第12話 離脱

漂流旅団drivi brigado放浪旅団vagado brigadoですか……また豪華な布陣ですね」

「何年か前に合同で船出したって聞いたが、それか?」

「いや、二十年近く昔の話だ。数年前なら、団長の代替わりのお祭りじゃないかな。元々気質が似てるせいか、たまに組んで動くことがあってな。ああ、互いの拠点がまったく被ってないのが、融通し合えるからだって知ってるか?」

 マジかよ、とガルドが呻き、合理的ですねとクレイートが笑う。仲がいいのは事実だが、そういう利害が一致していることは意外と知られていない。友情だけで繋がるには、どちらも規模が大きすぎるのだ。


「あのときは暴食渦カリュブディス狩りだったかな……依頼じゃないのは確かなんだが」

「カ……っ!?」

「い、依頼じゃなくてですか…!?」

 驚くほどのことじゃない、とセラスは思う。当時もそうだったが、あんなものを退治したところで、航路の安全が確保される以上の利はないのだ。しかもあれは渦潮の恐怖が具現化したものなので、現れる時間は決まっているし、場所もほぼ確定していて、更に言うなら存在する時間もはっきりしている。その時間を避けてしまえば、近場を通り過ぎるくらいは難しくないのだ。ギリシャ神話では海神ポセイドン地母神ガイアの娘であり、暴食が過ぎて魔物に変えられた哀れな娘である。故に地中海が棲処だったが、このアメイジアワールドに於いてはその縛りがないらしく、世界各地に存在している。そのうちの一体だ。


「まあ、暴食渦カリュブディスに辿り着く前に梟歯鯨ゼフィアスに襲われたから、結果としては倒してないんだが」 

 対海魔獣特化の高速帆船に、水夫兼任の傭兵がそれぞれ40人。専任水夫が30人で、海風魔法士が4人。そこに加えて放浪旅団vagado brigadoの傭兵が30人はいたはずだ。それを五隻という、小国の戦力にも匹敵する船団だったあのときでさえ、一隻を失った。乗員こそ助け出せたが、これではとうてい暴食渦カリュブディスには立ち向かえないと嘆いていた彼らを覚えている。


「は? そこなのかよ!? 船じゃねえのかよ!?」

「目当てが暴食渦カリュブディスだったからな。あれ、未だに実体不明だろう。だから解明してやろうぜってな。……実力はあるが、そういう奴らだよ」

 セラス自身は弓手として参加していたが、梟歯鯨ゼフィアスの勢いは一矢や二矢では衰えず、急所は水の中というか身体の下側ということもあり、早々に諦めて、周囲に涌いて出る怪海蛇シーサーペントやら怪鯨ケートスを落とすことに専念していた。怪海蛇シーサーペントは尾鰭で海面を打ち付けて飛び上がるものだから放っておくと甲板まで上がってくるし、怪鯨ケートスはその巨体で突撃してくるしで、毒矢やら麻痺魔法やらを駆使しまくってどうにか勝利、というかなりの大一番だったことを覚えている。

 ちなみに怪海蛇シーサーペントは開いて一夜干しにしたものを甘辛く焼くとなかなかの味で、怪鯨ケートス凍刺身ルイベにしたり、挽肉にしたりと有能で、梟歯鯨ゼフィアスも実は軽く焼くと癖になる味だったりする。


「……あんた、食べることに固執してないか?」

「ん? ……旅の醍醐味は、食べることだぞ?」

「怪物はその範囲に入んねぇよ!! つかエルフは小食って評判どこいったよ!?」

「あー、それか。……普段は大して食べないぞ?」

 一種の偏見ではあるが、否定するほどでもない事実であった。アメイジア・ワールドに於いては、エルフの身体は食糧を必要としないのだ。知られるとなかなかと厄介なことになりかねないので、旅をするエルフたちは適当に食事を取り、誤魔化している。旅をしない里付きエルフたちは、食べないものだから味覚が発達せず、味がわからないものだから食べる気にならず、ほんの少し、例え申し訳程度に食べるだけになるという悪循環である。もちろん、セラスを初めとして食を楽しむエルフもいるのだが、絶対数としては少ない。


「あと、傭兵隊や遠征兵なんかは、普通に魔物やら怪物やらを狩って食べるぞ?」

「え゛」

「ああ、それは聞いたことがありますね。旅商隊でもお世話になるとか」

「ああ、彼らは意外とたくましいからな。調味料なんかも揃ってるし、そういう意味でも旅商隊の護衛は人気があったな」

「おかしいだろ!? 魔物だ「主! 先方の様子がおかしい!」

 我関せずとばかりに余所を見ていたダスクが声を上げた。切り裂かれたかのように垂れ落ちた帆を見て、セラスが即座に指示を出す。


「ダスク、クレイートと子供たちを連れて船室へ入れ」

「心得た。主は?」

「とりあえず船橋へ行く。ガルド、悪いが他の護衛たちにこのことを伝えてくれ」

 わかったと頷く彼に踵を返し、セラスは船尾楼へ向かった。途中で周囲の船が防御障壁を展開しつつある様子が見えたが、護衛船の異常に気づいた者が少ないのか、商船自体は落ち着いていた。けれど流石に、船橋までとはいかなかった。船長は視線険しく、伝声管に耳を当てている。


「わかった、すぐに障壁を張る。様子が変わったら知らせろ。ヤバいと思ったら降りていい」

 え、とセラスは耳を疑った。船団を組んで障壁を張る場合、同種の障壁を個別に張って、それを制御する統括魔法を被せることで陣形障壁を組み上げる。守りが最大に厚くなるのは中央の船なのだが、そこに障壁を張ることはない。統括魔法そのものが船の障壁として作用するためだ。障壁魔法ではその役に立たないし、下手をしたら反発しあい、障壁そのものが脅威と成る。


(――いや、そんなことを知らないままで船団を組むはずがない)

 下っ端はまだしも、相手は船長だ。少なくとも、今までに乗った船や船団でその話を知らなかった船長はいない。だとしたら、それが必要な状況であるということ。部下たちに指示を出そうとした船長を遮り、セラスは問いかけた。


船長ŝipestro。護衛船四隻の障壁展開を確認している。あれは障壁統括魔法じゃない理由を聞いていいか?」

「この船に障壁統括魔法の使い手がおらんからじゃな。奴らが用意するという話だったがな」

「……は? いや、この船に使い手がいないことは別に……いや、ちょっと待て!?」

 思わず声を荒らげてしまったのは、あまりの驚き故だ。障壁統括魔法は、そもそもが複数の障壁を統合して操作するための魔法なので、商船そのものに術者がいないこと自体は不思議ではない。だがこれは船団だ。曲がりなりにも船団だ。障壁同士の干渉の可能性を考えても、絶対に必要な人材のはず。


「元から当てにはしておらんで、心配せんでもええ。誰の護衛か知らんが、主たちを船室へ戻して、出てこんように言って貰えるかの?」

「もうやってる。他の護衛たちにも話は通ってるはずだ。で、何が起きた?」

「恐らくは梟歯鯨ゼフィアスだろうな。うちの見張りが、護衛船に迫る何かを見たと言ってきた」

 彼の判断と行動が素早いことに感心しつつ、船長が答えた。はっきりしないのは、あくまで見張りが見たのは「波を蹴立てて護衛船に迫る何か」であり、それ以上は護衛船からの連絡待ちのためだ。


「……ないのか?」

「ないな。通信士は待機させとるが」

「――あの為体ていたらくを見る限り、港へ戻ることを勧めたいが?」

 頭を押さえながら、セラスは提案する。勝手に戦闘を押っ始めるどころか、何が起きているかの連絡すら寄越さないのに護衛船とは、これ如何に。いや、存在の意義はどこに。


「流石に難しいな。何せ、領主の肝いりの艦隊じゃでな。護衛されるべきわしらだけで戻ったり逃げたりしたら、どうなるものやら。隙間をすり抜けようにも、障壁に阻まれる。まさかここまで愚かとはなぁ」

 ち、とセラスは舌を打つ。複数の船が外敵に対して個々に障壁を張るということは、つまりそういうことだ。を阻む、強固な壁。だからこそ普通は陣形魔法として強化するし、統括者の判断次第では逃げ道も作られる。そうでなければ、籠の鳥も同じである。


「この船の戦力は?」

「何もないぞぃ。迅速荒事高速輸送が売りでな。海魔獣なんぞは海風魔法士と海流魔法士で置き去りに出来る。大渦怪カリュブディスなんぞは避ければいいし、海賊もまあ、障壁魔法Baroで防ぎながら逃げれば問題はない」

 飄々とした船長に、セラスは思わず吹き出した。確かにそれは、賢い戦法だ。商船に大砲やらを積み込むより、逃げた方が理に適う。大砲一つ分の重量で、どれほどの荷が増やせるか。


「……ああ、そうか。船体に障壁を張れる魔法士はいるのか」

「ああ、今も見張りに出してある。――何か手があるか?」

「なくはないが、今後の活動に支障が出るぞ?」

「かまわんよ? わしは普段、西フランツィーオ航路を行き来しとるからな。奴らはエウラズィーオ航路を往くそうじゃ、かち合うことはあるまい」

「……あれでか……」

 エウラズィーオ航路は、アメイジア大陸の北から東への長距離航路である。あのころで言うなら、北氷洋を通り抜けてロシアに沿って日本まで往くような航路だ。小さな漁村くらいしかないので、寄港地が少ない。帆船で行けないことはないが、それなりの氷への備えと、相当な食糧が必要となる。あのころと違って、飲み水には不自由しないのが救いだろうか。巨海怪物クラーケンに船を襲われたり、怪人魚クァルパリクに水夫を掠われたり、そう言ったことへの備えも必要だ。

 ちなみに西フランツィーオ航路は、大陸の西、グヴィネーア湾を通る北半球航路を指す。流氷の危険はあるが寄港地も多く、危険はあるがさほど厳しくはない航路である。s


「昔なじみに頼まれて毛織物を仕入れたはいいが、ちょいと色気を出したらこれだ。慣れんことはするもんじゃないな」

「ああ、ブリティーオの毛織物……ん、あれ? 行き先はカルリーノ港だよな? 仕入れなかったのか?」

 有名だなと続けようとして、ふと気付く。マンクィンスーロは、ブリティーオの港の一つで、内陸側から集まった商品が荷積みされ、外海航路へ出る交易路が有名だ。毛織物というなら、すでに荷積みは終わっているはず。だがカルリーノ港は、セラスが下ってきたクライド運河の反対端だ。小型船しか抜けられないクライド運河を抜けることは出来ないだろうに、何をしに行くのだろうか。それに、カルリーノ港の手前――というかその周辺は、小島が多くて海流が複雑だとして有名だ。古くは潮の満ち引きで起きる渦潮があり、それがカリュブディスと間違われたという笑えない話があるほどである。


「出物は多少な。カルリーノ港に用意されとる荷を引き取りにいくところよ。新人の海流魔法士を入れたんでな、その訓練も兼ねとる。荷を引き受けるまでは速度を出す必要もないからちょうどいいと思って引き受けたが、とんだババを掴まされたわ」

「そういうことか」

 思わず苦笑したが、それならば納得である。いや、新人の訓練に周囲を護衛船が固めているとなれば、それはもう豪華な訓練だ。まして旗揚げとは言え傭兵船団であれば、何の心配もない――はず、だったわけだ。


「……高速輸送が売りと言ったな。どれくらい速度が出せる?」

「ん?」

「護衛の船団を置き去りにして、カルリーノ港まで先行出来るか?」

 そうさなあ、と船長は考えるそぶりを見せつつ、ちょいちょいと船員を呼んだ。何事かを話し始めたが、流石に船乗りたちの専門用語まではわからないので、セラスは大人しく待つ。その間に、甲板にどうやら武装した護衛たちが集結したようだ。さほどの人数がいないところを見ると、いくらかは船室内の警備に回ったのだろう。

 

「元々、十日ほどの日程だ。縮めて半分、五日でいけるというが、どうだ?」

「十分だ。――障壁統括魔法を使う。すまないが、この船の障壁士を下げてくれ」

「む?」

 初めて船長がセラスを見る。今の今まで、船に隠された向こうの様子を少しでも掴めないかと、一瞬たりとも視線を動かさなかったのに。


「今から十分後に、右舷と前方の船の間に道を作る。長くは持たないから、全速で突っ切ってくれ」

「出来るのか?」

「長くは持たないからな」

 それ以上は聞かず言わずでセラスは甲板に飛び出した。階段を降りる間も惜しいと手すりを跳んで、ガルドを捕まえる。


「ってセラスかよ脅かすんじゃねぇよ!?」

「悪い、急ぐんだ。十分後にそこの船の間を全速ですり抜ける。海魔獣が出るかもしれないが、威嚇だけで放置するよう、皆に伝えてくれ」

「は? すり抜けるって……おい!?」

「いいな、十分後だ! 振り落とされるなよ!」

 叫びながらひょいひょいとマストを登ると、見張りに立っていたはずの水夫とすれ違った。どうやら船長は信じてくれたらしい。有難く場所を借りて周囲の船を確認する。そして、呻いた。


(普通は商船を中央に置くんだがな……!)

 前方に一艦、それはいい。だが左舷と右舷にいるべき二艦は前方寄りに速度を上げており、後方を守るはずの一艦が右舷後方から波を蹴立てている。左後方から襲われたら、ひとたまりもない布陣――いや、もう敗戦必至の崩れた陣だと言ってしまったほうがいいだろう。それも、護衛するべき船を囮にする最悪の負け方だ。

 障壁統括魔法Baro kontrolistoは、最低三隻から展開可能である。射程などから最適解は六艦での展開とされているが、何れにしても司令船などの重要な艦を中央点として、周囲の艦船が展開する障壁を統括し、必要に応じて守りを厚くするなどの対応を取る。だからこの場合、一艦が遊撃として走るのであればまだ、定石のうちだった。むしろ一艦を遊撃として活用するなら、攻撃主体の艦隊として感心しただろう。

 だが、それは過去形だ。背後の艦がこの船を追い越したら、もう何の意味もない。


障壁統括魔法Baro kontrolisto――強制制御devigo regado

 だから、セラスは遠慮なく強制魔法を使った。意外と知られていないのだが、統括系の魔法は、他者の魔法を支配下に置くことが可能である。それが出来ないと、不測の事態に於いて術者の代用が効かないという事態を招くためだ。もちろん無条件にとはいかず、少なくともその支配下に置く術者全員の魔力を上回る魔力と、支配する全員を把握し、抵抗を押さえつけるだけの魔法制御能力が必要である。それが可能なのは、彼がエルフであり、人間とは比べ物にならない魔力を保有できること、魔法に長けていて、更には強制制御魔法を使ったことがあるためだ。訓練の名の下に全力で抵抗してきた二流と自嘲する魔法士たちに比べれば、制御を奪われたことに呆然となる未熟者の抵抗など、ないに等しかった。

 脳裏に広がる海面図から各船の位置を把握し、ゆっくりと制御する。船長にもそれが通じたのか、船首は宣言した航路を向いた。背後から迫っていた艦はそれに気づいたか速度を上げたようだが、流石に船長が断言した高速船だけあって、少しずつだが距離が離れていく。何を思ったか拿捕用の網が放たれたようだったが、逆にこの船からの攻撃であっさりと海に落ちていた。

 だが流石に、セラスはそこまでを把握していない。追いつけないならそれでいいと、とにかく前方の障壁制御に集中していた。宣言通り、十分が経つ頃に船が抜けるだけの隙間を作り上げることができて、仕上げとばかりに弓を構える。


魔弓Magia arko狭霧nebulo

 弓が魔力を帯びて虹色に輝き、光が収束して矢を作る。その鏃は、霧の如くに霞んで見えた。


二重射dueco pafi熱風Varma aero

 再びの虹色と揺らぐ赤い光が矢を作り、2本の矢は同時に放たれる。その軌跡が霧を生んで護衛船を覆い隠し、しかしそれを追う赤い光がまるで一条の道を示すかのように、霧を割いていく。そしてセラスの目算どおり、ギリギリではあったけれど障壁のその隙間を抜けきった。後は船長の腕次第だ。


「――自動制御形態aŭtomata regado reĝimo

 船が境界を抜けたら制御を切るように設定し、セラスは甲板へと降りた。すれ違った水夫は先に登っていた男だろうか。この後は障壁魔法が必要になるかもしれないので、そこを任せられるのは有難かった。船長には状況の確認をと船橋へ戻った彼の耳に、怒声が響いた。


『っざけんな、俺たちに恥かかせる気か!?』

 小綺麗な防具を着込んだ青年が、船長に食ってかかっているようだった。だが船長はまっすぐに前を見ており、その手は操舵輪にかかっていて、視線はちらりともそちらを向かない。そもそもが透けたその姿で、それが幻影であることはすぐにわかる。


(幻影付きの遠隔通信魔法か。透けてるところを見ると音声重視型かな。そこそこ使える魔法士がいるのか――いや、船の通信魔法士が有能なのか)

 この世界に、船同士の通信機というものはない。代わりに通信士を二人使ってのリアルタイム通信を可能とする遠隔通信魔法が発明されており、こういった船団を組むときには必須とされているから、それ自体は珍しいことではない。ただ、普通は定時通信にしか使われないし、この状況下でどう見ても文句を付けるためだけに使われているというのは、通信士が気の毒であった。


「話の行き違いがあるようじゃな。私は、せっかくだから君の送り込んでくれた制御魔法士の方針を採るよ。素晴らしい凄腕じゃないか、あれほど陣が乱れた中で精密に制御出来るとは。いや、本当に君たちを見くびっていた、恥ずかしい限りだよ。とてもではないが、君たちの船に合わせての航海は出来そうにないんだ。予定の港で彼は必ず解放するし、私に出来る最高の宿を用意してもてなそう。ああ、君たちにも謝礼を倍額で用意する。だからすまないが、通信士を開放してやってくれ」

『だから、そんな奴――なんだよキケロ!?』


「北洋傭兵船団の団長だよ。貴族の三男坊だ」

 吹き出しそうになりつつ必死に耐えていたセラスと視線が合った水夫が、こっそりとそんなことを教えてくれた。今回旗揚げされた傭兵団は、そのほとんどが貴族の三男以下穀潰しか妾腹らしい。――そんなもの、貴族の道楽以上の価値はない。いや、死人が出る分、道楽よりもたちが悪い。


「――ああ、それが狙いか」

 思わず呟くと、水夫が変な顔をした。つまりは口減らしを狙ったもので、万が一に成果を上げたならその後援者の名声に繋がるのだという、歪な貴族社会の現れだ。


『てめぇ――どこの何奴だ、名乗れ! 北洋傭兵船団を騙るんじゃねぇ!』

 へえ、とセラスは幻影を見た。かなり押さえた声で話していたのに、聞こえたらしい。ずいぶんと高性能な通信魔法が使えるようだ。まともな傭兵団に所属すれば、相当な高給取りとなるだろうに勿体ない。


「名乗るのはかまわないが、騙った覚えはないな。…だよな、船長ŝipestro?」

「む? ……違ったのか、制御魔法士殿」

 幻影から見えない向きに振り返り、船長はにやりと笑う。どうやらここまで、織り込み済みらしい。まあ別に、かまわないのだが。


『名乗れっつってんだろぉ!?』

「セラスだ。――二つ名は”魔狩人”」

『……は? 騙ってんじゃねぇよ! 証拠見せろってんだよ!』

 まあそうだろうなと、セラスはペンダントにしていた徽章を取り出した。金属のような光沢を放つ石で彫られた一重咲きの薔薇は、放浪旅団の一員であることを示すものとして有名だ。


「放浪旅団・遊撃元師taĉment marŝaloセラス。放浪旅団くらいは、知ってるよな?」

 大陸の東半分を行動範囲とする、世界最大の傭兵団である。これから傭兵団を立ち上げようという者なら、知らぬはずのない名前だ。……なのだが。


『――ッ、なわけねえだろ! なんで放浪旅団で統括魔法なんか使えんだ『ファレイーロ様!』

 鋭いその声を最後に幻影が消え、セラスを含めた周囲の面々は呆気にとられた。


(……信じなかったな、今……!?)

 示した徽章は、見ようによっては赤鉄鉱ヘマタイトに、光の加減では黒真珠ブラックオパールにも見えるだろう。だが実際には、竜の血を特殊な溶液で結晶化させることで作り出す、”竜血晶”である。技術こそ知られているが、その溶液の配合は秘匿されており、放浪旅団以外にその実物を再現出来た者は存在しない。故に騙りと分かれば敵味方を問わず、交流のある傭兵団全てが敵に回るだけの代物だ。それを見せて尚、疑えるとは素晴らしい度胸であると、ある意味皆が感心したのだ。


「――だ、誰か走れ、通信士は無事か!?」

「――っ、場所は!?」

 気付いたセラスが声を上げる。遠隔通信魔法は、基本的には定時連絡でしか使われない。理由は、同調魔法の一種であり、互いの魔力波長を合わせる必要があるからだ。同調という意味ではセラスが使って見せた制御魔法もその一種だが、あれはあくまで発効した魔法の制御を肩代わりするものであり、術者と同調しているわけではない。このタイミングで定時連絡とは思えないし、船長の様子からもそれは明らかだった。


「階段を降りた突き当たりだ、頼めるかっ」

「引き受けた、奴らに追いつかれないでくれよっ」

「当たり前だ!」

 頼もしい言葉を背に、セラスは教えられた階段を駆け下りて、扉を勢いよく開く。惨事とその対応を覚悟していた彼だったが、そこにいたのは何処か呆けてはいるものの、特に異常は見受けられない青年だった。


「――お前が通信士か?」

 ゆっくりと視線が動き、青年が頷く。そのままぐらりと倒れかけたが、セラスが支えた。だが、強制通信を仕掛けられたにしては、落ち着いた様子だ。限界を超えた魔力を引き出されるから、下手をすれば魔力生成機関に異常を来す者もいる。


「――は、い……コレスと……あな…た…は……」

船長ŝipestroに頼まれた、後は引き受ける。――眠れanestezi

 ごく軽く、魔力を乗せた魔法詞を放つと、青年はすぐに寝息を立て始めた。魔力が不安定な状態で下手な魔法をかけると、かかりすぎることがある。それを回避するには、呪文の元となる魔法詞を使い、魔力の流れを誘導してやればいい。抱え上げた彼と共に船橋へ戻り、とりあえずは救護室へと運び込む。

 船医の見立てでは、魔力酔いの酷い状態ではあるが、重篤というわけでもないので、回復すれば自然と目を覚ますだろうということだった。何が起きたかと問われ、推測であることを前置きの上で、状況を語る。


「……いや、それ、この程度で済む話か?」

「普通はすまないんだが……」

 考えられるのは、誰も気付かぬところで別の通信士が強制通信に使われたのでは、ということだ。けれど、普段は事故防止も含めて、防信魔法具を身につけることになっているから、それも考えにくいらしい。何があったかは後に目を覚ました彼から聞けばいいということになり、セラスは船医に後を任せて船橋へ戻った。

 船足は予想以上に速く、すでに護衛船を後方に引き離すことが出来ていた。まだ船影は見えているが、すでに通信魔法は全く通じなくなっているらしい。先の強制通信がいきなり切れたのも、効果範囲を抜けたからだろう。海魔獣の襲撃ももちろんあったが、事前の警告通りに威嚇射撃のみで抜け出せたので、とりあえずは被害もないということだった。通信士の状況を伝えてしまえば話は終わり、乗客への説明は副船長が引き受けてくれるということだったので、セラスの仕事はそれで終わりだ。

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