第20話 変化


 夢でウルスラとルーファスが会うようになってから、少しずつルーファスは変わっていった。


 フューリズに光を奪われ声を奪われてから、何もせずする気も起きず、ただその日を生きているだけの日々だった。


 けれど、自分より幼いウルスラは何故か今は一人でいるのだと夢で言っていて、彼女なりに懸命に生きようと努力をしているようだった。

 ウルスラの言葉数は少なく、自分の事を殆ど話さないけれど、きっと今までも、そして今も苦労している筈なのだ。それでもウルスラはいつも笑顔を絶やさない。自分に会えると嬉しいと言い、満面の笑みを向けてくれるのだ。そのなんと愛らしいことか。


 それはただの夢かも知れない。けれど、そうは思えなかった。今もなお不思議な現象が起きているからだ。


 夢の中で食事をすると、用意されてあった料理は無くなっている。夢と同じように。

 一度そんな事があってからルーファスは試すように、夢を見る度にウルスラと食事を摂ることにした。

 

 いつも用意されている料理は、夢で食べたようにちゃんと無くなってあった。飲み物もそうだった。

 ルーファスの部屋にいる時は、書棚にある本で勉強する事が殆どだったが、その本もテーブルに置かれたままになっていたりする。夢で片付けてない状態の、そのままの状態になっているようだった。

 朝、その事をオリビアにいつも報告され確認されるので、どうなっているのか理解出来たのだ。


 流石にこれはただ事ではないと思い始めたルーファスは、だけど自分では何も出来ない現状に憤りを感じた。だが今までであればそれだけであったのだが、それではいけないと考えを改めた。

 

 何処にも行こうとせず、誰とも会おうとせず、ただ自分の世界に籠りきりだったルーファスは、見えずとも自分に出来ることがあるのではないかと思い始める。

 

 そして、夢が実際に起きている事であるのかどうかを試してみた。

 ウルスラとこの部屋にいる夢を見た時に、ノートにオリビア宛にメッセージを残したのだ。


 朝、ノックの音がして扉が開かれる。いつもの静かな足音が聞こえてきた。それでオリビアがやって来たのが分かる。

 彼女はいつも明るく優しく話し掛けながら部屋の様子を確認しているようだが、今日はふとその話し声が止んだ。



「ルーファス……殿下……あ、の……これは……どういう事なんでしょうか……」


 

 そんな声が聞こえてきて、ルーファスはその方向に顔を向ける。


 ちゃんとメッセージは読めたのか? それは本当にノートに書かれてあるのか? 


 夢で自分がした事が本当に起こっているのかどうかの確認は自分では出来ない。だからこうやってオリビアに分かるようにした。

 だが本当にそうなのかどうなのか、ルーファス自身も半信半疑だった。そうであって欲しいと願ってはいたが、そんな事が起こるとはにわかには信じられないとも思っていた。


 だからオリビアが発する言葉を慎重に聞いている。オリビアは、何故? と言ったような感じの声色をしているようだった。その様子を聞き逃さないようにして、オリビアがルーファスの元まで来るのを待つ。



「ルーファス殿下……これは……本当の事なんでしょうか……」

 


 近くでオリビアの声がした。あぁ、本当だったんだ。そうルーファスは悟った。

 オリビアの問いかけに、ルーファスはしっかりと頷いた。オリビアがゴクリと息を飲むのが分かる。



「では……この字は本当にルーファス殿下が書かれたのですね? それも夢の中で書いたと言われるのですね?」



 そうオリビアが言うのを、ルーファスは何度も頷いてみせる。メッセージには、夢で見た事が現実となっている事、そして夢で会う少女がいる事を綴ってあった。


 こんな事、簡単に信じられる事ではない。だけど、オリビアはこの不思議な現象を何度も確認しているのだ。

 毎日では無いにせよ、テーブルに置かれてある料理が食べられた後がある。それも一人分より多く。

 こうなってからルーファスの食事量は著しく減少した。少しずつ元には戻ってきてはいたが、それでも今までと比べると多く食事を摂った後があった。その事にもオリビアは疑問を感じていたのだ。


 誰かと食べたと言うのなら納得はいく。しかし、本当にこんな事が起こるのか……オリビアもまた半信半疑ではあったが、ルーファスが嘘を言った事等今まで無かったし、嘘を言う理由も無いと考えた。



「分かりました……信じます。ルーファス殿下の仰る事が真実かどうかは正直分かり兼ねますが、もとより私はルーファス殿下を信じているのです。私で良ければ協力させて頂きます!」



 オリビアがそう言うと、ルーファスは良かったとばかりに微笑んだ。それはこうなってから初めての事で、それには思わずオリビアは涙が出そうになってしまう。

 それを何とか堪え、オリビアもまた笑顔を返す。見えてなくとも伝わると思っているし、そうでなくても無意識にそうしてしまったのだ。


 それからはオリビアの協力を得て、ウルスラに持たせたい物を用意出来るようになった。

 ここで食べる料理だけではなく、持ち運べるようにバスケットにも用意をした。リュックに食材を入れて置いておくのも毎日のようにしたし、服や靴の用意もするように言われ、そうしたのだ。

 

 突然料理の量を多くするように言われたり、食材を用意するように言われた料理人達は驚いたが、ここではオリビアは絶大な信頼を得ていたから、不思議に思われても不審には思われる事はなかった。

 誰よりも真面目に、誰よりも優しく、誰よりも献身的に仕事に打ち込むオリビアの姿を見て、言葉にせずとも彼女を知る人達は認めていたからだ。


 そうして用意した物は、朝ルーファスの部屋へ行くと無くなっていたりする。外で護衛をしている者に、夜ルーファスが出歩いていないか何度も確認したが、一度たりとも外に出る事は無かったと言っていた事から、これは本当の事なんだとオリビアは少しずつ信じるようになっていく。


 ある朝、オリビアはテーブルに置かれた手紙を見つける。

 それはまだ拙い字で、字を覚えて間もない幼い子供が一生懸命書いた字だと分かる。そしてそれはオリビア宛に書かれた物だった。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


ーオリビアさんへー



いつもいろんなものをよういしてくれて、ありがとう。


ルーはオリビアさんのおかげだといっていたので、どうしてもおれいがいいたかったです。


ルーも、オリビアさんがいてくれてよかったといってます。


わたしもいつか、オリビアさんにあいたいです。



             ーウルスラよりー


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 

 可愛らしい字で書かれた手紙を見て、オリビアは嬉しくて涙が出た。


 ウルスラという少女は自分にこうやって手紙をくれた。ただそれだけの事なのに、何故か救われたような気持ちになる。

 その手紙を胸に抱くと、言い様の無い思いが胸に溢れてくる。こんなふうに感じたのは初めてだった。

 許されるような、癒されるような感覚。自分の全てを肯定してくれているような、認めて貰えているような感覚。それと同時に幸せを感じた。


 思わず駆け寄り、ルーファスに問い詰める。



「ルーファス殿下! これを書かれたのがいつも仰っておられたウルスラ様なのですね?! ルーファス殿下の大切な方なのですね?!」



 そう言うと、ルーファスは嬉しそうに頷いた。

 

 勘繰った事もある。全部がルーファスの虚言なのではないかと。もしくは幻覚を見ている。そう思い込んでいる。オリビアはあらゆる可能性を思い巡らせていたのだ。


 しかし、この手紙を読んで分かった。これは真実だったのだ。ウルスラという少女は実在するのだ。そう確信した。なぜそう思えたのかは分からない。けれど、その手紙からは何か感じるものがあり、全てを包み込むような感覚があって、それを否定するなんてオリビアには出来ないと思えたのだ。


 頭皮に重症を負い髪が生えてこないばかりか、頭に負った火傷の痕は今も忌々しく残り、それは額や耳辺りにまで及んでいる。

 あの日から自分に自信など持てる筈もなく、ルーファスから贈られたウィッグで顔を隠すようにして、常に下を向いて生きてきた。

 こんな自分が出来ることならなんでもする。これ以上嫌われないように、迷惑をかけないように生きていく。それが傷を負ってからのオリビアの生き方だった。


 ルーファスの世話を献身的にするのも、自分より酷い状態のルーファスを見下しているんじゃないかと、決してそうではない筈なのにふと自己嫌悪に陥る事があった。 

 自分がそうだと思われているのかも知れないと、周りの声に敏感に感じる事もあった。


 しかし、ウルスラの手紙を読んでからは、そんな事は些細な事だったと思えるようになった。

 しっかり前を向いて、自信を持ってルーファスの力になれる事を誇りに思う。今までウジウジ悩んでいた自分はなんだったのかと思う程に心境は変化していった。


 そして、そんなオリビアと同じようにルーファスにも変化が見られた。


 部屋から出て、外に行く決心をしたのだ。それには扉の前で護衛をしている者も驚いた。出入りはいつもオリビアだけで、オリビアがいない時は部屋から何の物音もしない事から、本当にこの部屋にルーファスがいるのかどうかも分からなくなっていたからだ。

 

  久し振りにその姿を見て、護衛は驚きと嬉しさが胸に湧いた。

 それはルーファスを見掛けたメイドや執事等もそうだった。


 拙く歩くルーファスに、皆が声を掛けて手助けしようとする。それを前のルーファスであれは怒り、不要だと断っていただろうけれど、声をかけた者皆に笑顔を向けたのだ。


 その変化に驚き、そしてその笑顔を向けられた者もルーファスに対して少しずつ変化していく。

 何としてもルーファスを立ち直らせる。その力になる。そう思うようになっていったのだ。


 そうやって少しずつ、ルーファスの周りの状況は変わっていったのだった。

 




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