青春篇
2000年 4月12日 水曜日
第2話 田中々彼方は忍者なのか?
連続殺人事件で最初の犠牲者が発見されたのは、西暦2000年、5月26日。金曜日のことである。
それは田中々彼方と出会ってから僅か一カ月半後の事であり、短い平穏が終わりを告げた日でもあった。
逆を言えば、それまでの一カ月半。僕には短いながらも安心して暮らせる日常と、美しき青春が確かにあったのだ。
騒がしく笑ったりしながら、時には泣いてもみたり。
少しくらいのロマンスを感じたこともあった。
まずはそうした青春の物語から記したいと思うのだけれど、もちろん、ただ楽しかった思い出を語りたいだけではない。
この時期に僕と仲良くなった人間が、ほぼ全て事件の関係者となったからである。
複雑に絡み合った事件の人間関係を説明する上で、どうしても必要な事なのだ。
当時、僕が住んでいた町は首都圏に位置するU県の
同市内の僕の家から自転車で20分ほどの場所にあり、偏差値は上中下で言うところの中。
草蒲市で外国語学科が設置されている唯一の高校で、どちらかと言うと優等生が多く、不良はあまりいない。
逆を言うと少しはいたのだけれど――まぁ、それはともかく、まずは友達を作らなければならぬと、僕は決意していた。
孤立した高校生活なんてものは、誰であっても送りたくないものだと思う。
その時の僕も同様で、目指すは友達100人、なんて大きな野望を抱きつつ、校門をくぐっていた。
田中々と出会った翌日の早朝。
西暦2000年の4月12日。水曜日の事である。
――――――――――
草蒲南高校の駐輪場は、校門を入ってすぐ左に曲がり、普通科の校舎を右手に見ながら直進。
突き当りに外国語学科の特別授業棟があり、右へ曲がると屋根付き渡り廊下がある。
特別授業棟にはパソコンがあるらしい――なんてことを思い出しながら、僕は公社から特別棟へと続く渡り廊下を横切った。
程なくしてゴール地点の駐輪場へ到着した僕は、暖かな光に包まれながら自転車を降りると、手を大きく広げて、深く息を吸い込んだ。
少しだけ汗をかいていたが、不快では無い。
やや湿った肌で朝の風を感じ、胸いっぱいに吸い込んだ空気を、ゆっくりと吐き出す。
「実に空気が美味い」
つい、口に出してしまうほどの爽快さだった。
時刻は午前7時55分。
朝のホームルームが8時30分からなので、時間に余裕はたっぷりある。
「ちょっと、早く来すぎたかな」
なんて、思わず独り言も言ってしまったが、誰かに聞かれる心配もない。
運動部が朝練で来るには遅く、何も考えずに登校するには早すぎる時間なのである。
こんな時間だからか、駐輪場に人影がないのだ。
少なくとも、僕の近くには誰もいない。
小鳥がちゅんちゅんと鳴き、見える景色の全てが朝の光で輝いて、こんなにも朝早く登校してしまった僕は、やはり特別な存在なのだと感じた。
早く仲のいい友達を作りたいな、と張り切りすぎた結果なのだけれど、こういう朝の学校なら一人でいるのも悪くない。
しかし……
「おはようございます、健太郎君」
「ひっ」
背後から聞こえてきた声に戦慄した。
いったい、何事なのか。
駐輪場に僕以外は誰もいなかったはずだし、僕の名前も健太郎なのだ。
この淡々とした声にも聞き覚えがある。
「た、
「はい。田中々です。名前、憶えてくれたんですね」
振り向けば、紛れもなく田中々だった。
誰もいなかったはずなのに、どこに潜んでいたのか。
考えてみれば昨日もいきなり現れた気がする。
ふと、少し前に遊んだゲームが脳裏をよぎった。
忍者になって悪代官の屋敷に忍び込み、天誅を下すゲームだ。
敵地で誰にも見つからないように行動し、奇襲と共に必殺の一撃を喰らわせるゲーム。
……もしかすると、と僕は恐れた。
田中々は忍者なのかもしれない。
この神出鬼没さを思えば、十分あり得ることだ。
もし田中々が忍者だったとしたら、大変なことになる。
いても立ってもいられず、天誅を恐れた僕は急いで頭を下げた。
すぐにでも謝らなければならないことが、僕にはある。
「あの、田中々さん。昨日は、大変失礼なことをしてしまい、すみませんでした。同じクラスなのに、俺……!」
「大丈夫ですよ。怒ってないです。頭を上げてください、健太郎君」
なんと優しい忍者だろうか。
一晩経って怒っていたらどうしよう、なんて心配もしていたのだけれど、とりあえず手裏剣を投げられずに済んでホッとした。
マキビシを撒くような気配もない。
感極まった僕は顔を上げ、お礼を言うことにした。
「ありがとうございます。ところで、昨日、田中々さんからもらったキャンディなのですが」
「はい」
「初めて食べたけど、美味しかったです。ありがとう。キャラメルミルク味っていうのかな。甘くて、クリーミィで」
田中々がクスクスと笑い、言った。
「はい。好きなはずですよ、健太郎君は」
それは意味深な言葉にも聞こえたが、田中々の喋り方があまりにも自然すぎて、さらりと流れた。
続く言葉があまりにも不自然だったので、それにかき消されたとも言える。
「ところで健太郎君。今日は良い天気です。友達、たくさん出来ると良いですね」
「え? あ、うん。はい」
「もし、上手くいかなくても大丈夫です。少なくとも、私はあなたの友達ですから」
ざわりと、気色の悪い感覚があった。
まるで、今日この後、僕が友達を作ることで失敗するかのような言い方なのだ。
少なくとも、それを見越しているかのような発言である。
と言うか、どうして僕が友達をたくさん作りたいと思っていると知っているんだ?
これはまだ、誰にも明かしたことが無い僕の機密情報だぞ?
「もしかして、田中々さんは忍者なんですか?」
言ってから「しまった」と思った。
直接聞く奴があるか。
「私は忍者じゃないです」
返事を聞いた僕は確信し、警戒した。
なるほど。
やはり田中々はジャパニーズ・スパイ――忍者なのだ。
忍者は、忍ぶ者だからである。
忍者がそう簡単に自分の秘密を漏らすはずがない。
「どうかしましたか?」
田中々は感情の読めない顔でジッと僕を見ている。
……いや、僕の考えすぎだ。
僕は田中々から目を逸らし、少しだけ笑った。
どこをどう見てもただの高校生に見える田中々が、忍者であるはずがない。
「い、いや、その。なんでそんな色々知ってるのかなって」
「分かりませんか?」
分からん。
分かってたら、こんな妙な気持ちになっていない。
「分からないよ。昨日だって、キャンディくれた時に変なこと言ってたけど、あれって、何?」
「今はまだ内緒です」
田中々はそう言うと人差し指を立てて、自分の口元にあてた。
「いずれ教えてあげますよ。今はまだ駄目です。今、健太郎君がいろいろ知っても良いことは一つも起きません。とりあえず、教室に行きましょう?」
「あ、うん」
田中々に言われるまま、僕らは歩いて昇降口に向かった。
彼女の歩幅は僕よりも狭く、歩くのも柔らかで、遅い。
僕は歩くスピードを緩めて、隣の田中々のことを考えていた。
田中々は、いったい何者なのだろうか。
とてもじゃないけれど、普通じゃない何かを感じる。
もちろん、彼女が忍者だと言うのは僕の想像であり、ファンタジーで、そんな荒唐無稽な空想よりも、もっと現実的な事情があるはずだ。
彼女と話をしていると、まるで僕の全てが見透かされているような気分になる。
いや、今は考えていても仕方がない。
いずれ教えてくれると言うのなら、その時を待つのも良いだろう。
ともかく、田中々の言葉を信じるのならば、これで友達は一人目だ。
変な奴だし、不気味に感じることもあるけれど、きっと悪い奴じゃない。
しかも女子である。
入学早々、異性の友達が出来るなんて、やはり僕はすごい奴なのではないかと思い始めていた。
やはり、僕は特別な存在なのだ。
この調子で行けば、友達100人も夢ではない。
そう思えば心も弾み、足取りも軽くなる。
と、ついつい、田中々を追い抜きそうにもなるけれど、彼女に背中を見せるのはまだ危険な気がするので、自重した。
なんてことをしているうちに、いつのまにか昇降口へ到達していた僕らは、それぞれの上履きが入っている下駄箱へと移動する。
それまで田中々は黙ったままだったし、僕も沈黙のままだった。
だが、靴を脱いで移動している間、僕と田中々の間には無言の友情の
――そして。
この後、僕は痛感することになった。
田中々が意味深に告げていた「もし、上手くいかなくても」の意味を。
下駄箱から上履きを取り出した時である。
廊下側から長身の人影が現れて、僕に声をかけて来たのだ。
「おい、健太郎。宝田健太郎」
「え?」
「お前、宝田健太郎だよな?」
僕を呼んでいるのは明らかだった。
宝田健太郎と言うのは、僕の名前だからである。
声の方を向くと、見るからに凶悪そうな女子がそこにいて、ギリギリとした鋭い目で、こちらを見ていた。
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