魔法使いと悪魔的方法使い

夏秋郁仁

可愛い花には毒がある

「なあ、お願いなんだけどさ、これ運んでくれね?」


「え……」


 人を待つためにぼーっと廊下に立っていると、目の前にあったクラスから出てきた人たちに話しかけられた。


 ひくりと口元がひきつる。じつはぼくに言ったのではない、というオチを期待したが、ガタイのいい男子生徒とほか数人はぼくに目を合わせている。


「俺用事があってさー、日直の仕事頼まれてくれねえか?」


 きみとは違うクラスなのに? とも言えず、廊下に立ち尽くしてしまう。


「あ、あはは、そうだよね、放課後は早く帰りたいよねー」


 乾いた笑いで対応する。


 まあ、他クラスの人間にもかかわらず仕事を押しつけ、もとい頼みたいほどの用事がある日もあるだろう……それがウソっぽいヘラヘラした顔で言わなければ快く受け入れたかもしれないのになー。


 ぼくが断るなんてカケラも思ってないだろう、むしろさっさと頷けよ、みたいな剣呑さを目と空気ににじませる彼。でもぼくは屈しないぞ!


「おい早くしろよ。まさか断るとかないよなあ?」


 そう、屈したりなんか、うん……


「時間ねえんだけど?」


「……ぼくも、用事が……」


「ああ?」


「……ないよ! いやー用事なんてなかったな! うん、運ぶよ! まかせて!」


 はっはっはー、と自分でもびっくりな棒読みぐあいで笑ってしまった。しかし気にせずに名もクラスも知らぬ彼らは満足そうに去って行った。口元に隠す気のなさそうな嘲笑を浮かべながら。


 ふう、とため息をひとつついて、彼らと入れ違うように教室に入る。


 勇気がほしいと切実に思う。もしくは、魔法で透明人間になるとか、そんな手段がほしい。泣きたいような悔しいような感情をいだきながら、教卓上のノートかかえた。


 教室に残っている人たちからの不躾な視線を浴びつつ、


「よっ、と」


 とかけ声とともに歩き出した時だった。


「ホ、ホウマさん!」


「あれ、けっこうみんな残ってるんだね?」


 わっと喜色をあらわにする人たちの声と鈴の音のように可憐な声が耳に届く。学年でいちばんかわいいと言われるホウマさんが教室に入ってきたらしい。


 見つかったらどうしようと焦って、とりあえずこそこそと教室を出て行こうとする。


「なあホウマ! 今日、俺らカラオケ行くんだけどさ、ホウマも来ない?」


「マホさんいたら盛り上がるから!」


 先ほどぼくに仕事を押しつけた男子生徒が彼女に頼み込んでいる……もしかして彼らは彼女の噂を聞いたことがないのだろうか? いや、信じてないだけかも。


 ホウマさんはそれをちょっと困ったように見たあと、ふと思い出した、というように口を開いた。


「あれ、日直じゃなかったの? ノート運ばなくちゃーって言ってなかったっけ?」


 首をかしげた彼女の肩をつややかな黒髪がすべる。黒目がちな瞳をふちどる長いまつげをまたたかせるホウマさんは、今日もすごくかわいい。っと、見蕩れる前にさっさと行動しないと、たぶん、そろそろ……


「あー、やっておくよって言ってくれた優しいヤツがいてさ、ソイツに頼んだんだよな」


 にやにやと嫌らしく思い出し笑いをする彼らに、彼女は不思議そうな表情のまま吐き捨てた。


「は?」


 やわらかな空気のまま目線だけは鋭く彼らを睨みつける。


「頼んだ? 高圧的に押しつけたの間違いだよね? なにウソついてるの? 聞いてないと思ったの? わたしがカンタくんの動向を把握してないとでも?」


「え……?」


 ポカンとする男子生徒、どころかクラス全員。なんだ、やっぱりみんな知らなかったか信じてなかったのか。


 それにしても……どうやら逃げ損ねたらしい。彼女の唯一にして最大の欠点。


「一分二十秒くらい前に線の細い優しそうな男の子に日直の仕事押しつけたよね? わたしのカンタくんにさ!」


 ぼくに対する執着。彼女は以前と変わってしまった。人当たりがよく、まわりを和ませていろんな人に囲まれていたのに、今ではその行動で敬遠され、孤立してしまった。ぼくにだけ、どろりとした蜜のごとく甘い、重い愛を謳う。そしてぼく以外は人間とすら認識しない。


「あ、ごめんね、カラオケの返事してなかったねっ」


 そこでホウマさんは突然声音を変えて、そのかわいさにふさわしいとびきりきれいな笑顔を浮かべた。


「自分の都合がいいようにカンタくんを脅す、性根が腐って悪臭がしそうな屑とは同じ空間にいたくもないし、正直吐き気すらするかな! だからお断りするね!」


 相手を傷つけるための刺々しい言葉を吐き、クスクスと心底楽しそうに笑う彼女は悪魔のようだ。時間停止が起こったように静まりかえったクラスをおいてホウマさんはぼくの隣に並ぶ。


「あとひとつ言っておくけど。愛してる人がいるから二度と誘わないで」


 語尾にハートが付きそうな声を、一切の甘さがない瞳で言うのは器用だなぁと思う。


 しみじみ考えていると、くるりとこちらを向かれて申し訳なさそうな顔をされる。


「ごめんね、カンタくん! カンタくんがいるのにゴミと話しちゃった……あ、ノート半分持つね」


「ありがとう……あの、べつにカラオケくらい行ってもいいよ? ホウマさんはかわいいから誘われるのも仕方ないよ」


 彼女に半分くらいのノートを渡し、職員室へ向けて歩き出す。


「んもーかわいいとかありがとうっ! 好きっ!」


 いつもの調子で幸せそうに微笑む彼女を見ていると、ぼくも嬉しくなってきた。



 

 こんな美少女がぼくのどこを好きなのかわからないけれど、付き合い始めて三週間になる。


 寒くなってきたなぁなんて思っていた秋のある日、ホウマさんから告白された。彼女の存在はもちろん知っていたから、なぜ?! とギョッとした。


 ぼくみたいな、細いし背も低いしかっこよくないし、取り柄のない人間の何がいいのか、それともイタズラか、とものすごく焦ったのだった。


 こわごわと

「ぼくのなにがいいんですか……?」

 とたずねると、ぎらりと目を輝かせ、恍惚こうこつとした様子で


「優しいところと人を分けないところと人間に見えるところと――」


 かなり長い間褒めちぎられることになった。


 その熱意に根負けして、というか好意に甘えて付き合うこととなったのだ……美少女に熱烈に愛を示されてノーとは言えない。


 


 そんな経緯があったのだが、ぼくがイジられ気味なのを案じてか、彼女は常にぼくの側にいるようになった。ときどき用事でいなくなっても、どういう方法を使っているのかわからないけど、話を聞いている。そしてぼくが困っていたら助けてくれるようになったのだ。


 どもって半泣きでいるぼくを、どこかから駆けつけてするりと、まるで魔法みたいに手際よく逃がしてくれるホウマさん。ぼくは、すごく情けない。だって、高校生なのに、男なのに、自分で解決できない上に女の子に助けられるなんて。恥ずかしくて嫌になる。


 カラオケのお誘いの時に痛感した。ああいった場所では男が断りを入れるべきだ。魔法のように、ホウマさんみたいに救い出すことはできないかもしれないけど……


 よし! 次は『彼氏です』って言ってやるぞ! ホウマさんを助けられるような人間になるのだ!


 そう強く心の中で決意を新たにした。とりあえず、いつの間にか到着していた職員室の扉を、彼女のために大きく開けたのだった。



***



 何を決めたのか、ぐっと頷くカンタくんをうっとりと見つめる。ふと目が合ったときに照れたように微笑むところなんてこの世でいちばんかわいい。


 興奮に身をよじらせながらも何もないような表情を取り繕う。


 あの時の彼を見てわたしは『カンタくんのためのかわいいカノジョになる』と決めたのだから。


 教師どもにテキトーに愛想を振りまきながらカンタくんとの出会いを思いだす。


 


 中学のときのわたしはバカで、よく私服でうろうろしていた。そのせいであの日、頭の軽いナンパに捕まったのだ。容姿の美しさなんて行き過ぎるとゴミみたいなものだ。気を抜くと煩わしいハエがたかりだす。


 うっとうしくブンブンと続けられる陳腐ちんぷな口説き文句にうんざりしていたとき、


「あの、その人はぼくと用事があるんです……!」


 と涙目のカンタくんが声をかけてくれたのだ!


 もちろんそのときは、名前どころかどこの中学かも住所も家族構成もくせもホクロの位置も知らなかった。


 でも、正直弱そうで、勇気を振り絞って声をかけてます! みたいにみっともなく震える彼に見惚れてしまった。なんてかっこよくて優しくてマトモな人なんだろう、って。初めて男の人が人間に見えた。


 助けてくれた彼と早く会話したくて、ナンパ男に

「消えろよハエが。あなたたちって人間に見えないからさ、ぶっちゃけ生理的に無理なんだけど」

 といった内容を素早く告げたらどこかに行かせることができた。


「あの、助けてくれて、ありがとうございました!」


 わたしの笑顔はひきつっていたと思う。なんなら声は震えて目には涙が浮かんでいたかも。自分でも笑えるくらいの緊張に襲われたから。今なら恋をしたからだとわかるけど、当時は久しぶりに人間と会話したからかな、なんて考えてた。


「いいえっ」


 と彼は慌てたように首を振って、それからふわりとはにかんだ。


「無事でよかった……」


 その光景を視界に入れた瞬間、身体に落雷を受けたかのような、魔法をくらったような、ビリビリした衝撃にわたしは呆然としてしまった。


 立ち直ったときには彼はいなくなっていて、再び知り合うために情報網の全力を持って調べた。今ではたぶん、カンタくん自身よりカンタくんに詳しいと思う。


 ちょっと犯罪に引っかかるようなこともしたけれど、こうやって同じ高校に通うことも、告白して付き合うこともできているので、終わり良ければすべて良し、だ。


 


 毎日を目的も目標もなく無意味に生きていたわたしに希望と愛をくれたカンタくん。彼の隣にいるだけで、どんな些細なことでもまるで魔法を使っているかのように幸せにしてくれる。むしろ、カンタくんとでしか幸せを感じることができない。幸せになれない。


 『カンタくんのためのかわいいカノジョになる』『今度はカノジョとして、彼を魔法のように助けたい』と願った通り、わたしはカンタくんの隣で生きている。


 悪魔だと罵られようと、多大な犠牲を払おうと、手段は問わない。わたしは躊躇わない。カンタくんが微笑みかけてくれるならなんでもする。どんな悪魔的ひどい方法を使うことになろうとも。


 


 わたしは彼だけの魔法使いでありたいのっ!

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魔法使いと悪魔的方法使い 夏秋郁仁 @natuaki01

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