47「大陸最強の勇者と戦います」④




 前のめりに倒れ、リングから落ちた勇人が信じられないとばかりに目を見開いていた。

 それは、サムも薫子も、そしておそらく観客たちも同じ気持ちだっただろう。


「どう、して」

「ふざけんじゃねえ!」

「よくもわたくしたちを弄びましたわね!」

「殺してやるわ! 覚悟しなさい!」

「――ひ」


 少女たちの怒声に、サムがとある結論に至った。


「まさか、魅了が解けたのか?」


 しかし、突然の展開に誰もが驚きを隠せず、動けずにいた。

 その間にも、少女たちは勇人の背に乗り掛かりナイフを突き立て始める。


「ひっ、やめっ、どうしっ、ぎゃあっっ、痛いっ、痛いぃっ!」


 鬼のような形相で勇人を殺さんとする少女たちは、実に恐ろしく見えた。

 誰もが息を呑み、じっとしているだけしかできない。

 審判役のドリューも、万が一に備えていた近衛兵も、結界を張っていたギュンターさえも、この光景に唖然としていた。


「どうして、急に魅了が――っ、もしかして、俺が奴の右目を斬ったから魅了が解けたのか?」


 だとしたら、魅了を維持するには両眼が必要なのだろう。

 隻眼となっている今の勇人には、再び少女たちを魅了し操ることはできないだろう。

 いや、滅多刺しにされてながらも死ぬことなく苦しみ続けている奴に、誰かを魅了している余裕はないだろう。


(いい気味だ、そのまま殺されてしまえ)


 サムが手を下すよりも、よほどいい結末だと思う。

 止めるつもりはない、勇人が死ぬまで少女たちには頑張ってもらいたかった。


(さて、こっちは放置するとして、どうしたものか)


 これでは試合もなにもない。判断を仰ごうと貴賓席に目を向けると、向こうは向こうで大変そうだった。

 おそらく魅了されていたのだろう第一王妃が椅子から崩れ落ち、なにか叫んでいるように見えた。

 彼女も魅了が解けたのだろう。

 クライド国王もどうしたものかと困惑顔をしているし、不仲だと聞いていたがヴァイク国王は妻を抱きしめ、必死に言葉をかけているようだった。


「あらら、大変だ」


 肩を竦めるサムに、審判リュードが声をかけてきた。


「おい、シャイト。これはどうすればいいんだ?」

「さあ、いろいろやりたい放題でしたからね。ルール違反とかですか?」

「それはそうなんだろうが」


 リュードが国王を伺うと、クライドは呆れたように頷いた。

 その横では、ヴァイク国王が妻を抱きしめたまま、苦虫を噛み潰したような顔をしている。


「では、勝者、サミュエル・シャイト!」


 歓声が響くことはなかった。

 誰もが試合そっちのけで、今も少女たちに襲われている勇人に釘付けだったからだ。


「あの、これって大陸最強の座を奪ったって言ってもいいんでしょうか?」

「構わないのではないか? あんな男に大陸最強の称号は相応しくないだろう」

「それは同感なんですが、ぱっとしないっていうか、これ勝ったって言えるのかなぁ」


 本音を言えば、サムがこの手で報いを受けさせたかった。

 だが、魅了した少女たちに襲われ、苦しんでいる勇人を見れば、それなりの報いを受けているように思える。

 彼は、多くの観客がいる場で魅了を使っていると言ってしまった。さらに、試合のルールを破り、少女たちを盾にしようとした。

 その卑劣な行いは、誰もが見ていたので、もう取り繕うことはできないだろう。

 その場の感情だけで、動くからこんな結末になるのだ。

 これで、オークニー王国の英雄の立場も、勇者の称号も、すべて失うことになるはずだ。


「馬鹿な男だ、だけど、女性たちを弄んだ報いはちゃんと受けるといいさ」

「やめっ、ぐっ、ぐぁあっ、ああっ、痛いっ、嫌だっ、ああっ、やめっ、お前らっ、覚えてっ、いろっ! ああっ、痛いっ、やめ、あああああっ! たすけ」


 未だ魅了していた少女たちから刺され続けている勇人が助けを求めて手を伸ばすが、誰ひとりとして、その手を取るものなどいなかった。


「やれやれ、つまらない戦いになっちゃったね」


 サムは嘆息混じりに言葉を掃き捨てて、勇人に背を向けリングから降りる。

 すると、


「サム!」

「サム様!」

「リーゼ様? ステラ様?」


 リーゼとステラが飛び込んできたので、慌てて受け止めた。


「ちょ、リーゼ様は身重なんですから、驚かせないでくださいよ!」


 続いて、花蓮、水樹、アリシア、そして子竜と灼熱竜がやってきて、サムを囲んだ。


「無事でよかったわ、と言いたいのだけど、まさかあの男が魅了の力を持っていただなんて」

「わたくしも狙われていたと思うと、ぞっとします。ですが、わたくしは魅了されていません。なぜなのでしょうか?」


 サムは、勇人が魅了を持っているという確信を得るまで、婚約者たちに黙っていた。

 無用な心配はさせたくないからだ。

 ただし、万が一があっては困るので、ジョナサンとギュンターには言っておいた。そのおかげで、影ながら護衛を付けてもらっており、試合前に勇人がステラたちにちょっかい出さないよう警戒していたのだ。


「魅了とはそう簡単に使えるものではない」

「灼熱竜様は魅了をご存知なのですか?」

「少しは、だがな。魅了をかけようとした相手が強い心を持っていた場合や、心から愛した相手がいる場合など、心に付け入る隙がなければ、魅了など容易に跳ね返すことが可能だろう」


 ステラの疑問に答えてくれた灼熱竜の言葉に、サムはなるほど、と思った。


(やっぱり魅了も必ずじゃないのか。……てことは、葉山勇人に魅了された人たちって、つまりそういうことなんだろうなぁ)


 恋人や婚約者、夫がいる女性までもが勇人の魅了の餌食になっていたのだが、灼熱竜の言葉が正しければ、強い想いがあればはね返せたはずだ。

 それができなかったのは、残念ながらそういうことなのだろう。


(ま、でも、平凡な普通の暮らしを送っている人が、魅了を跳ね返すほど強く誰かを愛することなんてないのかもしれないな。それなりに、愛情があって、それなりに幸せで、それがあたり前だと思ってしまえば、その想いだって弱くなるはずだ)


 憶測でしかないが、誰しも強い心を持っているわけではない。

 既婚者、婚約者がいる相手でも親が決めた相手なら愛情が深くない場合だってある。

 感情は難しい。


「サム様!」

「あ、はい」

「灼熱竜様がおっしゃったとおり、わたくしは魅了にかかりませんでした」

「ええ、ほっとしています」

「つ、つまりですね、わ、わたくしは、それだけサム様のことを心からお慕いしているということです!」

「あ、えっと、その、ありがとうございます。とても嬉しいです」


 耳まで赤くして愛していると言ってくれたステラに、サムも赤くなるのがわかった。


「あら、サムを愛するのなら私だって負けないわよ」

「わたしも、愛してるぜー」

「僕だって負けたくないかな」

「わたくしもサム様を心からお慕いしていますわ!」

「くるきゅー!」


 リーゼが負けじとサムの腕を取り、花蓮がウインクする。

 水樹が少しもじもじしながら、アリシアがはっきりと思いを告げてくれた。

 そして、なぜか子竜のメルシーも便乗するように鳴いた。


「人気者だな、サム。みんなを大事にするように」


 灼熱竜が苦笑してそんなことを言った。


「もちろん、俺はみんなのことを大事にするよ!」


 女性を大事にしなかった勇人は、未だ魅了した相手から苦しめ続けられている。

 サムは、ああはなりたくないと思いながら、愛していると言ってくれた大切な婚約者たちを大切にしようと改めて思うのだった。


 こうして、異世界の勇者との戦いは幕を閉じるのだった。



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