第31話 偏見と助長と

 まだ脳が眠っているのか、強烈な眠気で気分が悪い。

 いっそ、ベッドに戻ってしまおうかとも思う。


 それでも電話に向かったのは、今この電話に出なくてはならないと言う強迫観念めいた気持ちがあったからだった。

 理由は不明である。

 もしかすると、やはり小さな期待が――本当に両親が電話をかけてくれたのではと言う、淡い感情があったのかもしれない。


 壁に手を付きながら歩き、電話がある玄関先に辿り着いたが、眠気は健在だった。

 時計の数字が目に入る。時間は午後の8時半。

 電話は鳴り続けていたが、今にも切れてしまうのではと不安になり、僕はふらつきながらも受話器を取った。


「はい。宝田です」


 返事を待って、数秒。

 未だぼんやりしている意識の中、耳元から聞こえて来たのはコホンと言う軽い咳払いと、良く知る女子の声だった。


『夜分に失礼します。草蒲南高校で健太郎君と同じクラスの夢川田と申します。健太郎君はいらっしゃいますか?』


 両親への期待は崩れて落ちる。が、それよりも電話の声に懐かしさを感じてしまった。

 笹山村さんの死から十日程しか経っていないと言うのに、自分でも驚くほど学校の日常を遠くに感じてしまっている。


「夢川田。俺だけど」

『ああ、宝田君。良かった』


 夢川田のホッとしたような声を聞き、電話に出るのを遅れたのが申し訳なく思った。

 でも、とりあえずは良い。

 何か用でもあるのかと待っていると、夢田川はコホンと再び小さな咳払いをした。


『宝田君。携帯電話の電源が切れてるみたいだったから自宅の方にかけたんだけど、充電はちゃんとしておいてよ。心配だから』

「心配?」

『連絡とれなかったら心配するでしょ?』


 まさにその通りだと思う。

 ただでさえ、事件の前後――それも真犯人が恐らく捕まっていない状態なのだから何の反論も出来ない。

 怒っているのは分かるので、素直に謝ろうと思った。


「それは、ごめん。でも別に充電してなかったわけじゃないよ。雨で濡れたから電池を外して乾かしてるんだ」

『雨に』


 夢川田の声が途切れた。

 重たい空気が受話器から流れ、僕は何も言えないまま夢川田の次の言葉を待つ。


『外に出てたってこと? まさか、事件の事を調べに?』


 返事をしようとした瞬間、昨日から起きた様々なことが頭に浮かんだ。

 悲しみに溺れ、腐っていた自分を外へ連れ出した新郷禄先輩の声。

 謎の言動をとる、田中々。

 それから、あの不良たちや、宮井山――悪意ある人々のこと。

 江流田さんの寂しげな顔。

 新郷禄先輩からの告白と、涙。

 それらが浮かぶ度に、ほとんど何も出来なかった自分に悲しくなってくる。


『……宝田君?』

「ああ、ごめん。寝起きでボーっとしてて」


 言うと、夢川田が「そう」とだけ呟いた。

 僕はそのまま黙り、彼女の言葉を待っている。


 その間、ずっとどうすれば良いのかを考えていた。


 正直、ここ二日ばかりの事を夢川田に話すことは、気が引けている。

 新郷禄先輩の秘密を、夢川田に話したくなかったのだ。

 夢川田が友達と言えど、新郷禄先輩が援助交際をしていたと言う過去は、本当に重大な秘密である。

 僕が先輩だったなら、きっと話して欲しくないだろう。


 もちろん、夢川田を通して一条さんにこれが伝わり、警察の役に立つ可能性も無いわけではないし、普通ならそうするべきなのだろう。

 でも、僕は、あの草蒲警察署の無能な大人たちに知られるのが、嫌だった。

 高慢で、決めつけが酷く、頭の悪いあの連中には嫌悪感すらある。

 話した結果起きる事の弊害――デメリットばかりを想像してしまい、どうしても伝えたくないのだ。


 と、気が付くと夢川田も無言になっていたので、やはりこちらから話しかけることにした。

 話題を変えるのにも丁度良い。


「ところで夢川田。何か用があって電話して来たんじゃないの?」

『あ、それなんだけど』


 夢川田が声のトーンをダウンさせる。

 ようするに小声だ。


『ちょっと内緒の話があるんだけど、長電話しても大丈夫? ご家族の方とか』

「父さんも母さんも、まだ帰ってないよ」

『そっか』

「うん。だから……」


 思う。

 父も母も、帰って来るのはいつも深夜だ。

 そして朝早く出て行く。

 僕とのやりとりはノートだけで、本当にここ数年、顔も見ていない。

 休日も家にいないので、もしかすると自宅とは別に部屋でも借りて、二人で暮らしているのではと疑ったりもしている。


「……だから、気にしなくても良いよ。電話が長くなっても大丈夫」

『分かった。じゃあ、話すね。私がってより、叔父さんがだけど』

「え?」


 夢川田が言う叔父さんと言うのは、ようするに一条さんだ。

 警察官である。まさか、今一緒にいて電話を替わると言うのだろうか。

 それはちょっと、心の準備が出来てない。


「夢川田、あの」


 言いかけたが、すでに夢川田は電話先にいないらしい。

 聞こえて来たのは「思ったよりも元気そうだったよ」と言う夢川田の遠い声だったり、誰かが受話器を持つ時の、緩いノイズだった。


『こんばんは、一条です』

「こ、こんばんは」


 ものすごい緊張感が僕を襲う。

 一条さんは、笹山村さんが死んだ夜、僕を保護してくれた警察官でもあるのだけれど、警察と言うだけで緊張してしまうのだ。

 特に今は、喋ってはいけない言葉、話してはいけない内容、それらを口にしないかを常に気を付けていなければならない。

 そんな僕の気も知らず、一条さんはハハッと笑い声を聞かせて来た。


『そんなに気構えないで欲しいな、宝田君。別に尋問したくて電話を替わったわけじゃないからね』

「そ、そうですね」


 緊張は解けない。

 どんなに気さくだろうと、一条さんは警察官なのだ。

 とてもじゃないけれど信用しきれない。

 僕が草蒲警察署でどんな扱いを受けたのかは、彼も知っているはずだ。


「でも、あの」


 瞬発的に、僕は聞いていた。


「尋問しないって言いましたけど、伊藤巻が殺された後、僕は尋問みたいなことをされました。警察署でです。あれって、普通じゃないですよね。警察は、何で僕にそんなことをしたんですか?」


 言ってから、自分で思っているより直接的な言葉になっていたことに気づく。

 まったく意識していなかったからか、自分でも驚いてしまった。

 もしかすると、心の内にある警察への反発心が、これを言わせたのかもしれない。

 あるいは、電話の相手が夢川田の叔父と言う、少し近しいと感じていた人間への無遠慮さからだったかもしれない。

 とにかく、普段の僕からぬ失敗であった。

 後悔したが、もう遅い。

 沈黙の時間が流れ、僕は謝罪の言葉を口にしようとした。

 が、それより先に口を開いたのは、一条さんだった。


『……本当なら、僕と君が連絡を取ることはとても不味い事なんだ。誰かに知られれば、僕は怒られるだけでは済まない。前に電話をしただろう。あれも危ない橋を渡っていたんだ』


 前の電話。

 笹山村さんの遺体を発見した日の、前日の電話の事だろう。

 そこまで考えて、今回の電話の事で分かることがあった。


「それで今回、夢川田に電話をかけせたんですね?」

『正直言うと、そうだ。葵も君の事を心配していたので、都合が良かった』


 一条さんは、ため息を一つ付く。


『卑怯な大人だと思うかい?』

「いえ。ただ、そこまでして僕に電話をして来るのは何故なんです?」

『それも説明しておくが、最初と今では事情が違う。まず最初の電話だが、君の顔を見たかったから電話したんだ。会ってみたいって言っただろう? 人を殺すような人間だったのなら、会えば分かることがあるからね』


 一瞬、何を言われたのか分からなかった。

 いや、理解したくなかったのかもしれない。

 人を殺すような人間だったのなら会えば分かる。だから会いたかった――その言葉を単純に受け取ったのなら、その意味は単純明快なことではある。

 僕は疑われていた。

 そして。一条さんの次の言葉で、僕は自分が想像以上に不味い状態だったことを知った。


『今回の事件で挙がった容疑者候補の中で君は、最も疑われていた最有力犯人候補だったんだ』


 小声だった。恐らく、これは夢川田にも内緒なのではないかと思う。


「どうして、僕が」

『論理的な目星じゃない。一言で簡潔に言うと、偏見だよ。宝田君』

「偏見?」


 ますます意味が分からない。

 一条さんは相変わらず小声で、聞き取りにくいくらいだったが、僕はそれどころではなかった。

 偏見とは、片寄った物の見方の事である。


「偏見って、警察は僕をどんな目で見ているんですか?」

『……何年か前に、関西の方で酷い事件があったのを覚えているか?』

「関西の事件?」

『少年Aの事件と言えば分かってくれると思うが』


 思い当たる事件がある。

 小学生が犠牲になった、猟奇的な殺人事件だ。

 この事件はその内容の凄惨さと共に連日報道され、犯人が新聞社に犯行声明を送ったことも、異常さに拍車をかけた。

 だが、この事件で一番ショッキングだったのは、その犯人の正体だった。

 当初、マスコミは犯人像をアニメに影響を受けた30代から40代の男だと想定していたが、犯人は、捕まって見れば当時の僕と年齢がそんなに変わらない、中学生の男子だったのだ。


「まさか、そんな、その偏見って」


 ピンと来る。

 その偏見の内容とは、まさか……


『そう。と言う偏見だよ。君は年齢が10代半ばで、さらにはすべての被害者と接点がある。しかも、家庭事情が特殊だ。両親がほとんど自宅にいないことも知り、警察は君を第二の少年Aとして疑っていたんだ』


 それは、酷い話だったが、同時に腑に落ちる点もあった。

 思えば草蒲南高校の教師陣の目も、明らかに僕を怖がっていた。

 ついでに言うと、外貝を含めた、クラスメイトの連中も。


「狂ってる。そんなことで僕を疑うなんて」

『人間なんてそんなものだよ。偏った物の見方をして、一度思い込んでしまえば、簡単には覆せない。そこに正しさなんて無いんだ。警察がそんな事ではまずいと僕は主張したが、彼らは自分がおかしな事を考えているなんて事を考えもしていなかったし、僕は黙殺されるしかなかった。だから、直接会って君の潔白を確かめたかったんだ』


 一条さんはそこで言葉を切ると、言った。


『僕は草蒲警察署内では異端者みたいな扱いもされている。この性格のせいもあるが、前に勤めていた上星市の方ではちょっとばかり特殊な部署にいたからね。さっきも言った通り、偏見に同調もしなかったから、一層つまはじきにされているよ。だからこそハッキリ言うが、君は犯人じゃない。それは僕が証明出来る。なぜならば、笹山村るるの死亡推定時刻に君は自宅にいた。あの時間、僕が君の自宅に電話をかけて、君と通話をしていたからだ。これは覆しようのないアリバイだ』


 瞬間、理解した。

 笹山村さんの遺体を見つけて保護された後、草蒲警察署内での僕に対する風当たりが強かったのは最初だけで、後はほとんど手厚く扱われたことを。

 きっと、一条さんが僕のアリバイを主張してくれていたのだろう。

 一条さんが僕にこうして電話をして内情を教えてくれたのも、僕を犯人ではないと確信しているからなのだ。

 もちろん、警察組織の一員としては失格な行為なのかもしれない。

 だけど、だからこそ――


『教師やクラスメイトに君が受けた仕打ちは葵から聞いているし、未だに署内では君を犯人にしたがる奴もいる。が、僕は君の味方だよ、宝田君』


 僕は今、警察でも信頼できる人間がいると言う事を知ったのだ。

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