、何が入ってるの?」


「おべんとー。昼過ぎに集合って言ったから、公園でごはん食べながら絵描こうと思って。あ、ちゃんと二人分だよー」


「……おばさんにありがとうございますって言っといて」


 ほわほわと笑いながらうなずく葵。この笑顔と気が利くところは昔から変わらない。


 家も近い、高校も一緒だし、美術部ということで部活も同じ。ここにしようなんて話し合ってないのに、常に、自然に隣にいる。


 こんなにずっといっしょだと冷やかされたり、付き合ってるの、と勘違いされたりするけど、わたしと葵は親友だ。


 なんてことを考えながら、わたしより頭ひとつ分くらい高い葵を眺める。ふわっとしたクセ毛は葵のやわらかい雰囲気を増すのに一役買っている。色白でタレ目で細身だけど、ちゃんと骨格は男のひとのものだ。力もそこそこある。細くてかわいいのにかっこいい、と葵に惚れる女子多数らしい。


 そこまで考えたところで、横にいる葵がこっちを見て首をかしげる。


「どうしたの? ぼくを観察してるの?」


 無意識に観てたので、わたしはばつの悪さから目を泳がせながら頷いた。


「え。あー、うん、観察してた」


 正直に答えると葵はクスクス笑った。どんなこと考えてたの、と目で聞かれたので、恥ずかしさに頬のあたりが熱くなるのを感じつつ口を開く。


「クラスの子がね『葵くんはかわいくてかっこよくて優しいからすごくモテる。いつも隣にいる六花ちゃんがうらやましい』って言ってたの。だから、観察してモテる要素を発見して、いつも隣に居てくれる葵のありがたみを実感しようと思って」


 ぴたりと葵の足が止まり、ついでわたしの足も止まる。え、何かあった?


「へぇ……」


 葵の返事がちょっと冷たかったのでぞくっとする。周りは葵を優しいひとって言うけど、たぶん100%の善人ではないなー、とこういうとき思う。


 わたしと目を合わせ、奥を覗くように葵が見つめてくる。


「ぼくは六花のありがたみをいつも感じてるから、おたがいさまってことにしよう? だから他の人の言葉なんて気にしないで。ぼくと六花は幼なじみで親も仲いいんだから、いっしょにいる時間は他の同級生より多くてあたりまえだから。ぼく以上に仲がいい人なんていないでしょう? ぼくもいないよ。だから大丈夫。いっしょにいて悪いことなんてなんにもないよ」


「う、うん。ありがとう……」


 ニコニコと葵が言ってくれるけど、なんか怖い……


「いつも言ってるけど、ぼくが原因で何かあったらすぐに言ってね……解決するから」


 わたしは慌てて首を縦に振った。


「ところでさ、クラスメイトに下の名前で呼ばれてるんだね? 六花を名前で呼ぶ人間と、六花にそんなこと吹き込んだのって――」


「あっ! あそこらへんならいい絵が描けそうじゃない!? いやー、来週までに美術部の課題終らせなくちゃいけないからがんばろうね!」


 わたしが勢いよく葵の話を遮って叫んだので、少し驚いたようだったが、すぐにいつもの顔でふにゃりと笑った。


「そうだねぇ。なら、池の前の木の影でおべんと食べて、描こうかー」


 わたしと葵はまた歩き始める。


 葵の笑ってない瞳が消え、穏やかな空気に戻る。ほっとしたわたしは、笑いながら感謝を述べた。


「ありがとね、葵。大事に思ってくれてるのけっこううれしいよ。持つべきものは親友だなっていつも思ってるもん」


「そっかぁ、こっちこそありがとー。ぼくも、親が仲よくてよかったなぁとか、自分が何でもできる見目の良い人間でよかったなぁとかいつも考えてるよー……最大の感謝は六花が六花であることに、だけど」


 前半は自慢か? そしてなんとなく重い。


 若干の現実逃避ために池の鴨を観察しはじめたわたしの耳には、葵のぼそりとした一言は届かなかった。


 “親友”はありがたくないなぁ、六花。


「ん? 何か言った?」


 何か聞こえたような気がしたので、鴨から目をそらさずに問う。


「なぁんでもないよ……たぶんもうすぐわかるし。じゃなくてもわからせるし」


 分からせるって、なに……まあ考えても仕方ないよね、うん。

 葵の不穏な気配と言葉には気づかなかったことにして、わたしは穏やかな景色のなか鴨を観察するのだった。

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