第7話 薬師谷先輩は恐怖

 彼女はいつからいたのだろうか。

 彼女とはもちろん、新しく現れた三年生の女子生徒のことだ。

 いや、男が手を振ったところを見ると、つい今さっき来たに違いないけれど。


 とりあえず、僕は緊張していた。

 三年生と言うことは、ようするに、年上で先輩なのだ。

 髪型はおでこを出したセミロング。

 少し茶色がかっているので染めているのかもしれない。

 なんとなく、怖い雰囲気を持った人だなとも思った。

 どこが怖いとは、上手く言えないのだけれど。


 その先輩がフンと鼻を鳴らして、歌玉と伊藤巻に言った。


「伊藤巻と歌玉は早く答えなよ。こんなところで何してたの? 男と遊んでたってわけ?」

「ち、違うんです、薬師谷やくしだに先輩、これは、その」


 言葉に詰まっている伊藤巻の言葉を聞きながら、薬師谷やくしだに? と僕は思った。

 何しろ、伊藤巻と歌玉の知り合いで三年生と言えば、帰りのホームルームで渋谷塚が言っていた新郷禄しんごうろくと言う名前が浮かんだからだ。


「しかし遊ぶっつったって、草蒲南の男子、ねぇ。あんた、名前は?」


 いきなり聞かれたが、薬師谷とか言う先輩は、どう見ても興味なさげに僕を見ている。


「宝田です。宝田、健太郎」

「あっそ。宝田健太郎ね。まぁ、そんなのどうでも良いけど」


 じゃあ聞くなよと思ったけれど、僕が何か言おうとする前に、薬師谷先輩は言葉を続けていた。


「どうせあんたもつまらない人間なんでしょ? 草蒲南の男なんてカスみたいな奴ばっかりだもんね」


 あまりにもトゲのある言い方だった。


「何ですか、いきなり。失礼じゃないですか、そんな言い方」

「……へぇ」


 僕はつい、ムッとして返事をしてしまっていたが、後ろから歌玉が慌てて僕の背中を叩く。


「ちょ、ちょっと、宝田」


 小声だったが、確かに聞こえた。

 だが、歌玉の様子を気にかけている暇はない。

 薬師谷先輩が僕の言葉に答えている。


「生意気ね、あんた。まぁ、でも、私に口答え出来たのは褒めてあげる。でもね、あんたはつまらない人間だよ。見れば分かるし」


 まるで虫けらでも見るかのような薬師谷先輩は、フンっと、続けた。


「あんたもどうせ、自分を普通だと思っている馬鹿な男なんでしょ? 草蒲南の男はみんなそれだからね。勉強も運動もそれなりになんとかやって、都合良く空から可愛い女の子でも落ちてこないかなぁ、とか毎日考えてる。で、何かと自分は普通ですって言うのよね。平均、平凡、人並み、凡庸、たり。全く、くだらない奴ばっかり。あんたもそうなんでしょ?」


 ――頭に来た!


 見た目によらず言葉のボキャブラリーがすごいな、なんて事も考えていたが、こんなことをいきなり言われては黙っていられない。

 普通だなんだなんて言われるのは、ハッキリ言って僕にとっての地雷なのだ。


「違います! 俺は特別な存在です!」


 言ってから後悔した。

 怒りに身を任せたとはいえ、何を言っているのか、僕は。

 今日はもう、こんなことばかりで嫌になる。

 案の定、薬師谷先輩は呆気にとられた顔をして僕を見ている。


 しかし、数秒間の時を経て、薬師谷先輩は笑った。


「何、それ。あんた、馬鹿じゃないの? 特別な存在って、自分で」


 大笑いだった。


「ま、まぁ、そうね。あんたは少しくらいは面白いかもね。でも、良いや。伊藤巻、歌玉。ちょうど良いから、あんたらも来なよ。大学生の男、紹介してあげる」

「え?」


 伊藤巻が固まる。歌玉も。


「返事はどうした? ん?」

「は、はい。でも、何するんですか?」

「何って、楽しいことだよ」

「でも、新郷禄先輩には」


 そう、伊藤巻が言いかけたところで、薬師谷先輩が激高した。


「いちいち新郷禄に断り入れないと何も出来ねぇのかよ、伊藤巻!」

 

 歌玉が僕を止めた理由が理解できた。

 この薬師谷とか言う先輩は、めちゃくちゃ怖い人なのだ。

 それは、まるでこれからお前を殺すぞと言わんばかりの声と形相で、僕は自分に向けられたわけでもないのに、心の底から縮み上がってしまった。


「おい。てめぇ、私に逆らおうってのか? あ? 潰されてぇのかよ、伊藤巻?」

「す、すみません! あたし、そんなつもりじゃ」


 伊藤巻はもう、泣きそうだった。

 地面に膝をついて頭を下げる――土下座スタイルで震えている。

 ようやく薬師谷先輩は怒りを収めると、忌々しげに言った。


「分かればいいのよ。調子に乗ってると、お仕置きするからね?」

「は、はい」

「じゃあ、行くよ。……そうだ、宝田健太郎。あんたの名前は覚えておいてあげる。でもね、伊藤巻や歌玉とは必要以上に仲良くなっちゃだめよ? この子たちはあなたとは、違うんだから」


 よせば良いのに、僕は口を開く。


「必要以上って?」

「……手を繋ぐとか、キスするとか、そういう意味よ。分かるでしょ? よく考えておきなさい?」


 そこまで言うと薬師谷先輩は「それじゃあ、機会があったらまた会いましょう、宝田健太郎」と言い残し、伊藤巻と歌玉、それから武雅と争っていたあの男を連れて去っていった。


 姿が見えなくなってから、涙が出かかっている自分に気づく。

 正直、めちゃくちゃ怖かった。

 武雅と言い争っている男に声をかけた時とは、まるで比べ物にならない。

 なんて言うか、伊藤巻に激高した薬師谷先輩からは殺気と言うか、凄みみたいなものを感じたのだ。


 あたりはもう、薄暗くなっていて、夜の風が吹いている。

 少し涼しいな、なんて思っていると、ガオちゃんが帰って来た。


「ふーっと、待たせたな、健太郎。自転車ありがとな」

「ガオちゃん……」


 僕が力なく名前を呼ぶと、ガオちゃんはワッハッハと笑う。


「いやー、遅くなっちまって悪いな。オレの財布の奴、ロッカーにあるかと思ったら無くてさ。職員室の落とし物入れに届いてたぜー……って、どうした? 何かあったんか?」

「うん。ちょっと色々あってさ」

「そうそう。すごかったんだよ、宝田君」


 いきなり僕のすぐ横にニョッと出て来た内野之が、たこ焼きをハフハフしながら食べていた。

 その後ろにはこれまたモグモグと食べている武雅まつり。

 驚いたのか、ガオちゃんがうおっと声を上げた。


「何だお前らは!」

「私? 内野之優子だよ?」

「あー、同じクラスの、声だけやたらでっかいチビ」

「チビ? 私はちょっとだけちっちゃいだけだよ! 声もでっかくないよ!」


 声がデカいのは否定しないでいただきたい。

 少なくとも、すぐ横にいいると耳にダメージが入る。

 と、ガオちゃんが気づいた。


「ん? 内野之、お前、たこ焼き食ってんのか?」

「うん! 宝田君に買ってもらったんだ!」

「何だと?」


 ガオちゃんが僕の顔を見た。

 雰囲気で分かるのだけれど、これはマズい。

 何しろ、ガオちゃんは口より先に手が出るのだ。


「だ、大丈夫だよ、ガオちゃん! 一緒に食べようと思ってたから僕はまだ食べてない!」


 しかしガオちゃんに弁明は無駄である。

 ヤバいと思った次の瞬間には、すでにぶん殴られているのだ。


「ぐえっ、痛い!」

「食ってないのは当たり前だっつーの! 先に食ってたら許さないところだったぜ! って言うか、そいつにたこ焼きおごったんなら、オレにもご馳走しろ! おごれ!」


 な、何故そうなるのだ。

 話が違う。違い過ぎる。

 今、ガオちゃんに殴られた肩は痛いし、もう、散々だよ。

 ……なんて思っていたら、援護射撃が入った。

 僕ではなく、ガオちゃん側に。


「じゃあ、私の分もお願いしますね、健太郎君」

「私ももう一パック食べたいな!」


 田中々と内野之である。

 ピンチだ。

 さっき買ったばかりなのでたこ焼きの値段は分かるのだけれど、人数計算で僕を含めた4人分もたこ焼きを買えば、財布は空になってしまう。


 まぁ、仕方がないか。

 女の子の頼みならば仕方がない。

 僕は潔く諦めて、隠れた名店なるたこ焼き屋に向かおうとした。

 が、そこに立ちはだかる武雅まつり。

 まさか、僕を止めようとでもいうのか?


「ちょっと、宝田君! みんなの買うなら、私の分ももう一パック買ってよ!」

 

 ……こうして僕の財布は空になり、さらには僕が食べる分のたこ焼きは武雅まつりの胃袋に収められることになったのだった。


――――――――――


――――――


――この日。

4月12日と言う日は、ガオちゃんとの再会を始め、出会いの濃縮されていた日となった。


 伊藤巻と歌玉。

 武雅まつりと内野之優子、それから薬師谷先輩。

 彼女たちは、後に起きる草蒲市女子高生連続殺人事件に関わることとなる人間ばかりである。


 もちろん、殺人事件の犠牲となった人間が草蒲南高校の女子生徒ばかりだったので、ある意味、彼女たちだけではなく、全校生徒が関係者だったと言えなくもないのだけれど。


 ただ、さらに翌日。

 4月13日の木曜日も新しい出会いが発生した日であり、この物語に登場する人間の中でも、とびきりの重要人物と出会うことになった。

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