第6話 Mー56

 まるっきり地球そのものじゃないか。


 そう勘違いしてもおかしくないような風景に、思わず唸るようなため息が漏れた。

 濃厚な木々の香りが郷愁を誘い、風が頬を撫でる感覚に、俺はえも言われぬ寂寥せきりょう感を覚えていた。

 宇宙生活が長かったせいで、こういった情緒に対して少々過敏になっているのかも知れない。

 この景色が俺には地球そっくりに見えるが、実際にはまったく異なるDNAを持った植生も混じっているとのこと。

 ウーラによると、植生というものは気候や周りの環境によるところが大きいのだという。そのため、表面上は俺には見分けが付かなかない程度の差しかないらしい。


『ここから南方約50メートル先に対象の生物――個体サンプル名M-56が居ます。M-56はさきほどまで南から北へ向かい移動中でしたが、現在は移動を中止し、近くの木の実を齧っている模様。その他に大きな生物の生体反応はありません』


 ウーラが個体サンプル名Mー56と名付けたということは、MAMMALIAN(哺乳類)と思われる生物の中で、56番目に採取したサンプルということになる。種が同じと思われるような生物でも、個体ごとに別カウントになっているため56種類目ではないってことだ。


「よし。ここからは歩きだな。アケイオスは対象から少し距離を取り、周辺の警戒にあたってくれ。相手側が罠を張っているってこともないと思うが、一応念のためだ」


 ウーラから通信が入ったことで、左手に装着したマルチプルデバイスが明滅を繰り返していた。

 すぐさま俺は戦闘型ドールであるアケイオスに指示を出し、跨ったエアバイクから飛び降りる。

 まるで黒豹のような異形を持つアケイオスが黙ってコクリと頷いたあと、俺のそばから離れていく姿が俺の視界の端に映っていた。

 ドールは外見上、ほとんど人間と差異はない。

 それどころか、人間っぽく会話もできるし、ユーモアだって疑似的に解するようになる。

 それというのも、ドールは人間の生活や仕事をサポートするための道具だからだ。

 所有者の好みにもよるが、あえて人間味溢れる疑似的性格を植え付けることで、まるで友達や恋人のように接しているやつも少なくない。

 そして、ほとんどのドールの頭部が動物を模している理由は、遠目からでも人間ではないことをはっきりと知らせるためだ。まあ、角が生えているだけでほぼ人間というパターンもけっこう多いのだが。

 首筋にある外部接続用ターミナルを隠せば、こんな生物が居るんじゃないかと疑ってもおかしくないほどの生々しさ。

 ただし、アケイオスなんかはWASPから購入した軍事流用品で違法改造を行い戦闘に特化させているので、全体的な外見は異質だろうが。


 計8体所持しているドールの中で、戦闘型はこのアケイオスとバルムンドの2体だけだった。まあ、他のドールもそれなりに頑丈に作られているので戦闘に使えないわけでもないのだが。

 護衛にアケイオスを選んだのは、万が一にも戦闘状態に突入してしまった場合を考えてのことだ。そんな事態にならないことを願いたいが、実際のところどう転ぶかはわからない。

 ウーラの報告では、今来た道から少し外れた場所に、洞窟のようなものが見つかっており、そこに人為的に集めたと見られる草木が点在していたことから、対象の棲み処である可能性が高いとの話だった。

 となれば、棲み処にたどり着く前に接触を果たしたいところだ。

 野生動物のテリトリー内に侵入するという行為は、それだけで過剰反応を引き起こしてしまう危険性があったからだ。


 生い茂った草々をかき分け、進んでいく。

 しばらく進んでいると、開けた場所に出たことで一気に見晴らしがよくなった。

 その場で俺は近くの木の陰へと隠れ、少しだけ顔を出して前方を覗き込むことにする。

 むき出しになった土色の大地。そこから伸びた植物には木イチゴっぽい果実がたわわに実り、赤と緑の見事なグラデーションをいろどっていた。そして、そのすぐ隣に見えたのはスクリーン上で確認したのと同じ生物。


「あれか。ウーラ、聞こえるか? たったいまM-56を視認した。これから姿を現して、相手の反応をうかがう」

『了解です。こちらもピットにて艦長の姿を追尾中です。万が一の場合、アケイオスを援護に向かわせます』

「わかった。援護自体は構わないが、もし相手が敵対行動を取ってきてもアケイオスにギリギリまで火器類を使わせるな」


 それだけ指示した俺は、ゆっくりとした動作で木の陰から出ていく。

 M-56は地面に座り込み食事中のようで、こちらに気付いた様子はない。近くで観察すると、二本の手を器用に使い、木イチゴっぽい果実を食べている最中だった。

 その様子からすれば危険な生物という感じはまるでしなかった。

 だが逆に言えば、あまりにも緊張感がなさ過ぎる。俺の勘ぐり過ぎのような気もするが、もしかして罠なんじゃないかと疑う気持ちさえ生じてきたほど。

 嗅覚の鋭い野生動物なら風に乗った匂いに反応を見せてもおかしくない距離。だというのに、そんな様子を一切見せていないからだ。

 とはいえ、ここまで来たら手ぶらで帰るわけにもいかなかった。

 それに相手は一匹だけだ。

 マルチプルデバイスによる防御シールドは、大抵の攻撃を防いでくれるはず。

 一方、相手の脇に転がっている槍はどうみても原始的で粗末な代物にしか見えない。

 あれならたとえこちらが生身だったとしても、これっぽちも傷付かないだろう。

 まあ、未知の生物を相手にして、既存の常識だけで物事を推し量るような行為は危険といえば危険だが。


 ゴクリ、と唾を呑む。


 緊張の一瞬だ。

 なんせ人類史上初となるであろう地球外知的生命体との接触。俺でなくとも緊張するはず。

 俺はふぅっと腹の空気を押し出したあと、覚悟を決め一歩を踏み出した。

 何も手にしてないことを見せつけるように軽く手を上げ、多少腰をかがめた状態でゆっくりと近づいていく。その動作にどれほどの意味があるかはわからない。

 だが、多少なりとも知恵が回る相手ならば、こちらに敵意がないことぐらい理解してくれるかも知れない。そんな期待の表れだった。


 ――ビクッ。


 ここにきて、ようやく反応を見せるM-56。

 顔がびくんと跳ね、殻のヘルメットの影に隠れていた双眼が大きく見開かれる。それが俺には、驚愕したときの表情のように思えた。


「みょっ! みょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 辺り一帯に奇妙な咆哮ほうこうが響き渡る。

 その雄叫びが威嚇であるのか、はたまた鬨の声であるのか俺にはわからない。ただし、友好的な雰囲気でないことはこの俺も一瞬で察した。

 とっさに片足立ちにしゃがみ、相手の攻撃に備える。

 そしてマルチプルデバイスを操作し、セーフーティの解除及び射撃モードを麻痺へと変更。

 相手に攻撃された場合は反撃も止む無し。

 それはあらかじめ決めていたことだ。といっても、一時的に電気ショックで麻痺させ、動けなくするだけだが。

 自身の安全が優先なのは当然の話。猛獣のような危険性を感じないとはいえ、むざむざ相手の攻撃に我が身をさらすような真似などできなかった。

 襲いかかってくるなよ――そんな思いが俺の頭をよぎる。


 ドサリ。


 そんな心配をよそに、俺の目の前でM-56が真後ろへと倒れていった。

 あまりにもタイミングが良すぎて、一瞬自分が撃ったのかと錯覚しそうになったほどだ。とはいえ、自分が撃ったのではないことなどわかりきっている。

 となると俺以外の誰かがやったのか?


「ウーラ、もしかして何かしたのか? それとも俺たち以外に何者かが居るのか?」

『いえ、ご指示どおりこちらからは何もしておりません。それと半径100メートル以内に一定サイズ以上の生物の生体反応がないことも、ピットBにて確認済みです』

「じゃあ、ひとりでに倒れたっていうのか? とりあえずアケイオスを寄越して、対象の様子を確認してくれ。俺からは突然倒れたように見えたが、何らかの偽計行動ということも考えられる」

 

 そう遠くない場所に居たのだろう。

 すぐにアケイオスが姿を現すと、M-56へと近づいていく。

 俺はその様子を緊張気味にうかがっていたが、しばらく待っても拍子抜けするほど何も起きなかった。

 充分に安全を確認したあと、この俺もすぐそばまで近寄ってみたが反応はなし。どうやら心配のし過ぎだとわかるまで、そうたいして時間がかからなかった。


『検査してみなければ確実なことは言えませんが、どうも神経調整性失神かと思われます。小動物によく見られるもので、ストレスや恐怖、不安などで一時的に意識を失ったりする症状です。心臓に異常がないようなら後遺症も残らず、しばらくすれば自発的に覚醒するはずです』

「はぁ……そうきたか。まさかそこまで臆病な性格の持ち主だとはな」


 原始的とはいえ、武器らしき物まで所持していたのだ。好戦的と見るのは早計にしても、多少驚いただけで気絶するような生物だとは思ってもみなかった。

 だが、どうするか?

 この分ではまともにコミュニケーションなど取れそうにない。この後目を覚ましたとき、また失神しないとも限らないし、そうならないにしてもこれほど臆病な性格では逃げだすのがオチだろう。

 捕獲して船内に隔離すれば事は単純なんだが……現時点でのちのち問題が起こりかねないような行動は控えたいってのはある。


「とりあえずDNAの採取だけしてくれ。こいつが起きたらできるだけ興奮させないようにするが、もし逃げていったら深追いはしない。そんな危険な生物ではないとわかっただけでも充分な収穫だろう」


 警戒を解き、射撃モードを解除する。

 あらためて間近で観察してみると、やはりどこか見覚えがありそうな間抜けな顔つきだった。

 倒れた拍子に頭部の殻のヘルメットのようなものが脱げ、そこから飛び出したふたつの耳が見える。

 他に目、鼻、口など顔の特徴も、どうみても地球の哺乳類と大差なかった。これでまったくの無関係だとすれば、むしろそちらのほうが驚きだろう。


 と、そのとき――、

 物思いに耽っていた俺の思考を、ウーラの一言が中断させた。


『警告。南西方向に新たな生体反応あり。こちらへと向かってきています』

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