35「ご両親は娘を見守っています」




 サムの腕を掴んで楽しげに屋敷から駆け出していくリーゼの姿を見ている人影があった。

 ウォーカー伯爵家当主のジョナサン・ウォーカーとその妻グレイスだ。


「あなた、見てください。リーゼったらあんなに生き生きとしていますわ」


 そう言うグレイスの瞳には涙が浮かんでいた。


「サム殿には感謝してもしきれないな。辛い目に遭ったリーゼとどう接していいのかわからず、腫れ物を扱うようにしていたが、それが正しかったかどうか私にはわからない」

「わたくしもです」

「しかし、サム殿が我が家で暮らすようになり、リーゼは明るくなった。以前のような、快活さを取り戻してくれた。親として、これほど喜ばしいことはない」

「きっとサム殿があの子の過去をなにも知らないというのもよかったのでしょうね」


 妻の言葉に伯爵が同意するように頷いた。


「きっと私たちでは、ついリーゼの身に起きたことを思い浮かべてしまうからな。聡い子だ。私たちの些細な態度から、それを見抜くだろう」


 もう娘たちの背中は見えない。

 聞こえていた会話から狩りに行ったことはわかっている。


 心配はしていない。

 リーゼは剣聖の元弟子であり、サムに至ってはあのウルリーケの弟子である。

 王都周辺は騎士と冒険者たちが定期的にモンスターの討伐を行っているし、王都を囲むように結界も張られているので、弱いモンスターしかいないことはわかっている。

 時折、どこからか強いモンスターが流れてくることもあるが、それは稀であるし、ふたりの実力なら問題ないだろうと判断している。


「わたくしは未だに思うのです。どうしてリーゼが、あのような目に遭わなければならなかったのか、と」

「私も同意見だ。――よい結婚だと思ったのだが、まさか嫁ぎ先であのような扱いを受けるとは思っていなかった」


 かつてリーゼは結婚していた。

 しかし、その結婚はお世辞にも幸せなものではなかったのだ。

 ウォーカー夫婦は娘が苦しんでいることに気づくことができなかったことを悔いていた。


 ようやく娘が酷い扱いを嫁ぎ先で受けていると知り、離縁させたのはいいが、明るく元気だったリーゼの面影はなくなっていた。

 そんな娘とどう接していいのかわからず、ずるずると時間だけが過ぎてしまっていたのだが、ここで変化が起きたのだ。

 それは、サミュエル・シャイトという少年のおかげだった。


 長女ウルリーケの弟子である彼が屋敷に滞在し、リーゼがサムの面倒を見るようになると、以前のような明るさを取り戻していった。

 もう握ることはないと思っていた剣を再び握り、サムを鍛え出したのだ。

 気づけば、かつてのようによく笑うようになっていた。

 これもすべてサムのおかげだと伯爵夫妻は彼に心から感謝している。


「聞けば、あの男は再婚したそうです。リーゼよりも若い、成人したてのお相手だとか」

「腹立たしいことだ。だが、もうどうでもいいことだよ。すでにあの男、いや、あの家との縁は切れている」

「そうですわね。せめて、新たにあの家に嫁いだ女性がリーゼのような目に遭わないことを祈るだけですわ」

「――そうだな」

「ごめんなさい。暗い話をしたかったわけではないのです。ただ、リーゼが昔のように笑ってくれるので、つい」

「わかっている。幸い、サム殿はしばらく王都にいるだろう。それこそ、宮廷魔法使いを目指すのならば、年単位のはずだ」


 仮にサムが瞬く間に宮廷魔法使いの地位を手に入れたとしても、今度はその立場ゆえの義務も発生する。

 最強の魔法使いを目指すとはいえ、宮廷魔法使いになれば相応の働きは求められるのだ。

 さすれば王都から、いや、この国から離れることはそうそうできないだろう。


「リーゼが聞けば喜ぶでしょう」

「違いない。いっそ、サム殿とリーゼを結婚させたいと思ってしまうのだが」

「サム殿がウルリーケを愛しているのは存じています。その気持ちも簡単に変わることはないでしょう。親として、娘をあれほど深く愛してくれていることには感謝しかありません」

「しかし、サム殿にもサム殿の人生がある。ウルリーケのことをいつまでも引きずっているのは、あの子自身が望まないはずだ」

「もちろんです。しかし、まだ早急過ぎますわ。サム殿はまだウルリーケを失ったばかり。落ち着く時間が必要です。それに、リーゼだってまだサム殿を男としてみていないでしょう」

「そうだな、少し気が早かった。私も、リーゼがあんなに笑うものだから、ついな」


 夫妻の目から見ても、まだサムとリーゼの関係はなかのいい姉弟のようだった。

 もしかするとリーゼは弟以上に想っているのかもしれないが、サムは姉止まりだろうと思う。

 ふたりとしては、サムのような真っ直ぐで好感の持てる少年が義理の息子になってくれるのなら嬉しい。


 だが、結婚で一番大事なのは、当事者たちの気持ちだ。

 貴族なので甘い考えなのかもしれないが、一度娘が結婚のせいで不幸になった以上、慎重になるというのが親心だった。


「本当にあなたは娘たちに甘いのですから」

「お前が厳しい分、私が甘くしてもよかろう。厳しくして嫌われるのはごめんだ」

「あらあら、あなたったら」

「ふふふ。さて、リーゼのことはしばらく見守るとしよう。いずれ、サム殿もあの子の過去を知るかもしれない。そのときに、支えてくれるのであれば、託してもよしだな」

「あなたは息子を欲しがっていたので、嬉しそうですわね」

「サム殿は実によい少年だ。聞けば、あまり生家でよい扱いをされてなかったと聞くが、それでも腐らずに真っ直ぐでいる。まだ成人していないのが残念だ。酒でも組み交わしたいのにな」

「すっかりお気に入りですわね」


 サムをベタ褒めするジョナサンに、グレイスが苦笑した。


「ウルリーケの弟子だったことを抜きにしても、魔法の才能に溢れ、礼儀正しく、好感が持てる良い子だ。実の子であれば、とつい思ってしまうよ」

「では、いつかわたくしたちの子供になってくださることを期待しましょう」

「そうだな。いずれ宮廷魔法使いを目指すのであれば、後ろ盾も必要だ。そのときに、我が一族の養子にすることだってあるかもしれん」

「きっとウルリーケが知ったら驚くでしょうね」

「いいや、よくやったと褒めてくれるさ」


 そう微笑む夫に、妻は頷く。

 ウルリーケを失ってしまったことは、まだ悲しく、立ち直るのは時間が必要だろう。

 しかし、娘は縁を残してくれた。

 サムという娘のすべてを受け継いだ、才能溢れる少年との縁だ。

 彼のおかげで、すでに次女リーゼが明るさを取り戻してくれた。


 夫妻は娘の残してくれた縁を大切にしていきたいと心から願うのだった。




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