渇望炎湯
紙季与三郎
第1話 渇望炎湯
一、困った少年。
???「うーん……困ったなぁ」
アルド「どうしたんだ?」
時空を超えた旅を重ねるアルドから見れば古代の世界、火山の麓で生活を営む火の村ラトルにてアルドは一人で立ち尽くし、あからさまに悩む少年を見掛ける。
人の良いアルドが、その少年に声を掛けるのに時間は掛からなかった。
けれど、
???「えっ……なんですかアナタ。もしかして良い人を装った人さらい?」
アルド「えっ! いや、なんだか困ってそうだったから声を掛けたんだけど」
少年からすれば、突然に声を掛けてきた不審者に違いない。不本意な疑いの眼差しを向けられたアルドは戸惑い、あたふたと弁明を始めた。
???「……怪しい」
そんなアルドの慌て様に少年は増々と警戒を強め、少し後ずさる。
するとその時、アルドの後を追ってきたように奇怪な一人の剣士が歩み寄る。
サイラス「どうかしたでござるかアルド」
困るアルドを気に掛けつつ、カエルの頭部をした剣士・サイラスは円らな瞳を瞬いて。
???「妖怪カエル男⁉」
その特異な姿をした男の登場に、跳び上がるように驚く少年。
サイラス「妖怪カエル男でござるか⁉ いずこに‼」
アルド「……サイラスの事だと思う」
サイラス「ああ! 拙者、カエル男でござったな」
少年の驚きに呼応し、辺りを確認するサイラス。アルドは、これは増々と少年の懐疑心が強くなるだろうと半ばあきらめの境地で頭を項垂れつつサイラスの誤解を解く。
しかし、
???「カッコイイ……拙者だ……」
アルド「え……⁉」
少年の反応は、アルドの予想に反するものだった。キラキラと輝く少年の面差し。
サイラス「ほう……中々に見どころのある少年でござる」
得気に仁王立ちでゲコゲコ笑い上げるサイラス。されど、ふとアルドへと振りカエル。
サイラス「時にアルド……オヌシとは今一度話し合わねばならんな」
アルド「え……あ、いや、ははは」
アルドの動揺、それがサイラスに物思う機会を与えたのだろう。アルドはサイラスの一瞬だけ鋭くなった視線に対し、バツが悪そうに目を逸らして笑いで誤魔化そうとした。
アルド「あ、俺はアルド。こっちの格好いいカエル男はサイラス」
更にアルドは話を変え、頭部がカエルなサイラスを夢中に眺める少年に自己紹介を始め、会話を促す。
アルド「君の名前は?」
デモルト「ああ。僕はデモルトだよ。まぁお兄さんたち変わっているし、もしかしたら僕が探している人の居場所を知ってるかも」
すると、サイラスの存在のおかげか、自分の名をデモルトと名乗った少年はアルド達に対する警戒を解き、円滑に弾み始める会話。
サイラス「探し人、でござるか」
デモルト「うん。実はその人に会って頼みたい事があるんだけど……」
アルド「どんな人なんだ? 名前は?」
自然とデモルトの人探しに協力する事を決めたアルド達だったのだが、
デモルト「名前は知らない……けど噂に聞いた話じゃ、各地を旅しながら気に入らない魔物や村を焼き払い、炎を極めようとしている男の魔術師らしいんだ」
デモルト自身も探し人について曖昧な情報しか無いと腕を組み、困り果てる。
サイラス「……ふむ。いや、しかしそのような危険な人物に頼み事とは些か無謀ではござらぬか?」
そんなデモルトが口にした探し人の話に、眉根を寄せる神妙な顔つきのサイラス。デモルトの「頼み」というものに、些かの不安を抱き始めていて。
アルド「……(魔物や村を焼き払う炎を極めようとしている男の魔術師……どこかで聞いた話だな)」
一方、アルドは自分の記憶の中で霞がかる人物像について考え込んでいた。心当たり、といえば心当たり。喉に何かが引っ掛かっているような違和感。
デモルト「でも、もうその人しか僕の願いを叶えられそうにないんだよ」
サイラス「拙者らが、少年の望みを叶えられれば良いのだが……」
サイラス「ん……どうかしたかアルド」
アルド「あ、ガリユだ」
やがて、アルドは思い出す。
かつて旅の中で知り合った爆炎の求道者、烈火の鬼子、ガリユの事を。
引っ掛かっていた違和感が胃の腑にストンと落ち、思わず声を漏らしてしまったアルド。
デモルト「‼ お兄ちゃん、その魔術師の事を知っているの⁉」
少年は、予期せぬ手掛かりに思わぬ興奮を見せ、アルドに向けて身を乗り出す。
サイラス「なんと‼ 確かに言われてみればガリユ殿の事でござるな‼」
サイラスもまた、ガリユの事を知っていた。デモルトの探し人の情報とあまりに符合するガリユという人物像の合致具合に遅ればせながら驚いて。
アルド「え、あ、いや……まぁ知らない仲じゃないけど、ガリユは駄目だって‼」
しかし歓喜とはいかない。アルド達は、ガリユという人間を知っているからだ。
アルド「悪い奴じゃないけど、子供にも容赦しない奴だから‼」
到底、年端もいかない少年に安心して紹介できるような人物ではない。アルドは、自分が声に漏らしてしまった名前に後悔しつつ、デモルトの輝く瞳をなだめようと必死に説き始める。だが、
デモルト「それでこそ探しがいがあるよ‼ どこに居るの⁉」
純無垢に煌く好奇心は尚も輝きを強め、ズイズイとアルドへと詰め寄っていく。
デモルト「ねぇねぇねぇ‼ 何処に居るの、何処に居るのー‼」
アルド「あ、ちょっと‼ いや……でも、それは……」
しまいには路上で寝そべり両手両足をバタバタと暴れさせるデモルト。すると騒ぎを聞きつけ、野次馬が集まり始める小さな村。
アルドは周囲の目を気にして右往左往の戸惑いの極致。
サイラス「まさしく駄々をこねてるでござる……どうあやしつけたものか……」
デモルト「魔術師―、炎の魔術師―‼」
どうしたものか、サイラスもまた困り果てる。
するとその時だった。
野次馬に集まっていた村人の一人がデモルトの言葉を聞き、隣の村人に声を掛ける。
村人A「魔術師って言えば、さっき見たよな」
村人B「ああ、凄い炎だった。ナダラ火山が噴火したかと……」
デモルト「ナダラ火山⁉」
その会話がデモルトの耳に入り、たった数秒前まで土埃と戯れていた少年は跳び起きて村人の会話へと走り寄る。
デモルト「ナダラ火山に魔術師が居たんだね‼」
村人「あ、ああ……その途中のヴァシュー山岳で。けど……あそこは」
デモルト「ヴァシュー山岳に行ってくる‼」
アルド「え、おい‼ 山岳には魔物が……‼」
誰の話も聞かず、聞きたい事だけを聞いたデモルトはナダラ火山のある道の方へ猛進し始め、制止しようとしたアルドの警告をも飛び越えていく。
サイラス「急いで追い掛けるでござる、アルド‼」
アルド「ああ‼」
そのデモルトの無鉄砲さ加減に危機感を覚えたアルドとサイラスも、ナダラ火山へと向かう。残された野次馬、特に魔術師の事を漏らしてしまった村人は、ただ茫然唖然とざわつき始める。
村人「俺達、余計な事を言ったか?」
村人「たぶんな……」
ナダラ火山の噴煙は、今日も変わらずの色。
二、駆る少年。
ナダラ火山に向かうまでのヴァシュー山岳の砂利の坂道、脱兎に似ているが猪突に近くデモルトは駆ける。
デモルト「炎の魔術師―‼」
アルド「なんて足の速さだ……追いつけない‼」
熟達の旅人ですら躊躇うような傾斜を、水柱を弾けさせるように走るデモルトを息を切らしながら追いかけるアルド達。
サイラス「あの子供、只者ではござらんな‼」
サイラス「いかん‼ 魔物が現れたでござる‼」
けれど驚嘆に暮れる暇もなく、デモルトの進行方向に大きな恐竜が姿を現して。
アルド「急ぐぞ、サイラス‼」
アルド達は無理を押して、疲労の溜まる足を速める。
一方のデモルトは、既に恐竜と対面し睨み合っていた。
デモルト「……なんだよ、お前。僕の邪魔するのか?」
恐竜「キシャァァアア‼」
デモルトの不穏な睨みに、咆哮を上げる恐竜。
デモルト「邪魔するなよ‼」
アルド「危ない‼ 逃げろ‼」
一色触発。そこにようやく追いついたアルドの声が飛ぶ。
しかし、瞬間。
デモルト「このっ……よっと、ほいさ‼」
猛烈な勢いで噛みついてこうとした巨大な顎の連撃を、華麗な身のこなしでアドるように躱す少年の姿。
アルド達「……」
瞬く間にして恐竜の背後に回り込んだデモルトに呆気にとられるアルドとサイラス、そして恐竜。そんな空気を尻目に、デモルトは再び走り出す。
デモルト「今は魔物の相手なんかしてる場合じゃないんだよー‼」
サイラス「なんという身のこなし……」
残る捨て台詞の余韻に茫然と立ち尽くすばかりのサイラス。
すると、アルドが声を荒げた。
アルド「サイラス‼ あの魔物、こっちに向かってくるぞ‼」
先ほどの恐竜が恥の目撃者を消さんとばかりに鋭く多いな牙を剥き出して突進してくる。
アルドとサイラスは、互いに腰に身に着けていた剣を鞘から引き抜く。
——ティーレックスとの戦闘。
二人がかりで共闘し、恐竜を撃退したアルドとサイラス。
アルド「はぁ……なんとか追い返したけど」
サイラス「何者でござろうか……あの子供は一体……」
一仕事を終えたのも束の間、やはり気がかりなのはデモルトの正体とその行方である。
アルド「とにかく追ってみよう‼ このまま放っておく訳にもいかないし」
サイラス「うむ。急ぐでござる‼」
再びデモルトを追い、走り出す二人。
ナダラ火山の噴煙は、今日も変わらずの色。
三、浸る少年。
先にヴァシュー山岳の奥へと走っていったデモルトを追いかけて暫く、
サイラス「あの子は何処に向かったでござるか」
彼を見失ったカエル頭のサイラスは周囲を見渡した。
そんな折、
???「うわぁぁあ‼ やめてくれぇぇぇえ‼」
突如として聞こえた聞き慣れぬ男の悲鳴が山間を木霊する。
アルド「あっちだ、サイラス‼」
サイラス「うむ‼ 急ごう」
異常を知らせる悲鳴を手掛かりに、声の元へと向かうアルド達、そこには、
???「来るな、来るな‼ 化け物‼」
山の上から腰を抜かしながらも逃げてくる魔術師の格好をした男。
男は、持っていた杖から炎の魔法を必死で捻り出す。
アルド「大丈夫か‼ 何があった‼」
只ならぬ事態を感じ、男の元へ駆け寄るアルド。
しかしサイラスは、その先、男が炎の魔法を放った為に巻き起こる黒煙の中を睨む。
サイラス「……‼ アルド、構えるでござる‼ ただならぬ気配、何やつ‼」
腰に収めていた鞘が鳴る。警戒するサイラス、徐々に晴れていく黒煙。
その先に居た者は、アルド達を驚かす意外な人物であった。
デモルト「……なぁんだ、お兄ちゃん達か。意外に早かったね」
アルド達「デモルト⁉」
黒煙の中を、てくてくと歩いてくるデモルトは、何処か退屈そうに残念そうな声を漏らす。
サイラス「キサマ……‼ 子供相手に魔法を放っておったでござるか‼」
掴めない状況、されど解るだけの情報を基にサイラスは憤慨した。掴んでいた柄の向きは、未だに腰を抜かす魔術師の男へと向いて。すると、魔術師の男は慌てて弁明を始める。
???「ち、違う‼ 向こうが突然襲ってきたんだ‼ それに……アレは絶対に普通のガキじゃない‼」
必死の様相、明らかに嘘ではなく、よほど死を感じるような出来事にその身を晒した後のよう。けれど、アルド達には、まだ、にわかには信じられない言葉ではあった。
デモルト「その人の言う通りだよ、お兄ちゃん達。噂に聞いた炎の魔術師か確かめたかったんだ」
村で遭遇した無邪気な彼からは、一人の魔術師をここまで追い詰める所業が行うなど想像もできない事である。デモルト本人が、それを肯定しようとも、である。
デモルト「でもガッカリ……違ったみたい。その人、弱すぎるんだもん」
デモルト「火力もイマイチだしさ。すっかり冷え切っちゃったよ」
けれど無邪気さゆえ、無邪気さゆえの狂気が、この時のデモルトからは滲み出ていた。
デモルト「うー、寒い。丁度良いからお風呂にでも入ろーっと」
アルド「……? 風呂なんて何処に……」
そして、この時のデモルトが言い放った言葉と、その後の行動が現実を突きつけるようにアルドとサイラスを心底驚愕させるのである、
デモルト「あらよっと!」
サイラス「それは風呂でなく溶岩でござる‼」
デモルトが飛び込んだのは、間違いなくナダラ火山から通じる噴口の一つ。夥しい熱気を放つあらゆるものが溶け込んだマグマの巣窟。
アルド達「……」
刹那。デモルトは死んだ、確実にアルド達はそう思った。目の前で繰り広げられてしまった自害を、止められなかった悔しさが茫然唖然の末に湧き出してくる。
しかし、しかしだった。
デモルト「ふひぅー、いい温度♪」
驚くべきことに、マグマの池をまるでプールであるかの如く戯れる少年が、颯爽とゴキゲンな声を上げて。その身はグツグツと煮えたぎるマグマの中にあっても燃えず溶けずに確かに存在していた。
アルド達「ええ⁉」
過去、未来、現代。時空を超え、様々な浮世にて数々の超人たちと出会ってきたアルド達ですら驚きを禁じ得ない光景。
魔術師「ひぃぃ! やっぱり化け物だぁあ‼」
傍らに居た常識の範囲内で生きる魔術師の男の驚愕などに至っては、それを超えるものであったことは想像に難くない。
デモルト「……失礼しちゃうな。少し人より体のつくりが丈夫なだけなのに」
常軌を逸するデモルトに恐怖に慄き、逃げ出した魔術師に呆れた声を漏らすデモルト。
マグマの池から上半分の身を乗り出す様は、まさに露天風呂に浸かるが如く。
アルド「だ、大丈夫なのか……?」
サイラス「……驚いたでござる」
一方、未だに信じ難いと疑わしくデモルトを見つめる二人の剣士。
デモルト「はは。僕にとっては、ヌルイくらいの温度だよ」
それでも先の魔術師のように逃げ出す素振りも無く唖然とするだけ二人に、デモルトは無邪気に笑い、感覚を伝える。
そしてデモルトは、ふとサイラスを見つめ、想いを馳せた。
デモルト「ねぇ、カエルのお兄さん。お兄さんは、生まれた時からカエルだったの?」
サイラス「……拙者でござるか。いや、この姿は……」
カエル頭のサイラス。その歪な呪いに、デモルト自身が複雑に思う所があったようだった。故に彼は、サイラスの答えを最後まで聞かない。
デモルト「僕はね、昔は普通の子供だったんだよ。きっと、さっきの魔術師やお兄ちゃんたちみたいな大人に優しくされるはずの子供だった」
過去形で語られる繊細な事情。過去に触れられたくない者の気遣いか、共感か、同情か、或いは単なる不幸比べか。
デモルト「この世界の言葉で言うのなら、人工精霊なのかな。僕は、ある大人たちの実験で人工の精霊と結合した実験体の一人なんだ」
デモルト「人間でもないし、まして精霊でもない」
アルド達「……」
露天風呂で熱が染み渡っていくが如きデモルトの穏やかな語り口に引き込まれ、アルド達は黙す。と、同時に考えていた。現在と、その先の未来についてを。
デモルト「この世界は、僕が生きるには寒すぎるよ」
デモルト「炎の精霊すら燃やせるって噂のガリユって人なら、僕を消してくれると思ったんだけど……そうそう上手く事は運ばないね」
そんなアルド達の様子を計るように、デモルトは自身の願いをやや遠回しに述べる。
デモルト「はぁ~、いい湯だなぁ」
サイラス「……つまりガリユ殿に殺してもらうのが、貴殿の頼みたい事という事か」
するとデモルトの目測に初めに触れたのはサイラスだった。呪われた身同士の気遣いか、異物同士の共感か、同情か、或いは単なる不幸比べか。
マグマの池に向け一歩前に足を進ませ、傍らのアルドを驚かす。
アルド「サイラス⁉」
まさか、アルドは最悪を予期した。けれどサイラスの思惑は違う。
サイラス「分かっているアルド。拙者、子供を殺すことに協力などせんよ」
説法を跳ねのけるが如く首を横に振り、サイラスは改めてデモルトを円らな瞳でも降ろした。その瞳は優しく、そして寂しげであった。
デモルト「……僕はカエルさんが思っているほど、子供じゃないよ。精霊もどきになった影響で成長も止まっているからね」
そんなサイラスの瞳の意図する所を悟っているのか、デモルトはサイラスの次の言葉を茶化すように遮る。そして、
デモルト「だから言いたい事も分かるんだ。お兄ちゃん達が、僕のお願いを聞いてくれない事も……ガリユって人の居場所を教えてくれない事も」
ただ、感謝を述べるようでもあり、嘲るようでもあり、切なげにデモルトはアルド達に告げて彼曰くの湯に深々と浸る。
デモルト「駄々はこねないよ……僕は、もう少し風呂に浸かってから行くから」
デモルト「バイバイ。優しい、お兄ちゃん達」
そんな彼に、どんな言葉を掛けられるというのか。
サイラス「……行こう、アルド」
アルド「……ああ」
アルド達もまた、歯痒い思いを抱きながら、その場を去る事に決めた。
ナダラ火山の噴煙は、今日も変わらずの色。
四、浸かる少年。
アルド「……大丈夫か、サイラス」
炎に呪われた少年・デモルトと別れ、ヴァシュー山岳の坂道を下る道中、アルドは沈黙を続けるサイラスに問う。誰よりもデモルトの身の上話に感情を移入させていたサイラスを気遣っての事である。
サイラス「はは、問題ないでござるよ。同じ想いを抱いたのはアルドも同じであろう」
仲間を心配させまいとサイラスは強がって答えるが、カラカラとカエルらしくない乾いた笑いに籠るのは虚しさばかり。サイラス自身、それは抑えようも無いものだった。
サイラス「……いや、袖振り合うも多生の縁と、数多くの揉め事に関わってきたが」
サイラス「袖振り合う時、拙者はいつも無力でござる」
安易に答えては見たが改めて首を振り、省みて、サイラスは真意を漏らす。
その視線が向かうはナダラ火山の頂き。硫黄の香り漂う、巡り巡る業炎の居城。
サイラス「いくらこの刀にて鋭く空を斬れようが、岩を裂けようが、この世の業と因果は切れぬまま‼」
感情任せに抜いた刃は虚しく空を切り、サイラスの叫びが聞こえるが如き虚空を残す。
アルド「サイラス……」
サイラス「あの子に返せる言葉も無い。拙者にあの子は斬れぬ……まして救う術もなし‼」
アルド「……」
それらに呼応するようにアルドもまた、無力さに俯き、拳を強く握る。
そんな悔恨の空気の中、
魔術師「ひぃぃ‼ なんなんだ今日は‼」
場違いに泣き叫ぶ男の悲鳴、先ほどの魔術師の男の声。
どうやら逃げた先から引き返し、アルド達の元へ走ってくるようだ。しかし、
アルド「あ、さっきの魔術師……逃げたんじゃなかったのか」
???「逃げられると思うな‼」
アルド達「⁉⁉⁉」
特に望まぬ再会の開口一番、魔術師の男の姿を確認した瞬間の事。
とある男の激情に触発されたが如く爆炎が、猛烈な勢いで砂利の路上に炸裂する。
アルド達は、その炎を知っていた。
吹き飛んできた魔術師を尻目に、唖然と待つは凶乱炎舞の男の登場。
ガリユ「ん……。キサマ、アルドか」
炎に等しく赤い髪をたなびかせ、ゆるりと歩む王者の貫禄。男の名はガリユ。
先のデモルトが探し求めていた炎獄の求道者にして爆炎の支配者である。
アルド「ガリユ⁉ ホントにヴァシュー山岳に居たのか⁉」
村人たちの噂が事実であったことを知り、驚くアルド達。
ガリユ「ここで何をしている……いや、今はそれよりその男を捕まえておけ。今すぐ消し炭に変えてやる」
魔術師「ひぃ⁉ 助けてくれぇ‼」
しかし再開も束の間、ガリユは眼光の鋭さを強め、持っていた杖の矛先を逃げてきた魔術師に向け炎を灯す。魔術師は咄嗟に、本能的に、アルドにすがった。
アルド「待てって‼ いったい、何があったんだ⁉」
混濁の喧騒、それでもアルドは状況を納めようと慌ててガリユに問い、到底ガリユを怒らせそうもない魔術師の男を庇う。すると、端的にガリユは答えを述べる。
ガリユ「そいつが、ぶつかってきた。理由はそれが全てだ‼」
それ以上でもそれ以下でもない、単純にして明快な理由。
恐らくデモルトから逃げる際に起きた諍いである事は容易に理解出来た。故に、
アルド「ええ⁉ そんな事で⁉」
にしても、である。マグマに浸かるデモルトに恐怖し、恐れ慄いた魔術師の錯乱ぶりを知っていたアルドには一心不乱で周りが見えなくなって逃げる様も同時に想像出来ていて同情に余りある。その上、ただぶつかっただけで人間を燃やしてしまおうというガリユの短気は相変わらず常軌を逸したものだった。
ガリユ「問答無用‼」
魔術師「嫌だぁ‼ 死にたくない‼」
アルド「あ、おいちょっと‼ ここままじゃ俺まで‼」
魔術師にしがみ付かれたままのアルドの制止も効かずガリユの杖の矛先に灯る炎が勢いを増し、閃光が煌く。
その時だった、沈黙を貫いていた一人の男が刹那に動く。
弾けた爆炎、巻き起こる黒煙。しかしアルド達の姿は健在。
アルド達を庇うように煌くのは、炎の赤ではなく鈍い銀光を放つ刃。
サイラス、彼は刹那の間合いでガリユの炎を斬り裂き、アルド達を守っていた。
ガリユ「……どういうつもりだ、カエル」
しばしの沈黙、ガリユはサイラスを睨み、問う。
サイラス「……貴殿に恨みこそ無いが拙者、今は少々、腹の虫の居所が悪いゆえ」
サイラスもまた、刃を構えつつガリユに答えを返し、ガリユを鋭い眼光で睨み返す。
一転して漂い始める一色触発の空気感。
ガリユ「ふん、腹に虫が居るとはカエルらしい。面白い……そこらの焼きガエルよりは燃やし甲斐がありそうだ」
サイラス「いざ尋常に、お相手願おう‼」
溢れ出るガリユの膨大な魔力とぶつかり合うサイラスの気迫。
アルド「ガリユ‼ サイラス‼ やめろ‼」
知り合い同士がお互いを殺しかねない本気の喧嘩を始めようとしている。いや、アルドの静止が僅かに遅れ、始まってしまった喧嘩。ガリユの放った爆炎を躱し、サイラスは一太刀を振るう。交錯する杖と刀、熟達者同士の高速の戦闘は、みるみると場所を変え、ヴァシュー山岳の奧へ、ナダラ火山の麓の方へと進む。
アルドは無論、彼らを止めるべく追おうとした。しかし、
魔術師「ひぃぃぃ‼ 待ってくれ、頼む! 置いて行かないでくれ‼ 腰が、腰が抜けて」
アルド「ええ……いや、あの二人を止めなきゃ……」
未だ必死にアルドの腰にすがりついてくる魔術師がアルドの動きを阻害する。
この魔術師を放っては置けないし、二人を追わなければならない。板挟みの状況にアルドは困り果てていた。
その時、アルドの背後から現れる人影。
デモルト「……何の騒ぎ? 凄い音がしたけど」
アルド「デモルト⁉」
ガリユとサイラスの喧嘩の騒音を聞きつけて物見遊山に足を運ぶマグマの池を泳いでいたはずの少年デモルト。
アルドは、そのタイミングの悪さもあってデモルトの登場に驚愕する。けれど、誰よりも唖然としたのは先ほどデモルトに襲われたばかりの魔術師であった。
魔術師「あ……ああ‼ こっちにも化け物ー‼」
恐れに身を震わせ、悲鳴を上げて一目散に逃げていく魔術師の男。
アルド「あ、おーい‼ 腰は大丈夫なのかー⁉」
デモルト「……別に逃げなくても何もしないのにさ」
そんな男を心配するアルドを他所に、デモルトは俯き呆れ気味に首を振る。
しかし、或いはあの魔術師の存在はアルドにとって幸に働いたのかもしれなかった。
アルド「あ、そうだ‼ そ、それよりもデモルト、どうしたんだ? もう少し風呂?に浸かってから行くんじゃ……」
徐々に遠くになっていく爆発音。デモルトの探し人であるガリユとサイラスの戦闘、それを魔術師が気を引いたおかげでデモルトが気付く事なく今に至っているからである。
アルド「(マズイぞ……ここにガリユが居るって知ったらデモルトは……)」
マグマとも戯れられる体質の少年の願いは、自身の消滅である。炎の精霊すら業火で焼き尽くすというガリユに死を望むデモルトを合わせるわけには行かない。
アルドは自身の良心に胸を締め付けられながら、手に汗を握って。
けれど肝心のデモルトはアルドの心配を他所に、
デモルト「うーん。ここの温泉、質は良いんだけど、やっぱり少しぬるくてさ」
デモルト「もう少し熱そうな源泉の方に行こうかと思って」
相変わらず温泉観光を嗜むが如くの気軽さで、熱気と魔物ひしめくヴァシュー山岳の周囲の見聞を広めていくばかり。
アルド「(温泉って……やっぱりマグマの事だよな……源泉となるとてナダラ火山か⁉)」
それでもアルドは戦慄する。何故なら今にもデモルトが歩いて行きそうな方向には、サイラスとガリユが今なお戦闘を続けているであろう方角だったからである。
このままではガリユと出会い、彼は願いを叶えるだろう。
ガリユという男は例えデモルトの事情を知ったとして、アルドやサイラスと同じ判断を下さない。ひと思いに優しさを炎に込める男であるからだ。
デモルト「そんな事より、これ、さっきから何の音なの? 凄い爆発音だけど」
アルド「え⁉ あー、えっと……そうだ‼ 噴火‼ 火山が噴火したみたいで危ないから今は向こうの方には行かない方が良いぞ‼」
それを知るアルドは、心臓の鼓動を早くする。咄嗟にデモルトの眼前に身を乗り出して視界を遮り、あたふたと場当たり的な誤魔化しの虚言。
デモルト「……」
アルド「……(頼む、向こうには行かないでくれ‼)」
懐疑的な首を傾げるデモルトに対し、ただひたすらにアルドは内心にて祈り奉る。
すると、ある意味で奇跡のような展開が起こる。
明らかにヴァシュー山岳の熱さのせいではない冷えた汗をダラダラと流すアルドの場馴れしていない下手くそな虚言を、
デモルト「……噴火‼ 今なら激アツなシャワーが浴びられるってこと⁉」
アルド「ええ⁉」
瞳を一瞬にして輝かせたデモルトが少年らしい無邪気さで信じたのである。
デモルト「ソレ、ゼッタイ、サイコーじゃん‼」
アルド「しまった‼ 逆効果か‼」
アルド「デモルトを止めないと‼」
興奮を抑えられずに走り出したデモルト。彼の足は、アルドらよりも遥かに速い。
一瞬にして振り切られたアルドは、全力で彼を追いかけ始めた。
ナダラ火山の噴煙は、今日も変わらずの色。
五、カエル少年。
一方その頃、熾烈な戦いを繰り広げるサイラスとガリユ。
ガリユ「小賢しい‼」
サイラス「なんのこれしき、まだまだでござる‼」
三連弾に放たれたガリユの炎を紙一重で避け続け、鋭い刃をガリユの杖に叩きつけるサイラス。瞬間、サイラスは叫ぶ。
サイラス「オヌシの、かような振る舞い……拙者には解からぬ‼」
ガリユ「ハハハ‼ 話なら灰になってからしやがれ‼」
切実に訴えるサイラスと戦いの享楽に身を投じるようなガリユ。
ガリユは自在に炎を操り、炎の竜巻すらも巻き起こす。
対するサイラスは、素早い身のこなしに全霊を込め、打ち寄せては不規則に引く流水が如き一進一退の動き。
サイラス「何ゆえ、そのようにイタズラに力を振るうのか‼」
ガリユ「知った事か‼ ジジイの説教なら間に合ってんだよ‼」
幾重にも繰り返される攻防。豪炎と流水のせめぎ合いが世界に似通り永遠に続いていくような気配すらあった。
しかし、一つの区切り、一つのキッカケ。戦いは突如として終わりを告げる。
デモルト「どこだー、溶岩シャワー‼」
ひと息を吸い、魔力を増大させたガリユが杖先から膨大な魔力を放った瞬間、何も知らぬ一人の少年が戦場の只中に飛び込んできたのである。
ガリユ&サイラス「なに⁉」
バフゥン‼
その炎の魔法は、これまでサイラスに向けてきた如何なる魔法よりも激しく爆音と爆風で、その他のあらゆる音を掻き消し、世界を揺らす。
ガリユ「……」
サイラス「……今のは……デモルト‼」
戦いに水を差され、その場に立ち尽くす二人だが、噴き上がり景色を満たす黒煙を見る眼差しは全く違うものであった。
デモルト「……」
黒煙を振り払いながら、デモルトを探すサイラス。しかしデモルトの返事は無い。
サイラス「無事でござるか、デモルト‼」
アルド「しまった、間に合わなかったか‼」
焦るサイラスの声を聞き、デモルトを追いかけていたアルドも遅れて到着する。
強烈な炎が巻き起こした黒煙が、やがて晴れていく。
息を飲むアルドとサイラス。静観するガリユ。
その時、一人の少年が立ち上がる。無論、デモルトである。
デモルト「……凄い、凄いな、今の炎……」
打ち震えるように立ち尽くし、未だ体に残る炎の余韻に浸るデモルト。
ガリユ「なに⁉ 無傷だと⁉」
そんな肌が艶めく少年の服すら燃えていない結果に、珍しいガリユの驚愕。
デモルト「そうか……お兄ちゃんがガリユなんだね……」
唖然と瞳孔を開くガリユに振り返るデモルト、その声は何処か切なげで。夕方に遊ぶ少年の別れの色合い。デモルトは言葉を続ける。
デモルト「でも、まだまだ本気じゃない。炎が欠伸してる」
ガリユ「俺の炎が欠伸……⁉」
物足りない、心からの静かな渇望が再びガリユに衝撃を与えた。
この瞬間、気遣っている場合でもなく、むしろ好機であると判断したのかもしれない。
アルド「ちょっと待ってくれ‼ デモルト、この人はガリユじゃないって‼」
唐突に二人のやり取りを見守っていたアルドが間に割って入り、言葉を並べる。
デモルト「え?」
アルド「この人はその……そう、イイユ‼ ガリユの弟子なんだ‼」
言葉を並べながら思考を巡らし、何とか不幸な結末に向かいそうな状況の打開を試みて。
けれど、しかし、それでも、やはり、
ガリユ「何を言っているアルド。俺に弟子など居ないぞ」
デモルト「そうだよ、アルドのお兄ちゃん。流石にそのネーミングセンスは無いよ」
事情も知らず空気を燃やすガリユに眉根を寄せられ、噴火を信じた少年にすら呆れた溜息で跳ね除けられる。
アルド「ええ……やっぱりダメか……」
二人の冷たい眼差しにガクリと項垂れるアルド。
時を同じく状況を静観していたサイラスもまた、その顛末に息を吐いた。
サイラス「……出会ってしまったらば、致し方あるまい」
一歩二歩と足取り重く前に進み、サイラスは持っていた刀を鞘に納めた。
サイラス「ガリユ殿。拙者、年甲斐もなく貴殿に刃を向けたのは、このデモルトとの縁あってのもの……つまり八つ当たりでござる」
謝意を示すべくガリユに俯くサイラス、けれど滲むは渋々の悔恨。
痛感する未熟さと己の無力さ加減。
アルド「違うだろ‼ サイラスはデモルトを死なせない為に……‼」
そんなサイラスを庇うべく、概ねの事情を知るアルドは前のめりに語らおうとした。
しかし、
ガリユ「そんな事は、どうでもいい‼」
突如ガリユが耐えがたき怒りと共に体から怒涛の魔力を放出させ、アルドの言葉を遮った。。
アルド「⁉」
ガリユ「そこのガキ。貴様、俺様の炎が欠伸をしていると言ったな」
自尊心、或いは誇り。いたく傷つけられた最強の炎使いとしての自負、矜持。
彼は今、自身の炎を受けて尚、無傷で佇む異端の少年にしか感情を向けない。
そして少年もまた、ガリユに対し並々ならぬ怒りを感じていた。
デモルト「そうだよ! 炎の質から見て、お兄さんがガリユなのは間違いないと思う。けど無意識に手加減しているんだ‼ 僕が探していたガリユとは似ても似つかないヌルさだったよ‼」
いや、或いはこの世の無情。裏切られた期待、理不尽と頭では解りながらもガリユに怒りを向けざる得ない情事。絶望の叫び。それは、
ガリユ「……‼」
魔物も逃げ出すような凶悪面も押し退ける叫び、気迫。
更に芯も突く。
デモルト「口だけの支配者に、精霊の炎がコネで媚びを売っているだけだ‼」
デモルト「全てを燃やし尽くす爆炎の支配者なんて聞いて呆れるよ! ガッカリだ‼」
有無も言わせず激烈に言葉を並べ捨て、
アルド「あ、デモルト‼」
デモルトは一心不乱にガリユ火山の深奥へと走り去る。
残された一行に、しばしの沈黙。すると、やがて、
ガリユ「……くくく。口だけだと? コネだと? 笑わせてくれる……」
滲み出る混沌が、魔力となってデモルトの言葉を反芻したガリユの体から徐々に染み出していって。とても不吉で不穏な気配。そして、
アルド「ガ、ガリユ……?」
ガリユ「いい度胸だ、あのクソガキがぁぁぁぁぁ‼」
アルド「うわっ……⁉」
アルドがガリユを心配した僅か数秒後、無限に溢れ出んばかりの怒号、感情もまた炎となってガリユの周囲の岩を一瞬にして焼き焦がす。
サイラス「……」
それでも、目の前の物を全て焼き尽くしかねないガリユの威圧に怯むことなく一人の男が腕を組み、明鏡止水の如く佇んでいた。
ガリユ「……どけ、カエル。今は見逃してやる。消えろ」
本物の殺意、本気の警告。これまでのガリユがまさに児戯を嗜んでいたと思える程の気配の厚み、重み。しかしサイラスとて、また一色違う気配を放つ。
サイラス「タダで通せようものか。あの子は、死を望んでいるでござる。されど、子の死を見過ごせる拙者でもない」
本物の覚悟、本気の決意。或いは大義、矜持。激情に燃えるガリユとは対照的な水面に波打つ静寂の波紋。
ガリユ「……なるほどな。だいたい状況は分かった。なら、まずはお前から燃やすだけだ」
再び構えられる杖と刀。互いに引けぬモノを賭けた戦い。しかし、
アルド「お、おい……二人とも‼」
サイラス「アルド……拙者とて戦いは望まぬところ。が、命乞いをするつもりも無い」
サイラス「ならば、ここは譲れと頼みたい。ガリユ殿」
ガリユ「……なに?」
サイラス「あの子は……この手で拙者が斬るでござる‼」
血を流すばかりが戦いではない。
ナダラ火山の噴煙は、今日も変わらずの色。
六、少年とカエル。
ヴァシュー山岳の先、ナダラ火山の更に深奥。
一人の少年は誰かを待つように溶岩の海を静かに眺めていた。
そして時、きたりて。
沸々とするマグマの気泡の音に紛れ、背後から歩み寄る一人の男に少年は振り返る事もなく声を掛ける。
デモルト「……カエルのお兄ちゃん達が来たんだね。ガリユが来ると思ってたよ」
呪われたカエルの姿、サイラスとの再会。見届け人として遅れて着いてきたアルドを含め、少年デモルトは、それらを予期していたように、予想が外れて欲しかったように切なげに呟く。すると、沈黙を守りデモルトの言葉を噛みしめていたサイラスも重い口を開く。
サイラス「ガリユ殿も、じきに来るでござるよ」
真剣な面差し。そして腕を組み、サイラス自身に戦闘の意志が無い事も同時に示す。
デモルト「そう……楽しみだなぁ」
サイラス「……デモルト」
自らの存在を意に介さず遠くを眺めるばかりのデモルトに対し、自らの存在を顕示すべくサイラスは様々な意図を込め、彼の名を呼ぶ。
デモルト「やめてよ。そんなヌルイ感情を僕に向けるのは」
すると遮るように耳を塞ぐように無機質な返事の中でデモルトは、嫌悪する。
サイラスが彼の名に込めた様々な感情、思いやり、憂慮、糾弾、説法、節介、優しさ。
その全てを嫌悪した。
しかして義に熱いサイラスが引くかと言えば、それもなく。性分は、言わずと知れた先達らしい節介焼きも節介焼きなのである。
サイラス「ヌルイか……しからば、この刃に込める拙者の熱さ、振るうにやぶさかでない」
デモルト「僕を殺したくない。誰かに僕を殺させたくない……どうしようもないなら、自分の手を汚す。カエルのお兄ちゃんはやっぱり優しいね」
言葉。言葉。言葉。まるでデモルトはサイラスの覚悟を辞書で引くが如く、初めから彼の心に記されていたかのようにサイラスへと振り返り、言い放つ。
デモルト「でも……そのヌルさが、僕を凍えさせるんだ‼」
彼の叫びは怒りに満ち、そして涙声かと見紛う程に震えていた。
サイラス「死ぬまで生きるつもりは、本当に無いのでござるか」
デモルト「無いよ。僕は、生まれるべきじゃなかった」
その震えは彼の語る寒さ故か、どうしようもない理不尽に怒り、拳を握った所為であるのか、サイラスはジッと真剣に彼を見定める。
そんなサイラスの眼差しにデモルトは息を吐き、背を向けた。
デモルト「信じられないかもしれないけどね、僕は世界を一つ滅ぼしているんだよ」
デモルト「実験の失敗、いや……あの大人たちからすれば成功なのかな」
デモルト「僕のチカラが暴走して世界は燃やし尽くされた」
デモルト「もう存在しない殺された未来の話だよ」
サイラス「……」
轟々と蠢く因果は彼に取り巻き、眼前のマグマのように彼の希望を溶かし込む。
デモルト「僕だって何度も生きようとしたさ‼ 年の取らない体で、色々な優しい人達と平和に静かに暮らそうとしたんだ……何度も、何度も、全部忘れて……」
デモルト「でも……みんな、僕より先に、僕より楽に、死んでいくんだよ」
悲痛、幾重にも溶けては消えた夢の残滓。
それらは破片となり、彼の心に突き刺さったまま。
心から零れた血の混じる、小さな絶望の声色。
そんな彼に、組んでいた腕を解きサイラスは少し歩み寄る。
サイラス「デモルト……拙者も信じられない冒険の話をしても良いでござるか」
デモルト「え?」
サイラス「それがし、かつて奇怪な男と出会ったでござる」
サイラス「その男、遥か未来から未来を変える為に来たと世迷言を申した」
アルド「……」
サイラス「しかし奇々怪々、男と旅を共にするにつれ、拙者も未来とやらに足を運ぶ事しばしば。しまいには、時空が破壊されようという危機にも直面したでござるよ」
サイラス「このカエルの姿になってからというもの、頭では追いつかぬ事ばかり」
語るのは傍らのアルドとの出会い。これまでの旅路。
サイラス「特に見た事も無いカラクリばかりの未来など拙者からすれば面妖極まるものよ」
それらを、苦行もあった悲痛もあったそれらをサイラスはゲコゲコと今に至り、笑う。
デモルト「……」
サイラス「一つ、約束をせぬか……デモルト」
そして時空を超える蛙は、呪われた少年に対し、とある提案をする。
デモルト「約束……?」
サイラス「拙者、必ず貴殿を見つけるが故……未来の世界にてカクレンボをいたそう」
サイラス「拙者が貴殿を見つけたらば、拙者は必ず貴殿を斬ると誓う」
改めて腕を組み、サイラスは一度つぶらなカエルの瞳を閉じる。
サイラス「それまで貴殿は貴殿のような哀しき命が再び生まれぬよう、世界を監視し旅するでござる」
自らにも課した苦渋の折衷案を己の中で再び整理しながら、組んだ腕を握り潰しかねない程に気持ちを抑えつけてまで平静を装う為に。
デモルト「……酷い事を言うんだね。僕にそんな長い時間、独りで生きろとそう言うの?」
しかし、それはデモルトの立場からすればサイラスの葛藤など甘味すら覚える苦行の選択。
優しげに微笑む口調には嘲りの罵倒も籠る。けれどサイラスは、
サイラス「そこまで生きて、死にたいというのであれば拙者に躊躇いは無くなるという事」
知っての上、覚悟の上でのことだった。
ガリユよりも早くデモルトの元に辿り着き、サイラスは今一度、改めて、マグマで泳ごうが燃やされようが少年の姿をしたままのデモルトを真っすぐに見つめ、祈るように想いを告げる。押し通す己の信念、
デモルト「先送りか……大人らしい提案だよね。僕みたいな子供には出来やしない答えだ」
呪われた少年に幾ら嘲られようと、サイラスのそれは揺らがない。
すると、僅かに物思ったデモルトは優しく笑みをこぼし、俯く。
デモルト「ふふ。でもいいよ、お兄ちゃんの優しさに免じてその約束をしても良い」
アルド「本当か‼」
そして決断を下すが如く改めて顔を上げて、サイラスの傍らで事を見届けるべく黙していたアルドを歓喜させる。
しかし何故かサイラスは、デモルトの表情を真摯に見つめたまま。
デモルト「ただ……一つだけ条件があるよ」
サイラス「……条件、でござるか」
彼は知っていたのかもしれない。安直に喜べない展開が、この先に待ち受けている事を。
デモルトの心、穏やかな言葉に根差す強い憤りを。
どこか、心の何処かで悟っていた。
デモルト「お兄ちゃん達が……ガリユがここに来るまでに生き残る事」
デモルト「つまり今……僕が、お兄ちゃん達を殺すって事だね‼」
アルド達「⁉」
デモルトの言葉を契機に、周囲の溶岩が轟々沸々と湧き上がり、あたかもデモルトの感情に触発されたような動き。
同時に、デモルトの身から強烈な熱気と魔力に似た何かの強大な気配が溢れ出す。
デモルト「言ったはずだよ……そのヌルイ同情が、僕を凍えさせるって‼」
逆立つデモルトの髪は、まさに怒髪天の勢い。ガリユにも引けを取らない炎が背後の溶岩地帯から流れ出し、デモルトを抱くように温めていく。
デモルト「お兄ちゃん達を殺して、ガリユとも本気で戦う。それで何もかも終われる‼」
とめどない激情、デモルトはこうしてアルド、いや、サイラスへと襲い掛かった。
——デモルトとの戦闘。
熱流の錯綜の中での諍い、大自然そのものに戦いを挑むようにサイラスはデモルトの操る炎の流れを躱していく。一撃、掠りでもすれば致命傷にもなりかねない程の高温。
デモルト「冷たい現実なんて、全て……全て消えてしまえ‼」
それらを見事に躱し続けたサイラスに、いよいよデモルトは痺れを切らし頭上に炎を集めた強大な火球で以って物語の幕を閉じようとした。
サイラス「くっ……⁉」
アルド「サイラス‼」
流石のサイラスも全方位を埋め尽くさんとする巨大な炎に行き場を失い、共に戦っていたアルドが彼を助けようと叫んだ。
その時だった。
ガリユ「そこまでだ‼」
ナダラ火山の最奥に足を踏み入れたガリユが持っていた杖先をデモルトの巨炎に向け強大な魔法を放つ。
デモルト「‼ 僕の炎が……燃えた⁉」
デモルトの巨炎を穿つガリユの魔力。瞬く間にデモルトの炎を飲み込み、やがて炎の全てがガリユの支配下に置かれたようだった。
ガリユ「……チンケな炎だ。その程度で俺の炎を語っていたとは」
アルド「ガリユ‼」
サイラス「……」
ようやくと遅れて現れたガリユに対し、各々の想いがナダラ火山の深奥に木霊する。
勝利を確信したアルドの歓喜、神妙なデモルト、そしてサイラスの思慮深き面差し。
ガリユ「ふん。燃やし甲斐のある顔をしているな、カエル」
颯爽と現状を吹き飛ばし、ナダラ火山の深奥を進みながら片膝を着いているサイラスを鼻で笑うガリユ。しかし、ガリユの目的はサイラスを虚仮にする事では無かった。
ガリユ「だが、今はそこのガキだ」
早々にサイラスを嘲笑う顔を止め、真剣な眼差しを待ち受けていたデモルトに向ける。
アルド「待ってくれガリユ‼ 俺達はその子との賭けに勝った‼ もう戦う必要は無い‼」
対峙するデモルトとガリユに先ほどの歓喜や安堵から一転、アルドは危機感を覚えガリユに叫ぶ。けれど、
ガリユ「貴様らのオママゴトなど知った事か……」
その返答は、あまりに冷たく言い放たれて。
少年に対し慈悲も無い様子でガリユが向けた杖先に赤い敵意の炎が灯る。
すると少年は、その炎に怯える事もなくクスリと笑った。
デモルト「ふふっ。凄いね……そこら中の炎が喜んでいるよ。支配者の帰還に」
それどころか歓喜すら滲ませ、周囲に蠢く熱気に対し身を浸すように両手を広げて。
デモルト「少し……名残惜しいな。嬉しいような寂しいような複雑な気持ちだ」
デモルト「やっと死ねる……そう言えると思っていたんだけど……」
感慨深く、彩られた死との対面に瞼を閉じ、デモルトは口角を上げた。
ガリユ「我が炎の真髄、悔いて知れ‼」
デモルト「でも、生きたくもないんだよ」
強大無比なガリユの魔力が杖先に集い、刹那の静寂。しかし次の瞬間には精霊すらも焼き尽くすと謳われた業炎が弾け飛ぶ。光すら一斉に逃げ出したような光の照射、視界に映る物なく、ただ目を開けたままでは居られない白の世界。
音は、間抜けに遅れてやってくる。
デモルト「……どういうつもり、ガリユのお兄ちゃん」
そんな間抜けも束の間、爆炎の轟音が余韻として未だ残る最中、少年は不機嫌そうに言葉を呟く。少年、デモルトは無傷のまま傍らで燃え散った地面を見下し、そしてガリユを睨んだのである。
ガリユ「人の獲物を奪う趣味は無い。それに俺様の炎は俺様だけの物だ」
ガリユ「燃やすもの、燃やす時は俺様が決める」
アルド「ガリユ……‼」
死を望む少年デモルトの生存に、ほっと安堵するアルドを傍らに、デモルトに向けて悪辣に嗤うガリユ。やがて戦意を失ったように腕を組み、瞼を閉じる。
ガリユ「勘違いするな。くだらん情に流されたわけでは無い」
ガリユ「そこのカエルが失敗した時の予約はしておく」
そしてアルドが向けてくる甘ったるい感情を煙に巻き、ナダラ火山の深奥に背を向ける。
サイラス「恩に着るでござる……ガリユ殿」
ガリユ「さっきのケジメも忘れるなよ」
サイラス「無論、いずれ時が来たなら全霊を以って勝負の続きをば」
ガリユ「ふん……」
更には去り際、神妙に感謝を述べた未だに片膝を着くサイラスには皮肉な笑み。
デモルト「熱い炎だね……ホントに」
そんなガリユたちの言葉のやり取り、或いは背中に呆れの吐息を吐くデモルト。
デモルト「参ったよ。降参……カエルのお兄ちゃんと約束する」
デモルト「僕は、これからも生きていくよ。とは言っても、出来る限りだけどね」
神妙に、物悲しさを滲ませる微笑みでナダラ火山の深奥のマグマへと歩む。
アルド達「……」
その幼くも大人びて見える背中に、アルド達は何を想ったろうか。
しかしそれは束の間、
デモルト「それじゃあ、僕は行くよ。風呂は熱い内に入らなきゃさ‼」
アルド達「⁉」
少年は少年らしい無邪気さを燃え上がらせて、マグマの海に飛び込み幾度目かアルド達を驚愕させる。
デモルト「ひゃっはー、ガリユの炎のおかげで最高にイイユだよ♪」
ガリユ「な、なんだ……あのガキ⁉」
マグマの中を平然享楽に嗜み回るデモルトに、初見のガリユの驚きは如何ばかりか。
サイラス「ふふ……はっはっは‼ ただの風呂好きの子供でござるよ」
知るサイラスはゲコゲコ笑う。
ナダラ火山の噴煙は、今日も変わらずの色。
されど不思議と、笑みにも見える。
QUEST COMPLETE
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