41「木蓮様が伯爵家に来ました」




 アルバートとの決闘、灼熱竜との激闘、そして囚われていた竜の子供たちの救出という慌ただしい一日を終えた、翌日の朝。

 目元に隈を作ったサムの部屋に、灼熱竜が訪ねてきた。

 彼女は「お茶を出せ」とサムに要求すると、我が物顔でソファーに座り足を組む。

 少し前にメイドが持ってきてくれた紅茶があったので、自分の分と一緒にカップに注ぐと灼熱竜に手渡した。

 サムは彼女と同じようにソファーに腰を下ろすことなく、窓の外を眺めながら、治療のためにわざわざ伯爵家を訪れてくれる宮廷魔法使い第一席の木蓮の到着を待っていた。


「ふむ。人間の住まいも、食事も、意外と悪いものではなかったな」


 優雅にお茶を飲みながら、灼熱竜が満更ではない顔をしてそんなことを言う。

 サムは彼女の顔を見て苦笑した。


「そりゃよかったよ」

「なんだ、貴様寝不足か? 覇気がないぞ?」

「いや、うん、そうだけど、そこはスルーしておいて」

「よくわからんが、わかった」


 昨晩、リーゼから告白をされたこともあって一睡もできなかったのだ。

 結局、彼女へ対する答えが出ぬまま、ベッドの上で悶々と朝を迎えてしまった。


(リーゼ様とどんな顔をして会えばいいんだ?)


 最愛の人であるウルは、自分が誰かと恋をして家庭を持つことを望んだ。

 ウルを忘れることはできないだろうが、いつかそんな日が訪れればいいと思っていた。

 亡き師匠を安心させるためにも、彼女の分まで幸せになりたい。

 それが弟子としての孝行だと思っている。

 だが、まさか、その相手にリーゼを、などという不遜なことを考えたことなど一度もない。

 それゆえに、彼女からの告白は晴天の霹靂だった。


「そういえば、アリシア様と遅くまで話をしていたみたいだけど?」


 また思考の渦に囚われそうになったので、サムは灼熱竜に話題を振った。

 彼女は昨晩のことを思い出したのか、朗らかな笑みを浮かべて肯いた。


「アリシアはよい娘だ。子供たちがみんな懐いてしまったことは、母として寂しくはあるが、子供たちに友ができたことは素直に喜ばしい。我にも臆せず笑顔で話しかけてくる。あのような娘は少ないだろう」

「アリシア様、すごいなー」


 男性が苦手で、気の弱い一面のあるアリシアが竜に物怖じしないことに改めて驚く。

 竜が登場する物語を愛読していたゆえに、実物を見て喜んでいるらしいが、戦闘能力が皆無の彼女が天災と呼ばれる竜と親しくする姿はサムだけではなく家族たちも信じられないようだった。

 しかし、穏やかで優しいアリシアらしく、灼熱竜とその子供たちから気に入られているようだ。


「あの娘には、柔らかな雰囲気がある。それは我ら幻想種が好むものだ」

「アリシア様に柔らかい雰囲気があるのはわかるけど」

「貴様たち人間にはわからぬだろう。我らでもなんとなくでしかない。ただ、アリシアが好ましいと思うのは、雰囲気だけではなく、あの娘の心根が素直でよい人間だからだろう。あの娘は、我らを恐れず、ありのままを見て接してくれる。そんな人間は初めてだ」

「お優しいアリシア様らしいな」


 実際、アリシアはとてもいい子だ。

 サムも慣れて会話するまで時間はかかったが、ウルの話をするときや、各地を転々としていたときの話をすると、とても嬉しそうに聞いてくれる。

 話をひとつするごとに、まるで劇でも楽しんでいるようにかわいらしい顔に様々な表情を浮かべてくれるのだから、こちらも話す声に力が入るものだ。


 またウルを失った家族でありながら、サムを心配してくるなど、気配りもできる。

 もっともこれに関しては、リーゼをはじめとしたウォーカー伯爵家のみんながそうだ。

 言うまでもなく、伯爵家のみんなは心優し人たちだった。


「うむ。昨日も、風呂で子供たちや我を丹念に洗ってくれもした。あの娘の洋服も着心地がいい。アリシアには実に世話になった。あのような人間ばかりなら、我らも平和に過ごせるのだがな」

「人間がみんなアリシア様のような方だったら、俺たちだって争いなく平和に暮らせるよ」

「違いない」


 サムと灼熱竜は顔を見合わせて笑った。

 すると、窓の外から馬車の音が聞こえる。

 窓から顔を出すと、装飾を施された大きめな馬車が屋敷の前に止まっていた。


「おっと、話をしている間に木蓮様がおいでになったようだ」


 灼熱竜がサムの隣に移動して、同じように馬車を見る。


「ほう。あそこにこの国最高の回復魔法使いがいるのか、ふむ。なかなかの魔力だ」

「わかるんだ?」

「無論。貴様が膨大な魔力を持っていることと、もうひとつ強大な魔力を持っていることも、そしてふたつめの魔力に枷をつけて封じていることもわかる」

「――おっと。それは内緒にしておいてくれないと困るかな」


 魔力をふたつ持っていることをあっさり見抜かれてしまったが、驚きはしない。

 人間を遥かに超越した竜が相手なのだ。

 このくらいは想定済みだ。

 サムは人差し指を自分の口に当てて、黙っていてとポーズをする。

 灼熱竜は不機嫌な顔をして、鼻を鳴らした。


「ふん。言う相手もおらん。だが、我と戦ったときは全力ではなかったことが気に入らん」

「全力だったさ。強すぎる魔力を扱うには、俺の体はまだできあがってないからね。あれで全開だよ」


 もう少し戦いが伸びていたらスキルを解放していただろが、今はそうならなくてよかったと心底思っている。


「そういえば、まだ貴様は子供だったな。背も小さい」

「別に俺は小さくない! 成長すればもっと伸びるから!」


 サムはまだ十四歳だが、身長は百六十センチほどだ。

 前世の日本の平均身長に比べると若干低いが、決して小さすぎるというわけではないと思っている。

 食事面も関係していると思われる。


 この世界の料理は、決してまずいわけではないが、シンプルなところがある。

 栄養バランスを気にする人間もおらず、平民には質素すぎる生活をしているものだって多いのだ。

 いずれ食事に関してもいろいろ手を加えて披露してみたいと企んではいるものの、今までそんな暇も余裕もなかった。


「そうえいば、我が子の枷を切り裂いたスキルも使っていなかったな」

「あのスキルは使い勝手が悪すぎるんだよ。極端に力を押さえて使うか、全力で使うかのどちらかだから。あんたに使っていたら、今頃バラバラになっていたぜ」

「ぬかせ。我が鱗なら耐えられたわ」


 どうだか、と内心思ったが口にはしなかった。

 再戦を望まれても面倒だ。

 サムは窓から離れ、鏡の前に立ち佇まいを整える。

 これから宮廷魔法使いの第一席に会うのだから、失礼のないようにしたい。


 準備を整えていると、コンコンとノックされる。

 サムが返事をするよりも先に、灼熱竜が音もなく移動し、扉を開けた。


「サム様、灼熱竜様、木蓮様がおいでになられましたわ」


 竜の子供の背に乗ったアリシアが呼びにきてくれた。

 子竜はサムを見つけると、嬉しそうに鳴いてくれたので、つい笑みが溢れ三体を順番に撫で回していく。


「アリシア様、ありがとうございます。しかし、随分と仲良くなりましたね」

「ええ! 本当は一緒に眠りたかったのですが、お疲れのようでしたから。でも、元気を取り戻してくれたようで、朝からずっと一緒ですわ!」

「我が子たちは、朝食の時間からずっとアリシアにべったりだ」


 母親の顔をして灼熱竜が笑う。

 アリシアと子竜が仲良くしているのを満足げに見ていた。


「サム様も、お時間ができましたらご一緒に遊びましょう」

「ええ、ぜひご一緒させてください。おっと、そろそろ行かないと。木蓮様をお待たせさせるわけにはいきませんしね。さ、いこう」


 灼熱竜を促すと、彼女と一緒に部屋を出た。


「我は回復魔法は最低限しか使えないので助かる」

「治療が必要なほど怪我することもそうそうないだろうしな」

「誇って良いぞ。我をここまで痛めつけた人間は貴様が初めてだ」

「そりゃ光栄なことで」


 応接室に向かいながら、灼熱竜と軽口を叩き合うサムだったが、少しだけ気になっていたことがあった。


(いつもだったらリーゼ様が呼びにきてくれるはずなんだけど……昨日の今日だし、気まずいのかな? それとも俺の考えすぎかな?)


 毎日当たり前に顔を合わせていたリーゼと、まだ今日は会っていない。

 そのことがどうしようもなく寂しく思えた。



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