第二十一話 八炎獄 黒浄灰

『大聖!!』


 作戦開始と同時に、大聖を呼び戻す。そのまま蚩尤に攻撃を続ける火黒先生とたゆたを残して大聖が觔斗雲に乗って、一瞬でこちらに帰って来る。


 大聖が微ちゃんを背負い、烏の姿となったライムの背にはハヤブサが乗る。二人の側に専也と麗君が駆けて来ると、麗君が作り上げた二本の矢を専也に預ける。


『時間と、力不足のため性能はガタ落ちであるが……これならばあの蚩尤にも刺さる矢だ。だが、二本が限界である。ここぞというタイミングで放つこと……替えはもうないぞ、このは』


 アポロンの金の矢。それは、ヘパイストス神が生み出した伝説の矢だ。一度放てば相手を苦しませずに瞬殺させるという恐るべきものだが、今回は錬成の時間と麗君の力が万全ではなかったことからアポロンの金の矢までの威力はない。


 だが。あの巨体に刺さる、それだけで今は十分なのだ。


も一つあったものを二つに分けました。これもストックはありません、気をつけて』


 専也が紫色の禍々しい色をした肉をアポロンの矢に刺して、漸くそれが完成する。


 ゾンビの腐肉。たゆたのアイテムに入っていたそれは、相手をゾンビに変えるというもので体内に腐肉を入れるか傷口などに触れるさせるだけでゾンビの仲間にする。


『ハヤブサ、しっかりな』


『腕、鈍ってないだろうねー?』


 ライムとハヤブサの周りをみんなが囲むと、ライムに乗ったハヤブサが何も言わずに口を閉じたまま固まっている。流石に緊張しているのだろうとみんなで目で合図をしてから彼に声を掛ける。


『いざとなったら、弓なんてぶん投げて矢だけ刺して来いよ。お前ならそれくらいしでかしそうだ』


『やだ、尊君ってばそれは酷いっ……でも、たしかに!』


 ははは、とみんなが笑いながらハヤブサの手を握ったり肩を叩いたりする。みんなに揉みくちゃにされ、海我に頭をボサボサになるまで掻き乱されるとやっと彼が笑顔を見せてくれるようになった。


『ごめん、ハヤブサ君……。でもこれが二人いるだけでかなり上手くいく確率が上がる。あの巨体をより早くゾンビ化させるためにも二箇所からの攻撃はかなり良いと思う……何より、片方がやられても……最悪、もう一人がいる。勿論そうならないようにいざとなれば僕らが必死に囮になるから!! 死ぬ気で目立つから、マジでリアルにっ!!


 ……だから、君は遠慮なくぶっ放してきてよ。弓道部が転部する君に泣いて縋ったほどの実力を、バーンと派手にさ!』


【私も精一杯サポートさせていただきます。我が兄弟が大切にするあなた方には、もう傷一つ増やすことも許されませんから】


 わしゃわしゃと、みんなで烏の姿となったライムを撫で始める。止めなさい、と何度も抗議の声を上げるライムだったが声を上げるだけでその手を振り払うことはなくさせたいままにしてくれた。


 飛び立ったライムとハヤブサ。大聖の方では微ちゃんがその背に乗ってから姿を消したのを見守ってから俺たちは走って蚩尤と戦うたゆたと火黒先生の元へと向かった。蚩尤がライムと大聖に目を向けた途端、それを阻むようにたゆたが駆け出して蚩尤の足元に明星を振り被る。しかし、大木のように太い足に付けられた赤い足枷から何本もの赤い鎖がたゆたを襲う。それを視認するとたゆたは床に明星を叩き付け、飛び散る破片を器用にも蹴り付けることで攻撃を躱してみせた。進行方向を変えられてモタつく鎖を突破して、彼女は今度こそ両手に掴んだ明星をその片足目掛けて放つ。


 明星によって砕かれた、左足の赤い足枷。蚩尤がそれを確認するために下を見た時、誰よりも声が高く通るきぐねが高らかに叫ぶ。



『今よッ!!!』



 大聖に背負われた微ちゃんが瞬時に行動に移った。姿を現して、狙いをすぐに決めてから首に向けて矢を放つ。その矢は見事に蚩尤の首の側面を捉えて矢が刺さった場所から徐々に肉が紫へと変色していく。


『ハヤブサはっ……!?』


 ハヤブサの矢は、どうなった!?


 闇を裂くように羽ばたくライムが、鳴いた。その声に誰もが声を上げて拳を突き上げた。衣服に隠れていない蚩尤の左手から覗く僅かな隙間に、確実に矢が刺さっていたのだ。


『アイツ、あんな隙間を狙いやがった!』


『やばっ……神じゃん』


 喜び合う仲間たちの元に、大聖が空から降りて来た。微ちゃんを降ろすと彼はすぐに俺の元へ走って来たから俺も同じように大聖へと走り寄る。


『大聖!! やったよ、二人共凄い……大聖もありがとう! 大聖も早かった、目にも止まらないスピードだったよ!!』


 流石だと何度も褒めるも、彼は曖昧に頷くばかりで喜ぶ様子がない。どうしたのかと問いかけると、大聖はなんでもないと首を横に振ってから……右手を差し出した。


 なんだ? こんな時に、握手……?


 迷うことなくその手を握ると、大聖はそれを強く握り返した。あまり痛くないが、確かに力の込められたそれに困惑しているとすぐに手は離れた。


【いってくる。じゃあな、小僧】


 觔斗雲に乗り、また闇を走り出した金色の線を見ていた。すぐ側から火黒先生を連れた勝命君がやって来る。火黒先生を迎えに行き、作戦を説明しながらこちらに合流してもらったのだ。


『ったく……とんでもないこと思い付きやがるな。だが、それしかねーんじゃやるしかねぇか。


 斉天大聖を追えば良いんだろ? しっかり上げといてやるから、後は任せるぞ』


 大聖を追う様に走り出した火黒先生を見送ると、辺りに変化が起こる。


 酷い呻き声と、地鳴り。ゾンビの腐肉を傷から擦り込まれて体を侵蝕されていく蚩尤。死獣へと変化していく、その大体は皮膚。紫に所々変わり、精神も侵されているのか言葉も殆ど発しない。厄介なのはゾンビとなったことでより好戦的になり、生きる者を襲うところだが今はむしろ好都合。


『ライム!!』


 俺たちを見た蚩尤は、何の迷いもなく襲い掛かる。それも全て計算済みだ。こんなに大勢が固まっていればゾンビとなった蚩尤は襲い掛かる他ない。


 そんな俺たちの前に立ち塞がる、たゆたとライム。


『武継分通!! “五杖罪幻ごじょうざいげん”!』


 たゆたの手元に現れるのは、ライムの赤い花が施されたあのステッキと瓜二つの武器。それを地面に突き立てるたゆたの横で、ライムが同じようにステッキを取り出して同じ動きをする。


『【炎展火えんてんか】』


 地面が隆起する。


 そしてそれは限界を超えたように、炎の塊が爆発した。溢れる炎は空に向かって迷いなく放たれるとこちらに手を伸ばそうとした蚩尤に正面からぶつかった。きっと、先程までの蚩尤ならばこんな大掛かりな魔法にかかることはなかった……武器を駆使していた武神は死獣となり判断力もかなり落ちている。だから、苦手な炎に声を上げて苦しんだ。


 そしていよいよ、作戦の鍵となる彼による術が発動した。蚩尤の後ろで眩い光が生まれてはすぐに消えた。光の代わりに現れた、巨大な炉の出現と共に。


 かつて斉天大聖を閉じ込め、灰にするために活用されたとされる太上老君が鉛を煉して仙丹を作るためにあったそれの名は、“八卦炉はっけろ”。蚩尤を超えるその大きさと、不気味に佇む静けさ。観音開きのそれが音を立てて開くと、流石の蚩尤も俺たちの意図に気付いたらしく慌ててそれから離れようとする。


 八卦炉からは、かつてないほどの熱量が溢れていたから。


『やば、アイツ逃げる気だ』


『くそ、たゆたとライムの火の魔法で少しはダメージを受けたのに!!』


 作戦の中では、たゆたとライムのダブル魔法により蚩尤にもう少しダメージを与えて押し込む予定だったが予想外に蚩尤が頑丈だった。その場から離れれば離れられるほど八卦炉に入れる機会が遠退く。焦る声が飛び交う中、彼女はどこまでも冷静だった。


『白呪!!』


 走り出したたゆたに、白呪がすぐに反応して彼女を追い掛ける。何の迷いもなく未だ火を纏う巨人へと勝負を仕掛けに行くのだ。暴れながら八卦炉を恐れる蚩尤は、まだ気付かない。


 気が付けば、みんなが声を上げていた。


『がん、ばれ……頑張れ、頑張ってくれ、たゆたーっ!!』


『叩き込め、たゆた!!』


『たゆたちゃん!!』


 跳躍する白呪に抱き上げられ、空中でたゆたは迷いなく蚩尤を指差して告げる。




『お願い、白呪……。



 終わらせて。今、ここで』




 右腕を引いて、高く上げて拳を握りしめる。病的なまで白く透き通る様な見た目からは想像出来ないほどの、筋力。左腕で抱きしめた少女などなんの障害にもならない。むしろその存在こそが、彼の力のように。


 強き鬼が放った最後の拳は、蚩尤の腹を抉る様に打ち込まれた。


 蚩尤が認識出来なかったその拳は深くその身にダメージを与え、その巨体を投げ飛ばすほどの威力を見せた。つまり。蚩尤は八卦炉の入り口に足を滑らせ……その中へと引き摺り込まれたのだ。


 静けさの中で、白呪の咆哮が武道場を満たした。その声に正気を取り戻すと白呪の腕の中のたゆたが両腕を伸ばしながら俺たちに手を振っているのを見て……漸く実感が出た。俺たちの、勝利に。


『ぃよっ、しゃあぁあああああっ!!』


『あーっ!! やったー!! キタコレ、マジかぁ!!?』


 そこら中で歓声を上げ、みんなでハイタッチや万歳の嵐。勝命君たちとも喜び合い、みんなで涙まで流し始める。


 勝ったんだ、やっと蚩尤を倒した!


『たゆた!』


 白呪に抱えられたままこちらに帰ってくるたゆたを迎えるように、手を振りながら彼女を待つ。




 何事か叫ぶたゆたの様子が可笑しいことに気付いたのは、そのすぐ後。



『らいむ、まもれっ!!』


 掠れた声で叫んだたゆたの、その言葉を理解する間もなく俺は突如として何かに足を掴まれたかと思えばそのまま……宙に身を投げ出されていた。


 はっ……?


 逆さ吊りになりながら状況を確認しようと足を見た。右足には、赤い鎖がグルグル巻きになってそこにあった。見慣れたそれの何たるかを理解して……八卦炉を見た。


 八卦炉の中で、その身を入り口だけで留めて生きている蚩尤を上から確認し……言葉を失った。


『アイツっ……!! ふざけんなよ、どんだけしぶてーんだよ!!』


 何度も左足で鎖を蹴り付けるが、神の鎖が人間の蹴りでどうにかなるはずはなく体力が無駄に消費されるばかりだ。


『尊っ……!!』


 聞き慣れた声に振り返ると、同じように鎖によってお腹を補足されたきぐねが泣きながらこちらを見ていた。


『きぐね!! 慌てるな、暴れても鎖は切れない! とにかく、落ち着いて待つんだ』


『っ……わかった』


 きぐねと俺、もう少し遠くには千之助や専也、海我と笑も鎖に捕まっていた。地上では麗君とたゆたたちによって救助のために動き出していたが……数が、足りないだろう。


 ハヤブサと微ちゃんが矢を放って攻撃をしているが、やはりただの矢では鎖には傷すら付けることが出来ない。


『くそ、なんで俺たちをっ……』


 八卦炉の入り口で落ちない様に耐える蚩尤……ゾンビとなった彼と、目が合ったような気がして慌てて目を逸らす。


 ……まさか。


『アイツ、まさか俺たちを道連れに……』


 その答えに慌てて再び蚩尤に目を向ければ、まるでご名答だと言わんばかりに奴はニタリと笑うと耐えていた手をパッと放したのだ。


 声にならない悲鳴が上がる。蚩尤が飛び込むと同時に俺たちも一気に八卦炉へと引き摺り込まれる。


『八卦炉の秘密にも気付いたのか……!?』


 大聖は、八卦炉に化けることは出来ても中の火力までは再現出来ないと言ったのだ。そこで今回、その火力を担ってもらうことになったのが火黒先生だ。火黒先生の切り札で、八卦炉に火を灯す。


 だが。今ここで俺たちまで八卦炉に入ることがあれば、火黒先生は火を消す他なくなる。


『最悪だ……!!』


『何よ、どうしたの!?』


 鎖によって無理矢理引き摺り込まれる中、きぐねに手早く現状を伝えた。伝えてからふと、彼女が更にパニックになってしまうかもしれないと己の軽率さを恨んだが……必要なかった。


 きぐねは泣きながらも、きゅっと眉を顰めながら笑っていたのだ。


『そう……。なら、静かにしてた方がいいかしら! 私たちも巻き込まれたってあの金ピカ屑野郎に気付かれたら、本気出さないかもしれないじゃない?』


『きぐね……』


 泣き叫ぶことも暴れ出すこともなく、きぐねはただ恐怖を噛み締めて耐えることを選んでいた。静かに火の灯る八卦炉を見つめながら、穏やかに語る。


『……今更、ここまで頑張ったのにチャラになんて出来ないわ。どれだけみんな、傷付いたと思ってるのよ。もうあのデカブツを倒すチャンスなんて巡って来ないでしょ』


『そうだな……。ないだろうな、二度と』


 一人じゃなくて良かったと、いつもなら決して溢さない弱音を言ったきぐねに俺もだと同意する。


 もう、八卦炉は目前。覚悟を決めた俺たちの決心を嘲笑うように……それは現れた。闇よりも、濃い黒を纏った悪魔とその背に乗ったたゆた。罪花を片手に持つたゆたは、きぐねの鎖を叩っ斬ってその身を抱きしめた。


『たゆたぁーっ!!』


 感極まった声を上げながらたゆたに縋り付くきぐね。助け出されてやっと枷が外れたのか、わんわんと泣くきぐねをあやしながらライムの背をしっかりと掴ませる。


『たゆた!! 他のみんなは!?』


『もう助けたよ、大丈夫!! 尊ちゃん、手を!!』


 その言葉に安心して、手を伸ばす。速やかに旋回してこちらに近付くライムの姿に、助かったのだと安堵したその時。


 最後の生贄を逃すまいと、グンと下から鎖を引っ張られて八卦炉へと引き摺り込まれた。掴むことが出来なかった手を、たゆたが必死に伸ばし……何か叫んでいる。


『……泣くなよ、たゆた』


 もう来ないで良い。


 来たら、ダメだ。危ないだろ?


『大丈夫……、きっと痛くないから』


 自然と口から出た言葉に、何故だろうと内心で不思議に思っていた。大丈夫じゃないし、きっと痛いだろう。死の直前には痛みを感じないだとか、何かで見たような気がするけど死ぬほど痛い思いをしながら、そうやって死ぬかもしれないのに。


 でも。そう言わなければ、目の前の少女が……死ぬほど辛いような、そんな気がしたから。何度も俺の名前を叫びながら、こちらに飛び降りそうな彼女にやめろと願いながら、俺は八卦炉に落ちた。






『尊さんっ……!!』


 白い、羽が見えた。


 黒ではない、白。いつの間にか鎖が千切れ、誰かに肩を持たれていることに気付いてその先を見れば……黒髪を靡かせた勝命君がいた。


『え!! しょ、勝命君!?』


『はい!! 今まで役立たずでごめんなさい、僕……役に立てましたかね?』


 大きな白い翼を広げて飛ぶ彼は、神というか天使の部類に見えた。照れながらも役立てたことが嬉しいのか、しきりに翼を動かす。どうやら翼を出せたのは今回が初めてらしく何度かフラつくも、勝命君は堂々と翼を広げて飛ぶ。


『さぁ、作戦も終局ですよ』


 全ての人質がいなくなり、蚩尤と赤い鎖だけが八卦炉へと吸い込まれる。鎖が全て八卦炉へと落ちると八卦炉の扉が勢いよく閉じられた。


 武道場全体に響くあの人の声が、作戦の終わりを告げる。







『空亡が告げる。


 これより、終末の炎が再臨に至る』


『命ある者よ、燃えよ』


『色ある全てよ、灰になれ』


『灰燼と帰し、風と共に散れ』




八炎獄はちえんごく 黒浄灰こくじょうかいっ!!』





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