38「嫌な男に会いました」②




 腹を抱えて大袈裟に笑い続けるユリアン。


「死ぬまで笑ってろ」

「うざすぎ」

「はははっ……ああ、笑わせてもらったよ。まさか、剣聖後継者のこの僕にそんな態度を取る人間がいるなんて、いやはや世間知らずというのも恐ろしいね」


 候補のくせに、剣聖の後継者を名乗るユリアンを図々しい奴だと思う。

 というか、さっきから言動がわざとらしく苛立ちが増すばかりだ。


「まあ、いいさ。リーゼに一言だけ忠告しておこう。君は、最近道場に顔を出したようだが、水樹様に余計なことを言わないように、心がけておくように」

「余計なことてどういう意味かしら?」

「なにもかもだよ。彼女は僕の妻になる人だ」

「本気で言っているの?」

「もちろんさ。まあ、好みではないが、剣聖の後継者として我慢は必要だからね」

「――っ、あなた! 水樹のことをそんな風に!」


 今までユリアンに怯えていたリーゼだったが、友人を馬鹿にする言動を許せなかったらしく、怒りを込めて睨み付ける。

 が、ユリアンはリーゼの視線など気にした素振りさえ見せずに、嘆息する。


「やれやれ。なにをそんなに怒っているのか理解に苦しむね。貴族の結婚なんて、そんなものじゃないか。君とだって、愛情があって結婚したわけじゃない」

「いい加減にしろっ!」


 サムの怒声に、行き交う人々視線が集まった。

 さすがにユリアンも、衆人観衆の前で大騒ぎをするつもりはないらしく、忌々しそうに舌打ちをした。


「伝えたよ、リーゼ。余計なことをしたら、僕を怒らせることになる。いや、僕の家を、だ。それは君も君のお父上も望まないだろう。――わかったね?」

「そんな脅しで私が頷くと思っているの? いいえ、それ以前の問題よ。私がなにか言うまでもなく、水樹があなたを相手にすることなんてないわ」

「さて、それはどうかな。まあ、いいさ。伝えることは伝えたから、僕はそろそろ行くとしよう。庶民の視線を浴びるのも趣味じゃない」


 そう言って、踵を返そうとしたユリアンだったが、足を止めてサムに視線を向けた。


「そうだ、サミュエル・シャイトだったね」

「気安く俺の名前を呼ぶな。友達だと誤解されたら恥をかく」

「君とはまた会いたいものだ」

「俺はごめんだね」

「いいや、会うことになるはずさ」


 ユリアンは意味深な言葉を残して、背中を向けた。

 そのまま喧騒の中に紛れていく。


「大丈夫ですか、リーゼ様?」


 ユリアンの姿が消えると、サムは婚約者を気遣うように声をかけた。

 気丈に振る舞っていたようだが、顔色はあまりよくない。


「え、ええ、大丈夫よ。こんなとことろでいきなり会うとは思わなかったら、少し驚いただけよ」

「嫌な男だった」

「花蓮様に同感です」

「殴っておけばよかった。ちょっと後悔している」

「ああいうタイプは放っておくのが一番ですよ」


 花蓮にではなく、むしろ自分に言い聞かすように言う。

 リーゼが止めなければ、とうに殴り飛ばしていただろう。


「もう帰りましょう。旦那様たちが心配します」

「……そうね」


 できることなら今から追いかけて殴り飛ばし、二度とリーゼの前に姿を現すなと言い放ちたい。

 だが、そんなことをサムがすることをリーゼは望まないとわかっている。

 なにより、一度感情に火がついてしまったら、サムは自制できる自信がなかった。


(――殴るだけじゃ我慢できない、リーゼ様を怯えさせやがって、殺してやりたい)


 そうしないのは、この場が城下町であることや、決闘の場ではないからだ。

 サムとしては少々咎められても構わないが、リーゼや花蓮、そして世話になっているウォーカー伯爵家に迷惑をかけることは望まない。

 愛する人たちが増えたことで、今までに比べて身動きが取りづらくなったと痛感する。

 以前なら、きっと悩むことなく行動に移していただろう。


「サム、花蓮」

「はい」

「ん」

「今日はありがとう」

「いいえ、そんな」

「こちらこそお礼を言いたい」

「そう……でも、ごめんなさい。せっかく楽しかったの水をさしてしまったわね」

「リーゼ様が謝る必要なんてありませんよ」

「その通り」

「うん。でも、ごめんなさい」


 リーゼは、する必要のない謝罪をすると、サムと手を繋ぐことなく歩き始めてしまう。

 サムと花蓮が慌てて追いかけ、声をかけるが、リーゼは空返事ばかりだ。

 結局、屋敷についても、彼女の曇った顔が変わることなく、ついにその日は再び笑顔を見せてくれることはなかった。



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