7「その頃、ラインバッハ男爵家では」⑦
「ほげぇえええええええええええええええっっ!?」
ラインバッハ男爵領、ラインバッハ男爵家の厨房で、メイド長として務めるダフネが手紙を見開きながら、絶叫をあげた。
何事か、と同僚たちが視線を向けるも、彼女は周囲の視線に気づいた様子もなくプルプルと震えていた。
「ダフネ? どうしたんですか? そのように怪鳥みたいな奇声を発して」
「で、ででで、デリックさん! サム坊っちゃまから手紙が届いたのですが!」
「それはよかったではありませんか」
「な、ななな、なんと、私の知らぬ間に婚約者ができたそうなんです!」
「いいことではありませんか?」
不遇な扱いを受けていたサムが、王都で幸せになったのだ。
デリックは孫のように可愛がっていた少年の朗報に喜んだ。
しかし、ダフネは違うらしい。
「よくありませんよ! 坊っちゃまの貞操は私が奪おうと企んでいたのに!」
「……そんなことを考えていたんですね、まったくあなたという人は」
貴族の子供の初めての相手をメイドがすることもないわけではない。
ときには家人や領地の未亡人に相手を頼むこともある。
相手をしてくれた女性には手厚い謝礼がされることがほとんどで、その後の対応もいいという。
とくに、男にとって初めての女性は神聖なものなのか、その後も相手の元に通ったり、愛人にしたりと様々だ。
そのくらいで済めば問題ないのだが、時には貴族とはいえ子供だからとたらし込もうとする女性もいないわけではない。
娼婦を雇っても、どこで他の一族と繋がっているかわからない不安もある。
様々な理由から、信頼できるメイドを子供に当てがうことが一番問題ないと思われている。
だが、ダフネのように自分からサムの初めてを――と狙うメイドも珍しい。
「しかも、婚約者様がご懐妊したそうなんです!」
「おおっ! それはおめでたいことではないですか! お相手はどなたなのですか?」
「ウォーカー伯爵家のリーゼロッテ様です」
「お世話になっているお家のお嬢様とご縁があったのですね」
「それだけではありませんよ! 他にもスカイ王国第一王女ステラ・アイル・スカイ様、宮廷魔法使い第一席紫・木蓮様のお孫様の紫・花蓮様、剣聖雨宮蔵人様の御息女雨宮みずき様ともご婚約しているそうなんです!」
「――はい?」
デリックは己の耳を疑った。
「なんですって?」
「ですから! 伯爵家のご令嬢、王女様、宮廷魔法使いのお孫様、剣聖の御息女と婚約したんですよ!」
「――旦那様が聞いたらショック死してしまいそうですね」
「もう全裸で逆立ちしたって坊っちゃまに言うことをきかせるなんてできませんよ」
「でしょうね」
カリウスは、自分の命令をサムが聞くものだと信じて疑っていない。
しかし、ダフネたちの考えは違う。
サムを追い出したのはマニオンかもしれないが、行方を探さず死んだことにしたカリウスの言うことをサムが聞くわけがない。
仮に、上から言おうとしたところで、サムはすでに宮廷魔法使い――つまり伯爵位を持っている。
さらに、伯爵家令嬢、王女殿下、宮廷魔法使いの孫、剣聖の娘という婚約者もいるのだ。
ダフネが言う通り、田舎の男爵が命令できるような相手ではないのだ。
「そういえば、旦那様が送れと言った、坊っちゃまへのお手紙はどうしましたか? 坊っちゃまのお手紙ではなにも触れていないのですが」
「出していませんよ」
「――いいんですか?」
「いいもなにも、せっかくサム坊っちゃまが、この家から出て順風満帆に暮らしているのですから、邪魔をする必要はありません」
「さすがですデリックさん」
デリックの判断をダフネは称賛する。
王都で成功しているサムに、わざわざ煩わしい思いをさせる必要はない。
「もともと旦那様は短慮な方ですので、サム坊っちゃまと揉めて大事になってしまうのも困ります。放置しておくのが一番ですよ」
「放置といえば、あの癇癪親子はどうしたんでしょうね」
「さあ、わかりかねます」
「まさか自分たちから屋敷を出て行ってくれるとは思いませんでした」
ダフネの言う癇癪親子とは、ヨランダ・ラインバッハとマニオン・ラインバッハのことだ。
屋敷の新しい住人となったハリエットとハリー親子を目の敵にした挙句、殺害未遂までしたことでカリウスの怒りを買い、屋敷の北側の日の当たらない部屋に軟禁されていた。
その後、反省の色も見せずに喚く日々を送っていた親子だったが、先日屋敷から脱走したのだ。
これには使用人たち誰もが諸手を挙げて喜んだ。
「おかげで今の旦那様のご機嫌もよろしいようです」
ずっとヨランダとマニオンを追い出したかったカリウスは、厄介な親子が自分たちからいなくなってくれたおかげでご機嫌だ。
使用人たちだって、あの親子の癇癪に巻き込まれずにすむと安心している。
「ただ、どこに行ったのやら。私の希望としては、どこかで野垂れ死ぬか、モンスターに襲われて惨たらしく死んでくれればいいのですが」
「――あまりそういうことを大きな声で言ってはいけませんよ」
「あら、失礼しました」
嗜めるデリックであるが、彼もヨランダとマニオンに手を焼いていたので、出て行ってくれてせいせいしている。
とくにマニオンは、サムを一度殺しかけたこともあるのだ。
サムを特別に可愛がっていたデリックとダフネは、お世辞にもマニオンをよく思えなかった。
「ま、あんな親子なんてどうでもいいです。しかし、坊っちゃまにお子様ですか……これはそろそろこのダフネが王都に出向くときが来たようですね」
「行くな、とは言いませんが、せめて坊っちゃまのご許可を取ってからにしなさい」
「ああ、楽しみです! 坊っちゃまのお子様、とてもかわいい子が生まれてくるのでしょうね! そうです、奥様方にもご挨拶なければいけません! まったく! こんな田舎では手土産も用意できないじゃないですか!」
もうすでに王都に向かう気満々のダフネに、デリックは諦めたように大きく嘆息したのだった。
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