叙述トリック談義シリーズ

ライ月

叙述トリック談義シリーズ

叙述トリック談義 その1 豪雪地帯の家で

第一話 豪雪地帯の家で

 ちらっと窓に目を飛ばしても、先ほどと変わらず雪が降っている。止む様子はない。

 世間はとっくに三が日を過ぎてしまったため、気の早い大人たちはそろそろ仕事に精を出すかもしれない。しかし、俺達にそんな事情は関係ない。学生の特権である、冬休みが続いているからだ。


 外はずっと雪だし、やむ気配はないし、家には出たくないし、さらには冬休み期間が終わってしまう――という至極堕落的でまっとうな理由で、今日も俺達は家で過ごす。ぬくぬくした、部屋の暖かい空気が身体を包み、若干の眠気と格闘する俺は、両眼をこすりながらゲームをしていた。

 すると、同室の家主――サツキ――が、死んだような声を発してきた。


「たすけて」

 俺はもちろんこう即答する。「やだ」


「ねえ、ほんと……終わらないんですけど」

「まだ一時間しか経ってないぞ」

「数学プリント二十枚とか、頭いかれてる……」

「知ってるよ。頑張れって」

「タスケテ」


 こたつからの救援要請に一瞥すらしない俺。冷酷? そんなことはない。これは自業自得だ。

 顔を見ずに言葉を交わす俺とサツキ。

 俺達は幼馴染なので、大抵このような阿吽の呼吸で会話するのだ。ちなみに昨日は俺の家で、今日は隣のサツキの家。ここ最近は交互で遊びに行ったりもてなしたりして時間を潰している。結果、俺はゲーム、相手はこうなっているわけだが。


「終わらねー」

 サツキを盗み見ると、絶望した目がこたつの上を彷徨っている。国語や理科、社会などの問題プリントが散乱し、数学に至っては途中式が途中で死んでいる。このままでは一生答えは闇の中だろう。


 要するに冬休みの宿題が終わってないのだ。当たり前だが、俺とサツキはまだ学生の身分だから、学校からの課題が出されている。あと数日で始業式なのに大丈夫だろうか、と心配になる。


「よし……休憩しよう!」

 俺に聞かせるように、サツキは宣言した。真上に伸びをしたので俺も同じようにする。

 結構な時間椅子に座っていたので、硬直した身体を解そうと動かしたら、至るところでポキポキと音が鳴った。


 宿題プリントの上に置かれたオレンジジュースを一気飲みしてから、

「ねえ、ツムギ。なんかいいお題ない?」

 と言ってきた。

「お題?」

「そう、おしゃべりのための楽しいお題」

「何で」

「だって、ぼくたち、今暇じゃん?」

「……現実逃避するなって、お前。まだ宿題終わってないだろ」

「い、いや……それは抜きにして、さ」


 露骨に目が泳ぐ。分かりやすい。

 この様子じゃまだあるだろうな、と俺は別のところに目を向けた。部屋の隅にあるサツキの勉強机である。


 ちょっと気になったので、ゲーム画面をポーズして勉強机に近づく。まるで一度も使ってなさそうな、綺麗に整頓された勉強机の中央に、これまたただ買ってきただけらしい一冊の本が置いてある。

 見るからに中古本だ。多分駅前の古本屋だろう。また、本の隣には400字詰めの原稿用紙が数枚……やはりな、と思った。

 中古本の表紙には『アクロイド殺害事件』と書いてある。アガサ・クリスティの名作小説だ。


「じゃあこれにしよう」

 俺はサツキに見せるように本を手に取る。

「ん? これって……あ」

 今頃になって顔が歪んだ。そうだ、それの存在今まで忘れてた、と顔に書いてある。


「……えっと、それの何を話すの?」

「決まってるだろ」

 嫌そうなサツキを認めつつ、俺はあえて見せびらかすように本を振った。

「叙述トリックについてさ」


 ☆


 途中だったゲーム――やっていたのは最新作のドラ○エ――をセーブし、電源を切った。サツキがこたつに足を入れると同時に、興味津々と質問してきた。


「それで、『叙述トリック』って?」

「その前にサツキ、本は読んだか」

「えっと、その……」

 そう言って、サツキは言葉を濁す。うん、自明だったわ。


 サツキの代わりにこの本について簡単に話した。

 この『アクロイド殺害事件』は1925年頃に発表された長編推理小説であり、いわゆる古典ミステリと呼ばれるものになる。

 探偵ポアロが主人公となって犯人を追い詰めていくという、根幹は王道の推理小説であり、現在も推理小説の数ある源流の一つになっている。

 ポアロシリーズは30作品以上あり、特に『スタイル荘の怪事件』、『ABC殺人事件』『オリエント急行』は名高い。本作はこのシリーズの第三作に当たる“問題作”である。

 問題作と言われる所以、それは50年以上たっても色褪せないこのトリックが、フェアかアンフェアかで読者が混沌としているからなのだ。


 実際、そのアンフェア論争については不毛の一言で済むのだが、そういう議論が新たなミステリマニアを呼び、その甲斐あって『アクロイド殺し』と改題されて売られるようになった――という経緯もある。


「それでさっきから言ってる『叙述トリック』っていうものの何が問題なの?」

 こたつと言えばみかんだと、どこかから持ってきた赤色の網袋を破る。2つ取り出して、1つを俺に手渡してきた。


「そうだな、一言では難しいな……じゃあクイズを例に説明しようかな」

「クイズ?」

「ああ、ひっかけクイズだ。正解したら宿題の半分を受け持ってやろう」

「おう、受けて立つ!」


 サツキは、挑戦状を受け取ったぞ、と意欲的な顔をこちらに向けてきた。そんなに勉強が嫌なのか。

 やや長めの前髪を揺らすその表情は、サッカー魂を灯したような勇躍そのもののよう――なのだが、半身がこたつに埋もれてぬくぬくしているせいでその気迫は半減気味だ。

 そんな友人の様子を見なかったことにして、俺はコップにジュースを注ぐ。一気飲みしてからクイズの問題文をいった。


「これはまあまあ昔の話……そうだな、電話もガスもないような時代背景にしよう。

 そんな昔に、メキシコの砂金採掘所付近の国境を越えて、一人の少年が自転車に乗ってアメリカに入国してきた。


 最初は不審に思っただけで国境警備隊は気にせず見ていたんだが、その日から毎日、それも決まった時間に国境を跨いでメキシコからアメリカへと入ってくることに気付いた。しかも、少年の自転車の籠には何やら怪しげな砂袋が一つ積んである。

 これは確実に密輸人だろうと思った警備員たちは、毎回少年を呼び止めては砂袋を開けて中を確認してみるのだが、いくら探しても砂ばかりが入っているだけで、砂金なんて一欠けらも見つけられなかった……さて、ここで質問だ。

 確かに密輸しているとすれば、この少年はいったいどうやって密輸したのだろう?」

「うーん、砂金採掘所付近で密輸、か……。むむむ、難しい……」


 サツキはうーんと何回かの唸り声をあげて奮闘している。やがて、

「はい」

 と、さも優等生らしい姿勢で手をあげた。俺はミカンを食べながら、どうぞ、と続きを促した。

「少年の荷物は砂袋以外に何か持っていたのでしょうか?」

「いいえ、砂袋以外には何もありません。まあ、あったと言えば自転車かな」

「自転車は普通の自転車ですか」

「普通の自転車だぞ。籠は一つしか無かったと思ってくれていい」

「うーん、となると……。少年はどうやって砂金を隠したんだろう?」

「……まあ、別に当てなくてもいいんだけどね」

「――ふえ?」


 サツキは意表を突かれたような顔をしている。とてもわかりやすい。

「というか、この時点で当てられたら、『叙述トリック』を知っていることになるんだよなー」


 意味が解らないようで首をかしげている。そこに俺が「実はな……」

 と、裏話を聞かせてあげた。


「このクイズ、もともとは『斜め屋敷の犯罪』という本の中から発想を得たんだ。

 内容としては屋敷の主人がクイズを出して、さあ、東大生の諸君、私の問題に答えられるかな、という流れでね。ちょいっと内容をいじくったんだよ。

 クイズの舞台背景はほとんど同じなんだけど、最後の質問文がちょっと違うんだ。

 小説から引用してみるとこんな風に書かれてたっけな。

『少年はいったい何をどうやって密輸しているんだろう』ってね」

「え、『何を』って……。普通に考えたら砂金、だろ?」

「実はそこがミソなんだよ。叙述トリックというのは読者の――この場合は回答者の――先入観を利用して事実を誤認させることなのさ。このクイズはそれを利用している。今回は『いったい少年は何を密輸しているのか』ではなく、

『少年は砂金を密輸しているに違いないから、いかにして砂金を隠ぺいした方法を探さなくちゃ』と思い込ませてるんだ。

 簡単に言えば、的外れな疑問に転換させているんだよ」

「ちょっと待って、ツムギ」


 予想通り、サツキが抗議の声をあげる。「だって、少年は砂金を隠してるって言ってたじゃないか」

「そんなことは一言も言ってないぜ。砂金を隠してるだろうと思ったのは警備員だよ?  『少年は砂金を隠した』という事実はどこにも書いてない。

 だからサツキが勝手にそう判断しただけ。ちなみに『斜め屋敷の犯罪』はつづけてこのようにも書いてあったかな。『自転車を密輸したいのなら砂金採掘所のそばに限るということだよ』――てね。まさに警備員の先入観を利用したんだ」

「ということは……」

「そう。少年は砂金ではなく『自転車を密輸していた』のさ」


 最後のミカンに手を伸ばす。皮を剥いた。

「『何を』。二文字削っただけで、解釈がこんなにも違う。それが叙述トリックなのさ」

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