5.
石は、本来の持ち主が触れると、まばゆい光を放ち肉体へと溶けていくという。
市場にいた人々の知識にもそういった情報があったせいか騒ぎが大きくなりかけたが、自称『ワアダの世話役』のザーイムが強引に事態を収拾させた。しかし所詮『自称』である。ぬぐい切れなかった好奇の視線から逃げるように、三人は木立の陰へと身を移した。何人か後を追ってきそうな者もいたが何とか振り切り、追い返す。
辺りに誰も寄ってこないことを確認してほっと一息。しかし事態は何も解決していない。
あの光は何だったのか、ということから話が始まった。
「でも、コイツが湖に入ったのって昨日の夜だよな。石ってそんなに早くできるのか?」
はじめに口を開いたのはザーイムだった。驚きのあまり、『天敵』と呼び嫌厭する相手にごく自然に声をかける。言葉のついで、『コイツ』と言う部分を強調するようにビルカの頭を小突いた。
「そもそも、こいつが湖に入る前に採った石だ」
ヴァールの言葉にビルカが身構える。同じように『こいつ』という単語が聞こえたので何かあると思ったのだろう。さっと頭を隠してじと目でこちらをうかがっている。
そんなことするか、とヴァールはため息をこぼした。
先ほど強い光を放った石がビルカの追憶
石はビルカの体に溶けることなく、そのままの形で残っている。
しかし気がかりなのは、ビルカが『何かを見た』と言い張ることだ。
「ちなみに何が見えたんだ?」
好奇心を隠すことなくザーイムが尋ねる。
「ええと……オッサン! オッサンが誰かに囲まれてたぞ。あと、家族とニコニコ笑ってたぞ。あとあと、鏡に映った顔が、こんな風にムズカシイ顔だったぞ」
そう言って、彼女が見たという表情を真似る。どれだけ忠実に再現できているかは不明だが、眉間に深く刻まれた皺や真一文字に結ばれた唇からは苦悶の色が感じ取れた。
「それでな! ぐるぐる、ぐるぐる景色が変わるんだぞ。オッサン囲まれる。家族とニコニコ。ムズカシイ顔でため息。カワイイ子どもが抱きついてくる。コワイ顔の男たちに殴られる蹴られる。……痛そうだったぞ」
入れ替わり立ち替わりで姿を見せるという風景に合わせて、少女の表情も喜怒哀楽を行き来する。
抽象的な説明と、少女の妙なテンションに業を煮やしたザーイムが恐る恐る口を挟んだ。
「それってつまり、この石の記憶が見えたってことなのか?」
少女の『ぐるぐる』がぴたりと止まる。
真顔でザーイムを見る。
「わからん」
即答だった。これ以上ない簡潔で最低限の返答を、ふてぶてしく胸を張って言い張った。
しかし、
「わからんが、ワタシはオッサンだったぞ」
真面目な顔のままでそう付け加えた。
「他人の石の記憶を見られるなんて、聞いたことがあるか?」
まだ信じられないというようにザーイムがこぼした。
「ないな」
だが全く否定してしまう気は起こらなかった。なにせ、己自身もこと遺却の湖に関してはイレギュラーな存在だ。前例の有無はあるにせよ、常ならざる者については他の人間より受け入れやすいのかもしれない。
それに「彼女なら……」と、ヴァールは記憶を失う前の少女の姿を思い出していた。
彼女の顔に滲んだ神秘性を思えば、何か自分たちと違う存在というのは存外あり得ることに思えた。
「こんな力があるってわかったら、悪いやつらが聞きつけてたくさん群がるよな。……このまま街に下ろすわけにはいかないな」
腕組みをして、ここまで見せることがなかった神妙な面持ちで言った。
自業自得だと、軽率な行動を半ば蔑むヴァールに対し、正義感あふれる若人は少女のために何かできぬか、最善の方法は何かと頭をひねる。
「よし。『
誰の返答を待つこともなく、彼の中でそう決まったようだ。さすがのビルカもザーイムの勢いに押されただ首を傾げるばかり。
「そうと決まれば避難だ! 事務所で保護だ!」
腕まくりをしてビルカを抱えた。
当のビルカは「ヴァールは一緒じゃないのか」とか「もっと市場で遊びたいぞ」とかダダをこねたが、ザーイムは聞く耳持たず。大袈裟に周囲を警戒する仕草を見せながら、人ゴミを押し分け駆け出した。
「くそー!! あきらめんぞ! ヴァール! またあとでなー!!」
姿が見えなくなっても、しばらく二人の声がヴァールの耳に届いていた。
危険を説くザーイム。自由を要求するビルカ。
声が音へと変わっていく間際まで、互いに一方通行のままだった。
二人の声がやみ、その場の誰もヴァールに視線を向けなくなると、自然と吐息がもれた。
ザーイムは少女に向かってしばらく山にとどまるようにと釘を刺していただろうか。そして少女はヴァールに対し「またあとで」と不吉な言葉を残しただろうか。
タイミングを計ったように、アルナーサフの残像がささやく。
『動かぬそなたに何かをもたらす』
何かが起きるその前に少女は遠くへ去って行くはずだったのに。こんな偶然も、きっとアルナーサフは「カラカル様の――」などとおどろおどろしく言うのだろう。
ヴァールは心の奥がかすかにざわつくのを感じた。
期待などしていない。
むしろ、俺の日常を壊してくれるなと願いながら、ヴァールは手もとに残された追憶の石を見つめた。
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