32「魔王と竜とシャイト宅へ移動します」②




「サムお坊っちゃま。お帰りなさいませ」


 シャイト伯爵家で出迎えてくれたのは、サムの大切な家族であり、屋敷の管理をしてくれているデリックだった。

 いつもと変わらず燕尾服に身を包む彼の表情は柔らかだ。


「ただいま、デリック。ちょっと部屋を借りたいんだけど、いいかな?」

「もちろんでございます。すぐにお茶の用意を――おや?」

「どうしたの?」


 デリックが少し驚いた顔をしてエヴァンジェリンを見た。


「いえ、そちらにいらっしゃるお方は、もしや女神様では?」

「女神じゃねーし! 竜ですけど!」

「それは失礼しました。さあ、どうぞ」


 訂正したエヴァンジェリンにデリックは深々と頭を下げてから、屋敷の中に案内してくれる。


「すげーな、あの執事。竜だって言ってもビビらなかった――あ、スカイ王国の変態どももビビってなかったわ。なんつーか、調子狂うな。どいつもこいつも、私にビビらないんだけど」


 黒髪をいじりながら、なんとも言えないような顔をするエヴァンジェリンにサムが微笑む。


「いいことじゃない。別に、竜だから、魔王だからって恐れられたいわけじゃないんでしょ?」

「そりゃそうだけどさぁ、魔王的にはちょっと威厳ってもんがあるじゃん?」


 邪竜、魔王、と肩書きのある彼女は畏怖されないことに戸惑いを覚えているらしい。

 だが、それでいいと思う。

 スカイ王国はなかなか愉快な国だが、灼熱竜一家を受け入れる懐の深さがある。

 それはきっと、エヴァンジェリンに対しても同じなんだと思う。


「魔王だって変わらないんじゃないかな。ヴィヴィアン様だっていい人だったし、レプシーだって愛妻家だったと聞いているよ。エヴァンジェリンだって、こうやって話のできる魔王なんだから無理して恐れられる必要なんてないさ」

「そうなんだけどさー。なんつーか、新鮮すぎて気恥ずかしい」


 頬を赤く染めてそんなことを言うエヴァンジェリンは、魔王というよりも十代の少女に見えて可愛らしかった。


「姉上が嬉しそうでなによりです」

「うっさいっ、立花!」


 そんなやりとりをしていると、デリックの足が止まった。


「サム坊っちゃまのご友人は賑やかでいいですね。では、こちらのお部屋をお使いください。すぐにお茶も用意しますので」

「ありがとう、デリック」

「いえいえ。こうして坊っちゃまのお顔を見ることができて嬉しい限りでございます」

「あははは、もっと頻繁に顔を出すよ」


 屋敷の管理を任せきりにして、ウォーカー伯爵家からなかなかこちらの屋敷に足を運べないことをサムは申し訳なく思った。

 ダフネと他にも雇った使用人がいるが、やはり住む人間がいなければ管理するのもやりがいがないだろう。

 サムとしても、家族であるデリックとダフネとときどきしか顔を合わせられないのは残念だ。


 いずれリーゼが出産したら、こちらの屋敷に移り住む予定ではあるが、生まれたばかりの孫とウォーカー伯爵夫婦を引き離してしまうのもなんだか申し訳ない。

 離れて暮らすと言っても、馬車で数分の距離であるのだが、やはり考えてしまう。

 だが、リーゼをはじめ、花蓮、水樹、ステラ、フラン、アリシアは少しずつ、シャイト伯爵家に荷物を移している。

 ギュンターなどもすでに自分の部屋を確保しているので油断ならない。


 自分たちがウォーカー伯爵家を出るなら、灼熱竜一家もついてくるとのことだ。

 ゾーイとボーウッドも、サムたちがいないのにウォーカー伯爵家で住まわせるのもどうかと思うので、自然と一緒に移り住むことになるだろう。


 伯爵家は静かになるかもしれないが、いつまでも世話になっているのも悪い。

 あと、クライドたちをはじめ、他の義実家がウォーカー伯爵家ばかりずるい、という意見も時々あるらしい。

 そんなこんなでリーゼが落ち着き次第、移動する予定だ。


 ただし、リーゼの出産までの間に、他の妻の誰かが妊娠した場合は、その時点でシャイト伯爵家へ移ることが女性陣の話し合いで決まっているようだ。


「ねえねえ、ダーリン」

「はい?」

「今更だけどさ、この執事ってただの執事じゃなくね? 佇まいとか、そういうのが一般人じゃねーんだけど」

「デリックは俺にとって、大切な家族だよ。それだけさ」

「もったいないお言葉です」


 エヴァンジェリンの疑問はサムも抱いたことがある。

 幼少時は気づかなかったが、ウルにしごかれ戦闘面で成長してから再会すると、デリックの動きが洗練された強者のそれだとすぐに気づいた。

 ダフネがエルフだったようにデリックにもなんらかの過去があるのだろうと思う。

 しかし、それを気にしていても仕方がない。

 デリックもダフネも、大切な家族だ。それだけでいいのだ。


「じゃあ、私の家族にしてやるよ! ダーリンの奥さんになるエヴァンジェリン・アラヒーだ!」

「よろしくお願いします。奥様」

「おう!」

「あのさ、デリック……そんな簡単に受け入れないで」


 あっさりとエヴァンジェリンをサムの妻のひとりとして受け入れてしまったデリックに、サムは頬を引きつらせたのだった。




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