恋する少女 feat. 芽依
眠たい気持ちをあくびごと飲み込んで目を覚ます。
一番に見るのは粛々としたニュースの中の、比較的明るい天気予報。それもこの時期では中々にどんよりとした様子だった。
日本地図の中にぷかぷかと浮かぶお天気マークは、梅雨前線の影響で大半が雲か傘のマーク。今日も皆ため息をついているのだろうと思う。
でも、私にはそれが嬉しい天気。
カーテンを開けて外を見れば、暗い雲からサラサラと雨が降っていた。
ニコニコしながら着替え、リビングに行って家族でご飯を食べる。
兄は今日も「まーた雨でニヤニヤしてるのか」と笑うけど、ニヤニヤしてしまうくらい、嬉しい。それくらい私は、雨の日が好きだ。
いつもと同じトーストが美味しく感じるくらい、まとまらない髪が愛しくなるくらい、雨が好きだ。
「いってきまーす!」
元気よく家を出る。
バサッと広げるお気に入りの傘はあまり大きくなく、荷物をギュっと抱えないと濡れてしまうくらいの大きさ。ビニールにプリントされた青空に、雨粒がぽつぽつと落ちてくる。内側から見ると、雨上がりの木の幹の気分になれる。
今朝はあまり風が強くなくて、優しい雨が降っている。時々ふわりと肌に触れる雨の優しい冷たさに、また笑みがこぼれる。
(帰りは強くなるって言ってたっけ)
信号待ちの間に雨雲レーダーを確認すると、濃い青色になっていた。
最近は災害レベルの大雨が毎年どこかで起こるけれど、今日の雨は強いだけの普通の雨らしい。これくらいなら、帰りもうきうき帰れそうだと思う。
通学路の家に咲いている紫陽花が、心なしか元気そうだ。この家は、梅雨の時期が一番きれい。
学校では「朝から雨だよー」とか「外出たくなーい」とか「体育、中になるってーマット運動やだー」とか、ネガティブな言葉が多いのが、雨の日の特徴だ。
私と同じく髪がまとまらなかった女子達が前髪をしきりにいじるし、かと思えば諦めて器用にポニーテールを作る。
男子は体育とじめじめした湿気に文句を言いながら、ズボンの裾を丸めたり、じゃれてびちょびちょになった靴下を脱いだりしている。それを見て、ちょっと寒そうだなと思う。
こんな日は皆、心の中が一致団結していて、それも少し面白い。
いつも仲の悪い女子のグループ同士も、女子社会とは縁が無さそうに見える男子たちも、皆「雨やだなー」と思っている。窓の外を見ては、「帰りまでに雨やまないかなー」と言う。
私だけが、雨が降り続くことを望んでいる。
雨の日は、図書室に寄って、ゆっくりしてから学校を出る。
家に着くのが十九時頃。もしかしたら、もしかしたら運よく定時帰りしたあの人に会えるかも。そんな下心で、私は雨降る図書室にいる。
「芽依ちゃん、今日も七時くらいまで居るの?」
「うん。そうする」
「ここんとこ毎日雨だから、毎日だよね」
図書委員の彼女とは一年生の丁度この時期くらいに、今と同じように図書室で知り合った。私が毎日来ては、あまり集中していなさそうな様子で本を読んでいるので気になって声をかけてくれたらしい。
「図書室って案外日陰なのよ。あんなに人がたくさん来るのは進学校か、漫画の中だけ」とは彼女の言葉で、他に人がいないのをいいことに、私に構ってくれている。
「体調は? 雨の日って健康な子ですら頭痛いっていうし、無理はしちゃだめだよ」
「喘息、最近は落ち着いてるし、無理はしてないよ」
「ならいいけど」
彼女は、私がなぜ雨が好きなのか、なぜ雨の日は遅くまで図書室にいるのか、そういう事を知っている。隠すことでもないので、聞かれたらほいほい答えてしまうのだ。
昔から、体はあまり強くなかった。喘息持ちで激しい運動はできなかったし、体育ではよくフラッとなった。小学校の頃は、あまり外にも遊びに行けず、家でじっと本を読んだり、読まなかったりしていた。
そんな、ありふれた幼少期の話を、彼女は興味深そうに聞いていたな、と思う。
彼女のおすすめの本をゆっくりと読んでしばらく経つと、彼女が時計に視線を向けた。
「あ、七時」
「ほんとだ」
「その本、借りていくでしょ?」
「うん、お願い」
七時になったら図書室は閉室。彼女と一緒に窓の鍵が閉まっていることを確認し、カーテンをかけ、忘れ物がないか見回る。カウンターの返却日の日付を一つ後ろにしたら終わりだ。
去年の梅雨のおかげで、私は図書委員でもないのに、図書委員の仕事に詳しくなっていた。
「じゃあ、鍵を職員室に返却してくるから。また雨が降ったら」
彼女は別れ際、そんなちょっと詩的な挨拶をする。それも、一年の時からだった。
湿った空気の下駄箱からローファーを取り出し、靴を履き替える。つるつる滑りそうなタイルを、こけないようにやや慎重に歩いて、私は校舎を出た。
なんで雨が降るとドロドロになるとわかっているのに、学校の玄関ってあんなに滑るタイルなんだろう、といつも思う。年に何度か、走り回っていた男子生徒が転んでいるのを見るのだ。
外はざあざあと雨が降っている。予報通り、朝より強い。
靴下を濡らされながら、家までの道を歩く。うきうきすると同時にドキドキする。会えるかな、会えないかな。どんどんと高まっていく期待に、胸が高鳴っている。
お向かいさんで兄の同級生だった弘也くんは、兄と違って優しくて、心配性で、世話焼きな人だ。二人が学生のとき、雨の日は外だと気分がどんよりすると、よくうちに遊びに来ていた。
家に来ると彼は必ず、身体が弱くていつも家にいる私に「雨だけど体調大丈夫?」と言いながら、小さなお菓子を差し入れて、ポンポンと頭を撫でてくれる。
家族以外と接する機会が少なかった私にとって、弘也くんはとても、キラキラした存在だった。
鶏が先か、卵が先か、という言葉があるけれど、私にとっては明確で、弘也くんがいて、雨が好きな私がいる。そういう優しいだけの、ちょっと距離のある恋を、ずっとしている。
「芽依!」
後ろから、雨音と共に大好きな声。時刻は七時。会社帰りの彼の靴が、パシャパシャと水を跳ねさせながら、私のものよりも大きな傘を差して駆けてくる。
「コラ! またこんな遅くまで雨の日に出かけて」
「わー! 頭ぐしゃぐしゃしないでよー」
じゃれあいながら、こうして気にかけてもらえることを喜んでいる。心配してくれて、声をかけてくれて、変わらずに触れてくれる。
こんなふうに私がドキドキしたって変わらない。暖かくて心地いい、弘也くんの手だ。
高校生の私が、もう社会人になった弘也くんと繋がりを持つのは難しい。今も、雨の日なら、もしかしたら、と私の中のジンクスを抱えて、期待に心を上下させて。そうして彼とのわずかな繋がりに幸福を感じている。
「風邪ひくなよ」
そう言って、弘也くんは私を見送る。私が素直に家に入るまで、彼は見張るように、向かいの門を潜らずに、うちの玄関を見ている。
私は「はーい」と渋々答えて、会えた嬉しさで上がる口角を扉を振り返ることで彼から隠す。最後にもう一度彼の方に顔を向けて手を振って、笑顔で手を振り返してくれる彼にまた嬉しくなって、家の中に入る。
身体を冷やすと悪いからと、母にお風呂に追いやられながら、込み上がる笑顔が止まらない。
(今日は会えた)
しかも、頭まで撫でてもらえた。
身体をしっかり温めて、お風呂を上がってホカホカして、水気をぬぐって着替えて。夕飯を食べて、家族で食事を食べて、部屋に戻って、借りてきた本を読んで。
それでもまだ、今日の嬉しい出来事を思い出してはニヤニヤする。
明日の天気はどうだろうか。洗濯物が乾かないとお母さんがうんざりしていても、雨だったらいいな、なんて、やはりそんなふうに期待する。
雨の日は、彼と会えるかもしれない日。
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