第三話 鬼と子どもたち

 話し合いはすぐに結論が出た。教室を出て、他の生徒や先生たちと合流して速やかに学校を出る。勿論、普段と違う状況なのは嫌でもわかる。最大限の警戒と、注意を払って移動することで決まった。


『鞄は置いて行こう。荷物は後で取りに来たらいいさ。最低限の手荷物だけ持って、すぐに出るぞ』


 千之助の指示でみんなが廊下に出る中、何人かは自分の荷物から最低限の物を持とうと考えたらしく教室に少し留まる者もいる。


 専也の荷物が机に挟まれていたので一緒に出して、無事に小さなポーチを取り出した。それに少し時間が掛かって、もう誰もいないかと教室を振り返るとまだ二人残っている。


 ハヤブサとたゆただ。


『おい。ハヤブサ、たゆた。そろそろ行くぞー』


 ハヤブサは黒板の側、たゆたは教室の奥に並ぶ木製の棚の前に立っていた。たゆたは何か取りに行っていたのだろうが、ハヤブサは何か思い詰めたように黒板を眺めている。しかし声を掛ければ、ハッとしたように2人とも小走りでこちらに駆けてきた。


『もうっ、アンタたち遅すぎよ! こんな気味悪い学校、早く出たいんだからね』


『……すまんすまん』


 薄っぺらな謝罪を述べるハヤブサと、必死にきぐねに頭を下げるたゆた。対照的な二人に怒るに怒れなくなったきぐねは、脱力したように肩を落とすと手を払って“もう行け”と合図を送って許してくれたらしい。


 いよいよ出発だ。


 二人一組で二列を作り、必ずペアの人と離れないように。何かあっても必ずペアの人間とだけは離れないという約束で。


『よし。俺とハヤブサが最前列。二番目にきぐねと笑。三番目は専也と芽々。四番目に海我とたゆた。殿は新食と尊だ。


 いいな? 列から離れないように。例え何か異常事態が起こってしまっても、隣にいるペアは放すな。一人にだけはならないでくれ。連絡手段もない、こんな時だ。大勢でいた方が安心だろ? 何か質問は』


『行き先は?』


 千之助の質問に真っ先に問うたのは、海我だ。腕を組んで列に並ぶと、隣のクラス一小さなたゆたとの身長差がえげつない。しかしこの配置には誰もが納得だ。


 海我は、たゆたにだけは弱いから。


『……移動中に何の情報も得られないようなら職員室だな。職員室にも誰もいなければ、体育館だ。先に体育館に行くのは道順的にも良くないだろう。最後に俺たちが集まっていたのも体育館、誰か一人くらいはいると信じたいが……』


 千之助の見る先には、見たこともない暗闇に包まれた学校の廊下。文化祭では寝泊まりもした、あの慣れ親しんだ学び舎と同じだとはとても信じられない。


 俺たちの学校は、こんなにも冷たい空気が渦巻く不気味な建物だっただろうか。知らない廃墟にでも迷い込んだような気分だ。


『さぁ、行こうか』


 歩き出した俺たちは、まずは職員室を目指すために東の階段を降りるために移動している。すぐ近くの階段からも一階の職員室には行けるが最奥にある三組から一組や二組の様子も見たいし、何より東階段からの方が職員室は近い。


 目の前には海我の背中。殿の俺と新食は、常に背後の警戒も忘れない。スマホの僅かな光を照らしながら、背後で人が通らないか気を配る。


『……廊下の電気もダメか。全く、どうなってるんだ学校は』


 千之助が廊下の電気を点けようとするも、スイッチは全く反応しなかった。静かな廊下に虚しくスイッチのオンオフする機械の音だけが響くのみ。


 なんとなくわかっていたことだが、この暗闇には慣れそうもない。


『〜〜♪』

 

 誰もが固唾を飲むような空気を、ただ一人読まない男が隣にいる。新食は器用にも歩きながら前列を歩くたゆたの髪を編んでいるらしい。


 この暗闇で、見えるのか?


 辺りは暗くて夜よりも闇が濃い。外からの月光も星の明るさも届かない。たまに壊れたように一瞬だけ灯る蛍光灯が唯一の光。


『はい。でーきた。ヘアゴムだけじゃ味気ないなぁ……、あ。ねぇ尊、卒業生の花貸してよ』


『ああ、これか? ほら』


 胸ポケットに付けていた、卒業生の証でもある造花を取って新食に渡す。みんなで色が違って、俺がしていたのは白の花。


『サンキュー。


 ほら! 可愛くない? いいね、白いのだったからたゆたんのイメージカラーにぴったりじゃん。明るかったらもう少し手が凝ったの出来たんだけどねー』


『ああ。似合ってるぞ、たゆた』


 スマホで照らして見れば、たゆたの短めの髪を編み込み真ん中に飾られた花がよく似合っていた。


 そっと髪に触れたたゆたは、嬉しそうにこちらを向いて笑ってくれた。


『凄いよ、新食君ありがとう! 尊ちゃんも、ありがとう。卒業式には、絶対にお花返すからね』


『どいたまー。元気でた? 飴もいるー? たゆたんの好きなのあるけど』


 飴は断ったたゆただったが、すっかり元気になって楽しそうに歩き出した。そんな彼女の姿にみんなも安心したように元の雰囲気を取り戻し始めた。


 海我と目が合うと、少しだけ目尻を下げた彼に相槌を打って、またみんなで移動を続ける。


 海我とたゆたは、遠い親戚同士。海我がいたから、たゆたはすぐにクラスに馴染めた。たゆたがいたから、海我はクラスに戻ってくることが出来た。まるで共通点のない者同士だが、なくてはならない二人なんだ。


『……二組と一組、様子が変』


 ハヤブサの一言に、空気が一瞬で塗り替えられる。いち早く教室の様子を見ていたハヤブサの側に、みんなで集まる。


 中は、悲惨だった。


『……酷い、なにこれ』


 二組は、まるで台風でも過ぎ去った後のように何もかもがぐちゃぐちゃ。俺たちの教室も中々の荒れ具合だったが、それ以上だ。


 そして一組。だが、それはもっと奇妙だった。何もなかった。何もないのだ、本当に。机や椅子も、誰かの鞄も教卓もペンやプリント一つない。まるで、初めから何もなかったように。


『こんな風になるなんて、聞いてないよな……そもそも教卓すらないなんて』


『なんなの、もうっ……!! こんな手の込んだ悪戯、悪質すぎるわよ!』


 悪戯。


 いいや、違う。


『どー思うよ?』


『……最初から書いてあった通りってことかもな』


 隣にいる新食の問いかけに、持ち合わせた答えは一つ。その答えを聞いた新食は、唐突にポケットから棒付きキャンディを取り出す。


『ここは、もう俺たちの知ってる学校じゃない。信じたくはない、そう思いたくもないが恐らく……簡単には出られない』


 一体、俺たちに何の罪があるというのか。


『……ねぇ』


 そして、悲劇の幕がいよいよと開け放たれた。


『なんか……変な音が、するんだけど』


 芽々の言葉に、みんなが立ち止まって耳を澄ます。額にかいた冷や汗が、妙に冷たくて気持ち悪い。自然とみんなが集まって、死角のないように周囲を見渡す。


 なんだ、なんだろう。



 逃げ出したくて、



 ……たまらないっ……!



『な、なんですか?』 


『静かに』


 どしん、どしん、…。


 重いもの。


 それが、まるで歩いているように。


 がら、がらら、…。


 何か、大きな金属質なものを引き摺っているように。


 ぁ、ああ、あああ……。


 聞いたこともない、気味の悪い唸り声。


『後ろだ』


 千之助の言葉にハッとして、先程まで歩いていた廊下を睨み付けてスマホを握り締める。


 まるで謀ったように、今まで点きもしなかった蛍光灯がオンのままだったのか。廊下を突然照らしたかと思えば、また消えた。


 だが、その一瞬で十分だった。


『いや、いやっ……!! なに、なんなのよあれっ!?』


『はっ、はは……嘘でしょ嘘嘘!! リアルにあんなのいちゃダメだって!!』


 白くて、大きな……鬼。


 廊下の一角をそのまま占領するほどの大きさをした巨体。しかもそれが、動いていた。身の丈ほどの鈍色の鈍器を二本、持って。


『あぁあああああああぁあッ!!!!』


 そしてその咆哮は、完全に俺たちをロックオンした証。一歩一歩歩いていたはずが、なんとそいつは走り始めたではないか。


 誰もが硬直し、絶望に打ちひしがれていた中で誰かの怒号が聞こえた。


『走れッ!! 何してんだ、置いてくぞ!』


 海我だ。


 既にその手にはたゆたの手が繋がれていて、いの一番に走り出した。それを合図に、みんなが走り出す。隣にいる者の手を握って無我夢中に。


『いやぁあああっ!!』


『誰か、誰か助けてぇっ!!』


 きぐねや専也の悲鳴が聞こえる中、なんとか走りながら背後の鬼の様子を見るとスマホからバイブ音が響いていることに気がつく。


『なんだ、この忙しい時にっ……!』



【接触 邪鬼オーガ

 詳細:巨大な武器を振り回し、攻撃する好戦的ビースト。特に子どもが好物で地の果てまで追いかける習性がある】


『千之助ぇ!! スマホ!!』


 前方を走る千之助に情報を伝えたいが、スマホを見た方が早いと判断する。千之助や他の数人もスマホで後ろの化け物の正体を知る。


『うわぁ、最悪じゃない? つまり子どもの俺らって永遠にアイツに追い回されるってこと?』


『どうすればいい?! 子ども十人が束になっても、あんな化け物を倒せるわけないだろっ……!』


 殿を任されている俺たちは、この状況を打開すべく考えを巡らせる。早くしなければ。早くしなければ、直に限界が来る。


 軽口を叩ける俺たちと違い、運動が苦手なやつもいれば女子もいるのだ。


『隠れるのが一番じゃない? まぁ隠れる余裕なんてないけど。アイツ足速すぎるし、もしもオーガって生き物が鼻も効くなら隠れても無駄だろーけど』


『っ……なら。手は一つしかないって?』



 倒すしかない。 



 だが、あまりにも無謀で無茶な話。そして、決断する間もなく最も最悪な結末を迎えようとしていた。


『きゃぁっ……!!』


『えみ!!』


 笑が転倒し、手を繋いでいたきぐねは手を離してしまいすぐにその場で立ち止まる。二人を追い越してしまった俺は、すぐに笑の元へ向かおうとした。


 だが、そんな俺の右手を新食が引いて無理矢理走り出すのだ。


『っやめろ、新食!! まだ間に合う!』


 だから、だから頼む。


『助けないとっ……!!』


 新食はこちらを振り向くことなく、いつものあのヘラヘラとした笑顔も雰囲気も出さずただ、ただ……俺の右手を引っ張って走るばかりだった。


『行って!! きぐねちゃん、早く行って!! 尊くんも、私はいいから!』


 なんでだ。


 そんなこと言うなよ、なぁ。


『やだっ、やだよ……行けないよっ』


 廊下に座り込んだまま、立てなくなったのだろう。俺たちの方を見て安心させようと笑う、いつもの優しい笑顔。


 人一倍優しいから。


 人一倍頑張り屋だから。



『っ……大丈夫、大丈夫だよぉ……』



 泣きながら虚勢を張るクラスメートの背後に、それはやってきた。


 真っ白な巨体は、暗闇の中では何色かはよくわからない。顔の半分以上を布で覆われていて、表情はよくわからなかったけど。


 奴は今、笑っているような気がした。


『えみっ、……にげろ、逃げろぉおおおっ!!』


 グッと腕を引っ張られ、代わりに新食が一歩前に出た。大きく腕を振りかぶり、右手に持っていた何かをオーガに向かって投げつけた。今まさに笑に腕を伸ばそうとしていたオーガの額に、それが命中する。


『はーい、なんとか意識逸らしたよー』


 何の変哲もない、ただのキャンディの棒。だが、たったそれだけ。たったそれだけの行動でオーガがこちらに意識を向けた。


『じゃあ!! 次は僕っ!!』


 芽々がすぐ側の会議室から持ち出したであろう机を持ち上げると、それをぶん投げてオーガに投げ付ける。


 加州芽々は、その体躯に似合わない小さな怪力だ。


『いいぞ! 専也、俺と一緒に机や椅子を芽々に運ぶんだ!』


『ぎょ、御意ぃぃ!!』


 千之助と専也が協力して、芽々に次々と武器となる机や椅子を渡していく。その隙に、学年最速のハヤブサが駆ける。一気に笑の元まで駆け付けると、その身を背負って降り注ぐ机や椅子を潜り抜けて帰ってくる。ついでにきぐねの手も引いて、見事にオーガから連れ出して見せたのだ。


『ナイスぅ!!』


『いいぞ、ハヤブサ!!』



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