永眠、冷凍睡眠と年金
鷹月のり子
第1話
今年で96歳になる音羽梅子は41歳の孫が作ってくれた朝食を幸せそうに食べる。
「いただきます」
孫の信也は無職、成人してから何度も職を変え、もう5年ほど仕事をしていない。それでも生活できているのは両親が相次いで癌で死亡して保険金が入ったことでマイホームローンが完済でき、梅子の夫が警察官だったので共済年金が潤沢に支給され、年額で250万円にもなるので不自由はない。
梅子が生きてさえいれば…
「ごちそうさま」
箸を置いた梅子は自分の身体の異変に気づいていた。そろそろ寿命、もう心臓が限界なんだと自分でわかる。信也と二人暮らし。梅子が死ねば、年金は止まる。
「お祖母ちゃん、新聞、読む?」
「うん、ありがとう」
梅子は日課である新聞を読むのに午前中いっぱいをかけた。心臓が不安なので散歩は控える。医師にかかっても寿命としか言われないのは10年前から知っている。最近の新聞には、より心臓に負担のかかることが書いてある。
8年間、父親の死を隠して年金を不正受給
行方不明老人を捜索せず年金を受け取り続けた52歳の同居男性
生活保護受給者が過去最高数に
どの記事も梅子の心臓に悪い。
「…はぁ…」
梅子はタメ息をついた。
孫の信也は気が優しい。
気が弱い。
頭も弱い。
ややトロくて小学校から落ちこぼれだった。
それなりに本人も努力していたけれど、九九は理解できても分数は苦手で、方程式になると理解できなかった。
運動も嫌いで体力も劣る。
両親はFラン大学に進学させようとしたけれど、本人が無駄だと固辞して高卒で働き始めた。
町工場を1ヶ月で辞めて、コンビニのアルバイトは半年続いた。
大きな工場で夜勤を3年すると体調を崩して辞めた。
半年ほど無職だった後に、広告会社を三日で辞め、家電量販店ではサービス残業が多すぎて家族が辞めさせた。
また工場で働いたけれど、いじめられて辞めた。
それから5年、無職だった。
立ち直って就職活動に取り組んだけれど、いい仕事はない。
底辺労働の非正規しか信也の知能では巡ってこなかった。
かといって福祉の対象になるほど知的障碍があるわけでもない。
健康な成人男性として扱われ、何もない。
本当の最底辺だった。
だから梅子は心配だった。
梅子が死んで年金が無くなれば、生活保護しかない。
けれど、きっと市役所の担当者は信也に冷たくあたる。きっと就職しろと、強く迫る。そのうちに鬱になるか、自死するか、それとも怯えながら年金を不正受給するか、とても心配だった。
だから梅子は3年かけて冷凍睡眠装置を作った。
自分が永遠、とまではいかないまでも、信也が寿命を迎えるまで眠り続けるために。
梅子が作った冷凍睡眠装置は主要部分がホームセンターで買って届けてもらった大型冷凍庫で作られている。人間一人が寝て入れるくらいの大きさ。
基本的に、これで完成だけれど、行政や医師を誤魔化すために、ごちゃごちゃと生命維持装置もどきを3年かけて用意した。廃院した病院からもらってきた医療機器を並べてコードをつなぎ、それらしく見せている。あとはカメラとライトで内部が見えるようにしている。それは冷凍庫の蓋を開けて梅子を診察させないためだった。診察しなければ死亡診断は下せない。梅子の身体に触れ、脈を取り、瞳孔を見なければ、医師は死亡を診断できない。できるのはカメラを介してモニターで冷凍庫内の梅子を見るだけ。それでは死亡しているとは言えない。かといって行方不明でもないので年金は止められない。
「お日様を見るのも、これが最後かね。………フフ、案外、ちゃんと復活するかもしれないね。百年後、どんな世界になっているかな」
梅子は窓から太陽を見上げ、眩しそうに微笑んだ。
夜、梅子は一人で覚悟を決めていた。書き置きも去年から用意してある。最後の晩餐を済ませ、入浴してオムツを穿いて、夫が好きだった日本酒を1合ばかり呑み、冷凍睡眠装置と表記してある棺桶に入った。死に装束は女学校の制服と決めていた。96歳なのに、16歳の頃に着ていた女学校の制服を着る。写真立ても用意して、そこには卒業時の写真を入れてある。さらにショッピングセンターに居た似顔絵描き屋へ発注して若い頃の自分を最高に可愛い今風のイラストにしてくれと描いてもらい、ポスターにした。
「フフ♪ 私って可愛すぎ」
他人から見て、かなり痛いお婆さんだと自覚しているけれど、それも作戦だった。
永遠の若さを手に入れるため、私は冷凍睡眠します、起こさないでください。
けっして蓋を開けないでください。
時期が来れば、私が頼んでいた外部の業者が開けに来ます、それまで音羽信也がこの家を守り、冷凍睡眠装置に電気を送ってください。
そのために私の年金を使ってください、余った分は家の維持費と見守る信也の手間賃としてください。
そんな書き置きを用意している。
「……はぁ……じゃあ、寝ようかな」
あえて軽く言い、覚悟して冷凍睡眠装置に入る。
「う~……冷たい……心臓にくるわ」
すでに冷えている庫内は寒い。枕も用意してあるので、寝そべった。停電に備えて保冷剤が並び、発電機とガソリンも隣室に用意してある。考えられる限り準備した。
「アーメン、ハレルヤ、南無阿弥陀仏」
最後は神仏に頼んで梅子は蓋を閉めた。
「………ちょっと怖いなぁ……」
あえて口に出す。
「はぁ……寒い……さっさと寝よう……寝る……寝る、ぐっすり眠る。起きたら私は女子高生♪ フフ……いい夢を百年見よう……案外、冷凍状態って半死半生かもしんないもんね……怖くない……死なない……これが最高の選択……じゃあね、信也、頑張れ」
自己暗示をかけて死の恐怖を乗り切り、孫のために梅子は永眠した。
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