39「その頃、ラインバッハ男爵家では」③




 ――ラインバッハ領では、旅支度を整え武装した過激派メイドが、いざ屋敷を飛び出さんとして同僚の老執事に羽交い締めにあっていた。


「今行きます、ぼっちゃま!」

「おやめなさい」

「止めないでください、デリックさん!」


 玄関前で叫ぶメイド――ダフネは、最愛のサムが王都で宮廷魔法使いと決闘する情報をギルド経由で耳にしていまい、王都に向かおうとしているのだ。

 老執事デリックはそんなダフネを必死に止めているのだ。


「止めますよ。ダフネが王都に行ってなんになるのですか」

「ですが、私のかわいいぼっちゃまが宮廷魔法使いと決闘するんですよ! しかも、この国最強の男とです!」

「それは私も驚いていますが、ダフネが行ったところで決闘が取りやめになることはありません。そもそも今から出発しても数日かかるので決闘に間に合いませんよ」

「――田舎であることが憎いです!」


 綺麗に掃除が行き届いた床に手をつき、さめざめと泣くダフネに、デリックは呆れたように嘆息した。


「あなただけではありません、使用人たちもサムぼっちゃまのことを心配しています。魔法が使えるとはいえ、まだ子供のサム坊っちゃまが、アルバート・フレイジュと戦えるのか、と」

「ギルドで情報をもらいましたが、お世辞にも褒められるような人間ではないみたいですね」

「噂話で人格を判断したくありませんが、実力だけで最強の座を手に入れた男のようです。ただ、その際に行われた決闘も、お世辞にもよろしくなかったとも」

「そんな野蛮な輩とかわいいぼっちゃまが戦うなんて、このダフネが許しません!」

「ですから、残念ですが私たちにできることはないんですよ。サムぼっちゃまは優れた師匠と巡り合ったと聞いています。ならば、その方が導いてくださるでしょう」

「――そうであればいいのですが」

「それに、ダフネには仕事が山積みですから、逃しはしませんよ。さ、ヨランダ様がお呼びしていますよ」


 ヨランダ、という名前を聞き、ダフネの顔色が真っ青になる。

 立ち上がって逃亡しようとしたダフネだが、襟首をデリックに掴まってしまった。

 ダフネはじたばたと足を動かし抵抗する。


「もう嫌です! あのわがままババァの癇癪に付き合うのはごめんです!」

「あなた以外に相手ができないのだから仕方がないでしょう」


 現在、ダフネをはじめとする使用人たちは、ラインバッハ男爵家『側室』のヨランダのことを持て余していた。

 事の始まりは、ラインバッハ男爵家次男のマニオンが長男のサムを勝手に追い出してしまい、父の怒りを買ったことからだ。


 サムと子爵家の縁談が決まりかけていたところに、この事件。

 先方は娘がサムを気に入っていただけに激怒した。

 無論、勝手にサムを追い出したマニオンに父カリウスも激怒するが、息子に反省はなく、ヨランダは能無しがいなくなってせいせいするとばかりにマニオンを庇う。


 これに愛想が尽きたカリウスは愛人の家に入り浸り、そして側室として迎えることを決めた。

 愛人ハリエットは気立てのいい町娘だったこともあり、癇癪を起こす悪癖のある妻に辟易していたカリウスは彼女の存在にとても癒されていた。

 さらに、ハリエットにはハリーという息子がいる。

 マニオンとは違い、笑顔と剣の努力を絶やさないいい子だった。

 しかも、剣士としての才能もある。

 カリウスが可愛がらないはずがない。


 結果、カリウスはハリエットを側室ではなく正室として、ハリーを後継者として家に招いてしまった。

 これをヨランダが黙っているはずがない。

 今まで正室としてふんぞりかえり、使用人を顎で使い、気に入らなければ好き勝手に癇癪を起こして暴れていたのだ。

 そんな自由な生活と、愛息子の未来も潰えてしまうことを恐れたヨランダは、あろうことかハリエットとハリーの殺害を試みた。


 あまりにも短慮な行いだった。

 しかも、自分で手を下すのではなく、使用人に命令して食事に毒を入れようとしたのだ。

 無論、忌み嫌われているヨランダの命令に従う使用人はおらず、カリウスに告げ口されてしまった。


 結果、愛想の尽きていた妻の愚かな行為に激怒したカリウスは、屋敷の片隅にヨランダを軟禁し、放置している。

 以来、世話を最低限しかしなくていいと言われていた。

 食事を運ぶことと、部屋から出るときの監視だけがダフネたちメイド役目だ。


 ただ、ヨランダはそんな状況になっても、「私は悪くない!」「私は被害者だ!」と訴え続け、世話をしてくれるメイドたちに「私の味方をしないと家族をひどい目に遭わせるわよ!」と恫喝したせいで、さらに嫌われ、まともに相手にされなくなった。

 以来、付き合いの長いダフネだけが味方であると勝手に信じているようで、呼び出しては文句を言い、癇癪を起こすことの繰り返しだった。


「もともと嫌われていたのに、殺人を命じられた挙句、失敗したのは私たちのせいだなんて文句を言われていますからね。というか、新しい奥様はとてもよい方ですから、あのババァに味方するわけがないじゃないですか」

「……殺人未遂でしたからね。旦那様はこの一件で完全に見限ったようで、離縁の手続きを進めています」

「あら、それは素晴らしい」

「ヨランダ様は納得しないでしょうが、離縁で済んだことに感謝すべきでしょう。聞けば、激昂し、剣を持ち出した旦那様をハリエット様がお諫めになられたとか。自分が悪いのだから、大事にしないでほしいと」

「命を狙われたのにできたお方です。というか、あのババァも命を狙うなら奥様ではなく旦那様でしょうに。外に女を作り、正室と後継者を変更したのは、他ならぬ旦那様なのですから」


 ダフネとしては、サムを蔑ろにしてきたカリウスが殺されようが構わない。

 ヨランダが自業自得になったのもざまあみろとしか思わない。


「もうあのババァもクソガキも貴族としての未来はないでしょうね。ぼっちゃまを散々苦しめた罰です。いい気味ですよ」


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