第20話 ガオちゃんは暴走する

 それから、田代場先生は一人一人を慰め、激励してくれた。


 笹山村さんも心に溜め込んでしまっていたようで、涙をぽつぽつと流している。

 高校生とは言え、僕らはまだ子供なのだ。


 竹川儀先生は静かに僕らを見守ってくれているが、いるだけでも心強いとはこのことだろう。


 ああ、どうして僕のクラスの担任は渋谷塚なのだろうか。

 奴の顔を見るたびに、僕は生きる力みたいなのが萎びていく。

 もっとも、もはや真っ直ぐに彼の顔を見ることは無いとは思うのだけれど。


「それじゃあ、教室に戻って。授業を受けても結構ですよ」


 田代場先生が言い、僕らは三人で教室に帰る。


「田代場先生、好きだな」


 ポツリと笹山村さんが言った。


「うん。良い先生だね」


 僕が言うと、笹山村さんは少しだけ笑った。

 チャイムが鳴り、休み時間を僕らに教えてくれる。


「宝田君、行こう」


 笹山村さんが言い、僕らは並んで教室に入った。

 だが、そこは地獄だった。

 ヒソヒソと始まる内緒話。

 僕らが歩けば、クラスメイトは散って、道を開ける。

 もはや、僕らを仲間だと思うクラスメイトは、ほとんどいないのではないかと、不安にもなる。


 だが、僕は知っている。

 僕には仲間がいる事を。


 復活したらしいガオちゃんと、夢川田が、僕らに手を振って、僕らを歓迎してくれた。


「健太郎! 田中々と笹山村も、大丈夫かよ!」

「大丈夫だった? 心配してたんだよ」


 僕は心の底からお礼を言った。


「ガオちゃん、夢川田。ありがとう」

「な、何だよ、恥ずいからやめろよ。照れるだろ」


 ガオちゃんが、珍しく優しげにポンポンと僕の頭を叩く。


「感謝してるんだ。ガオちゃんがいなかったら、俺さ、ずっと一人だったから」


 感謝していると言うのは間違いではない。

 今、改めて自覚する。

 子供の頃、暴力的でもガオちゃんと一緒にいたのは、僕自身が人との繋がりを求めていたからだ。

 ガオちゃんといる事で、僕は一人ではなくなった。

 それがどれだけ助かったことか。


「全くもう、やめろって、言ってんだろ?」


 でへへへと気持ち悪い笑いをしながらガオちゃんがバンバンと頭を叩く。

 いや、ごめん。めちゃ痛い。


「ちょっと、石母棚さん」


 夢川田が慌てて、その手を止めようとしたが、ガオちゃんに悪気はない。

 僕は少しだけ笑った。

 友達100人なんかよりも、ずっと大切な人たちがここにいる。

 やや遅れて廊下から無範智恵理、そして武雅まつりがやって来たのだ。


「ルルちゃん! もう、心配したじゃないか! もう、ボクから離れたらダメだよ! こんな、宝田みたいな奴と一緒にいるから、こんな目に遭うんだ! これからは、ボクが守るから!」


 無範智恵理はいつも通りだ。

 ハイパー無範である。

 僕にも一言くらい何か言えよと思ったが、今の無範から出る言葉と言えば、笹山村さんへの讃美か、罵詈雑言くらいなので、こちらから話しかけるのは止めておいた。


 そして、武雅はフンと鼻で笑った。


「別に、心配はしてなかったけどさ。宝田も、色々巻き込まれない様に気を付けなさいよ」

「あ、うん」


 気を付けるなんて言っても、何を気を付ければ良いのか。

 意味が分からないし、心配はしてないなんてことも言っているが、武雅はこういう奴なのだ。

 心の何かしらが邪魔をして、ストレートに物を言えないので、良く分からない物の言い方にもなっている。


 ふと、もう一人、僕の席に近づきつつあるクラスメイトがいた。


「あ、あの。宝田君」


 内野之優子だった。

 内野之はやたら元気のない声で、「げ、元気?」とだけ聞いてきたが、それ以外の言葉は出なかった。


「内野之さん。ありがとう」


 僕は言う。

 そして、内野之は「うん。心配してたから。声聞けて良かった」と、また力のない笑顔を見せた。

 しかし――


「優子! 何やってんだよ!」


 外貝君である。

 叱責するような声と共に内野之の手を掴んだ外貝君は、「声かけちゃだめだって言っただろ! お前は誰の彼女なんだよ! 俺の言うことを黙って聞いてろ! こっちで大人しくしてろよ、馬鹿!」と言った。


 ふざけんなよ外貝と、僕は思った。

 いくら何でも言ってることが酷すぎるし、内野之が可哀そうだ。

 一言文句でも言ってやらねばと、僕は口を開く。


「外貝。お前、やめろよ。そんな無理やり」

「うわ。話しかけてくんなよ、犯罪者」


 正直、何を言われたか分からなかった。が、遅れて理解が来ると、僕は外貝の目を見る。

 外貝には全く悪びれる様子が見られない。

 さらに言うと、その言葉に同調しているようなクラスメイトが数人いるのが悲しかった。


「犯罪者じゃないよ。俺は……」

「うっせぇな。言い訳すんなよ、人殺し。お前といると、みんな不幸になるじゃねぇか。伊藤巻もお前が殺したんだろ?」


 叫んで殴り掛かるところだった。

 誹謗中傷どころではない。

 何でこんな奴が生きていて、伊藤巻が死んだんだと、理不尽なことも考える。


「いい加減にしてよ」


 その声にドキリとする。

 笹山村さんだった。

 いまだかつて、こんな声を聞いたことがあっただろうか。


「宝田君は、頑張ったんだよ。みんなを守ろうとして、助けたくて、一生懸命だったのに、どうしてそう言うこと言うの? みんな、酷いよ!」

「は、はあ? 何言ってんの、こいつ」


 外貝はニヤニヤしながら笹山村さんを見た。

 笹山村さんは涙をボロボロとこぼし、その顔を睨む。

 そして、悪意を乗せた声で言った。


「ねぇ、外貝君。内野之さん、彼女なんでしょ? それなのに、何で、私に好きって言ったの?」

「なっ」


 外貝が、焦る。


「そんなこと、言ってねぇし」

「月曜日の事だよ。聞いてた人もいるでしょ? 付き合ってくれって書いた手紙もくれたよね。見せようか?」

「やめろ!」


 手紙は気持ち悪くて捨てたと言っていたので完全にブラフである。

 だが、外貝は焦って、墓穴を掘った。

 この焦り様を見れば一目瞭然である。

 笹山村さんが言う手紙が存在することは誰にだって確信できるだろう。

 外貝は、すぐに失敗に気づいたのか反撃に出た。


「ど、どうせ、偽物だ! そんなもん、証拠になるかよ! みんなもそう思うだろ? あの女、警察に事情聴取受けてんだぜ? そんな奴の話なんか誰が信じるんだよ! 俺は優子を愛してるんだ!」


 僕は歯をギリギリと食いしばった。

 許せなかった。

 ガオちゃんではないが、ぶん殴ってやりたかった。

 だが、そんなことしたら、僕はまた、呼び出――


 ……思考がストップする。

 ガオちゃんの事を思い出した途端、顔から血の気がサッと引いていくのが分かった。


 忘れていた。

 案の定、笑うガオちゃんが、ドシドシと歩きながら僕の横を通り過ぎる。

 チラリとしか見えなかったが、完全にブチ切れている顔だった。

 怒り過ぎたガオちゃんは笑ってしまうのだ。


「だ、だめだ、ガオちゃん!」

「うるせぇよ、健太郎。俺は腹が立ってんだよ」


 声をかけてもガオちゃんは止まらなかった。

 でも、ガオちゃんにクラスメイトを殴らせるわけにはいかない。


「ガオちゃん! 俺は、大丈夫だから! 笹山村さんも! だから」


 ガオちゃんの前に飛び出し、ガオちゃんの腰に抱き着く。

 だが、ガオちゃんは僕の腕をつかんで引きはがしにかかった。


「うるせえ! うるせえよ! お前が良い奴だってのは、俺が一番知ってんだよ! 笹山村だってなぁ! おい外貝! 誰が不幸になるってんだ? 言ってみろよ、もう一度! この卑怯者がッ!」


 ガオちゃんは涙声だった。


「離せよ、健太郎! 何でお前が止めるんだよ!」


 離すわけにはいかない。

 ブチ切れたガオちゃんが全力で殴ったら、体に穴が開いてしまう。

 僕はガオちゃんの腕力に、文字通り振り回されて、机をなぎ倒しながらも、しがみついていた。

 それでもガオちゃんは止まらない。


「やめて!」


 そんなガオちゃんの前に、大きくて手を広げて立ちふさがる奴がいる。

 内野之優子だった。


「どけよ、内野之! そいつ、ぶん殴んだよ!」

「やめて、カオちゃん。わ、私の、彼氏なの。やめて」

「何で、そんな奴を庇うんだよ! どけよ!」


 ガオちゃんは怒り全開で叫ぶ。だが、内野之はどかなかった。

 泣き顔で、ひっくひっくとしゃくり上げながら、必死にガオちゃんの侵攻を防いでいる。


「……外貝。てめぇ、外で会ったら覚えておけよ。今は内野之にめんじて許してやるけど、外で会ったら骨の一本や二本は覚悟しておけ」


 外貝は恐怖で顔を引きつらせながらも黙ったままだったが、ガオちゃんが後ろを向くと、ガタガタと震えながら言った。

 それは僕や笹山村さんやガオちゃんに、ではない。


「や、役立たずがよ。彼女なら、もっと早く助けに来いよ、馬鹿」


 内野之の足を軽く蹴ったのが見えて、今度は僕が我慢できなかった。


「外貝!」


 僕は走り、外貝の頬を全力でぶん殴った。

 でも、喧嘩なんかしたことない僕の腕力などたかが知れているし、大したパンチでもなかったと思う。

 実際、外貝はびっくりした顔をしただけで、特にダメージらしきものを負った顔はしていない。


 そして、そんな僕の頬を打ったのは、内野之だった。


「やめてって言ってるでしょ! 宝田君なんて、嫌い! 大嫌い!」


 内野之は、言ってから自分が何をしたのか、何を言ったのかを理解したように顔色をサッと変え、顔を歪めて泣いた。


「……内野之。気にしてないよ。本気だって思ってないから。ごめん」


 僕はそれだけを言って、ガオちゃんがなぎ倒した机を元に戻すために後ろを向いた。



 その後、授業は滞りなく行われ、僕の行動はまるっきり問題にならなかった。

 外貝もガオちゃんが怖いのか、表立って問題にもしない。


 ただ、僕の悔しさは消えなかった。

 僕ばかりか、笹山村さんも侮辱され、ガオちゃんも不機嫌なままだ。


 昼休みになると、顔を合わせた笹山村さんが寂しげに笑った。


「上手く、いかないな、やっぱり。宝田君みたいにやりたかったんだけど、かえって滅茶苦茶にしちゃった」

「俺みたいに?」

「うん。あのね。私、憧れてるの」


 笹山村さんは静かに、囁くようにして言った。


「私、宝田君のこと好きだよ」

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