16「父と娘のお話です」①
夜。リーゼロッテは、眠る前の読書をしていた。
「まさかこんな本が出回っているなんて……サムが見たら気絶するかもしれないわね」
彼女の手にある書籍は、王都の女性たちと一部の男性の間でひっそりと流行している物語だ。
快活なリーゼはあまり本を読むことはないのだが、メイドのマリーが「凄いものを見つけてしまいました!」と鼻息を荒くして届けてくれたのだ。
舞台などを好むマリーが絶賛するのだから興味を持って読んでみたのだが、
「……なによ、このギュンター・イグナーツ公爵とサミュエル・シャイト宮廷魔法使いの愛欲の日々って」
一応、読んでみたのだがタイトル通りの内容だった。
どこの誰がこのような本を書いているのか知らないが、気に入らない点がいくつかある。
その最もが、リーゼがギュンターにサムを寝取られ、最後にはお似合いだからと身を引くどころか祝福しているのだ。
「ないわ。絶対にないわ」
きっとギュンターが読んだら歓喜するだろう。
いや、もしかしたらギュンターが作者かもしれないと疑いたくなるような内容だ。
こんな本が、ひっそりとはいえ王都で流行っていると思うと頭が痛い。
「まさかとは思うけど、アリシアは読んでないわよね?」
読書好きの妹がもしこの本を読んでいたら、ちょっとショックだ。
確認しようとして、本の存在を教えることになっても困る。
はぁ、とリーゼがため息をついていると、不意に部屋の扉がノックされた。
「リーゼ、少しいいだろうか?」
「お父様? もちろんです、どうぞ」
過激な本を枕の下に隠すと、ベッドの上で背を伸ばして父を出迎える。
「休んでいるのにすまないな。おや、サムはどうした?」
「花蓮と水樹と一緒ですわ」
「――まさかふたり同時に、だと?」
目を見開き、よからぬことを想像している父に、リーゼが嘆息する。
「……お父様、少々下品ですよ。夜の訓練をしているのです。もちろん戦闘に関してですよ」
「そう、そうだったか。私はてっきり、そのなんだ、彼女たちも婚約者だからお前のように、その、サムとな」
「確かに婚約者ですが、サムとふたりが男女の関係になるにはもう少し時間が必要でしょう」
「そ、そうか、ちょっとほっとしたぞ」
汗をハンカチで拭い始める父親に、なにをしに来たのだろうか、とリーゼは首を傾げた。
まさかとは思うが、このような下世話な話をするためにわざわざ娘の部屋を訪れたと言うのなら、母に報告する必要がある。
「お父様、なにか私にお話があったのではないでしょうか?」
「あ、ああ、そうだった。アリシアにロバート家から正式に婚約したいという申し出があったのだよ」
「確か、ジム・ロバートでしたね。私はあまり接点がありませんでしたが、彼がアリシアに夢中になっていることは知っています。そのお話がどうかなさいましたか?」
妹の良縁を知らせに来てくれたのかと思ったが、父の表情はどこか暗い。
とてもじゃないが、祝辞を伝えにきた人の顔ではなかった。
(ああ、そういうことね)
リーゼは父親の顔色から、なにか思い当たる事があるように頷く。
「だが、アリシアはその」
「乗り気ではないのでしょう?」
父が驚いた顔でリーゼの顔を見た。
「――どうしてわかった?」
「妹のことですから、見ていればわかります。アリシアはサムを好きなのでしょう?」
ここ最近の妹を見ていれば、彼女が誰に想いを寄せているのかはすぐにわかった。
「う、うむ、実はそうなのだ。なんでも、ジムはその、少々話を聞かず、自分のことばかり捲し立てるタイプのようでな」
「アリシアが苦手そうなタイプですね」
「そうなのだ。それに対し、サムはよく話を聞いてくれて、一緒にいる時間は本当に楽しいものらしい。最近は子竜の世話などで一緒にいる時間も増えたせいか、気づけば恋心を懐いてしまったようだ」
「ふふ。そうだと思いました。アリシアの性格では、サムと相性はいいでしょうね」
子竜の世話をするときのアリシアはとても楽しそうだった。
単純に物語に登場する竜と会話できるのもその要因だったのかもしれないが、妹の笑顔が輝いているときには、いつもサムが隣にいたのを知っている。
そんな妹の邪魔をしたくないから、見かけても声をかけることはしなかった。
「でも、そう。お父様に打ち明けたのね。勇気が必要だったでしょう」
「それで、だ。アリシアは直接お前に謝りたいと言っていたのだが、その、なんだ、私が止めた。すまない」
父に急に謝罪されてしまい、リーゼは驚いた。
「どうしてアリシアとお父様が私に謝る必要があるのですか?」
「……それは、なんだ」
「もしかして、私がアリシアに怒ったり、反対したりすると思っていませんか?」
「しないのか?」
「ふふふふっ、そんなことしません。確かに、私は焼きもち焼きなところがありますが、サムを独り占めしたいわけではないのですよ」
「そうなのか? 私はてっきり」
「そのつもりなら、花蓮も水樹も、それこそステラ様だって拒んでいました。サムの性格なら、私が嫌だと言えば断ってくれていたでしょう」
「だが、お前はしなかった」
リーゼは、サムが自分のことをとても大切にしてくれていることを理解している。
その気持ちに感謝しているし、リーゼだって負けないくらいサムを愛している。
もし、本当にリーゼがサムを独占したい、他の女性など必要ないと言えば、サムはその通りにしてくれただろう。
だが、リーゼはそんなことを望んでいない。
「ええ、サムは寂しがり屋ですし、私だけで支えきれるとは思っていませんもの。ですから、アリシアが一緒にサムのことを支えてくれるなら、とても嬉しいですわ」
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