第67話 阻むもの


 ここは精霊の世界と人間の世界の狭間にある森の中。


 精霊や妖精もこの地に漂っている事も多く、それらが見えるのであればここはとても幻想的な場所に見える程の光景となっている。


 そこに紛れ込むのはその界隈に住む動物ばかりで、人間がここにたどり着く事は殆ど無かった。


 だからここにいるウルスラは、いつも一人だった。


 幼い頃にそうしていたように、朝は湖へ行ってバケツに水を掬い、それから水浴びをする。それが朝の日課で、ここに来てから変わらない日常であった。


 バケツを抱えて家に帰ると朝食の用意をする。ここに来てからの食事は、山菜と茸、木の実や果物だった。

 僅かな食事であるけれど、自然の恩恵を受けている事にウルスラは感謝していた。


 食事の後は部屋の掃除をしたり、洗濯をしたりする。それでもすぐに疲れてしまうので、休憩しながら体を動かしている。


 ルーファスが置いていった本や教材はまだそこにはあって、それを見ている時は幼い頃に戻ったようにも感じられた。

 昔貰った小さな洋服と靴もそのまま置いてあって、一度も袖を通せなかった事を申し訳ななく思っていた。

 こんな事なら勿体ぶらずに、着れる時に着ておけば良かったとウルスラは思った。

 

 国王や父親からも沢山のドレスや宝石等の装飾品や靴、鞄等をもらったけれど、ルーファスから贈られた物にはやっぱり思い入れがあった。

 

 時々それを棚から出しては眺めて、ルーファスとの思い出に浸る。ここでの思い出はどれも楽しくて、ルーファスと共にここで勉強したり一緒にバケツを作ったりホウキを作ったりした事は、全て幸せで大切なものだった。


 昼は外で過ごす事が多く、やって来た動物達と話したり、精霊や妖精達とも話をする。

 薬草の花はそこここに生えていて、ウルスラにいつも歌をせがんでくる。それがとても可愛いらしい。


 優しい空気に包まれて、穏やかに時間は過ぎていく。それはあの時と変わらない。なんだったら以前よりも話し相手は多く、楽しく過ごせている。


 だから寂しさなんて感じないと思っていた。


 ここに帰って来れさえすれば、あの頃と同じ気持ちで過ごせると思っていた。


 でも違う。そうじゃなかった。


 ここには今、ルーファスはいない。夢を見ることも出来ない。

 

 思い出だけがあって、そこにルーファスが足らないと感じてしまうのだ。


 王城のルーファスの部屋で過ごしていた時は、そうじゃないのにって思うことばかりで、我慢ばかりしていたように感じていた。


 それでも、ルーファスの近くにいられた事が嬉しかった。近くにいると感じられる事が幸せだった。罵られても、声が聞ける事に安心した。


 幸せを感じた時は、すべてルーファスの存在がそこにあったからだった。


 ルーファスの傍を離れたのは自分の意思だった。そうしなければならないと思った。自分がいる事で、泣いてしまった事で、大勢の人が魔物になってしまった。

 だから人が多くいる場所では暮らしてはいけないと思った。

 そんな思いから王都を離れた。そしてここに帰ってくる事ができた。


 ずっとここに帰って来たかった。ここでまた、あの頃のような穏やかな日々を過ごしたかった。それが今は叶っている。だから自分は幸せな筈なんだ。


 何度もそう思って、何度もこれで良かったと思い込んだ。


 だけど、日を追うごとに寂しさは強くなっていった。

 ルーファスに会いたい想いが募っていった。

 

 声が聞きたい。その姿をこの目で見たい。傍にいたい。触れたい。抱きしめてほしい。


 ルーファスと再会するまでは我慢できたのに、どうして今は我慢できないんだろう。こんなに好きなのに、どうして離れてしまったんだろう。 

 ウルスラはそんな事ばかりを考えるようになってしまった。

 

 ここにいると花達のお陰なのか、王城にいた頃より体の調子は良い。なのに気持ちは沈んでしまうばかりで、悲しくなったり寂しくなったりする事が多くなってきた。


 それでもここから出て行く事は出来ないと思った。この花がないと、自分は普通に暮らすことも出来ないと分かっていたからだ。


 そんなウルスラを心配してか、精霊ドリュアスが姿を現した。



「ウルスラ。元気がないのね。どうしたの?」


「え? ううん、何でもないよ」


「私たち精霊にまで気を使わなくてもいいのよ?」


「そんな事……」


「彼に会いたいの?」


「……うん……」


「そうなのね…… 」


「夢でも良いから……会いたい……」


「そうね……でもそれは出来ないかも知れないわ」


「どうして?」


「夢の精霊がね、怒っちゃったのよ」


「え? なんで?」


「ルーファスが貴女に酷かったからよ。夢の精霊は人々の夢の中を渡り歩いているの。その中でも貴女の事を気に入って、夢に干渉していたでしょ? まぁ空間を司る精霊ディナの力が無ければ、夢の中に他の誰かが立ち入るなんて事は出来なかったんだけど」


「そうなの……?」


「貴女の夢をずっと見ていたようなの。だけど、ルーファスと再会してからの貴女の夢は悲しいものが多かったそうよ。人はその日あった事の情報処理をする為に夢を見るとされているでしょ? 勿論それだけじゃないけど、辛い思いや悲しい事があった時は、同じような夢を見る事が多いの。ウルスラの夢を気に入っていたのに、ルーファスと再会してから悲しい夢ばかりで、それに怒っちゃったのよ」


「え、でも、私は悲しくなんか……」


「自分ではそう思っていても、心は正直なのよ? だからね、夢の中でもルーファスと会わせたくないと思っているの。もう辛く悲しい思いはさせたくないからって」


「でも……会えない方が悲しいよ……想いばっかり募ってしまって、胸がギュッてなって、なんだか苦しくなっちゃうの……心がね? 求めちゃうの……ルーを求めちゃうの……」


「ウルスラ……」


「どうしたらいいかなぁ……? どしたらルーに会わせてくれるのかなぁ……?ねぇ、ドリュアス、私はどうしたらルーに会えるの?」


「それは……」


「泣いちゃったからダメだったのかなぁ? 力を一つだけあげなかったからダメだったのかなぁ? ねぇ、ドリュアス、どうしたら良いの? 会いたくて会いたくて、どうしようもなくなっちゃうの……でもどうしたら良いのか、もう分からないの……」



 今にも泣き出しそうな顔をして、ウルスラはドリュアスに訴えるように言う。

 ウルスラのそんな顔を見ていると、ドリュアスも悲しい気持ちになってくる。

 どうにかしてあげたい。そんなふうに思ってしまう。



「ウルスラ、落ち着きなさい。私ではどうにも出来ないの」


「……そう……」


「貴女を遠い森からここまで来れたのは、妖精達が貴女を見つけてディナに助けるように懇願したからなの。多くの妖精の力が無ければ、貴女はここにたどり着けなかったのよ?」


「うん……」


「だから、彼も妖精に愛される人じゃないといけないわ。そしてディナにもね。まぁ、私からも言ってみるけど……」


「言ってくれるの?!」


「でも期待しないでね? あの二人は気まぐれなの」


「うん……うん……! ありがとう、ドリュアス!」


「お礼は早いわよ。どうなるか分からないし」


「それでも……ありがとう!」



 ここに来てやっと嬉しそうなウルスラを見ることができて、ドリュアスも何だか嬉しくなった。


 森にいるのであれば自分も協力は出来るかもと、森限定にはなるがドリュアスもルーファスを探そうと考えた。


 悲しそうなウルスラを、これ以上見ていられなかったからだ。


 そんな事があってウルスラの気持ちを知った夢の精霊は、ルーファスの夢とウルスラの夢を繋げたのだ。


 しかし、会わせる事はしなかった。ルーファスを試した。そして今までウルスラにした事の罰としても会わせなかたのだ。


 暫く二人の様子を見て、ルーファスの想いがあの頃と同じだと分かった夢の精霊は、ルーファスを許そうと思った。


 そしてその事にディナは納得をし、そしてドリュアスはルーファスを探し出す事に成功した。それには妖精達の協力が不可欠で、ウルスラの願いもあって力を貸してくれたのだ。


 そうして会える手筈は整った。


 しかし探している段階で、ドリュアスは不穏な空気を感じ取った。森が呪いで汚染されていくような、そんな事を感じ取ったのだ。


 何があったのか……どうすれば良いのか……


 まだ生まれて間もない精霊であるドリュアスは、一人戸惑うしかなかったのだった。


 


 

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